置き手紙
「あら、あの子を置いてきたのね」
僕が控え室から出ると、待ち伏せしていたメルフィナに声をかけられた。壁に寄りかかり腕を組むその姿は、まるで司令官のような風貌だ。
スラリと長い美脚が、さらに色気を引き立てる。バレンが言うには彼女も令嬢で、騎士団長。戦う令嬢は珍しいのではないだろうか?
今バレンは控え室で寝ている。それもフランネル令嬢と一緒に。フランネルにとって、彼をどのように見ているのか、気になってしまう。
「あ、一つ忘れ物。受付前に落ちていたんだけど。捨てるわけにはいかないから。ちょっと開いてもらえるかしら?」
「あ、はい……」
メルフィナから手渡されたのは、四つ折りになった一枚の手紙。折られた最初の面には、バレンの文字で『開いたらカウントを始める』と書かれている。
〝カウント〟とはどういうことなのだろうか? 僕はギルドマスターのところに向かい、渡された手紙を開く。そこにも、バレンの文字がぎっしり詰め込まれていた。
「ちょっと読みます。『この手紙を開いたということは、俺の予想通りに進んでいる。きっと、さっき俺が流して振り分けた血だけでは、証明にはならないはずだ』…………」
――『それもそのはず、八年以上来ていない分、アレストロの歴史上では、俺はもう死んでいる。疑うのも無理はない。けど、ここのマスターなら今の展開を覚えていると思う。俺が寝てしまった原因を……』
「長いので一旦ここで……。マスター、バレンが寝た原因というのは?」
ものすごい文量の冒頭部分を読み終え、僕はカウンター席のマスターに質問する。しばらくして、カウンターの奥から出てきたのは、茶香炉というお香だった。
香炉の中は、火の灯った小さなロウソクが一本。香炉の上には、これまた小さな小皿が乗せられ、淡い黄色の花弁が数枚置いてあった。
『これは〝ゼレネス〟といって、バレンが苦手な香りの花でね。ここの周辺の砂漠でしか採れない、いわば固有種なのだよ。生では毒があるが、調理すれば食用にもなる。と言っても、彼の大好物でもあるが……』
「矛盾していますね……。えーと続き読みます」
僕は行を辿り、続きの文章を探す。冒頭だけでも長いのに、読み切れていない文章だらけだ。最初のところまで目で追うと、再び読み上げを開始する。
――『相変わらず、ゼレネスの香りは苦手なままだ。一瞬嗅いだだけで眠くなってしまう。逆に助かっているが……。俺から一つ提案がある。俺が本物というのを、確実に証明できることが……。シュトラウトではお決まりのイベント準備で、今から出す指示に従ってもらいたい。そして、指示を読み終えたタイミングで、再びカウントを始める。まずは桶を、タライでもいい。できるだけ大きい物を十個用意して控え室に』
「……とのことです」
文章の指示で、その場に居合わせた人達が動き出す。僕には意味が理解できない。どうしても、バレンが考えていることがわからない。
僕が知らないことだらけで、次の行動に気づけない時もたくさんある。彼が言う〝お決まりのイベント〟とは、何なのか?
その合間にも、ギルドに入れ物が集まってくる。勢いは止まらない。増え続ける桶とタライ。温泉にでも入るのだろうか?
いや、バレンのことだから違うと思う。やっぱり、考えていることがわからない。付き合いが長いのにも関わらず……。
『そこの少年。次の指示を‼』
「えっ? あ、はい……『次の文章を読み終えた十五分後に俺も行動を開始する。その間にフランネルを移動。俺をベッドの端に寄せて、床に集めた桶を置いてほしい。今はこれで以上。カウントを始める』……。ここで文字が切れていますね。皆さんお願いします」
僕の指示――バレンの言葉を読んでいるだけだが――で、桶を持った人が次から次へと、バレンが寝ている控え室に出入りを始める。
気になった僕も後に続き、フランネル令嬢様をエントランスへ連れてくる。そしてもう一度控え室に戻る。
バレンの指示通りに令嬢様を移動させた。バレンの指示通りに端に寄せた。バレンの指示通りに桶を床に置いた。今の段階で頼まれたことはここまで。
よく確認すると、バレンの右腕が床に垂れている。一体何が始まるのだろうか? もうすぐ十五分が経過する。それは、僕が部屋を出る時だった。
――
「えっ?」
ベッドで眠るバレンがささやくと、続いて聞こえる何かを引き裂く音。見たくない。見たくないのに気になってしまう。
僕は身体を扉に向けたまま、そっと振り返る。できるだけ直視はしないように……。興味と恐怖の狭間で、震えながらゆっくりと……。
視線をバレンの方へ移動させる。最初に見えたのは、彼の尖った長い爪。その先から滴る青い血。何がどうなっているのかわからない。
青い血はこの世界では逸話のはず。そして、ただの作り話。だけど、今バレンの腕から流れているのは、紛れもない青色。それは桶の中に溜まっていく。
今は話しかけてはいけない。僕は、バレンを一人にさせて、控え室の外に出た。
「アナタはたしか、ロム、と言ってたかしら? まだ全員の名前を、覚えきれていないから」
控え室の扉の横に寄りかかるメルフィナ。少し前にも同じことがあった。今の思考の中は、疑問で埋め尽くされて、それを彼女の前で吐き出す。
「……メルフィナさん。バレンは一体何をしているんですか? 血の色がさっき見たのと違う……」
「たしかに、気になる気持ちは、私もよくわかるわ。実は彼。よくここでやっていた、習慣的なことがあるのよ」
「習慣?」
「そう。知っているかわからないけど。王族の血には色々効能があってね。この世界にも王族はたくさんいるの。あたしも全部を知ってるわけではないわ。ほんの一部しか知らない」
「そうなんですね……」
(なんか、怖い……)
メルフィナの説明だけでも、だんだん怖くなってしまう。だけど、王族の血に効能があるのは、少し驚いてしまった。
たしかにバレンは王族だ。現王族ではないけど、王族の血を持っている。やはり、彼のにも効能があるのだろうか?
メルフィナの説明は続く。
「バレンの血は、今ではプレミアが付くくらい効果が高くて……。それも、効能は変幻自在。みんな必ず、
「全ての組み合わせって、変幻自在すぎますね……。バレン大丈夫かな? 出血量がすごいけど…………」
「あの子のことだから、問題ないわ。それにまだ少ない方……。というのは、言い過ぎよね。ごめんなさい……」
「い、いえ。せ、説明ありがとうございます。メルフィナさん……」
無意識に震えが止まらなくなる。まだ少ない方って、どこまでが彼の多量……。いや、ここで言うのはやめた方がいい。
僕は一旦気持ちを切り替えて、気分転換にギルドの外へ。少し前まで明るかった水の都は、建ち並ぶ家の光でライトアップされ、頭上ではたくさんの星々が賑やかに彩っている。
癒しを与えてくれる空間は、とても心地いい。道の真ん中で仰向けになり、夜空を見上げる。なんだかこのまま寝てしまいそうだ。
「どうして、バレンは……。わからないことが多くて、何から覚えればいいのかも、わからないよ……。僕は一体何から君のことを知ればいいの? って、君がいないところで言ってもわからないよね……。僕も、僕のことがわからない。君から、フォトン・グングニールを受け取った時からずっと……。まだ一日しか経っていないけど……。多分。僕とバレンには、きっと何かあるはず。そして、フランネルにも。初めて出会って。しかも他に並んでいた人そっちのけで来た時は、本当にびっくりしたよ。バレンがどう思っているのかは、わからないけど。フランネルが君に懐いていたのも、ちょっとびっくりした。いつも世話を任せてごめん。できることは、僕も手伝うから…………」
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