第102話・紅竜の決断(だって決めるのは自分だから)

 「つまびらかに出来ることなどそれほど無いのだが、確かにアイナにも関わりがあるな。……コルセア、いずれ直接話そうとは思っていたが、俺は帝室を出るかもしれん」


 流石に人の耳がありそうな場所でするには差し障りがありそうだ、と、外に出て人気の無いところに場所を移してから、殿下はわたしにそう言った。

 といって、校庭の隅にあるあずまやだから、どっかに誰か隠れててもおかしくはないんだけど……ま、いいか。殿下がそれでいいっていうんだから。


 『やっぱり揉めてるんですか?』

 「揉めてるというかだな……クバルタス兄があのようなお人であるために、長幼に従って帝位を継承することに不安を覚えている勢力があるのだ。そして今のところお鉢が回ってきているのはビデル兄と俺だけだな」


 あのようなお人、と殿下が言うだけあって、帝国の第一皇子クバルタス・クルト・ロディソン殿下は大陸最大の帝国の室に連なるにしては、ぶっ飛んだお人なのだ。

 といって悪人、ってわけじゃない。ただ単に、行き過ぎた趣味人て趣きで、この国を維持し発展させる義務のある皇帝位に就くにはちょぉぉぉぉぉっと、問題がありそうなのだ。

 まあそれでも三周目では順当に帝位を継承し、その子が優秀に育ったこともあって割かし早く譲位してボロは出なかった「らしい」んだけど。その頃わたしは帝国を離れていたからね。


 『殿下としては帝位を争うおつもりなど無いわけで?』

 「まあな。ありがた迷惑なことに、上の二人の兄などよりよほど皇帝の資質に恵まれている、などと目す者もいるが、俺などまだ右も左も分からぬ若僧に過ぎんよ。それを指して皇帝の資質などと言われてもな」

 『存在感に重みがある、という意味だけでも殿下が一番向いてると思いますけどねー』

 「お前までそのようなことを言うのか……俺はただの男としてアイナを幸せにしてやりたいだけなのだ。帝室だのなんだのというのは荷が重い」

 『殿下……』


 意外に思った。いや、殿下はお嬢さまのことを大切にしてくれている、とは思ってたけれど、それをわたしにまでこう明言するとはねー……ああもう、胸が痛むったらありゃしない。


 「幸い、途絶えたとある侯爵家を再興して、俺に継がせようという動きがあるようでな。この際便乗してしまってもいいかと思っていたところだ。だが、俺の後ろ盾を自称する勢力を説得するのに時間がかかっている。俺の後ろ盾というよりは、恩に着せたいだけだと思うが」

 『ま、そんなところでしょーね。殿下にしてもビデル皇子にしても、帝位を継承した際には美味い汁でお腹をふくれさせよー、って意図なんでしょ』


 お前らしい例えだな、とようやく殿下は屈託無く笑った。思わず見蕩れてぼけーっとするわたし……って、いやいやそれどころじゃない。一つ大事なことを忘れてた。


 『殿下、殿下。その、途絶えた侯爵家、ってやつですけど、もしかしてティクロン家というので?』

 「……よく知っているな。まだ機密に属すると聞いていたのだが」

 『ちょっとそっちと関係あるような無いような話がありまして。ちょいとお耳を拝借』

 「なんだ」


 と、気易くも婚約者のペットに耳を寄せる殿下。ああ、端正な横顔がわたしには毒ですぅ……なんてやってる場合じゃない。

 わたしは、バナードから聞きこんだ、ティクロン家の名前で取引が進められているという話を耳打ちする。

 聞き終えた殿下は妙な顔といえば妙な顔になっていた。


 『……どう思います?』

 「……復興する方向で話が進んでいるとはいえ、まだ実態の無い家の名前を使って大口の取引が行われている、か。焦臭いと言えなくはないが……。その取引の内容などは分かるのか?」

 『バナードに聞けば……あ、いやどっちかってーとブリガーナの伝手使った方が詳しそうですね。バナードだと実家に聞くことになりますし』

 「そうか。済まないが調べを進めてくれるよう、伯爵に伝えてもらえないか?」

 『あいあいさー。じーさまも協力してくれると思いますよ』


 それは頼もしいが恐ろしくもあるな、と殿下は苦笑していた。

 そーよね。じーさま、若いモンを大事にはしてるけど、油断してると試すようなことを平気でするもん。最近ブロンくんが翻弄されて泣きそうになってたのよね。


 「我が未来の義弟も苦労の多いことだ。さて、俺は行くぞ。大分相手を待たせている」

 『あ、はい。なんかわたしが言うのもアレですけど、上手くいくといーですね』

 「ああ。俺もそう思う」


 ポン、とわたしの頭に一度手を置いて、殿下は忙しそうに立ち去っていった。

 その精力的な後ろ姿を見て思うのは、だね。


 『……なんかもー、お嬢さまとネアスと殿下と……わたし誰を優先すりゃいーのよもー……』


 相応に殿下にも思い入れ抱いてしまった身としてはね。やっぱり、「アイナを幸せにしてやりたい」って多少はにかみながら言っちゃう人を、無下にも出来ないんだよぉ。どーすりゃいいの、ほんと。



   ・・・・・



 その夜。

 馬車でネアスを家にまで送り届けてから帰ってくると、わたしは早速伯爵さまに話をしにいった。

 お嬢さまの帰宅を待っていた一家だったけど、伯爵さまはわたしのそこそこ深刻な雰囲気を察してくれてか、自室で話を聞いてくれていた。


 「……というよりコルセア。君が夕食の前に話がしたい、なんてよほどのことだと思うじゃないか」

 『えー。わたしご一家にどう思われてるんですか。お嬢さまには腹黒だのアホだのクソだのいろいろありがたくないあだ名頂戴してますしー』

 「済まないね、我が娘ながら口が悪くて」


 さっぱり悪いと思ってなさそうな柔和な表情で、伯爵さまはふっくらした仕事机とセットの椅子に、背中を預けてた。

 お嬢さまのお部屋の机椅子は、じーさまからのお下がりってことでデカイわ高価だわ固いわ(一度寝ぼけて囓ったらえらい目にあったのだ)で、と高等部の学生が使うには過ぎたモノなんだけど、対照的に伯爵さまは実用重視な中にも美意識の存在が感じ取れる、主の為人を容易に想像出来る逸品なのだ。ちなみに伯爵さま不在の折に一度腰掛けてみたら、「お?お?おお?」って声が洩れるくらいにじんわりと沈み込んでいった。それほど高そーに見えないのに、えらい座り心地が良かった。


 「それで、話というのは何だろう?」

 『あ、そーでしたそーでした。えとですね、昔の侯爵家でティクロン家というのがあるんですけど、今それがどうなっているのか調べられないかなー、って』

 「ティクロン家?またなんとも懐かしくも物騒な名前が出てきたものだね。どこから?」

 『殿下がこれから名前を継いで復興する……って話がありまして。あ、やっぱり物騒な名前なんです?』

 「まあねえ……何せ、帝国に害を為す企みを抱いた、って理由で滅ぼされた家だからね。ただ、歴史だけはあるから復興させる価値はあるだろうけど……少なくとも帝室を出る殿下が継ぐに相応しい名前とは言えないね」


 やっぱりか。

 いや、三周目もそーゆー話はあったんだけどさ、その時は殿下が継承権争いから降りてから起こった話だったし、今回とは状況がちょっと違うんじゃないかな、って。

 でも三周目がどーのこーのなんて話を伯爵さまに出来るはずもなく、わたしとしてはバナードや殿下に聞いた話に、どこで聞いたかも覚えてない噂話として三周目の経緯を怪しくない範囲で話してみた。

 したら。


 「……そうだね。調べる価値はありそうだ。いや、これはアイナのためにもよく調べないといけない話だ」

 『言っておいてなんですけど、あんま悪い話が出てこない方がいいんですけどねー』


 伯爵さまにしてみれば、お嬢さまが嫁ぐ先のことになるから心配になるのは分かる。それだけに、怪しげな話になんかならない方がいいに決まってる。

 そしてわたしにしてみれば、ほぼほぼ殿下への思い入れだけで首を突っ込んでいるよーなものだ。

 わたしが悪辣極まり無い悪いドラゴンで、お嬢さまとネアスをくっつけることだけ考えているのならば、この際そーゆー怪しげな家名を殿下に背負わせて、そんで陰謀が炸裂して殿下が没落したところにお嬢さまを引き離せばいいわけだ。我ながらこんな発想が出るところに嫌気がさすけれど。


 「願った通りになどいかないのが世の常だよ、コルセア。だから君はアイナの良い友人でいてくれれば充分だ」


 そんな風にため息をついたわたしに、伯爵さまは優しく声をかけてくれる。多分、ため息の理由を取り違えてるんだろうけど、そうとも言えずにわたしは頭頂部の二本の角の間を揺さぶるように撫でられるままだった。

 考えてみれば、今生でも普通に幼いお嬢さまにペットとして与えられて、そんで伯爵家から家族同然に扱ってもらって、伯爵さまにしてみればわたしも子供の一人みたいなものなのかもなあ。

 ……やっぱりなあ、お嬢さまとネアスを娶せたりすると、殿下だけじゃなくて伯爵さまや奥さまもがっかりさせてしまうんじゃないかなあ。

 そう思って、「ほら、元気を出して」と勘違いしたままの伯爵さまは、先に立って食堂に向かっていく。ごはん食べれば元気になるだろう、っていう悪意の無い推測は、実のところそんなに間違ってない。


 『あ、ところで伯爵さまー、わたし最近お漬物の味に目覚めまして。お肉をすこぅし薄味にして合間に食べるお漬物なんか、とっても乙ですよねー』

 「あまり塩っぱいものを食べ過ぎないようにね」


 そもそも食べるという行為が生命活動に必須じゃないわたしには、栄養とか味の濃い薄いとかはあんまり関係ないんだけど、この呑気で気の良い伯爵家当主さまと一緒に食べるごはんが喜びであることに違いはないのよね。

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