第96話・少女の悔悛
勝手知ったる何とやら、ってことでネアスの部屋に直接訪問するわたし。
灯りの灯された部屋の窓を爪でノックすると、何度かそうした時と同じようにカーテンが揺らめき、すぐにネアスが顔を出した。
『……寒いから入れてくれる?』
「コルセア……?あ、入って」
『ありがと』
バナードの下宿から職人街までは結構距離があるから、すっかり体が冷えてしまった。自前で発熱したところで暖がとれるわけじゃない。そこんとこの理屈を説明していると話が長くなるので、そーいうもんだと理解して欲しい。
なので、ネアスが入れてくれた部屋の中は暖房は充分ではなかったけれど、ガタガタ震えてたわたしは慌てて毛布を持ってきてくれたネアスの胸にダイブ。そのまま体を捩って毛布を巻き込み、ネアスに抱っこされる格好になった。ホッとする。我ながらナイスな手際。
「もう、コルセア赤ちゃんみたいだよ?それでこんな寒い中どうしたの?」
『うん……あ、もうちょっとこのまま。なんか安心する』
「それはとても名誉だけど、よっぽど急いでいたみたいだし。大丈夫?」
毛布の上から撫でさすって暖めようとしてくれるネアス。あー気持ちえー。どっかの鬼ばばなお嬢さまとはえらい違いやー。
「そんなことないよ。アイナ様、お優しいじゃない」
『ネアスとわたしじゃお嬢さま当たりが全然違うよ……あ、ありがとね』
「ふふ、どうしたしまして」
小さいながらもちゃんとしてる薪ストーブに薪を追加してくれたネアスだった。そういえばもう家族は寝る頃合いだろうし、一人で勉強でもするところだったのかな。
しばらく抱っこされてから、もういいかな、とネアスの腕を離れる。うん、あったまったあったまった。
『はー、生き返った。やっぱりトカゲは青颯期は土の下にでも潜ってた方がいいかもねー』
「そんなこと言わないの。暖かくなるまでコルセアに会えないのはいやだよ、わたし……」
『あ……あはは、ごめんごめん』
冗談の軽口だったけれど、ネアスは本当に辛そうな顔になってしまった。想像しただけでもそんな顔になられるほど愛されてるんだなあ、わたし。ちょっと反省。
そして、やっぱりお父さんとお母さんはもう寝入る頃、ってことで(職人の朝は早いのだ)、ネアスの部屋のストーブに置かれたヤカンを使って、お茶を入れてもらった。それで体の中まで温まったのを見計らったように、ネアスがもう一度来意を質してくる。
「もう夜中の散歩、って天気でもないのに、本当にどうしたの?」
『……んー、まあどうしたの、と言われてもわたしが寒さをおして会いに来る理由なんか分かりきってると思うけど……バナードとさ、どうしたの?』
「………そのことかあ。ごめんね、心配かけて」
深刻な様子になるかと心配したけれど、ベッドの端に腰をかけたネアスは、言われちゃった、みたく苦笑しただけで、わたしは何となく安堵する。
「うん。バナードくんに何かあるってわけじゃなくてね。わたしが単に気にしすぎてるだけなんだと思う」
肩に掛かった黒髪を所在なさげな指先で弄りながら、いくらか困ったように言う。わたしと目を合わせようとはせず、天井とか窓の外とか、あらぬ方に視線を向けながらだったから、困っているというよりはわたしに申し訳ないとか思っているんじゃないかなあ。そんな必要無いのに。
「コルセア。こないだうちに泊まっていった時にわたし言ったよね?わたしがアイナ様を好きになったことで、バナードくんを苦しめてしまっている、って」
そして、ネアスはやっぱり必要も無いことで、自分に枷を填めてしまっているかのようだった。必要無い、っていうか、気にしたって仕方のないことで、だろうか。
「バナードくんのことは、友だちとして本当に大切に思ってる。初等学校の時に初めて会ってから、バナードくんはわたしにとって、努力を怠っていないかどうかを見つめ直す鏡だった。知ってる?バナードくんって、誰も見てないところで結構努力してるんだよ」
そうだね。「ラインファメルの乙女たち」の中でも、ネアスに負けて悔しい、って半分泣きながら砲術の練習してた場面あったもの。
そんなことは言えないから、わたしはネアスの椅子に腰掛けた格好のまま頷いてみせるだけだったけど。
「だから、これはわたしのわがままになっちゃうけれど、バナードくんとはこれからも仲の良い友だちとして過ごしていきたい。でも、それがバナードくんを苦しめるっていうのなら……わたし、どうしたらいいか分からなくて……」
『それでバナードを避けるような態度をとっていた、ってこと?』
「うん……コルセアにもアイナ様にも心配かけちゃった、みたいだよね」
『殿下もね。もっとも、殿下はネアスより荒ぶるお嬢さまの方を心配してたけど』
「どういうこと?」
可愛く首をかしげたネアスに、わたしは三人で相談した時のことと、お嬢さまが責任を感じつつも困ってしまってわたしを追い出した…じゃない、バナードとネアスのもとに遣わした事情を説明する。
そして一通り聞き終えたネアスは、真っ赤になって顔を伏せて「……ごめんね、コルセア」っていたく恥じ入っていたのだった。いや照れる必要、どこにあるの?
「……だって、結局コルセアに迷惑かけちゃっているもの。わたし空回りばかりして……」
『どっちかっていうとお嬢さまの理不尽さが際立つだけって気がするんだけど』
「そ、そうかな……あはは…」
若干引きつり気味に笑うネアス。基本、お嬢さまびいきというか惚れた欲目というか、お嬢さまへの評価はダダ甘なネアスだけれども、この件に限れば擁護できる箇所が無い模様。あっはっは。お嬢さまざまーみー。あとで『ねーねー、どんな気持ちです?自分に惚れてる女の子にまで呆れられてるって、どんな気持ちですかお嬢さまー?』って煽っておこ。
『でもまあ、そういうことなら気にすることもないでしょ。バナード、ネアスが思うよりしっかりしてるよ?そりゃ男の子だから少しは格好つけてるかもしれないけど、いつまでもネアスに振られたこと引きず……っているとしても、女の子の方に気をつかわせるようなことしないよ』
「うん……明日、わたしの方から声かけてみる。いろいろあったけど、これからも仲の良いお友だちでいてね、って」
『………ま、まあそれがいいんじゃないかな。あはは…』
そこまで一足跳びにいかれるとバナードが少しかわいそうになるけど、そこはまあ顔で笑って心で泣いて、って心意気に期待して、後でフォローしとこ。ヘコんだバナードには割と同情的にならざるを得ないわたしなのだ。
『うん、まあそういうことならもう心配は無いね。これでわたしもお嬢さまに家に入れてもらえるわ』
「ごめんね、心配かけて。寒いけど帰れる?よかったら泊まってく?」
『ありがと。でもちょっと考え事したいから、帰るね』
「うん……アイナ様によろしくね」
うけたまわりー、と戯けてみせたら最後ににっこり笑って送り出してくれた。
窓から外に出ると、ネアスがお見送りで部屋が冷えないように逡巡したりせずとっとと飛び立つ。目指すは温かい寝床だ。お嬢さまと同衾はもうしてないけれど、わたしの部屋に湯たんぽくらい置いてくれてるハズ。
そしてやっぱり寒空に違いはなくって、わたしは震えながらもバナードの言っていた件を思い返す。
三周目では、殿下はお嬢さまたちより一足先に卒業して、その後すぐに帝位継承についてのゴタゴタが勃発した。したけれど、殿下は「そんなものに興味は無い」とあっさり表明して殿下については片がついたハズ。
今の殿下がそれについてどう思っているかは分からないけど……いつか言っていた「家庭の事情」で何か揉めてるのだとしたら、多分そのことなんだろう。
わたしはお嬢さまとネアスの幸せのために奔走する。けど、それに反しないのであれば殿下の力にだってなりたい。人間時代の、恋と呼べるかどうかも怪しい思い入れの延長ではあるけれど、そうするのがわたしにとって正しいことなのだ。
『でも、お嬢さまもネアスも巻き込まざるを得ないもんなあ……ほんと、パレットもこっちの方に相談に乗ってくれりゃーいいのに』
つい先ほど、形ばかりではあるけどわたしの背中を押してくれた肝心なところで役に立たない友人未満の女神の姿を思い浮かべながら、わたしは寒さを我慢してお屋敷への帰路を辿る速度を上げていた。
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