第95話・少年の笑顔

 ティクロン侯爵家。

 三周目、殿下がお嬢さまと結婚する直前に、帝室を出て名を継いだ家。


 『……知ってるわよ。もうとっくに滅んだ侯爵家でしょ。なんでも帝国に反旗を翻して家名断絶された、っていう』

 「よく知ってるな。百五十年も前の話だってのに」

 『まあね。その名前にはちょっとあってね。で、それがどうしたの?』

 「実家からの話さ。既に家名の滅んだその家の名前でかなり大口の取引を持ちかけられている、ってな。とっくに滅んだ家名だし、おかしいと思った実家が国に確認したところ、差し支え無し、って返事だったんだ」

 『……なんか露骨に怪しそーな話よね、また』

 「本題はここからだよ。あのな」


 と、バナードは姿勢を直してわたしに向き直る。

 心なしか声も潜めがちとなり、密談めいてくる。

 わたしは、とても良い話になるとは思えず、気取られぬように顔をしかめた。といってウロコだらけのトカゲの顔で容易にそれと察せられるわけもないけれど。


 『なによ』

 「……いや、穏便じゃない話になるかもしれねーのは確かだけどさ、そう睨まないでくれるか?普通にこえーよ」


 睨んだようには見えたらしい。そーいうつもりは無いのだけど、と、わたしは可愛いアイドルドラゴンのコルセアちゃん、ってな感じの笑顔になって、続きをどーぞ、と促したら今度はドン引きされてた。どーせーってのよ、もう。


 「お前は笑うと余計に怖いんだよっ!……まあいいけど。で、だな」

 『うん』

 「実家は一体どんな事情で滅ぼされた侯爵家の名前が復活したのか、調べた。妙なことに巻き込まれないように用心するのは当然だよな。で、その過程で妙なことが分かったんだ」

 『勿体ぶらなくてもいーわよ。殿下にその家名を継がせよう、ってはかりごとがあったんでしょ?』

 「おま……少しは俺にも格好つけさせろよ!」

 『自分で調べたわけでもないのに何を言ってんだか、この子は……』


 呆れてみせたらざーとらしくいじけてたけど、分かったのは殿下の名前が出てきた、ってところまでだったから、これで格好つけるとか夜郎自大にも程があるってもんでしょーが。


 『んでも、その話と、あんたがネアスと微妙な雰囲気になってるのとどんな関係があるのよ』

 「いや別に直接関係あるってわけじゃないけどさ……その、ネアスが想ってる相手って、お前んとこのお嬢様なんだろ…?だとすると、またいろいろ面倒なことになりそうだし、かといって俺からそれを言うと未練たらしくネアスをアイナハッフェから引き離そうとしてるみたいでカッコわりぃし……」

 『めんどくせー男だわね、あんたも』


 思ったことをそのまんま言ったら、めんどくさいとか言うなよ、とまたいじけの様相を深ぁくしたのだけど。


 でも、三周目の経緯からすれば、比較的穏便な話のはずなのよね。

 その時は確か、帝位の継承権争いから脱落したというか自分から降りた殿下は、自分から帝室を出ることを言いだして既に滅んだティクロン侯爵家の家名を継ぐようにと言われ、領地もいくらか下賜された。

 で、殿下あらため侯爵閣下と、その奥方たるお嬢様は臣に降った侯爵家の主として、決して裕福ではないけれど幸せに生涯を過ごした……はずなんだけど。

 で、聞き及ぶ限り、殿下はまだ帝位継承についてはそれほど大きな話に巻き込まれてはいないはず……と、ここでいつぞやじーさまに聞かされた、殿下の周辺が騒がしくなるかも、って話を思い出した。

 てことは。


 『……もしかして、帝位継承について殿下の立場が取り沙汰されるのと関係がある?』

 「………鋭いな、お前。親父もそんなことを言ってたんだよ。となると、アイナハッフェやネアスの立場にも微妙に関係がありそうだと思わないか?」

 『思うわね。ネアスはお嬢さまに想いを寄せてる。そのお嬢さまが帝位継承のゴタゴタに巻き込まれるとか……うん、バナード。あんた正解だわ。迂闊にネアスに話したらあの子きっとめちゃくちゃ心配するわよ』

 「……なんか俺の思った懸念とちょっと違うけど、意見が一致したことは悪いことじゃないよな。で、どうする?」


 バナードはまーた格好つけて、ニヒルな笑みとか言いたそうな顔になっていた。乙女ゲーの攻略対象なんだから、そりゃ絵にはなるけどさ。でもわたし、殿下推しなのでそんな顔されてもグラついたりしませんでぇす。


 『どうするも何も、あんたはまずネアスと普通に話が出来るようになんなさい。いろいろ言い訳つけて避けてたって何も解決しないでしょ』

 「言い返せねー……」

 『ま、ネアスの方はわたしが話すわ。とりあえず今の話は伏せておくから、その辺口裏合わせとくわよ。いい?』

 「…頼んだ」


 話はまとまった。いろいろまた厄介ごとが増えそうな気はするけれど、事情も分からず殿下と向かい合わせで首を捻ってるよりは、まだマシというものよ。こんな面倒なことでなけりゃ殿下とサシってのも悪くはないんだけどねー……。


 『じゃ、わたしはこれで。今からネアスの様子見に行くわ』

 「あ、おいちょっと待て」

 『ん?』


 扉から、ではなく窓から出ようとしたら止められた。やっぱりお行儀悪いかしら、と思って振り向くと、そこには割かし真剣に、でも柔和な表情の少年がいた。


 『なに?』

 「ありがとな」


 ぐ……そして、取り繕った様子の全く無い笑顔を向けられて、柄にもなく動揺するわたし。

 くそー、確かに顔はいいし、殿下とはまた違ったタイプで笑顔は爽やかだし、アホで考え無しのところはあるけどその分裏表無くて(要するに殿下とは正反対)、良いも悪いも真っ直ぐにぶつけてくるんだよなあ。

 だから、わたしに対して「ありがとう」なんて言ったのも、きっと心からそう思って言ったことなのだろうし。


 『……別に礼を言われるよーなことしちゃいないわよ』


 だけどわたしは、後天的にひねくれてしまっているもんだから、素直にそんな言葉も受け入れられるわけがなくて。


 『そもそもあんたとネアスがぎくしゃくしてるのはわたしのせいじゃないこともないんだから、あんたは自分のやれることだけやんなさいな』


 それに加えて、ネアスに引き合わせておきながら、バナードからネアスを奪った、っていう負い目もあるもんだから、目を合わせておくことも出来ずにさっさと窓から出て行こうとしてしまうのだ。


 「お前のせい?何が?……って、いやお前がそう言うんなら何かあるのかもしれないけどさ。でも、今んトコ上手くいってないのは確かに俺がヘタレてるだけなのは確かだし。それに勉強教えてくれただろ?だから、それも含めての礼だよ」

 『………ほんと、あんたはもう…』


 やべーなー。笑顔が怖い、なんて言われたのに、こんなニヤけた顔見せたら卒倒させてしまいそーだわ。

 なので、宙に浮いたまま右手を肩の高さに掲げ、短い親指をグッと立ててサムズアップしてみせた。だけだった。

 それでわたしの意図を汲んでくれたとは思う。背中の向こうでなんだか楽しそうに笑った気配がして、わたしはやっぱりそれを見ることも出来なくって、もう一回『じゃあね』とだけ答えて、窓から寒空に飛び出した。


 『あ、窓締めてこなかった』


 結構勢い良く出たものだから、少し距離が離れてからそんなことに気付いて振り返ると、窓から身を乗り出すような格好のバナードがこちらを見上げて、片手を振っていた。

 なんでだろ。少し、悲しくなる。わたしには、あんたにそんな振る舞いをしてもらうような資格は無いってのに。

 わたしは未だに、誰にもこの身とこの世界の関わりの秘密を打ち明けていられない。お嬢さまにも、ネアスにも、だ。

 だから、もしそれを明かさなければならなくなったのなら、最初にそれをする相手はバナードが一番相応しいんじゃないか。そんなことを、思う。

 でもそれはきっと、わたしの勝手な贖罪意識に過ぎない。打ち明けられても困るだけなんだろうと思う。

 それでも、何となく、ではあるけれど、彼にそう言ったら「何だそりゃ」と気持ちよく笑い飛ばしてくれるんじゃないか、とも思うのだ。


 『……ま、わたしの責任だからね。ネアスと、友頑張ってみるよ。バナード』


 今のわたしに出来ることは、それくらいだものね。

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