第70話・紅竜の家出(帰宅余話)

 「反省」

 『………はい』


 翌朝、ネアスの家から朝帰りしたら、玄関先で腕組みしたお嬢さまにこう宣告された。

 わたしに反省するよーな点は無いと思うんだけどー、と思いつつ迫力に逆らえず、流れるよーな土下座に移行するわたしだった。ていうか膝関節の構造上、竜に土下座とか無茶もいいとこなんですがお嬢さま。


 「お黙り。あなた散々心配かけておいて結局昨夜はネアス・トリーネの家に泊まった、ですって?我が家の世話になっている身で勝手も過ぎるというものでしょうが。反省が足りないですわよ、反省が」

 『いえそうは言いましてもね、お嬢さま』

 「なによ」


 ペターッと玄関の床に伏した格好から上半身だけを起こして一応反論する。


 『ちゃんと書き置きしておいたじゃないですか。探さないでください、って。それ見て心配するとかお嬢さまどんだけわたしを子ども扱いしてくれるんですか。わたしこれでも世界に冠たる暗素界の紅竜ですよ?一晩くらいほっといても死にやしませ…あいたぁ』

 「だから反省しなさい、と言ってるでしょうが!……あなたまた頭固くなってません?あいたた……」


 わたしのドタマにゲンコツを落としたお嬢さまが、右手をさすって顔をしかめていらっしゃった。当たったの頭じゃなくて角だし。お嬢さまの狙いがはずれただけですってば、と言おうとして言葉を呑み込んだ。通りがかったブロンヴィードくんがこう取りなしてくれたからである。


 「コルセア。姉さんは君のことが心配でずうっと寝てなかったんだよ。だからそう言わないであげて欲しいな」

 「ブロンっ!!」


 齢十歳にしては大人びた口調のブロンくん、実に楽しげに姉君を取り乱してさしあげてた。

 でも、へーそーかー。お嬢さま、わたしのことが心配で夜も寝られなかったんだー。ふーん、そっかー。


 「違いますわよっ!……その、ネアスの家に行って二度と戻らない、などと言い出しては困ると…あなたネアスとも仲良いですし……」

 『いやネアスは大好きですけど、わたしはまず第一にお嬢さまのペットですってば。時々泊まりに行くくらいは許して欲しいですけど』

 「……ま、まあそれくらいなら…ではなくて!とにかく反省が足りません反省が!学校に行く支度をして参りますから、それまでそこでその格好をしていなさいっ!ブロン、あなたも学校があるのでしょう?!早くあっちに行きなさいっ!!」


 わたしとお嬢さまの漫才を興味深く眺めてたブロンくんだったけど、姉に怒鳴り散らされてクスクス笑いながら自室に向かっていった。なかなかに神経図太く育ってるよなー、あの子も。



   ・・・・・



 学校では合宿の成果をバスカール先生に講評して頂いた。本当なら昨日するところだったところを、先生が出張だったとかで今日になっていたらしい。まあわたしも昨日は登校しなかったからちょうど良かったけれど……そもそもペットのドラゴンが登校してるとか、そろそろ誰か疑問に思わないんだろーか?


 「暗素界との疎通について一定の成果を残したのは確かなようですね。ただ、皆さん一つ大事なことを忘れているようですが…」


 部室扱いの部屋でテーブルの席についたお嬢さまとネアス、それから殿下にバナードの顔をそれぞれに見てから、先生はやや沈痛な面持ちで作成されたレポートにもう一度目を通す。


 「……先生。触媒の選定で用意が足りなかったのは認めますが、そればかりはどうにも…」

 「いえ、そもそも気界をあまり考慮に入れてなかったのが気になるのでして。皆さん、コルセアさんがいることで暗素界にばかり目が向いていたのではないですか?」

 「あ……」

 「ふむ……確かに」


 ネアスが虚を突かれたという風に顔を上げ、殿下は得心したように頷く。バナードは「なんでだ?」とでも言わんばかりに首を十五度傾けている。おい。


 「このやり方だと、暗素界とのやり取りの間に気界が外乱要素として作用してしまいますし、トリーネさんのような触媒の扱いに秀でた方もいるのですから、暗素界から戻ってきたものと気界に働きかけるときの反応のズレを統括的に捉えることで、もっと直接的に暗素界の動向を把握出来るのではないかと。そうですね、ここにある材料でやるとしたら……」


 さすが先生。二十枚程度のレポートを見ただけで問題点を指摘し、改善提案を挙げ、四人とも納得して今後の研究に反映させる方針まで立つところまで引っ張っていってしまった。授業が終わった後の僅かな時間でこれだけ進展するんだから、普段のほほんとしたサラリーマン教師の姿からは想像もつかない。




 「それはありませんわよ。バスカール先生は、わたくしが師と仰ぐに充分な能力をお持ちの方ですわ」

 「ですね。初等学校の頃からご指導頂いていますけれど、その指導力を疑ったことなんか一度もありません」


 わたしの素直な述懐に、揃って反論された。まあわたしだって別に先生が昼行灯のすっとぼけた人だとは思ってないし。ただ反応が面白いってだけだ。

 下校時の今は、お嬢さまにわたし、それからネアスの三人が一緒になっている。今までに無かったことだ。というのも、いつも通り馬車で帰ろうとしたところでお嬢さまが気まぐれを起こし、今日は歩いて帰ると言い出したところに、ネアスが通りがかってご一緒して良いですか?とか言い出したからだ。

 お嬢さまは最初渋ってはいたけれど、わたしとネアスの間でアイコンタクトめいたものがあって不思議に思ったのかもしれない。勝手になさい、と突き放すようにではあったけれど、ネアスを拒むことなくこういうことになった。

 それにしても……なんだかこの光景は、わたしには懐かしくて涙が出そうだ。

 だって、三周目の高等部時代、お嬢さまとネアスは毎日こんな風に登下校していたんだもの。

 その時の会話といえば……学校のことは当然として、登下校時に通る道の屋台のおやつ話に花を咲かせたりとか、殿下とお嬢さまのことでお嬢さまがお惚気になられるのをネアスが薄ぼんやり相鎚をうったり……ああ、そういうことか。ネアスはもうその頃よりずうっと前から、お嬢さまのことを……。


 『みぎゃっ?!』


 …と、物思いに耽っていたら、首をつかまれてお嬢さまに引っ張られていた。


 『なにすんですか、お嬢さま』

 「何をする、じゃありませんわよ。あなたネアスに絆され過ぎじゃありませんこと?学校を出てからずっと、わたくしよりネアスとの距離の方が近いじゃないの」


 え、そう?と、隣のネアスとの距離を測る。三人で並んでわたしが真ん中だから、その間でほぼほぼ等間隔を保ってたと思うんだけど……。


 『お嬢さまー、そんな誤差みたいなもんでいちいちヤキモチやかないでくださいってば。わたしはお嬢さまの第一の家来。それでいーじゃないですか』

 「いちいち口答えをするものではないわ。いーからあなたはこっちに来なさい。ネアスなどに近付くものではありません!」

 『はあ』


 と、再度引っ張られて位置を変えられてしまった。

 ていうか、この並びだと真ん中がお嬢さまになってネアスの隣に並んで歩くことになるんですが。いーんすか?


 「……ふふっ」


 ただ、お嬢さまの向こうのネアスの顔は、と言えば、これがまた楽しくて仕方がない、って風でもあったので、わたしは何も言わずにお嬢さまの手の届く範囲内で浮かんでることにした。


 「……なによ」


 そんなわたしの反応に、お嬢さまは何か物足りなさ気ではある。まだ何かツッコまれるとでも思っていたんだろうか。心外な。わたしはお嬢さまの忠実なペットのドラゴンだっていうのに。まあ時々、大切な友だちと結託してお嬢さまを陥れたりするかもだけど。


 「言いたいことがあるならはっきり仰い!」

 『いえなーんにも。ええ、お嬢さまは完璧なお方。わたしごとき空飛ぶトカゲから言上奉ごんじょうたてまつることなどなーんにもありません』

 「いちいち腹の立つ言い方をするわね、この腹黒トカゲ!……そうですわね。あなたにはまだ説教が足りなかったようですわね。ちょうど良いですわ。ここから屋敷に着くまで今朝の続きを……ああっ!こら待ちなさいコルセアっ!!逃げるんじゃありません!」


 ごめんなさい、お嬢さま。わたし野暮はしたくありませんので、今日のところはネアスと仲良く帰ってきてください。

 わたしはそんな意を込めて眼下のお嬢さまに一発あかんべーをすると、「むきー!」とかいう縦ロールのテンプレ通りな憤り方をしてるお嬢さまと、まあまあ、とそれを宥めているネアスを置いて、一足先に伯爵家のお屋敷へ向けて、背中の羽をはためかせたのだった。

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