第61話・なつがっしゅくっ!!……の、終わり
合宿の最終日。八日目。
六日目は一日休みにして、七日目は実習に専念し、八日目の今日はその結果を精査する講評に回した。
「目に見えた結果が得られたと、自信を持っては言えませんわね」
すっかり部室と化した別荘屋敷の応接間の一室で、講評の結果をとりまとめたレポートを手にお嬢さまはやや不満げだ。
実際、人の身で宙を舞うー、とか。小舟に人を乗せて空を飛ぶー、とか。
いかにも見た目に派手な成果を得られたわけじゃない。というか、学生が十日未満でそんなこと出来たんじゃ、百年を超える対気物理学の歴史を編んできた先達は何やってたのよ、って話になる。
「まあそう言うな、アイナ。失敗も重ねて推論は得られたのだ。無駄だったとは決して言えないと思うぞ、俺は」
「だよな。俺だって何だかんだいって手応えは感じているさ」
「あなたは言われたことをしていただけじゃないの。多少は頭を働かせたと思えば文句ばかりでしたし」
「言われたことをやってみて、言ったヤツと同じ事が出来たというのだって、立派な成果だと思うぜ」
「それはそうでしょうけれど……まったく、口の減らない。それで、あなたはどう思うの?ネアス・トリーネ」
「え?」
ひとりぽやーっとしていたネアスは、お嬢さまに声をかけられてようやく気がついたように顔を上げた。
「え?じゃありませんわ。あなた昨日からずぅっとおかしいですわよ。何かあったのかしら?」
「え、ええっと……あはは、ごめんなさいアイナ様。わたし、少し外しますね」
「………何があったか知りませんけれど、その腐抜けた顔はなんとかしてきなさいな。張り合いが無いったらありませんわよ」
『お嬢さまー、言い方ー』
「うるさいですわね。コルセア、あなたもネアスの肩を持つのなら顔も見たくありません。一緒にどこへでも行っておしまいなさい」
『……お嬢さまー、言い方ー』
同じことを二回言ってしまったけれど、口調はだいぶ違った。
そんな主の配慮に感謝しつつ、わたしは背中を落として部屋を出て行くネアスの後についていき、部屋を出る間際。
『(ちらっ)』
「…っ?!……(目逸らし)」
……ほんとになあ。お嬢さまってばネアスの心配してるんだもん。
振り返ったわたしと目が合ってしまったお嬢さまは、それを無かったことにしようと残る二人と会議を再開していた。
『ネアス、へいき?』
「うん。ありがとう、コルセア」
ネアスは、一昨日の出来事以来元気がない。
わたしにぶっちゃけてしまったことで色々と歯止めが利かなくなってしまったのか、それとも罪の意識に苛まれでもしているのか。
そこのところを慮ってかける言葉なんかわたしには無い。ネアスをこう苦しめてしまっているのはわたしのせいなんだから。
『お部屋に戻って休む?』
「うん……コルセア、少しお話…いい?」
『もちろん。ネアスが元気になるんなら、口から水だって吐いちゃうよ』
「あはは……火を吐いたらお屋敷燃えちゃうもんね」
そういうこととも違うんだけどね、と、ボケにも切れ味のないネアスを伴って、あてがわれている個室に入った。
顔色は良くないけれど、足取りはしゃんとしている。自分の足でベッドに向かったネアスは、そこに腰掛けると横にはならず、自分の隣のところをぽんぽんと叩いてる。確認するまでもなく、ここに座って話をしよう、ってことだろう。遠慮無くベッドに着地し、猫で言うところの香箱座り、ってやつになる。最近覚えたんだけど、寛ぎつつも横になるわけにもいかない場合には結構楽な姿勢なのよ。猫、えらい。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
横にわたしが座ったことで落ち着きを取り戻したのか、ネアスはちょっと弱々しくはあったけど、それでも笑顔にはなって隣のわたしを見下ろしていた。
『ん、お嬢さまも心配してたからね……って、これ言っていいのか悪いのか分かんないけど』
「うん、いいよ。アイナ様がわたしのことを心配してくださるのは嬉しいから。ありがとね」
『お礼を言われることじゃない気がするけどね…』
ほんとはやめて欲しい。わたしの胸が罪悪感でちくちくと痛むから。
でもそれでネアスが元気になるなら、それでいい。話しても多分信じて貰えないわたしの罪は、わたしだけが知っていればいいんだから。
「コルセア」
そう思って、何かに責め立てられるように目を瞑ったら、アタマに掌がのせられていた。
それはもちろんネアスのもので、女の子らしく小さくも柔らかいその手の感触に、わたしは何故か無性に、泣きたくなる。
「どうしてそんなに辛そうな顔をしてるの?」
『別に辛くなんかないよ。ネアスは、トカゲの表情なんか分かるの?』
「わかるよ。小さい頃からの付き合いじゃない」
そんなこと、あるわけがない。
このお嬢さま悪役令嬢ルートでは、わたしはネアスとは小さい頃に会ったきり。その後は接触も大して無くって、初等学校でも中等部でも、ネアスにこうも優しくしてもらえたはずが無いんだ。
それがどんなに心地よいことであっても、確かなことは、わたしは悪役令嬢アイナハッフェ・フィン・ブリガーナの後をついて回るだけの、恐ろしい紅竜でしかないんだ。
「不思議だよね。こうして目を瞑ってコルセアに触れていると、あったはずのないことが本当のことに思えてくるの。初めて会ったとき、アイナ様とわたしが悪漢に睨まれて泣くしか出来なかったのに、コルセアは火を吐いてわたしたちを守ってくれた。初等学校に初めて登校した時のこと、覚えている?わたしはアイナ様に誘われて馬車に乗り、コルセアとも一緒に登校したんだよ」
そんなはず、ないじゃない。
「……バスカール先生が、コルセアとお話し出来るようにしてくれた時は、天にも昇る心持ちだったの。これでたくさんお話し出来るよね、ってアイナ様と楽しく語り合ったのは、とても夢の中の出来事だったなんて思えない」
ちがうよ、ネアス。お嬢さまにだって、そんな記憶があるはず、ない。
「怖がるわたしの背中を押して、バナードくんと引き合わせてくれたよね。わたし、それまでは男の子がとても怖かったんだけれど、バナードくんはとても大事なお友達になったよ。それからね?これは言うのはとても恥ずかしいんだけど……わたし、コルセアのいないところでアイナ様に、わたしの気持ちが何なのか分からなくなって、アイナ様に尋ねたことがあった。その時はアイナ様を困らせてしまっただけだったけど、戸惑うアイナ様がとても愛しくなったの。覚えていない?」
しらない。夜の旧校舎で、ネアスとお嬢さまが見つめ合ってたことなんか、わたしは知らない。
「初等学校の間、一番の思い出は……アイナ様のお誕生日を一緒にお祝いしたことがあったよね?コルセアのお誕生日がないって知って、それじゃあコルセアのお誕生日も決めちゃおう、って言ったら、コルセアはアイナ様と同じ日にしたい、って言ったじゃない。わたしもアイナ様も、コルセアがそんなことを言ったのがどれだけ嬉しかった、分かる?」
『知らないよぉっ!そんなこと、わたし知らない!知らないんだからっ!!』
頭にのせられた手を振り解き、わたしは宙に逃げる。
ネアスは、縋るような、悼むような視線でわたしを見上げてる。やめて。やめてよ。そんな目でわたしを見ないで。わたしを責めないでっ!!
「……ねえ、コルセア。これ、全部……無かったことになんか、したくないんだよ。わたしの、大切な思い出なんだよ…?アイナ様を好きになったわたしの、その奥底に全部あることなんだよ…?ねえ、お願いだから……ちゃんと、わたしの思い出はうそなんかじゃない、って本当のことを言ってよ…っ!!」
……っ、……。
ごめん。
ごめん、ネアス。
わたし、やっぱり……わたしのしでかした事と、向き合えない。
わたしがしたことで、ネアスは一人で死んじゃって、それも知らずに何百年も過ごしてしまったことを、無しになんか、出来ない。
「コルセア…っ!!」
悲痛な叫びは、わたしの臓腑を内から抉るようにも思えた。
けれどそれを振り払い、わたしはネアスの部屋を飛び出す。
誰にも会いたくない。誰にも、わたしという存在を見据えられたくない。
だから、わたしは逃げた。逃げ出したんだ。
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