第60話・なつがっしゅくっ!! その9

 揺星期、っていうのは日本で例えれば大体夏にあたる。

 そして青銅帝国でもこの辺りは空気も乾燥している上に、高地から吹き下ろしてきた風がファメルを渡り、ちょうどいい按配の温度と強さになっていて、暑すぎもせず寒くも無く、まこと夏の高級リゾート地に相応しい気候を誇っているのだ。

 そんな風光の中、水から上がったわたしたちは砂浜に隣接して木々の生える一帯に腰を下ろし、木陰の涼しさを楽しみながら湖畔を行き交う帆船を眺めていた。


 『ネアス、寒くない?』

 「うん、大丈夫」


 とはいえ、水から上がったままの格好じゃあ体は冷えるだろうな。

 タオルを羽織ってはいたけれど、それじゃ足りないと思って、わたしは枯れ木を集めて来て、口から吐いた火で小さな焚き火を作ってあげた。

 便利だね、って感心してくれたネアスは、やっぱり体が冷えていたのか、両手を炎にかざし、なんだか安心したような顔になっていた。


 『喉が渇いてたら何かもらってくるけど』

 「ううん、いいよ。それより話すって決めたんだから、コルセアにはきちんと話を聞いて欲しい。いいかな?」

 『良いも悪いもないよ。ネアスが決めたことなら、わたしはちゃんと聞く……けど、辛そう……だよ。ネアス』

 「辛くはないよ。ただ、一人で抱えてるにはちょっと大っきすぎるかな、ってだけだし。そうだね、何から話せばいいのか……」


 湖を見つめながら吐息をつくネアスの横顔には、ここしばらくわたしの抱いていた漠然とした不安の源泉があるように思えた。


 「……最後から言っちゃうとね。わたし、アイナ様のことが好きなの」

 『…………』

 「……驚いた?」


 驚いた。

 ……とは思わなかった。というより、納得できた。

 ネアスがその感情を抱いているのだとしたら、確かにわたしの覚えている違和感とかそういった諸々の不安定なものが、説明出来てしまうからだ。


 『それは、いつからなの?』


 なので、思ったことだけを、わたし自身のまとう疑念めいたものをはっきりとさせたくなってそんなことを尋ねる。


 「うん。コルセアは、わたしがアイナ様と初めて出会った時のことを覚えている?」

 『ええと……ネアスのお父さんがあいさつに来て、お嬢さまと一緒に遊んだんだっけ?』

 「そう。あの時、コルセアがお屋敷の外に出ちゃったって勘違いして、わたしとアイナ様は外に飛び出しちゃって。そして、危なくなったところを殿下に助けて頂いたんだよね」

 『……そう、だったね』


 ここは、一緒だ。わたしが率先して助けたのでないなら、ちょうど近くにいた殿下に助けられたことになり、原作と同じ展開、のはず。


 「それがご縁で、アイナ様は殿下と婚約することになって、それからしばらくわたしはアイナ様と会うこともなかった。お父さんはブリガーナ伯爵家のお抱えだったから、お屋敷に連れていってもらうこともあったけれど、わたし自身にアイナ様とはご縁が無かったのか、顔を合わせることも無かったの」


 ここも同じだと、思う。

 お嬢さまが悪役令嬢として育っていく対立ルートでは、ネアスの幼少期にお嬢さまはほとんど出番が無い。

 プレイヤーの選択肢次第でそこは変わって、幼少期の過ごし方次第で、本編とも言える高等部パートでのお嬢さまとネアスの関係が決まっちゃう。

 だから、ルートとしてはお嬢さまが悪役令嬢として振る舞うことになっているこの四周目で、どうしてネアスがお嬢さまに恋情を抱くのか。


 「初等学校で同級生として再会したアイナ様は、わたしには特に興味も無かったみたい。でも、わたしが勉強を頑張って、対気物理学の授業でもいっぱいいいところ見せるようになって、そうしたらアイナ様はわたしに何かと声をかけてくれるようになった。小さい頃は厳しいこともいっぱい言われたけれどね」

 『うん……』

 「でも、中等部に進む少し前くらいからかな…アイナ様のお言葉に、ただ厳しだけじゃなくって、わたしに対する気遣いを感じるようになってね。そう気がついたら、アイナ様がどれだけ努力しているのかが見えてきたんだ。そして、わたしを煙たがっているんじゃなくって、肩を並べて成長していける相手だと認めてくださっているんだ、って思えて。そうしたらね」


 ネアスは、抱えた膝の間に顔を埋める。

 きっと、続く言葉を紡ぐ顔を、見られたくなかったんだろう。


 「……わたし、このひとの側にずっといたい、って思うようになったの。もしかしたら恋とは違うのかもしれない……でもわたしは、それに代わる言葉を見つけられない。アイナ様が殿下とご結婚されてもすぐ側に居させて頂ければそれで充分なんだ、って考えたこともあったけれど、それだけじゃ我慢出来ないの。アイナ様の心を、全部わたしのものにしてしまいたい。わたしだけを見て、心をときめかせてもらいたい。殿下のことは……初等学校の頃からも知っているし憎んでなんかいない。でも、殿下じゃなくたって、誰にだってアイナ様を譲りたくないの」


 ひと息にそう話したネアスは、肩を震わせて泣いていた。

 もちろんわたしには、そんな彼女にかける言葉なんか見つからなくって、わたしはただ自分を責めることしか出来ない。

 ネアス。あるいは、もしかして……あなたのその感情は、わたしが過ちを認めてしまう前にあなたに植え付けてしまったものなのかもしれないんだ。

 わたしの、せいだ。

 ネアスが、こんなに苦しまなければならないのは、わたしの犯した過ちが正されることなく、この世界に持ち込まれてしまったからなんだ。


 だから。

 ごめんなさい、ネアス。わたし、また間違えちゃったんだね。

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