第3話ゾンビの蔓延る世界で見た夢は
――美紀ちゃんが好きだ。
――先生が好きだ。
私は、二人との生活が永遠に続けばいいのにと思ってました。
☆ ☆ ☆
下を見ると、何体かのゾンビがいる。あれに囲まれたら、死んでしまうだろう。それ以前に、落ちた時の衝撃で死んでしまうか。
「どうしてこんなことになっちゃったんすかねぇ……」
ふと、思い出す。こうなった、原因を。
☆ ☆ ☆
「何してんのっ!」
美紀ちゃんの怒声が事務所内に響き渡る。
「大丈夫っすか、美紀ちゃん」
私はそう言って美紀ちゃんに笑いかける。しかし、美紀ちゃんは鋭い視線を私に向けてきた。
「な、何してんのっ!?」
「え?」
美紀ちゃんの目には怒りよりも、戸惑いや驚きの感情が渦巻いていました。そして、その目に映っていたのは……返り血に染った私だった。
「大丈夫っすよ、美紀ちゃん。ゾンビっすから」
「それでも、元は人間なんだよ!?」
取り乱す彼女を他人事のように眺めながら、視線を下ろす。そこには、頭が潰され四方八方に血が飛び散っている。
「わたしたちが、ゾンビでも人を殺さないようにって、先生が……っ!」
「ごめんなさいっす。美紀ちゃん」
私が頭を下げる。すると、美紀ちゃんは冷静になったのか目を見開き息を飲んだ。
「え、あ、ご、ごめん。わたし、取り乱しちゃって……!」
「いいんすよ」
美紀ちゃんが、何よりも先生のことを大切にしていることは知っているから。だからわたしのはそう言った。
「そろそろ先生が帰ってくる時間じゃないっすかね。私、こっち片付けとくっすから外確認しといてっす。ぼろぼろになって帰ってくるかもっすから」
その瞬間、下の階からガタンっと音がした。きっと、先生でしょう。私は、ほらほらと美紀ちゃんを部屋から押し出した。
「帰ってきたみたいっすよ。どっちか出迎えないと、心配されるっすよー」
「そ、そうだよね。……本当にごめんね」
美紀ちゃんはそう言い残すと、部屋から出ていった。私はそれを見送ると、腕の上部をさする。
「これ、大丈夫っすかね」
噛まれた訳では無いが、引っ掻かれてしまった。少し痛いが、この感じだと片付けを優先しても大丈夫でしょう。
そう思い、私は片付けを始めるのだった。
☆ ☆ ☆
「美紀ちゃーん、いるっすか?」
片付けを終えて、先生が入っていった部屋へと顔を出す。
「……寝てるっすね」
先生も美紀ちゃんも、静かな寝息をたてて眠っていた。私もあの中に入るべきか考えて……ベッドの下に潜り込むことにした。
「ん……」
上の方から声が聞こえた気がして、目を覚ます。どうやら、目を覚ました二人が話しているようでした。私は気配を消してそれらを聞き、美紀ちゃんが立ち去ったタイミングでベッドの下から顔を出す。
どこか痛むのか、顔を歪ませている先生の姿がそこにありました。
「辛そうっすね」
「いや、そうでも……ん?」
驚いたように目を丸くして、先生はこちらを見てきました。
「宮崎か?」
「そうっすよー」
「うわっ!?」
何に見えるんでしょうか? と疑問に感じつつ、ベッドの下から這い出でると、さらに驚いたように目を見開く先生。……さすがにその反応は、私としては傷つくのですが……。
「なんでそんなところにいるの?」
「ベッドの下に入って寝てたっす!」
「ああそう……楽しかった?」
さっきの反応に少し傷ついたので、少しだけ拗ねてみせる。すると、先生は困ったように笑いながらそう尋ねてきた。
「全然そんなことなかったっす」
ちょっと冷たく言い放ったのは、傷つけてきた仕返しです。ただ、先生は気づいてなさそうですけど。
「そういえば、頭大丈夫っすか?」
「ああ、大丈夫だ」
そういえばと、ふと思いそう尋ねてみました。あんな風に痛そうな顔をしていたら、大怪我を負ったんじゃないかと不安になる。
「そっすか」
心配させまいとしてくれているのか、本当になんでもないのか読み取れません。念の為救急箱か何かを探しておいた方がいいかなと思い、辺りを見回し探してみる。
「どうした?」
「いや、なんでもないっす」
怪訝そうな顔でそう尋ねてくるので、なんでもないですと首を振る。先生は怪訝そうな顔をしていましたが、なにか思い出したのかそういえばと話しかけてきた。
「稲葉となんかあったのか?」
その問いかけに、どう答えるべきか少し考える。
「あー、まあ……ケンカしたんすよ」
私と美紀ちゃんの問題だし、先生に負担をかけたくなかったので曖昧な言葉でお茶を濁す。
「そうか。……仲直り、出来そうか?」
「……頑張ってみるっす」
「そうか」
仲直り、というけれど、いつどのタイミングですればいいのか分からない。というより、謝ってどうこうの問題じゃ……。
「じゃあ、これから謝りに行くっす!」
「え、行動早くない?」
「善は急げっす!」
でも、謝ってどうするかって問題じゃなくとも、謝らないのはダメな気がする。美紀ちゃんとは、もっと一緒にいたいから。
そう思うと、自然と駆け出していました。部屋から飛び出ると、上の階へ上っていく。美紀ちゃんがいる部屋の前までやってくると、深呼吸をして心を落ち着かせます。
「美紀ちゃん、いるっすか?」
ゆっくりと扉を開けて、顔をのぞかせる。部屋の中には、簡素なベッドしかなく、美紀ちゃんはそのベッドの上で布団に包まり眠っていた。
「ありゃ、寝てるっすね」
そうは言いつつも、彼女が本当に寝ていないことは気づいていました。ただ、顔を合わせづらいのは私もなので、寝ていると思っている体で話を続ける。
「美紀ちゃん……この前は――」
それから、謝罪と自分自身の考えを伝えました。最後まで、彼女は起きることはなかったけれど、これ以上居座るのもどうかと思ったので、一旦引くことにしました。次会った時に、しっかり話し合おうと、そう心に決めて。
下の階へと降りると、とある部屋の前で立ち止まっている先生の姿があった。私は、先生に近づくと、ポンと肩を軽く叩いて話しかけました。
「何してるんすか?」
「うおわ!?」
すると、先生は大声をあげてこちらを振り返ってきました。その態度に、逆に私も驚いてしまいました。
「美紀ちゃん、寝てたっす」
「そ、そうか。謝るのは、また後にしないとな」
ちゃんと会って、話し合った訳では無いのでちゃんと謝ったとはいえないでしょう。ところで、先生は何をしているんですか? と尋ねそうになって、ふと気がつく。先生が今入ろうとしていた部屋は、私が殺したゾンビの死体がある部屋だってことを。
「そうするっす。ということで先生、休憩するっす」
「え、どういうこと?」
とりあえず、先生を部屋から離そうと強制的に下の階へと連れていく。困惑した様子の先生には申し訳ないが、事情の説明はできません。
「宮崎、なんか臭わないか?」
「セクハラっすか?」
「いや、そうじゃなくて」
これ以上話を掘り下げられないよう、そう言ってみる。けれど、尚も食い下がろうとする先生を見て、私は先生の言葉を遮るように口を開いた。
「臭いませんし、何もいないっすよ」
――一瞬だけ、ズキリと頭に激痛がはしったような気がしました。
☆ ☆ ☆
その夜、眠っているとどこからか足音が聞こえてきました。
「ん……誰っすか……?」
重い体を起こすと、部屋から出て階段の方へと向かう。ちょうど、部屋から出た時、先生が階段を上っている姿がちらと見えました。
「先生……?」
上の階へ上っていく先生の姿が、いつもと違っているように思えた。何かあったのかと思い、私は先生を追いかける。
「あの……」
なぜか美紀ちゃんのいる部屋の前で立ち止まる先生。そんな先生を訝しみながら、声をかけるとぐるんっと首を回してこちらを見てきた。
「……ぅ……ゃ」
ボソボソと、先生は何かを言いました。けれど、その声は私の耳には届かずに風に舞って消えていく。そして、窓から差し込んできた月光で先生の顔が顕になる。
「どうしたんすか?」
目は充血し焦点があっておらず、口は半開き。およそ、まともな状況ではない事が伺えた。
私は、そんな先生を見て声をかけた。見間違いなんじゃって、そう思って。先生が、ゾンビになっているなんて、信じられなくて。
「……すく……わないと……!」
先生の声を聞いて、正気に戻ったのかもと期待した。しかし、その期待はすぐに壊されることとなった。
「あ……あ……!」
「先生っ!?」
先生は、自身の頭を壁へ叩きつけた。何度も、何度も。
「しっかりしてくださいっす! 先生!?」
慌てて止めようとするが、先生は一向に止まってくれない。何度も何度も頭を叩きつけて、額から血が流れている。
そこでようやく、私は先生はゾンビになってしまって、手遅れだということに気づいてしまいました。
――殺さなきゃ。
「――っ!」
そんな言葉が、頭の中を反芻する。
――美紀ちゃんのために、殺さないと。
でも、相手は先生なんです。私には、そんなこと出来ません! 先生に対する黒い感情に抗うように、心の中で叫んだ。
『私のことは殺したのに?』
声が、聞こえた。
振り返ると、私が殺したゾンビになった人が責めるような目付きで睨みつけていました。違う、あれは、美紀ちゃんを助けるために……!
――なら、今回も美紀ちゃんを助けるために必要な事なんだよ。美紀ちゃんは、きっと先生を殺せない。ゾンビだったとしてもね。
わた……しが、ころ、さなきゃ。
近くにあったパイプ椅子に手をかける。頭の奥底で、やめろという声がした。けれど、耳もとで殺せという声がした。
嫌だという声、殺せという声。その二つがぶつかって、私は何も出来ずにいた。
「お……は、まも……る……」
「俺は、守る」
そう言った気がした。
先生が、私たちが生き延びることを望んでいるのなら、私は先生をこの手で殺すべきなのではないでしょうか。先生は、私たちを殺すことは望んでいないはずだから――!
「痛っ……!」
そう思い至ると、パイプ椅子で先生を殴り付けた。何度も何度も、殺さないと殺さないと、と呪詛のように呟きながら。先生の頭部が、ぐちゃぐちゃになるまで。
「――!」
そこで我に返った。
手から力が抜けて、パイプ椅子を落としてしまう。パイプ椅子が落ちる音が、幾度となく反芻する。呆然と、自身の両手を見る。――真っ赤に染っていた。
「――あ」
足が自然と動いていた。どこに向かうのか、分からないまま歩く。そのまま、歩いていって、いつの間にか屋上に立っていた。この事務所に来た時に、一度だけ来た屋上に。
「な……んで」
掻き消されたように、私を蝕んでた『何か』は無くなりました。
「わ、たし、は……」
先生を、殺した……?
「あ……ああ……!」
瞬間、脳を焼き焦がすほどの激痛が私を襲った。
「ああああああああぁぁぁ!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――死ななきゃ――痛い痛い……え?
「なん……で……?」
――ゾンビは、殺さないと。美紀ちゃんが危ないから、ね?
「ゾン……ビ……?」
――不定期的に襲ってくる頭痛、嗅覚の麻痺、幻聴、幻覚。これだけあって、気づいていないわけないわよね?
「あ……」
そうだ、私は、ゾンビ、だから、死なないと。
ふらふらと、鉄格子へと近づいていく。そして、鉄格子に跨り、さっきまでいた場所とは反対の位置に立った。
「――あかりさんっ!?」
声が――聞こえてきた。
その声は、驚愕と恐怖、そして後悔が含まれていた。
「……なんで」
「死ぬ、つもりですか」
私の問いかけには答えずに、責めるように睨みつけながら私にそう言ってきました。
「……そうっすよ。私、ゾンビになりかけてるんで」
「だからって、死ぬなんて……っ」
言葉を続けようとして、彼女は止まった。きっと、先生は望んでいないだとか、そんなことを言おうとしたんでしょう。
「気づいていると思うっすけど、私が先生を殺したんすよ」
「わたしが、先生が死んだことを知っている前提で話すのね」
「見てたの、知ってるっすよ」
私が、先生を殴っていた瞬間を。
「……私が先生を殺した理由、聞かないんすね」
「どんな理由だったとしても、わたしがすることは変わらないから」
悲しそうに笑うと、一歩、また一歩と私の方へ近づいてきます。
「先生に、二人で仲良く生き延びてって……!」
「そうっすか……。でも、ダメっすよ」
美紀ちゃんの、心からの叫びも私には届かない。だって、彼女の声よりも大きい声が、私の耳もとで囁いてくる。
――死なないと。
「ちゃんと、恨まないと」
声が、震えた。
その声を聞いて、美紀ちゃんはきゅっと胸の前で両手を組んだ。
「無理ですよ……やっと、見えたんですから……」
美紀ちゃんのその言葉に、はてと首を傾げます。美紀ちゃんは目が見えないだとか、そんなことはなかったはずです。なら、なんらかの比喩なのでしょうか。
「見えたって、なんの事っすか」
そんなこと無視すればいいのに、律儀にそう質問する私。彼女は、一度だけ目を瞑った。
「……私は、今まで視野が狭かった。先生のことしか見えてなくて、それなのに先生に起きていたおかしなことも気づけなかった」
「それは……」
どう返したらいいか分からず、口を開けては閉じてを繰り返す。何も、言葉が出てこなかった。
「きっと、私は先生のことをちゃんと見れてなかったんだと思う。先生じゃない先生を見て、その理想の先生をずっと見てた。それは、先生も同じだった」
先生が、私たちを助けれなかった生徒に重ねていることは、気づいていました。
「でも、違った」
彼女は、そうはっきりと言い切った。
その言葉が意外だった。だって、その言葉はさっきまで言っていたことを否定する言葉だったから。
「確かに先生は、わたしたちを昔の生徒に重ねていました。でも、わたしたちのこともちゃんと見ていたんです」
「なんで……そう言いきれるんすか」
「最期、先生と目が合ったんです」
掠れた声でそう問いかけると、優しい声音で返してくる。
「初めて、色々なものをとっぱらってあの人を見ることが出来ました。だからこそ、言いきれます。先生は、ちゃんと稲葉 美紀と宮崎 あかりを見ていたと」
――だからどうした。
そう、心の奥底から声が聞こえてくる。確かに、言っていることは意味がわからない。でも、分からないからこそ、それが彼女にとって大切なことだってわかる。
「もっと周りに目を向けて、わたしと、わたしたちと一緒に生きていけるように考えて!先生がいなくなって、あかりさんまでいなくなったら、わたしは……!!」
「……無理っすよ」
彼女の懇願も、言葉も、何もかも届かない。響かない。盲目だった少女は、悲劇を乗り越え強くなる。周りに目を向けて、今度こそ間違わないように。
そうです、これがいい。この終わり方が一番いい。
下を見ると、何体かのゾンビがいる。あれに囲まれたら、死んでしまうだろう。それ以前に、落ちた時の衝撃で死んでしまうか。
「どうしてこんなことになっちゃったんすかねぇ……」
そう呟くと、こんなことになった原因を思い出そうとして――やめた。もう無駄だ、意味なんてない。
覚悟を決めて、彼女の綺麗な顔へと向き直る。そして、一番いい笑顔を作って別れの言葉を口にした。
「美紀ちゃん、――大好きっすよ」
タンっと床を蹴って宙を舞う。
そう、これでいい。美紀ちゃんに人を殺してしまったと後悔させるくらいなら、私が美紀ちゃんを傷つけてしまうくらいなら、こうやって自分で幕を下ろすのが一番だ。
目を瞑り、落下の衝撃に備える。
「――え?」
――柔らかい何かが、私を包んだ。
恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに広がる美紀ちゃんの姿がそこにありました。
「な、なんで……!?」
――落ちていく、落ちていく。
着実に迫ってきている死を無視して、掠れた声でそう問いかける。
「……一人に、しないでください」
泣きそうな声音でそういう彼女の目もとから、涙が伝って宙へと浮かび上がった。
「……」
――落ちていく、落ちていく。
走馬灯のように、これまでの思い出が頭を過る。幸せだった、楽しかった、永遠に続けばいいと思っていた。
美紀ちゃんの顔を覗き込むと、にっこりと笑いかけてきてくれました。
「……あの時、助けてくれてありが――」
落ちていく、落ちて――。
ああ、本当に幸せな夢だった。先生と、美紀ちゃんとの日々は。
少し顔を横に倒すと、ぐちゃぐちゃになりながらも綺麗な美紀ちゃんの顔が目に入った。
けど、こんな終わり方なら、悪夢の方が近いかもですね。幸せから落ちるのなら。
どっちなんだろうと、薄れる意識の中で考える。
ゾンビの蔓延る世界で見た夢は、
――幸福な夢か。
――不幸な夢か。
ゾンビの蔓延る世界で夢を見る 警備員さん @YoNekko0718
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