第2話コドモノママデハイラレナイ
――嫌いな色は黒。
わたしの世界は、いつも真っ黒だった。わたしを産んだ『何か』はいつも喧嘩をし、周りはそれを見て可哀想だと嘲笑し、同級生はわたしを異物のように扱った。
――好きな色は赤。
痛みだけが、唯一信じられるものだった。『何か』は日常的に殴ってきて、その度に自分自身が生きているのだと実感させられた。
世界の全てが真っ黒から真っ赤に変わっていく時、違う色を持つ人がわたしの目の前に現れた。
☆ ☆ ☆
ふと、目を覚ます。
「ふぁ……」
小さく口を開け、口元を隠しながら欠伸をする。そして、ちらと薄らと目を開けてベッドの上を見やる。
「……」
一定のペースで聞こえる寝息は、彼が生きているということを証明してくれる。
「先生……」
ちゃんと生きているのか確かめるべく、頬へと手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくりと彼の頬にわたしの手が近づく。あと少しで触れられる、そう思った瞬間、彼が小さく吐息を漏らした。
「――っ!」
急いで手を引っ込め、膝の上へと置く。先生はどうやらわたしの存在に気づいていないようで、数秒ほど上をぼーっと眺めていたかと思うと、ボソリと呟いた。
「……知らない天井だ」
頭を押さえながらそう言うと、先生はゆっくりと体を起こした。先生がちゃんと起きてくれたことに安堵の息を小さく吐き出す。そして、彼がこちらへ首を巡らすのを察知して、わたしは微笑を浮かべた。
「先生、おはようございます」
☆ ☆ ☆
「そういえば、宮崎はどうした」
不意に、先生がそう聞いてきた。
わたしは、少しどう答えるか考える。きっと、先生に相談するべきなんでしょう。でも、この状態の先生に負担をかけたくはない。
「……多分、この建物内の探検をしているんじゃないでしょうか」
「そうか」
若干の罪悪感を感じてしまい、先生の目を見られない。そんなわたしの様子を見て、訝しむように目を細めるとゆっくりと口を開いた。
「……なんかあったのか」
本当にこういうところは鋭いですね。
気づいてくれることに喜ぶ気持ちと、どう答えるか困る気持ちがごちゃ混ぜになる。
「なんにもありませんよ。先生は気にせず、休んでいてください」
そんな感情を読み取られないように、平素を装いながらそう言った。
うぅ……先生に嘘を……。けど、先生に負担をかけるわけには。でも、もしバレてきらわれたら……。
ぐるぐると罪悪感や不安が頭の中を回る。
「いやだから」
「休んでいてください」
これ以上、先生に嘘をつきたくなくて話を強引に打ち切る。
「……解決できそうになかったら、ちゃんと相談するんだぞ」
「はい」
先生は心配しながらも、わたしの心意を汲み取ったのか引いてくれた。その事にほっと安堵の息をつく。
先生に嘘をつくことももちろん、あかりさんのことについて自分自身処理出来ていないから。
「稲葉、お前ちゃんと休んでいるか?」
「ええ。今日も一時間半ぐらい寝ましたので」
安堵するわたしを見て、先生は話を変えてくれる。そんな細かな気遣いが嬉しくて、ついつい頬を弛めてしまった。
「そう……え? もう少し休んだらどうだ?」
わたしを心配するように、顔を覗き込んでくる先生。そして、次の瞬間ベッドから降りようと体を動かし始めた。
「ちょっと先生! 動いちゃダメですよ!」
「いやほんとに大丈夫だから。俺の代わりに、ベッド使って休みなさい」
「え! 本当です……いえ、先生が休んでください!」
怪我人なんだからと、先生をベッドに押しとどめる。一瞬揺らいでしまったが、私情で先生の身を危険に晒す訳には……!
「いや、でも……少し休んでいた方がいいだろ」
「先生の休息の邪魔をするくらいなら、わたしは不眠不休で動き続けます!」
強い意志を込めて視線を送ると、困ったような顔をして何やら考え始めた。うぅ……困らせるつもりはなかったんだけどなぁ。
「それなら、上の階にソファがあっただろ。そこで休憩したらどうだ?」
え、やだ。
零れそうになった言葉を、すんでのところで飲み下す。先生の傍から、一秒も離れたくない。でも、普通に断ってもきっと食い下がってくるだろう。そして、最終的にはわたしが折れることになる。ならば……。
「……先生が今かけている布団が貰えるなら」
無理難題をつきつければ、先生も諦めるでしょう。そう思い、先生の布団を要求する。すると、スっと布団を差し出してきた。
「別に寒い訳でもないし、持ってってもいいぞ」
「ありがとうございます!」
先生が使ってた布団……あれ? なんで先生が使ってた布団が手に……? というか、え、これ、さっきまで先生が使ってた、先生の匂いが染み付いた布団なんじゃ……!
大量の情報が頭の中を飛び交ってフリーズしていると、そんなわたしに先生は訝しむように声をかけてくれた。
「……行かないの?」
先生の言葉で、ハッと我に返る。
布団貰ったんだし、早く行かなきゃ……! いや、でも、先生が心配で、それで布団を貰って、だから行かないと……あれ?
「え? ……あ、ああ。そうですね、それでは」
混乱しつつも、ちらちらと先生が大丈夫か確認しながら部屋を出る。
「ふぅー……」
部屋を出て、まずは布団に染み付いた匂いを胸いっぱいに吸い込むと少し冷静になった。
「……どうしよう」
後悔やら羞恥やらが混じった声音は、何度も何度も自分の耳の奥で反響していた。
☆ ☆ ☆
「――!」
上の階のとある一室で、わたしは布団に包まりみ悶えていた。大きく息を吸って、吐き出す。
「……落ち着く」
しみじみとそう呟く。けれど、こんなことをしている場合ではない。 あかりさんとのことについて考えなければ。
そう思い、思考を巡らせているとキィっと扉が開く音がした。咄嗟に扉に背を向け目を瞑る。
「美紀ちゃん、いるっすか?」
あかりさんの声が耳に入ってくる。
「ありゃ、寝てるっすね」
寝たフリをしてしまった手前、起きづらい。早く去ってくれと願いながら彼女の方へ意識を向ける。
「美紀ちゃん……この前はごめんなさいっす」
「……」
あかりさんは、独り言のように言葉を続けていく。
「でも、私はまた同じ状況で同じことがあったら、同じように行動するっす」
貴女のしたことな間違ってなくて、それを受け止めきれないわたしがまだ子供なんだってことも。
「寝ている時に言っても意味ないっすよね。また来ます」
そう言い残すと、少しの間があってパタンと扉を閉める音が聞こえてきた。
「……」
足音が遠ざかっていく音を聞きながら、わたしはムクリと起き上がる。
「……最低」
謝ろうと、そう思っていたはずなのに。何も出来なかった。あかりさんの顔が見れない。それは、罪悪感からなのか、恐怖なのか分からない。けれど、次に会う時にはあの時のことを全部飲み込んでいないといけない。
「だから、」
だから、今は寝よう。
逃げているということは分かっているけれど、それでも今は無理そうだ。
「一度寝たら、全部飲み込んで、謝るから――」
受け入れて、謝って、先生には二人でごめんなさいして。それで、またいつも通りの日々に戻りたいから。
そう願いながら布団の中に潜り込み、目を閉じたのだった。
――けれど、その願いは叶うことは無かった。
☆ ☆ ☆
「――!」「――!」
一応わたし自身の親だった『何か』は、こちらに手を伸ばして近づいてきた。
「――!」「――!」
両親だったものは何か言葉を発しているが、元々何を言っているのか分からないような人たちだったので、異形の生物になったからといって、何かが変わったわけではない。
冷めた目で両親だったものを見据えて、終わりの時を待っていた。
「君! 大丈夫!?」
唐突にグイッと引っ張られる。
驚き目を見開いて、引っ張ってきた方を見てみると所々に切り傷やらがある男の姿があった。
「君のご両親は……ええと、ゾンビ……話は後でするからちょっと来てくれるかな!?」
ガリガリと頭を掻きながら説明してくる男。固まっていたから、混乱しているのだと思われたのだろう。けれど、別に混乱している訳では無い。真っ赤だったのだ。血のようにどす黒い赤。絡みつくように、縛り付けるように、真っ赤に染っていた。
「ここは危なくて、ご両親は連れて行けないって言うか――」
どう説明するかを悩み、焦っている様子の男の頬へわたしは手を伸ばした。彼は驚いたように目を見開いて、それを見てわたしは口角が上がった。
「見つけた」
それからは、楽しい日々だった。
「宮崎 あかりっす! よろしくっす!」
「せーんせいー! これ思いっすー!」
「ごめんね! でも、これは大事な食料だから、持てるだけ持って!」
「腹減ったっす、疲れたっす……」
「あー……じゃあ、おぶってやろうか?」
「お願いするっす! ……あれ? 美紀ちゃん、なんか顔怖いっ――」
「ごめんなぁ……谷本」
「美紀ちゃん……この前はごめんなさいっす」
「夢……」
目が覚め、もう一度寝る気にはなれず起き上がる。霞んだ思考を振り払うように、頭を振ると時間を確かめるべく外を見てみる。
「真夜中じゃない……」
変な時間に起きてしまったと後悔する。これからどうしようか考えてみるが、特に思い浮かばないので取り敢えず先生の下へ行くことにした。
部屋を出ると、先生のいる下の階へと続く階段へと足を伸ばす。しかし、上から何かを潰すような嫌な音が聞こえてきた。
「あかりさん……?」
先生は下の階で寝ているはずだから、上にいるのはあかりさんしかいないはず。けれど、この音は……。
何をしているのか、それについては見当もつかない。けれど、わたしの心臓は何かを察知したかのように動悸が早くなった。息が短く、荒くなるのを感じながら、階段を一段一段上っていく。
何かを潰すような、殴るような音は一定のペースで聞こえてくる。
音のする階層、屋上より一つ下の階層を見て、音の正体を見てしまった。
「ぇ……なん……っ」
喉が張り付き、上手く声が出せない。さっきまで聞こえてきた動悸の音は既に耳に入っておらず、人の頭を殴り付ける音だけが耳に届く。
――目の前には、後頭部をパイプ椅子で何度も何度も殴りつけるあかりさんと、地面にうつ伏せになり、血を流している先生の二人の姿があった。
しばらくして、あかりさんは殴りつけるのをやめると、ふらふらと屋上への階段があるわたしとは反対の方向へ歩き出した。
そこでようやく、我に返った。
「――先生っ!」
先生の下に駆け寄る。
「――っ」
後頭部から、大量の血が流れ出ていた。ぐちゃぐちゃになった頭から、ちらりと白い骨が見える。
「先生! 先生っ!」
着ている服の上着を脱いで、それの上に後頭部を乗せて先生の体を起こす。先生は焦点の合ってない瞳で天井を見上げていた。
「先生! 先生っ!!」
何度呼びかけても応答は無い。よく見ると、後頭部程ではないにせよ、額からも出血している。
「救急し……なんてない! 救急箱、救急箱はっ!?」
救急箱がこの事務所にあるのか、もしくはどこにあるのかをわたしは把握出来ていなかった。応急処置でどうにかなる怪我なのかも、分からない。ただ、何かしなきゃという気持ちだけが先走ってしまっていた。
「ふた、りで……なか、よく……いき」
朦朧とした目でわたしを見て、途切れ途切れの掠れた声でそう言ってきた。
きっと、『二人で仲良く生き延びて』とかそんなことを言おうとしたのだろう。けれど、そんな言い方じゃあまるで先生が死ぬみたいではないか。
「先生……何、言ってるんです、か。二人、じゃなくて、三人で、でしょう?」
声が震える。視界がぼやける。わたしの目から、熱い何かが溢れ出していた。
「先生……!」
嗚咽を漏らし、先生の体に縋りつく。先生の体から体温が感じられない。先生もいつもこんなことをすると、引き離そうとしてくるくせに、今はこちらに視線すら向けてくれない。
「生きてくださいよ、先生……。生きてよ、先生……!」
顔を上げて、先生の顔を見据えてそう懇願する。
「あ……」
先生は小さく呟くと、震える手をゆっくり、ゆっくりと伸ばしてきた。
力が抜けていくせいか、腕に負担が大きくなってくるのを感じながら、さっき見た光景を思い出す。
あれが、幻覚の類ではないとしたら、先生はあかりさんに……!
その時、先生の手がわたしの頬に触れた。
「……ないで……」
先生は、なんて言ったのだろう。最期かもしれない言葉を、聞き逃してしまった。泣かないで? 恨まないで? 死なないで? 分からない。わたしが聴き逃したばっかりに、先生の最期の言葉が分からない。
「先生、なん、て言ったんですか? もう一度言ってくださいよ……!」
けれど、その言葉は先生に届かなかった。
わたしの頬に触れる手から力が抜けて、だらりと落ちる。
「先生!!」
呼びかけても当然返事はない。
けれど、先生が息を引き取るその間際、少しだけ目が動いてわたしの姿を映し出した。
――その日、初めて彼と目が合った。
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