ゾンビの蔓延る世界で夢を見る

警備員さん

第1話オトナニナンテナリタクナイ


20xx年、世界中にゾンビウイルスが蔓延した。

それを受け、世界政府は蔓延防止のため徹底的な感染防止対策を立てたが、対処の遅さ、国民の認識の甘さにより感染は拡大していき、人類は緩やかに滅亡へと向かっていった。


☆ ☆ ☆


――嫌いなものは大人。

昔からそうだった。無責任で、自分のことしか考えられなくて、汚い大人が大嫌いだった。


――好きなものは特になし。


☆ ☆ ☆


「……知らない天井だ」


薄汚れたコンクリートの天井。それが、今日俺が一番最初に見た光景。

頭が重い、頭痛もする。体調としては健康どころか最悪の状態。そんな中でも重たい頭振って無理やり体を起こした。


「先生、おはようございます」


ちょうど隣の椅子に座っていた少女が声をかけてくれる。


「おはようさん。稲葉、ずっとそこにいたのか?」

「はい、もちろんです」

「……ちなみに俺、どのぐらい寝てた?」

「一日と十八時間二十八分ぐらいですかねぇ」

「細かいよ、一日と半日ちょっとでいいよ」


そこまで細かく教えられても、「お、おう」ぐらいの反応しか出来ないからな。そう思いつつ、痛む頭を押さえながら辺りを見回す。


「ここは……ああ、休憩所にした事務所か」

「はい。……それより、大丈夫ですか? 傷だらけで帰ってきましたので、わたしは心配で心配で」


およよと泣くフリをする稲葉。自身の体を確認してみると、至るところに包帯が巻かれていた。


「……俺、死ぬの?」


左手の手先から腕にかけて包帯は巻かれ、腹部、脚部といったところにも包帯は巻かれており、そのどれにも赤黒い血が染み込んでいた。念の為にと額に触れると、肌ではないザラザラとした感触。どうやら、頭にも包帯は巻かれているらしい。


「……先生がもしも亡くなられるようなことがあれば、わたしはすぐさまあとを追います」

「冗談だからな、本当に」

「ふふっ、分かっています。けれど、そういう冗談は今後やめてくださいね」

「ああ。悪かった」


普段ならこんなことは言わないはずなのだが、そんなことを言ってしまうほどまでに俺は動揺していたのだろうか。


「……稲葉、さっき言ったことは冗談だよな?」

「ええ、もちろん。先生がタチの悪い冗談を言うものですから、お返しですよ」


悪戯っ子のような笑みを浮かべる姿は可愛らしいが、彼女の黒瞳は笑っていない。きっと、さっき言ったことに冗談も嘘も混じっていない。それだけは、ここ半年の経験から断言できた。


「やっぱりこういう危ないことも、わたし達で分担するべきですよ。わたしはちゃんと戦えますし――」

「稲葉」

「……分かっています。冗談ですよ、約束ですからね」


彼女たちとは、三つほど約束をしている。


一つ、悩みがあったら一人で抱え込まないで二人のどちらかに相談すること。

二つ、自殺は絶対にしないこと。

三つ、俺以外がゾンビを殺してはいけない。


どれもこれも、俺自身のエゴが煮詰まった約束ごとだった。


「そういえば、宮崎はどうした」


不意に思い出し、そう尋ねてみる。すると、稲葉の口からは歯切れの悪い答えが返ってきた。


「……多分、この建物内の探検をしているんじゃないでしょうか」

「そうか」


あの娘は好奇心旺盛だから、探検をしていてもおかしくは無い。ただ、彼女のよそよそしい言い方から一つの予想が頭に浮かぶ。


「……なんかあったのか」

「なんにもありませんよ。先生は気にせず、休んでいてください」

「いやだから」

「休んでいてください」

「……解決できそうになかったら、ちゃんと相談するんだぞ」

「はい」


これ以上話しても、平行線となり進みそうにないのでそこで話を打ち切った。


「稲葉、お前ちゃんと休んでいるか?」

「ええ。今日も一時間半ぐらい寝ましたので」

「そう……え? もう少し休んだらどうだ?」


にこりと微笑んで言うものだから、うっかりスルーしてしまいそうになった。いや、一時間半ってちゃんと休めてなくないか……?

そう思い、上半身を起こしてベッドから降りようとする。すると、稲葉が慌てて止めてきた。


「ちょっと先生! 動いちゃダメですよ!」

「いやほんとに大丈夫だから。俺の代わりに、ベッド使って休みなさい」

「え! 本当です……いえ、先生が休んでください!」


一瞬だけ乗り気そうな表情になったが、ハッと我に返ると手を広げて断ってきた。


「いや、でも……少し休んでいた方がいいだろ」

「先生の休息の邪魔をするくらいなら、わたしは不眠不休で動き続けます!」


強い意志でそう断られては、言い返す言葉がない。どうすれば休んでもらえるのか考える。そして、ふと思いついた言葉を口にした。


「それなら、上の階にソファがあっただろ。そこで休憩したらどうだ?」


俺がベッドなのに、女子高校生をソファで寝るように勧めるというのは些か思うところがあるが、俺がソファで寝ると言っても受け入れないだろう。

俺がどうだ? と視線で問いかけると、彼女はふむと顎に手をやり考え込む。


「……先生が今かけている布団が貰えるなら」


喉から出そうになった疑問の声を、ギリギリなんとか飲み下す。危ない危ない。下手に追求したら、やっぱりいいですと休むこと自体を断られてしまう。


「別に寒い訳でもないし、持ってってもいいぞ」

「ありがとうございます!」


パァっと明るい表情でお礼を言われると、なんだかいけないことをしているような気がしてついつい目を逸らしてしまった。


「……行かないの?」

「え? ……あ、ああ。そうですね、それでは」


あははと愛想笑いを浮かべると、名残惜しそうにこちらをチラチラと振り返りながら部屋から出ていった。


「……」


稲葉が部屋から出ていくのを見送ると、だらりと全身の力を抜いてベッドへと倒れ込む。

昨日……いや、約二日前、何があっただろうか。確か、食料を探しに行って、それから――。

頭に鋭い痛みが走って思考が中断される。


「辛そうっすね」

「いや、そうでも……ん?」


痛みを緩和させるために息を吸って吐くのを繰り返していると、ちょうど真下から声が聞こえてきた。そう、ベッドの真下から。


「宮崎か?」

「そうっすよー」

「うわっ!?」


問いかけると、返事とともにベッドの下からにゅっと出てきた。


「なんでそんなところにいるの?」

「ベッドの下に入って寝てたっす!」

「ああそう……楽しかった?」

「全然そんなことなかったっす」


真顔でそう返されてしまうと反応に困る。とりあえず苦笑いを浮かべて受け流す。

この娘は、感覚で物事を考えるタイプなのだろう。思考回路が一切読めない。


「そういえば、頭大丈夫っすか?」

「ああ、大丈夫だ」


言い方はともかく、そう言われて頭痛が治まったことにようやく気づく。


「そっすか」


興味なさげにふーんと声を漏らすと、忙しなく首を巡らせ辺りを見回し始めた。

彼女は、感覚で考える節がある。だが、それゆえに目では見えない何かを感じ取っているのかもしれない。


「どうした?」

「いや、なんでもないっす」


問うと、ふるふると首を振ってそう言った。そんな彼女を訝しみつつも、そういえばと話を切り出した。


「稲葉となんかあったのか?」

「あー、まあ……ケンカしたんすよ」


珍しく、歯切れの悪い言葉を言うとスっと目を逸らした。


「そうか。……仲直り、出来そうか?」

「……頑張ってみるっす」

「そうか」


普段思考が読めない彼女ではあるが、稲葉のことになるとわかりやすい。それほどまでに大事なのだろう。


「じゃあ、これから謝りに行くっす!」

「え、行動早くない?」

「善は急げっす!」


てとてとと部屋から出ていこうとする宮崎を見送りながら、さっき稲葉との会話を思い出した。……やばい、休憩してるところに宮崎が入ってきたら余計関係悪化しそう。

これはまずいと思い、無理やり体を起こして部屋から出る。確か上だったなと思いつつ、階段付近まで来ると生臭い臭いがした。


「なんだこれ……」


ゾンビの腐敗臭に似ているその匂いに、思わず顔を顰める。


「どこから臭ってきてんだ」


階段を上るにつれて、臭いは増していく。生臭い、不快な臭い。階段の途中の扉の前で足を止める。


「ここか」


そう思い扉に耳を当てる。中からは何も聞こえてこず、少なくともゾンビがいるということは無さそうだ。


「よし」


確認が終わると、恐る恐るドアノブに手をかける。そして、勢いよく扉を開けようとした瞬間、突然肩を掴まれた。


「何してるんすか?」

「うおわ!?」


振り向くと、そこには宮崎の姿があった。


「美紀ちゃん、寝てたっす」

「そ、そうか。謝るのは、また後にしないとな」

「そうするっす。ということで先生、休憩するっす」

「え、どういうこと?」


宮崎は俺の腕をがっしりと掴むと、強制的に下へと連れていく。


「宮崎、なんか臭わないか?」

「セクハラっすか?」

「いや、そうじゃなくて」


引っ張ってくる宮崎に声をかけると、冷たい声が返ってくる。


「臭いませんし、何もいないっすよ」


そう言う宮崎の顔は、ここからは伺うことは出来ず俺はそのまま下に連れていかれるのだった。


☆ ☆ ☆


――自分はきっと、素敵な大人になるだろうと思っていた。自分の身を顧みず人を助けるような、そんな大人に。


夜中に、ふと目が覚める。

辺りは真っ暗で、不気味なまでに静かだった。


「痛っ……!」


脳を抉るような、鋭い痛みを感じた。反射的に頭を押さえ、顔を歪める。


――けれど大人になるにつれ、子供の頃に軽蔑していた大人に近づいているような気がした。生きるためには仕方がないと、そう言って弱い自分を正当化してきた。


「水……」


痛む頭を押えながら、ノロノロと立ち上がるとペットボトルに手を伸ばす。しかし、上手く掴めずそれを落としてしまった。


『先生! 助けて!!』


痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

ガンガンと頭の中を叩かれるような、そんな激痛に耐えかねて俺は蹲り小さく悲鳴を漏らす。視界は徐々にブラックアウトしていき、目の前にはあの時の光景が浮かび上がってきた。


「いやああああああ! 離して! 痛い! 誰か! 先生、助けて!!」


クラスの生真面目な生徒が、俺に助けを求めるように手を伸ばす。彼女だけじゃない、四方八方から悲鳴が聞こえ、その一つ一つの悲鳴の最後に必ず俺の名前が聞こえてくる。


「いやあああ! 助けて! 助けて先生!!」


生徒の肩に、腐敗した手が食い込む。そこから血が伝って、ぽたぽたと床へと滴り落ちる。


「痛い痛い痛い! やめてやめてやめてごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」


腕がもがれる、首を噛みちぎられる、彼女の体の至るところから血が飛び散り、彼女自身さ白目を向いて動かなくなる。

俺は、それを見ていることしか出来なかった。体が動かない。助けないと、という気持ちばかりで、体はその場から動こうとしない。


「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」


男子生徒が、女子生徒が、同僚が、俺を囲んで名前を呼ぶ。


「あ……あ……」


動かない、声も出せない。ただ、その死人のように青白くなった生徒たちが近づいてくる様子を見続ける。


「ち、違う……逃げたんじゃ……こんな、つもりじゃ……!」


早口でそう言い募るが、彼ら彼女らは動きを止めることなく近づいてくる。


「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」「先生」


手が、伸びてくる。囲まれて、掴まれる。そんな状況なのに、体は言うことを聞かない。もう無理だと諦め、目を瞑ったその時、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「どうしたんすか?」


――ああ、そうだ。

もう一度目を開ける。状況は変わらず、すぐ目の前にはゾンビとなった生徒たちの姿がある。


「……あの二人だけは、救わないと」


彼女たちの前では、俺自身の理想の大人であり続けた。死なないように、思いつめないように、人を殺さないように。綺麗であって欲しいと、汚れて、壊れてしまわないようにと、そんなエゴを押し付けてきた彼女たちを、俺は守る義務がある。

彼女たちを死なないようにしたいのであれば、ゾンビを殺す方法を教えるのが正しいのだろう。けれど、それを俺はしなかった。汚れ仕事は大人の仕事だと嘯いて、理想の自分であろうとした。格好いい大人であろうとした。

ならば、俺はどうするべきか。

決まってる。そうやって、理想を押し付け過剰なまでに保護した責任は果たさなければならない。だから、ここで諦め潰れてしまう訳にはいかない。


「……痛っ!」


強い衝撃で目が覚める。

そこは、さっきまで寝ていた部屋ではなく、階段の途中のどこかだった。


「……っ」


今度は後頭部に強い衝撃を受ける。

視界がぐらつき、膝をつく。しかし、そんな俺に何者かはさらに追撃をいれてくる。


「……っ!」


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

さっきとは違い、今度は頭の外側から鈍い痛みを感じる。前に倒れ込むと、さらに頭を殴りつけられる。

意識が朦朧とし、視界がぼやける。それから、どれだけの時間が経っただろうか。痛みも感じなくなってきたころ、ぼやけた視界に誰かが映り込んだ。


「――! ――――」


ぼんやりと見えるシルエット、そして黒髪からおそらくは稲葉なのだろう。彼女は、俺に向けて必死に声をかけてくる。けれど、なんと言っているのか聞き取れない。


「――――!」


――ああ、これはダメなやつだ。

本能的に、悟る。これはもう、助からない。

そこまで考えて、なにか残せないかと途切れそうな意識を何とか繋ぎ止めて考える。


ゾンビを倒すには、頭を潰した方がいい。

――これは、ゾンビを殺すところを見た彼女たちには今更のことだろう。

ゾンビの足の速さは、生前とあまり変わらない。

――そんなこと、彼女たちは当然知っている。


ならば、ならば何を残せるだろうか。何か、彼女たちのために残せるものは、ないだろうか。

薄れる意識の中、震える声音で言葉を紡ぐ。


「ふた、りで……なか、よく……いき」

「――!」


『二人で仲良く、生き残って』

そんな短い言葉も言い切る事ができなかった。有益な情報は残せず、想いも最後まで伝えることが出来なかった。


「――――」


もう、何も考えられない。

だらりと全身の力が抜けていくように感じる。その時、必死に呼びかけているシルエットが、あの時の光景と重なった。


『先生! 助けて!!』


目の前で捕食された生徒が、こちらに向けて手を伸ばし叫んでくる。


「あ……」


助けれなかった、あの時の光景。何度も何度も夢にまで出てきた光景。毎回、彼女を助けることは出来なかった。


「行か……」


すぐに消えてしまいそうな幻へ、震える手を伸ばす。


「ないで……」


助けれなかった。それをずっと後悔していた。

助けたかった。人を守れる人間になりたかった。

意味なんてないと分かっていても。それは幻だと気づいていても、俺の手はあの時と同じ表情で手を伸ばす生徒へと伸びていた。そして――


「よかっ……た」


最後の最期となったけれど、手を掴むことが出来た。

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