ミレーラとザニバル

 ミレーラの命令によって立ち上がった偽ザニバルはうつろにつぶやく。

「俺は、ザニバル、町を、破壊し、奪う」


 ミレーラは自らが命じたその姿を見て眉をひそめる。

「ああ、こんな男が偉大なるザニバル様を名乗るだなんて本当に嘆かわしい。しかしそれゆえにザニバル様はいらっしゃることでしょう。誇りをお守りになるために、うふ、うふふ、うふふふ」


 ミレーラは語りながら段々と荒い息になっていき、

「今度こそ再会して、閉じ込めて、私だけのザニバル様にして」


 遠い目をしているミレーラに、本物のザニバルはもっと眉をひそめる。

「だからミレーラは嫌なんだもん……」


「チビ猫娘、何か言いましたか?」

 ミレーラはザニバルをにらみつける。


「ねえ、ザニバルを探しているんでしょ。それが本物だよ」

 ザニバルは偽ザニバルを指さす。

「自分でそう名乗ってるでしょ。さっさと連れて帰ったら」


 ミレーラは目を剥いた。

「なんですって! 下品な目つきに大きすぎる鼻と醜い歯並びで歪んだ顔の男をザニバル様呼ばわり! 最低最悪です!」


 まだ気絶しているはずの偽ザニバルだが、頬に一筋の涙が伝った。


「だったら本物のザニバルを見分けられるっていうの」

 ザニバルは冷たく言い放つ。


「もちろんです!」

 ミレーラは鼻高々だ。

「あの威風堂々たる御姿、周囲を圧する御気迫、冷酷無比な闇の中の闇。一目拝見するだけで間違いようもありません」

 自らをかき抱いて、とろんとした目つきになる。


「うええ」

 ザニバルは気持ち悪さに震える。

 キトはザニバルに同情の目を向け、マヒメはなぜか勝ち誇った顔をしている。


「はっ……! チビ猫娘を相手にしている場合ではありませんでした。大騒ぎを起こして私のザニバル様をお呼びしなければ」 

 ミレーラは気を取り直した。


「来なさい、ホーリーハウンド」

 ミレーラの命で、偽ザニバルの前ににホーリーハウンドたちが集まってくる。

「さあ、崩壊統合術式を発動なさい!」


 ホーリーハウンド同士が向かい合い、互いの喉笛に喰らいついた。血の代わりに光の粒が噴き出す。その状態でホーリーハウンドは走り出し、彼らが流した光の粒は地面に線を引く。


 ホーリーハウンドたちは崩壊しながらも輝く線を引き続ける。

 彼らが消え去ったとき、そこに残っていたのは大型の魔法陣だった。


 魔法陣は自動的に展開を開始する。

 線上を輝点が走り、紋様が生じ、術式が発動。亜空間が開く。


 亜空間の闇から白銀の巨体が姿を覗かせる。頭が出てきて、また頭が出てきて、さらに頭が出てくる。

 三つの頭を持つ魔獣、ホーリーケルベロスだ。

 展開が終わった魔法陣は消失していく。


 のっそりと姿を現したホーリーケルベロスは、家を超える巨躯の魔獣だった。


 サイレン族たちは泡を喰って逃げ出そうとする。マヒメはどうしたものかと困る。


 キトはにらみつける。地獄の魔獣の中でも特に厄介な相手だ。しかも聖属性に反転させられている。ヘルタイガーにとって嫌な相性だった。


 ザニバルは苦い顔をする。ミレーラの厄介な術式だ。


 ホーリーケルベロスは顎の一つを開いて偽ザニバルを咥え、自分の背中へと放り投げる。

 偽ザニバルは不自然に動きながらホーリーケルベロスにまたがった。頭ががくがくと揺れる。


「俺は、ザニバル、逃げ、惑え」

 偽ザニバルが棒読みで語り、ホーリーケルベロスは動き出す。

 ホーリーケルベロスの身体が軽く触れるだけで木造りの家がばらばらに倒壊する。

 通りに並んだ家々がホーリーケルベロスの前進で次々に押し潰されていく。


 猫たちは怒りの鳴き声を上げながらも逃げ惑っている。

 その中でもキトはホーリーケルベロスに攻撃を仕掛ける。爪を伸ばし、敵の脚に斬りつける。だがホーリーケルベロスの剛毛が少し切れるだけで傷を与えられない。


 サイレン族たちは魔獣の襲撃に耳を押さえて遁走する。彼らにとっては目よりも耳の方が世界を捉えるための器官だ。ホーリーケルベロスの恐ろしい有様を捉えたくないのだろう。

 彼らは一目散に洞窟へと駆け込んでいく。


 マヒメはサイレン族を追いながら叫ぶ。

「そんなところに隠れたって袋の鼠よ! 逃げるなら力を貸すわよ!」


「ご先祖が築いたこの町は捨てられねえ!」

 サイレン族の大人たちが叫び返す。


「だったら戦いなさいよ!」

「あんな化け物に勝てっこねえ!」

「そうだ! あんなの無理だ!」

 最初は威勢の良かった若者たちもまた大人たちと共に洞窟へと逃げ込んでいくばかりだ。


「ふがいないわね!」

 マヒメは歯ぎしりする。


 キトは小さな身体でホーリーケルベロスに攻撃をかけ続ける。家の屋根伝いに跳び、ホーリーケルベロスの上から踊りかかってその頭を狙う。

 キトの鋭い爪がホーリーケルベロスの目を一つ切り裂いた。ホーリーケルベロスは苦悶の叫びを上げる。だが残る頭がキトを弾き飛ばす。

 キトの小さな身体が地面に叩きつけられる。


「キト!」

 ザニバルは駆け寄ろうとする。

 だがキトは血反吐を吐きながらもすぐに起き上がった。鋭く鳴いてザニバルをけん制し、またホーリーケルベロスに挑んでいく。


「キト、どうして……」

 キトの死闘を見せられてザニバルは全身に冷や汗をかいている。着ているワンピースはじっとりだ。このままではキトがやられる。家族を失ってしまう。どうしてキトはヘルタイガーの姿にならないのか。

「……なれないの!?」


 後ろから観戦しているミレーラは猫一匹から邪魔されていることに顔をしかめる。

「あんなチビ猫如きに…… やむを得ません。神聖結界を展開なさい!」


 ミレーラの命に反応して、ホーリーケルベロスの三つ顎から眩しく白い光線が放たれる。

 顎はそれぞれ動いて三本の光線を町全体へと走らせ、地面に線や紋様を描き出す。広域魔法陣を描いているのだ。

 たちまち完成した魔法陣は莫大な光量を放ち始めて町全体を覆う。聖なる結界が闇の力を抑え込む。


「みゃっ!」

 キトに駆け寄ろうとしたザニバルの動きが止まる。身体を聖なる光に縫い留められている。


 キトも同様だ。しかしキトは無理やりに動く。全身から血が噴き出す。それでも止まらない。

 キトは咆哮する。


 ザニバルはなんとか動こうとあがく。だが力が足りない。キトがいなくなってからというもの、ひたすら心配で寂しくて怖がるどころじゃなかった。恐怖がなければ暗黒騎士は力を得られない。今、少女姿なのも本当は魔装をまとうほどの力が残っていないからだ。


 ミレーラはザニバルの様子を一瞥する。

「邪魔をされるのも面倒ですね。始末しておきましょう」

 そして腰から提げたレイピアを引き抜いた。

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