襲撃(いろいろな意味で)
領主の少女アニスは自分も果樹園を見張るつもりだったが、さすがに騎馬で徹夜した疲れが出ていた。ふらふらし始めたところをゴニが城まで連れ帰っていった。
暗黒騎士ザニバルは一人残って果樹園を見回る。その後ろをヘルタイガーのキトが付いて回る。
果実の収穫や果樹の手入れに勤しんでいたゴブリンたちも陽が沈むと帰っていなくなった。
昨日と違って月は出ているものの、まだ細くて暗い。
明かりの無い果樹園は闇に閉ざされていく。
夏の虫がもの悲しい調子で鳴き始める。
<お化けが出たりしないかな……>
ザニバルから立ち昇る恐怖を、
<出るのは泥棒だよ。ったく、怖がりすぎだ。自分の恐怖を自分で喰らったって大して美味くもないよ>
バランが喰らいながら愚痴を言う。
まだ泥棒被害にあっていないあたりの果樹をザニバルは調べる。
ゴブリンたちが言っていたつんざくような音とやらにザニバルは心当たりがあった。上まで登って待つのがいいだろう。
ザニバルはヘルタイガーにまたがった。
「お願い、キト」
ヘルタイガーは低く唸ってから果樹の大木へと跳んだ。鋭い爪で幹に掴まってそのまま果樹を登っていく。
途中で他の果樹に飛び移り、登ってはまた飛び移りを繰り返して、高みに茂る枝にまでたどり着いた。
ヘルタイガーは枝を使って巧みに身体を支えている。しかしヘルタイガーは馬並みの重さでさらにザニバルも乗せている。重みでしなった枝がぎしぎしと音を立てる。さらに風も強い。
<ううう、落ちそうだよお>
ザニバルの気絶しそうな恐怖が黒い瘴気となって立ち昇り、魔装に吸い込まれていく。
上は細い月に点々と輝く星々。
下は果樹園の暗闇。
彼方には山脈のシルエットが星空に切り取られている。
落ちないことを祈りながらザニバルはじっとその場で我慢して空を見つめていた。
ザニバルはざわりとした。空にばかり気を取られていた。
下から無数の気配が近寄ってくる。しかも登ってくる。明かりは灯されていない。
「奇襲?」
予想外の出来事にザニバルは殺気立つ。
ザニバルがまとっている鎧の積層装甲から刃がスライドして出てくる。全身が凶器と化す。
「それで、黒い騎士さんはどこにおられるんですかのう」
間延びした声が果樹園に響く。
「夜に黒いと見つからんねえ。カラスみたいやねえ」
大勢の笑う声。
妙に緊張感がない雰囲気にザニバルは困惑する。
「見張るふりをして逃げたのかもしれません。そうに決まってます」
この声はゴブリン少女のゴニ。
「ここにいるもん!」
思わずザニバルは叫んでしまった。地獄の底から響くような声だ。
「おお、そこかねえ」
無数の目が輝いて夜闇に浮かび上がる。
数十人ほどのゴブリン女性が果樹を登ってきていた。ゴニもいる。
「恐ろしい恰好をしておられますねえ。強いんでしょうねえ」
のんびりした口調でゴブリン女性がザニバルに寄ってくる。如何にも農家のおばちゃんといった雰囲気の農作業服姿だ。
「黒騎士さんは結婚しておられますかねえ?」
いきなり問いかけられて、ザニバルはきょとんとする。脈絡が全く分からない。
「お嫁さんはお持ちですかねえ?」
他のゴブリンおばちゃんたちが畳みかけるように聞いてくる。
これまで如何なる戦場でも経験したことがないタイプの襲撃に、ザニバルは圧倒されていた。
「い、いない」
ザニバルが答えるや大歓声が上がった。
「独身さんだよ!」
「ゴニちゃんに頼んで、見に来たかいがあったねえ」
「新しい子が来たら、見に来ないとねえ」
「仲人の腕が鳴るよ!」
「いいお嫁さんを紹介しないとねえ!」
「あたしはどうかねえ」
「あんたはもう婆さんじゃないかい!」
そして一斉に笑い声。
「みんな、見ればわかると思ったのに。黒騎士なんて信用しちゃだめです!」
ゴニが叫ぶ。
「どうしてかねえ?」
「こいつは…… ええっと、アニス様が関所で兵士に襲われそうになっていたところを助けて…… 城まで護衛して…… 借金取りとザニバルを追い返して…… 今は泥棒が来ないか見張ってるんですよ!」
また皆の笑い声が響き渡る。
「大した勇者様じゃないかい」
「あれ……?」
ゴニは首をかしげる。
「いや、ほら、見るからに怪しいじゃないですか! こいつ、黒い煙を噴くんです! 噂に聞く、悪魔のような暗黒騎士ってこういうやつのことですよ!」
「見た目は怖いのに、いい人なんだねえ」
「え、いや、違くて」
ゴニは混乱する。
「と、とにかく、こいつはきっとアニス様を狙っているんです! お守りしないと!」
首を左右に振ってゴニは叫ぶ。
「姫様は良い方だからねえ。もてるんだねえ」
「そうだ、応援したらどうかねえ」
「勇者様と姫様、いいねえ」
「勇者様が乗っているのは猫かね虎かね。かわいいねえ」
ゴブリンおばちゃんたちは楽しげに話し出す。
ゴニは顔をしかめ、ザニバルへと枝伝いに近寄ってくる。
「とにかく結婚なんて絶対に許しません!」
「……けっこんしないよ……?」
ザニバルは唖然としている。
ゴニはザニバルをにらみつける。
「先代の領主様と奥方様が戦いでお亡くなりになって、家臣たちがすっかりいなくなっても、アニス様はお一人で頑張っておられるんです。ゴブリン族はどれほど助けられたことか。この果樹園だってアニス様が借金をしてここまで造ってくださったんです!」
ゴニは一息で言葉をザニバルに叩きつける。
ザニバルは兜の奥の赤く燃える目をちらちら瞬かせてから言った。
「一緒……」
「何が一緒だって言うんです!」
「お父さん、お母さん、死んじゃった…… お姉ちゃんも……」
「お前も……?」
ゴニは言葉に詰まる。
ゴブリンおばちゃんたちは突然すすり泣きを始める。
「ああ、かわいそうに」
「あたしらを親と思っておくれよねえ」
「お嫁さんは必ず見つけてあげるからねえ」
その時だった。
突然、果樹の枝がまとめて切断された。
梢のあたりに実っていたはずのマルメロが消えた。
太い幹にすっぱりと切れ目が走る。
一瞬の出来事だった。
断ち切られた枝や幹が落ちていく。
直後につんざくような音が耳を圧する。
突然の強風が吹き荒れる。
「来た!」
ザニバルはヘルタイガーの背から飛んで、揺れる梢の上に立つ。
強風でバランスを崩したゴブリンおばちゃんたちが、揺れる枝から落ちそうになる。
おばちゃんたちは恐怖の叫び声を上げる。
ザニバルの腕を覆う積層装甲の一枚が螺旋状にほどけて伸びて鞭となり、落ちかけたおばちゃんたちをぐるりと巻いてつかんだ。おばちゃんたちは幹に運ばれてつかまる。
おばちゃんたちは恐ろしさに声も出ない。
<ふふふ、新鮮な恐怖をいただきだ>
バランは嬉しそうだ。
<また来るよ!>
ザニバルは鞭を構える。
暗い空の彼方に小さな点。なにか飛行体が空にいる。
それが一瞬で迫ってくる。途轍もない高速だ。
向かってくる飛行体の軌道へとザニバルは鞭を振るう。
鞭がからみついた飛行体はそのまま突進、通り過ぎようとする。
鞭を離さないザニバルは飛行体に引っ張られて空へ。一緒に上昇していく。
ゴニは枝の上で呆然としていた。
つんざくような音がして、枝を切られて、マルメロが消えて、黒騎士の姿も失われている。
だが、残されていたヘルタイガーは大きく口を開いてのんびりあくびをしている。どこにも主を心配している様子はない。であれば今、黒騎士は無事なのだろうか。今起きた、得体の知れない現象に立ち向かっているのだろうか。
「信じていいんですか……」
ゴニはぽつりとつぶやいた。
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