果樹園
マルメロ泥棒の報せを受けて、食事は終わった。
その場を逃げるように抜け出した獣耳少女ザニバルは自分に与えられた部屋へと逃げるように駆け込んできた。その後ろを猫のキトもとことこついてくる。
「うにゃあああああ!」
ザニバルは両手を挙げてぐるぐる部屋の中を駆け回り出す。その後ろをキトが飛び跳ねながら追い掛け回す。
またゴニが入ってくるのではとザニバルは思い至り、慌てて扉に戻ると鍵を下ろして一息つくやまた、
「うにゃにゃああああっ!」
叫びながら駆け回る。その後ろをキトが尻尾を振りながら追い掛け回す。
<なにやってんだい>
ザニバルに憑依している悪魔バランはすっかり呆れていた。
<怖い怖い怖かったんだもん! みんなザニバルを嫌いなんだもん!>
<本当に殺しまくったんだから当然だろ>
<本当だから怖いんだもん! どうしたらいいか分からないんだもん!>
恐怖で泣き顔なザニバルの全身から激しく黒い瘴気があふれ出る。
瞬時に瘴気は硬化して漆黒の装甲となり、ザニバルを覆う。さらに次々と重なって複層装甲を作り上げる。暗黒騎士ザニバルの装備、魔装バランだ。
あふれ出る瘴気の多さにいつもより五割増しぐらいで重装甲のずんぐりした暗黒騎士となって、ザニバルはようやく駆け回るのを止める。
ザニバルの恐怖がバランに喰われて消えていく。残った気持ちが膨れ上がる。
兜から瘴気を漏れさせて、地獄の底から響くような声でザニバルは言う。
「マルメロ、すごくおいしかった。もっとおいしい特級のマルメロを盗むなんて許せないもん。ここのマルメロはぜんぶ俺のものだもん!」
ザニバルは踵を返して扉を開錠し、力強く扉を開く。
重々しく歩いて通路へと出たザニバルの後ろを、大きなヘルタイガーの姿に戻ったキトがのしのしとついてくる。
別の部屋から領主の少女アニス、それに側近のゴブリン少女ゴニが出てきた。
アニスは乗馬服姿、ゴニは動きやすそうな半袖シャツと短パン姿だ。
ゴニは心配そうにしている。
「アニス様、戻ってきてからまだ全然休んでませんよ。調べに行くのは自分がやりますから寝ていてください」
「大丈夫! 馬の上で寝てましたから」
アニスは元気そうに笑ってみせる。
アニスにいくら言っても聞いてもらえそうにないとゴニは諦めたところで、ザニバルを見つけて渋い顔になる。
「戻っていたんですね、暗黒騎士」
「この方は暗黒騎士ではなくて、黒騎士様ですわよ」
アニスが訂正する。
「どう見ても暗黒ですが……」
ゴニはつぶやき、ヘルタイガーに優しい目をいったん向けてから厳しい表情に切り替えて、
「なにをしにきたんですか、黒騎士」
「マルメロ泥棒を捕まえにいくんだもん」
声の恐ろしい響きとは裏腹にかわいい口調で、ゴニは調子が狂う。
「来なくていいです。これはゴブリンの仕事なんです。あなたも寝ていてなさい」
「泥棒は許せないんだもん。行くったら行くもん!」
ザニバルの兜の面頬から黒い瘴気が漏れる。
思わぬザニバルのやる気にゴニは眉をひそめる。何か裏でもあるのだろうか。
アニス様を暴漢から助けたとは聞いた。目の前で暴漢たちを追い払うところも見た。
しかし、いくらなんでもあからさまに怪しい。借金取りが連れてきたあのザニバルよりもこちらの方がよほど暗黒騎士らしい。もしや全てこいつが裏で手を引いているのではないだろうか。アニス様を狙っているのでは。そうに違いない! そうであれば監視のためには連れて行った方が安全か。城に一人で置いていたら何を企むやら知れたものではない。
「だったらついて来なさい」
「ぜひ助けてくださいな、黒騎士様」
ゴニとアニスから言われて、ザニバルは重々しくうなずく。機械仕掛けのような金属音が通路に響く。
一行は階段を一階まで降りてから馬小屋に向かい、アニスは白馬を、ゴニは栗毛の馬を引き出す。ザニバルはヘルタイガーにまたがる。
昼下がりの道を一行は駆け出した。
山の方へと谷を上っていく。
谷の中央には川があり、澄んだ水が岩場を涼しげに流れている。
周囲には古い作りの民家が点在しているが人の気配には乏しい。
代わりに緑の木々が生い茂っていた。
ザニバルはこれまでの習慣どおりに鋭く目配りしながら進んでいる。
敵が潜んでいないか、味方側の体制に問題は無いか、この地形ならばどんな攻撃と防衛が可能か。
しかしどこにも敵も味方もいない。戦争は終わったのだ。
小さな橋を渡って山の方に分け入っていく。
深い木々に包まれて道は暗くなる。
道のところどころには枯葉が積もっている。
木と土の匂いでいっぱいだ。
ザニバルは不思議だった。
こんなに奇襲しやすそうな地形なのに伏兵の殺気を感じない。偵察の気配すらない。
十年間も戦争漬けだったザニバルには違和感ばかりだ。
さらに進んでいくと、雑木林から大木が整然と立ち並ぶ広場に変わった。
匂いもマルメロのものになる。
一行は果樹園に入っていた。
あちこちに大木の手入れをしているゴブリンたちがいる。一行に気付くとアニスに頭を下げてくる。その後、ヘルタイガーに乗ったザニバルに目をやって、ぎょっとした反応になる。
ザニバルは不思議に思う。
ここにはマルメロの匂いが満ちている。ところどころに落ちて割れているマルメロの果実もある。
しかし直径が十メル以上はあろう大木ばかりで、見渡す限りマルメロが実ってはいない。
ふと見上げたザニバルは合点した。
大木のはるか高みに伸びた枝、そこに黄色い果実が小さく点々と見える。マルメロだ。
その様子を見たアニスが嬉しそうに、
「ナヴァリアのマルメロは特別なのです。名前はマルメロですけれども、こんな大木に実るのですわ」
「どうやって収穫するの?」
ザニバルが低い声で聞く。
ゴニが胸を張って、
「ゴブリンだから収穫できるのです。見てなさい」
目の前でゴブリンの二人組が大木を登り始める。籠を背負い、身体を命綱で結び合っている。
ゴブリンたちは大木表面のわずかな突起を掴みながらするすると登っていく。
掴みどころがなくなると、一人がもう一人を上方へと放り投げた。投げられた者は巧みに掴まり、もう一人を引き上げる。こうした動作を繰り返しながらはるかな高みにまでたどり着く。
そこから枝を伝ってマルメロの果実を収穫しては籠に入れる。籠がいっぱいになると二人は降りてきた。
「どうです!」
ゴニは我が事のように鼻高々だ。
「何度見ても見事なものですわ!」
アニスがほめ称える。
ザニバルも感心せざるを得なかった。言うだけのことはある。なにより、あんな大木の高みで手を滑らせでもしたら墜落死しかねないのに二人組からはまるで恐怖を感じなかった。
ゴブリンは小柄で敏捷な魔族だ。ゴブリンが持つ魔能は同族同士での気持ちを通じ合わせる精神感応。一人一人は強くなくとも精神感応で統率されたゴブリンは高い組織力を発揮する。さきほどの二人組による大木登りもそうだった。
ゴブリンたちはアニスの元にやってきて深々と丁寧な礼をしてから収穫を見せた。
「今年も良く実っております、姫様。ですが、とっておきの特級を盗られてしまいまして、誠に申し訳なく……」
ゴブリンたちは本当に申し訳なさそうだ。
ゴブリンが人間に敬意を持っている様を見るのは珍しい。ゴブリンは同族同士が深く分かりあえるだけに、それ以外の種族を信じようとしない。実際、彼らがザニバルに向ける目は氷のように冷たく敵意に満ちている。
「大丈夫です、泥棒は捕まえればいいのですわ!」
アニスは元気に答える。
「ただ、特級のマルメロが収穫できてもどうせ売れません。それなのにお城に高値で買い上げていただくのはどうも…… いっそ盗られてよかったのではないかと」
大木に登っても恐れひとつ見せなかったゴブリンたちから恐怖の匂いが立ち昇りだすのをザニバルは感じる。
「そんなことはありませんわ! 皆さんが大事に育てたマルメロを盗むだなんて絶対に許せないことです! 売れるようにがんばりますし、泥棒も捕まえますわ!」
アニスは明るく真っ直ぐに断言する。どう見ても裏表がない。
ザニバルは驚いた。ゴブリンたちから恐怖の匂いが薄れていく。いや、アニスに吸い込まれている?
<バラン、どういうこと? アニスも恐怖を食べるの?>
<むむむ、おかしいねえ、この娘はただの人間なのに。一体全体どうなってるのさ>
ザニバルの魔装に宿る悪魔バランも理解できないようだ。
「どんな風に盗まれたのかを教えてくださいな」
アニスの問いに他のゴブリンたちも集まってきて説明をし始める。
月の出ていない夜だったこと。
真夜中につんざくような音がしたこと。
見回りのゴブリンは何も見なかったこと。
一番高い梢のあたりで実っていてそろそろ熟しようとしていた特級のマルメロがごっそり盗まれたこと。
盗られたあたりを案内され、ゴニは落ちて潰れているマルメロを拾い上げる。
一刀両断したかのようにマルメロは真っ二つになっていた。
「刃物で切られている?」
ゴニはいぶかしみ、考え始める。
「見つかることなく真夜中に梢にまで登って、刃物でマルメロを切り落とす。そんなことができるのは?」
ゴニはひとつの可能性に思い至り、緑色の顔がみるみる血の気を失って白くなっていく。他の可能性は考え付かない。
その気持ちが他のゴブリンたちにも感応していき、どのゴブリンも白くなる。恐怖の匂いが強く立ち昇る。
ゴニたちゴブリンはがっくりと膝をつき、
「……アニス様、一族の命でお詫びします。こんな盗みができるのはどう考えてもゴブ」
「こんなことゴブリンなんかにできっこないもん」
そこらをうろついていたザニバルが大声で言う。空気が凍り付いた。
うろつきながら拾い集めたものをザニバルは彼らの前に放る。
切られた枝、そして太い幹。ザニバルが両腕で抱えねばならないほどに太い幹がきれいに切断されていた。
「ゴブリンの力じゃ、こんな風には切れないよ」
ザニバルが言うとゴブリンたちはどよめく。
「でも剣の達人のゴブリンかもしれないです!」
ゴニが叫ぶと、ザニバルは切断されたマルメロを示して、
「このマルメロ、ちょっと焦げた匂いがする。剣で斬ってもこんなことにはならないもん」
アニスがそれを受け取って、自分でも匂いを嗅いだり切断面を見たりする。
「なんだか焼きごてを当てたみたいですわね」
ザニバルは皆を見回して、
「つんざくような音が聞こえたんでしょ。俺に心当たりがあるもん。暗黒…… じゃなかった黒騎士が泥棒を捕まえてみせるもんね」
アニスは笑顔を皆に向けた。
「もう安心です。この方、黒騎士デル・アブリル様が解決してくださるわ」
ゴブリンたちがザニバルに向ける目の色が少し変わる。
漆黒の鎧に身を包んだ禍々しいザニバルに、ゴブリンたちは好意こそ向けないが期待はしてみることにしたようだった。
ゴニもほっとした顔だ。
ゴブリンたちからまた消え失せていく恐怖の匂いを、ザニバルは深々と吸い込む。
<ザニバル、せっかくの美味い恐怖をなんで消しちまうんだい! 勿体ないねえ>
<だってだって、マルメロが食べられなくなるの嫌だもん。それに、きっともっと凄い恐怖が待ってるよ>
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