恋とオークと小悪党と、さらわれた風呂屋
白蛇五十五
第1話 小悪党
聖シルヴァミスト帝国ケントラン州、アンバーセットの街。
主要街道の交差するこの地は、古くからの宿場町であり、また魔術の盛んな街としても栄えてきた。
人の集落を一歩出れば、
腕利きの冒険者と、その力を必要とする人々が、街には
よってアンバーセットには、貴族階級から富裕な商人・地主層、一攫千金を夢見て出稼ぎに来た辺境の労働者、それに前科持ちの流れ者まで、様々な種類の人間が去来する。
例えば今、冒険者達の集まる酒場、『跳ねる仔狐亭』の片隅にて、ほくほく顔で魚のグリルを頬張っている赤毛の青年は、エイダン・フォーリー。シルヴァミスト西端の離島イニシュカの、
「美味しそうに食べるわよねえ、エイダン」
カウンターの隣の席から、感心したような羨むような、複雑な表情で彼を眺めつつ、シェーナ・キッシンジャーはエールのカップを傾けた。彼女はつまみとして、チーズと数切れの塩漬け肉を、堅焼きパンと一緒にちまちまと食べている。
「うん、今日は『冒険者ギルド』の依頼で、届け物の仕事をしてきたけん。貯金が一定額以上になったら、魚を食べてもええ、っちゅうルールにしとるん」
上機嫌な西部訛りで、エイダンは答えた。
ダイエット中の淑女のようなマイルールだが、別にエイダンは、瘦せこけたいと願っている訳ではない。ちょっとした事情から、貯金に励まなければならない日々なのだ。
「……普段、ちゃんと食べてる?」
「食べとるよ。豆とかパンとか……あとキャベツと……キャベツとか」
「――これ、ちょっと食べる?」
ベテラン冒険者のシェーナは、世話焼きな性分で、新人のエイダンに仕事を紹介してくれたり、何かと助けてくれるのだが、あまり彼女に甘え過ぎる訳にもいかない。エイダンは、自分の皿をこちらに滑らせるシェーナに対して、慌てて手を振った。
「そんな、ええって、シェーナさん。ぶっ倒れるような無茶はせんけん。ほんまに」
「大丈夫かなあ。エイダン、お人好しなところがあるしさ。悪党ってのはね、弱ってる人や苦労人から、更に金や労力を巻き上げたりするもんなのよ。気をつけてね」
このアンバーセットは都会だから、善悪問わず、様々な人間がいる。用心した方が良い、とシェーナは説くのだった。
「そんなもんなん……?」
村の全員が大体顔見知り、というレベルの田舎から出てきたばかりのエイダンには、『見ず知らずの他人を利用する悪党』なる存在が、ピンと来ない。
首を傾げていると、突然、店の奥の席で、食器の割れるけたたましい音が上がった。
「ふざッけんな、テレンス! よくもこんな所に顔を出せたな!」
店内がざわつき、何人かの客が立ち上がる。『仔狐亭』の店主も、厨房で鍋をかき混ぜつつ、鋭く客席の異変に目を走らせた。
「
床に倒れ込んだ男が、陶器の破片を頭から払いながらも、何とか身を起こした。
皿か酒器で、頭を殴られたらしい。横髪の合間から、血が流れ落ちている。
「悪かったよ、あの時は……あんたに迷惑をかけた。でも、罪は償ったんだ。本当だよ、今の俺は真っ当にやってる」
男は両腕を広げ、切々と語ってみせた。
細身に
「驚いた。あれ、テレンス・ワットモアじゃない!」
声を潜めて、シェーナが呟くように言う。
「シェーナさんの知り合いなん?」
「直接の知り合いじゃないわ、幸いね。……何年か前に、この近辺の冒険者連中を騒がせた、まさに『小悪党』よ」
「小悪党……一体、何しんさったん?」
「剣も魔術も出来ないのに、上級冒険者のフリをして依頼を請け負って、冒険者パーティーに潜り込んだんだって。それで、装備調達用の前金や、旅の食料だけ貰って、逃げ出したの。そういう事を、あちこちの街で三、四回繰り返して、とうとうアンバーセットで捕まった」
「はぁ、そらやれん」
冒険詐欺とでも呼ぶべきか。エイダンは目を丸くした。
「話術が相当に巧みだったとかで、話題にはなったけど、被害額自体は小さかったらしいから……あの様子だと、立件出来る罪が少なくて、すぐ釈放されたのね、きっと」
「あの怒っとる人は、被害者さんじゃろうか」
「そうじゃないかな。冒険者っぽいし」
エイダンは、釈明を続けるテレンスの前で、仁王立ちする男に注目した。怒りに眉尻をつり上げ、背中に負った戦斧の柄へと、今にも手をかけそうだ。
止めた方が良いだろうか、とエイダンが考えた時、横合いからぬっと大柄な影が現れた。
『跳ねる仔狐亭』の店主である。
「何者だろうと、この店で揉め事は禁止だ。分かってんだろうな」
元は著名な冒険者らしいこの店主は、エイダンのような、世間知らずの余所者にも親切にしてくれるが、一方で、揉め事や店を荒らす行為にはとことん容赦がない。
『たとえ飢えたオークが店に乱入しようとも、彼は席につかせて酒と飯を食わせ、代金を支払わせるだろう』――との評判がある。
そんな店主に、順番に睨まれたテレンスと、怒れる男は、
「あ、ああ、承知してるぜ……」
男は戦斧を抜こうとしていた手を下げ、テレンスから距離を取る。
「それと、テレンス・ワットモア」
「な、なんだい?」
額から目元に落ちてきた血を拭って、テレンスが応じた。
「『冒険者ギルド』の世話役として言っておく……このギルドには、人に言えねえ過去を持ってる奴も多い。現役の指名手配犯でない限り、出自や前科は問わずに受け入れてる。お前はギルドを追放されたが、本当に罪を償ったってんなら、もう一度加入してもいい」
「……有り難いね」
「ただし、名前や身分を偽るのは禁止だ。やり直すなら、『テレンス・ワットモア』としてもう一度、信用を築き直せ。いいな」
そう言い聞かせると、店主は紙を一枚、テレンスのテーブルに置いて、厨房へと戻って行った。
あの紙は多分、ギルドへの登録申請書類だ。
テレンスは紙を前に
エイダンとシェーナも、自分の皿に向き直る。
少し冷めてしまった魚のグリルに、またかぶりつきながら、エイダンはテレンスの今後を思い、小声でシェーナに囁く。
「『小悪党』っちゅう事で評判が立ってしもうたなら、信用を築き直すんは、かなり大変じゃなぁかいね」
「でしょうね。……とはいえ、他の仕事に就くのも難しいだろうし。どこか遠い場所でやり直すって手もあるけど……帰る故郷も、頼れる先もないって人、多いから。冒険者ギルドには」
冒険者の仕事場は、基本的に
身寄りも行く当てもない人間が最後に頼れるのは、金である。
「ちょっとでもお金を貯めてから、他の街に引っ越すつもりじゃないかな、彼の場合は」
「
「まあ、言っちゃ悪いけど、自業自得よ。似たような状況でも、真面目に地道に稼いでる冒険者なんて、大勢いるもの。そういう冒険者達全体の評判を落とすような真似をすれば、当然嫌われるわ」
きっぱりと、シェーナは正論を吐いた。
彼女はそれなりの年月を、冒険者として過ごしている。様々な人間を見てきたのだろう。
なるほどなあ、と頷いて、エイダンはマグの中のミルクを飲み干した。
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