置き傘さん
前編
わたしは傘です。名前はまだありません。いえ、ずっと付けられないことでしょう。
でも強いていうのならわたしは「置き傘」さんです。
とある高校の玄関に、忘れられたように置かれた傘がわたしでした。持ち主の女子生徒は急な雨のためにわたしを置いています。
わたしは待っています。
青空が去るのを待っています。
暗雲を待っています。
1滴の水を待っています。
そして手にしてくれる彼女を わたしは待っているのです。
しかし、彼女もまた待っているのでした。憧れのあの人にわたしを差し出す日を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「待つことは耐えることなんだ」
とわたしは思います。
流れる時間のゆっくりさに耐えて、一瞬のチャンスに心躍らせる。
期待する「声をかけてくれないかな」
でもそれはただの妄想。
現実はあっさり通り過ぎる。
「どうせわたしなんか………」
なぜか傷つけられた気になってしまう。
そして、いつしか期待することが辛くなってくるのです。わたしたちはその辛さに耐えなければいけませんでした。
今日も下校時間にたくさんの生徒たちがわたしの前を通り過ぎていきます。
空は晴れていました。雨なんか降っていません。
でもわたしは期待してしまうのです。彼女がわたしを連れて帰ってくれないかと、胸をドキドキさせて。
しかし彼女は太陽を見上げてからわたしを一瞥しただけでした。
わたしは身をすぼめました。
それを幾度も繰り返して、いつしかわたしの心はくたびれてしまっていました。
彼女は彼を待っています。
私は彼女を待っています。
しかし、わたしを待っている人はいるのでしょうか?
きっといません。
だったら、わたしは何で〝この世界〟に置かれているのでしょうか?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日は土砂降りの雨でした。
朝は晴れていたのに急に降り始めたのです。
傘をささなければ、ずぶ濡れになってしまうほど降っていました。
生徒たちは諦めたり、バス亭へ駈け込んだり、親を呼んだりと忙しそうでした。
彼女もまた親から連絡が来ていました。
『迎えに行ってあげるから帰る準備ができたらいいなさい』
しかし彼女は返事も返さず、玄関でわたしを握りしめていました。
雨煙の中、赤い傘を両手に握りしめている姿は、何か意を決しているように見えたことでしょう。
土砂降りで彼女はわたしを差し出し「一緒に帰りませんか」と言う。大雨ですから相手は断らない。
よっぽど嫌われていないかぎりは。
そう考えているのがわたしにはそれこそ『手に取られる』ようにわかりました。
痛い!
と感じるほどわたしを握る手に力が込められ、わたしは彼が来たのを察しました。
彼は立ち止まり、彼女を、そしてわたしを見ました。
「帰らないのか?」
「…………」
彼女は答えることができませんでした。
あたまが真っ白になって、せっかく練習した言葉も、霧中に隠れてしまいました。
雨の音が残酷に、別れる秒数を数えているようでした。
「じゃあな」
彼は飛び出していきました。すぐにびしょ濡れになります。シャツが肩甲骨に引っ付いて、靴はすぐにどろだらけになりました。
彼女はショックを受けたようでした。
「お前と帰るより雨に濡れたほうがマシ」
そう言われたような気がしたのです。
彼女はしばらく小さな顔を手で覆っていました。
手の中では目の前の雨より多くの水が滴っているに違いません。
そして
涙を誤魔化すように彼女も雨の中へ出ていったのです。
わたしを置いて。
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