第3話 悪魔レラジェと野良犬のハナコ

※犬がかわいそうな目に遭う描写があります。苦手な方はご注意ください。


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あれから数日後、一馬にも海生にも制服が届き、無事に二学期がスタートした。

悪魔を宿す生徒たちの学校とはいえ、表向きはちゃんとした中高一貫校なので、力の御し方のカリキュラム以外にも普通の学校らしい授業もそれなりにある。今の時間はその『普通の授業』だ。

「あのすいません先生、校庭に犬入ってきてるんですけど」

「犬?…ああハナコちゃんね、放っておいても大丈夫ですよ」

校庭がよく見える理科室での授業中、一馬は柴犬ほどの大きさの犬が一匹校庭を嬉しそうに走り回るのを見つけた。

普通学校に犬が入ってきたとなればそれはもう一大イベントで、穏便に追い出したい教師陣と、教師に協力するふりをしてあわよくばモフろうとする生徒と、とにかく人間と遊びたい犬の三つ巴の平和な戦いが発生するものなのだが、度数が高いだろう眼鏡をかけた女理科教師は実に淡々とした様子だ。

「でも」

「とりあえず、今は授業に集中しましょう。おとといの積み残しもありますから…」

こうして平和な戦いの火ぶたは切って落とされることなく、理科の授業が終わり昼休みになった。

ハナコと呼ばれた犬はバスを洗車しようとしていた運転手を見つけ、嬉しそうに尻尾を振っていた。


「今日はこれからレッスンか?がんばれよー」

「ていうかまだいたんですねハナコちゃん…」

午後の授業も終わり、バイオリンのレッスンへ向かう一馬。編入初日に理事長が言っていた、「今までの習い事も続けられるようバックアップする」というのは本当だったようで、現にこうして放課後にバスを増発するよう手配することで足のサポートをしてくれている。相場という編入初日にも学校へ送ってくれた運転手がいつ休んでいるかはまあ気にはなるのだが。

「学校に何回も侵入するうちに食堂のおばちゃんズが餌付けしてて、生徒も職員もかわいがるようになって、今やすっかりアイドルだ。鼻のとこだけちょっと茶色いからハナコらしい」

相当人懐っこいのだろう、ハナコは初対面のはずの一馬にも嬉しそうに尻尾を振り、人間の笑顔にも似た表情を向ける。行ってくるよと話しかけてから相場とともにマイクロバスへ乗り込むと、ドアのそばまでやってくる。そして程なくして発車したバスが校門を出るまで追いかけていた。


人もまばらな校門前で、バスを追いかけるハナコの足が何度かもつれていたことに気づく者はいなかったが。



翌日の昼休みのこと。

「どしたーハナコ。どっか悪いのか?これお前大好きじゃん」

一馬と海生はハナコにビーフジャーキーを差し出しながら真剣に話しかける相場を見つけた。内容から察するにハナコの食欲が落ちているのだろう。昨日あれだけ元気だったのを見ているので、さすがに少し心配になった二人は相場のもとへ駆け寄っていく。

「転入生二人もやっぱり心配か?」

「そりゃ昨日あんなに元気なの見ちゃうと多少は」

「このジャーキーに飽きたのかと思ったんだけど、そんな感じでもなさそうなんだよなあ」

ハナコはジャーキーに顔は向けるものの、食べる気力まではないように見える。

「9月ですけどまだ暑いし、残暑でばてたんじゃないですか?」

「あーやっぱそうかな…なんなら10月まで半袖着てたりするもんな最近」

「学校の犬ってことにして、病院連れてった方が…」

一馬が自分の提案をいい終える前に、海生がそれを遮る。

「確かにその方が話は早いけど、犬って飼うのに登録いるし、理事長とかに相談しないで決めちゃっていいのかな…」

「野良猫はともかく野良犬診てくれるとこなかなかねえもんなあ…」

実際のところ海生の言う通りで、犬を飼う場合は役所に届け出をする必要があり、そういった公的手続きを踏む手前理事長の許可なしには勝手に色々決められない。それにあの態度のでかい猫のこともある。

――一馬個人としてはあのいけ好かない猫より人懐っこいハナコの方がよっぽどかわいくはあるが。

「とりあえず一晩俺の部屋のベランダで様子見とくわ。一階だし」

用務員のような立場でもある相場は、男子寮1階の角部屋をもらっている。そのベランダならさすがに校舎や寮内に上げるわけにいかない状況でも、様子を気にかけることはできるだろう。

「段ボール小屋になっちまって申し訳ないなあ。歩けそうか?」

相場の声にハナコは力なく一声鳴くと、おぼつかない足元であとをついていった。


午後からは一馬も海生もハナコの様子が気がかりなまま、上の空状態で授業を受け、放課後を迎えた。

様子を見に外に出ると、当の本犬は昼休み中以上に元気がなく、なけなしの体力を振り絞り相場の部屋のベランダから脱走したのか、外水道のそばでうずくまっていた。

遠目に見たら一瞬「まさか…」と思うくらいにはぐったりしている。

「理事長にも運転手さんにも悪いけど、やっぱこれから病院連れてこう」

「あっじゃあわたし何か載せられそうなもの持ってくる!」

一馬がそういうなり海生は走り出し、しばらくして猫車を押しながら戻ってきた。

「少し揺れるかもしれないけど病院までだからね、ごめんね」

海生がそう言いながらハナコを猫車に乗せようとすると、先ほどまでぐったりしていたのはどうしたやら、急に低い声で唸り始めた。

「…ウ、ウウ…」

そしてしっかりと立ち上がる。体に障るからと海生がハナコを猫車に寝かせようとするが、それすらも振り払うほど力強さに溢れていた。

「ちょっと急にどうしたの?ねえ?」

海生がハナコに話しかける間にもハナコの体の異変はどんどん進行する。

…心なしか体は黒く、サイズは大きくなっている気がするのは、きっと一馬の気のせいではないだろう。

「車田そいつから離れろ!」

「えっ!?」

『ガアアアアアアア!!!』

一馬が一人と一匹の間に割って入った瞬間にはもう、ハナコにもとの面影はなかった。

いるのはただ一匹の、トラかと思うくらいには巨大な犬の化け物だった。最近流行りで実際に一馬も読んだ異世界が舞台のファンタジー小説に、墓場で出くわすと近々死ぬことになるという犬の化け物が出てきたのだが、それに通ずる不気味さがある。

怒り狂うハナコだったものは、そのままの流れで今度は一馬に襲い掛かろうとする。

「うおっ!?」

間一髪、バイオリニストの命の両腕を守りながら身をかわす一馬。目が赤く光っているので、先日の理事長室襲撃のことを考えると下級の悪魔が憑依したのだと考えるのが自然だ。ほかの生き物に憑りつくことができるのは72柱以外の雑魚悪魔もそうなのだが、やはりそこは72柱との格の違いなのか、宿主にされた生き物はそれ以降知性の低い化け物同然になり、生命力を求めて他者を襲うようになるのだ。

現に今の一馬と海生はまさに化け物の獲物なのだが、間の悪いことにアムドゥシアスもブエルも戦闘向きの悪魔ではない。

つまり対処する手段がないのだ。

「うわあああああ!!」

花壇に忘れられた雑草取り用の鎌を持った海生は、完全にパニックになりながらそれを振り回してハナコだったものをけん制している。

いつまで持つか。そう思った矢先に「二人ともあたしの後ろまで来て!すぐ!ほら!」という声が聞こえてくる。

声がする方向を見ると、二人のよく知らないポニーテールの女生徒が立っていた。体育以外の授業で全く一緒になったことがないのを考えるに、おそらく先輩になるのだろう。

「いいからさっさとする!!」とその女生徒にどやされて、猛獣に背中を見せたうえで逃げるのはよくないという動物バラエティの知識を思い出しながら、一馬と海生はそのまま後ろ向きに女生徒のもとへ走っていく。

「二人はそのままここにいて。大方戦闘が得意じゃないんでしょ?あたしはその辺ばっちりだからさ」

それってどういう、と一馬が言い終わる前に、その女生徒はもう9月というのに初夏を感じさせる瑞々しい草木に守られるように包まれていた。

やがて女生徒を包み込んでいた草木がしぼむと、そこには弓を持ち緑の服を纏った悪魔の姿があった。背格好や顔立ちに先ほどの女生徒の面影はあるものの、やはり悪魔といったところか小さな角ととがった耳を新たに得ていた。

「…ロビンフッド?」

「いやロビンフッド男だし。そもそも悪魔じゃねえし」

「そうじゃないそうじゃないったら。あたしはレラジェ、狩人の悪魔」

海生の言うように女ロビンフッドと形容するのが一番分かりやすい狩人の悪魔は、姿勢を低くして唸るハナコだったものと対峙する。

「こっちの手を噛もうとした段階でもう猟犬にはなれない、狩るべき獣で敵なんだ。せめてさっくり終わらせるから」

とびかかる犬の化け物をさっとかわすとすかさずレラジェは矢を放つ。左前足に当たったことは当たったが、体勢が整わない中で放った矢は深くは刺さっていなかったのかすぐ抜けてしまう。

「ああ…」

もういろんな意味でだめかもしれないといった表情を浮かべる海生に、レラジェは「そんな顔しないで。あれでも効いてるから。まあ見てて」と語りかける。

ハナコだったものは身をかがめて矢が刺さった箇所を舐めている。悪魔の力で傷を手早く治すのが狙いだろう。しかしその矢傷は治るどころか舐めるほどに開いていき、黒い毛皮の上からでも分かるくらいの焦りを浮かべていた。

「矢傷を悪化させて治りを遅らせるのも、あたしの能力なんだ。それ!」

『ギャッ!!?』

かがんだままの犬の化け物に第二の矢が撃ち込まれる。今度はわき腹にクリーンヒットだ。

化け物はふらふらしながら立ち上がる。左前足の傷はこの短時間で膿が出るほどにまで悪化し、その上わき腹に刺さった第二の矢は抜けそうもない。

理事長の唱える呪文がないと7割ほどの力しか発揮できないというが、むしろ7割でこれか、と二人はだんだん恐ろしくなってきた。

「もう一丁!」

『ガッ!!』

今度は左目に深々と矢が突き刺さる。

化け物になってしまったとはいえ、学園のアイドルだった犬に寸分の躊躇も見せず矢を撃ち込む狩人の悪魔の姿は、見ているだけの二人を蝋人形のように硬直させるには十分すぎる恐怖感を放っていた。

「しぶとい奴だったよお前は。こんなことしなけりゃ最高のパートナーになれたかもね」

そういってレラジェが第四の矢を脳天めがけて打ち込んだ瞬間、化け物はその場に倒れこみハナコの姿に戻った。

仕事モードから自分を解き放ったレラジェが、「どんなもんよ!」とピースサインつきでやりきった顔を向けてくる。

宣言した通り本当にさっくり『狩り』を終わらせた余韻を、二人の「うわあ…」というハーモニーが彩った。




「…ここまでしたあたしが言うのもなんだけどさ、もうきっと助からないよ、ブエル。生命力が残ってない。暴れてたところに二度と治らない傷を治そうとしたので完全に使い切ったんだ」

「でもまだ息をしてるんです!」

息はあるものの、最後に倒れこんだ場所で横たわったまま動けないハナコを、海生は―――ブエルは必死に治療する。

しかし懸命な治療もむなしく、ハナコの呼吸はどんどん荒くなり、目を開けていられる時間が短くなってきていた。

「それにこの先こんなのと、雑魚悪魔にとりつかれたかわいそうな生き物とたくさんやりあうんだよ?あんたその度こうしてくつもり?」

「…ハナコは好きでこうなったんじゃないじゃないですか」

「そんなのみんなそうだ!あんまり言いたくないけどね、こうなったら最後狩るか狩られるかだ!殺すつもりで来てる相手に情けなんかかける暇と必要があるわけない!こうでもしなきゃこっちが獲物なんだ!」

「だって、」

「もうやめろよ車田!」

レラジェと言い争いになるブエルを一馬が止める。

「もうそろそろな気がするから、ちゃんと落ち着いてお別れしよう」

一馬がそういうが早いが、ハナコは三人を見上げ弱々しく鳴く。そして人間の笑顔にも似た表情を浮かべるとその後まもなく息を引き取った。




大好きだった花壇の近くにお墓を作ってやろうという一馬の提案に異論は出ず、ブエルとレラジェは変身を解きハナコの体をやさしく拭く。

「それどころじゃなくて紹介が遅れちゃったね。あたしは狩野翠。今年の6月にここに編入してきたんだ。ここに来る前は別の高校でアーチェリー部の部長してたの。あとそれから、さっききついこと言っちゃったのまず謝らせて?ごめんね」

海生はまだ少し機嫌が悪いのだろう、あまり真剣に謝罪に耳を傾けてはいないようだった。

「理事長に聞いたんだけど、レラジェってかなり攻撃的な悪魔だったんだって。だからちょっとこう、その…なんだろ……車の運転の時だけキャラ変わる人たまにいるでしょ?それといっしょ」

「そんなことが…」

「…」

今日の夢に出てきそうなほどに鮮烈な恐怖感を放っていた狩人の悪魔の姿は、どうやらいわゆる仕様らしい。

「でもこの先こんなのとたくさんやりあうのも、ああなったら最後なことも、ほんとのことだからさ、それだけはちゃんと覚えててほしいかな」

花壇近くの木陰に穴を掘り、ハナコを埋めてやりながら、翠は二人に語り掛ける。そこでようやく海生が「まあそれも…そうですよね…」と力なく返事をした。

「あとでもっとちゃんとした水入れと花持ってこよう」

「そうだね。今日はもう寮に戻ろうか。…一緒に帰ろう、女子寮まで」

「はい…」

海生を可能な限り気遣いながら女子寮に戻る翠の背中を見てから、一馬も男子寮へと戻った。


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ソロモン72柱 序列14番 レラジェ

30の悪霊軍団を率いる地獄の公爵。レラージュ、レライエ、レライハ、レライカ、レラユー、ロレイ、ロライ、オレイとも。

弓を持ち緑の服を着た狩人の姿で現れ、大規模な戦闘を引き起こす。また矢による傷の治りを遅らせ、その部位に壊疽をおこすこともできる。

C・ド=プランシーによれば弓だけでなく槍を使うこともできるとされる。

スポーツを愛しまたそのいろはを人間に教授してくれる悪魔としても知られ、大事な試合前に力を借りるとよい記録が出るといわれる。


狩野 翠(かのう みどり)

一馬や海生の1学年上。編入は今年の6月とまだ日は浅いもののしっかりと力を使いこなす。

編入前の高校では創部間もないアーチェリー部の部長で、五輪も狙えるのではとまことしやかにささやかれていた。

上記のレラジェが憑依しており、変身後は海生の言うとおりまさに女ロビンフッドだが、悪魔らしい角ととがった耳を持つ。また本来攻撃的な悪魔だったためか変身中は言動が攻撃的になる。

どうやら左利きらしい。

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