第24話*他人の不幸は蜜の味(4)

 それから日数を置くこともなく、オーレリアン・オンライン関係の掲示板に火種が投下された。


『ランカー・ヨミの妹とかいうやつ、マジサイテー』

 という見出しから始まる書き込みだ。

「魔女の友達から聞いた話だけど、ヨミの妹とか名乗ってる子と知り合って善意で渡してた薬をウソついて全部捨ててたらしい。薬のことを尋ねたら都合悪くなって逃げ出したんだって。

 好意で渡してたものを捨てて、その子傷つけるなんてナニサマなの。性格悪いわー」

「マジで?最悪じゃん。その妹って、どんなウソついてたの?」

「なんでも、薬瓶が勝手に割れたから飲めなかったんだってー。ありえねーwwww」

「はぁ?wwww小学生でももっとマシなウソつくだろwwww」

「ピンポでそんなバグ起こるわけねぇだろ。そいつ足りねぇんじゃねーの?」

「チョーシこいてんだって。ヨミがいりゃ怖いもんなしだし」

「さすが公式様の嫌がらせはえげつない。そんなクソプレイヤーをヨミにあてがうとか」

「ヨミがかわいそかわいそ」

「足手まとい乙」


 面白半分に次々とリプがついていき、次第に「その妹ってやつの画像ウプしろ」とか「特定班情報マダーーー?」と炎上の兆しを見せ始めた頃、リルこと千絵はこの事実に気づき慌ててスマホを取り、アヤにトークを持ちかける。

「アヤ、ヤバイよ。掲示板が炎上しかけてる。もしかして、あのルキナって人と何かあった?!」

 ルキナたちから逃亡してしまった一件からしばらく、通りすがりの獣人少年のアドバイスに従ってアヤは彼女たちと顔を合わせないようにログインをしてもマイルームに少し滞在する程度だった。

 スマホ片手に、アヤ…絢音は息をつく。

「…それわたしも見た。花奏がキレてて怖いことになってる」

 花奏の怒りの矛先は、魔女たち以上にヨミに向けられている。

 ヨミのファンを名乗るプレイヤーからアヤが嫌がらせを受けるであろうことは想定の範疇であり、また個人的に彼へヘイトを溜めているプレイヤーからしても、意趣返しにアヤを叩くことも想像できた。

 ルキナやその周辺の魔女たちが界隈で評判が良くないのならなおさら、アヤをトラブルから遠ざける必要があったのではないか。これはヨミの怠慢ではないのか。

 いまだ事態を放置しているヨミに対して花奏は腹を立てており、弟をなだめる方に苦労した。

「花奏くんが怒るのもわかるよ。この状態については、ちょっとヨミに不信感ある。しばらくログインしてないにしても、アヴァリスのクランか知り合いがヨミの耳に入れることは可能だと思うし手立ては取れるでしょ?」

「ヨミさんに責任はないよ。もらった薬が飲む前に割れて消えてたのは確かだし、結果的に逃亡しちゃったのも本当だし…ルキナさんを間接的にでも傷つけちゃった部分も否定できないかな。……でも、なんか理解できた」

「何を?」

「ネットで中傷される芸能人の気持ち」

 突然落とし穴に落ちてしまった気分だ。たまたま踏み抜いてしまうか、突き落とされるかの違いはあるにせよ。

「…ええー?今そこを理解しちゃう?…アヤは呑気だなぁ…」

 千絵はため息をつく。

「…うーん、でも懐疑的な書き込みもあるし、ヨミのファンの自作自演、炎上芸説をあげてる人もいるね。まあ実際自作自演だよ、ルキナ周辺の。友達の話ってことにしてるけど、これいつものやり方なんだろうし。…でもまだ冷静勢がいることに安心した。アヤがこんなことで傷つくのいやだから」

「うん。心配してくれてありとう、ちーちゃん」

「アヤ、平気そうだけど……腹立たないの?ルキナって人とか、こんな書き込みする奴らに」

 千絵の方が不満げな声をあげる。

「……もちろん、悲しいけど…仕方がないのかなって。ヨミさんのファンの人たちから見たら、わたしなんて努力もせず本当に運だけで知り合ってヨミさんに仲良くしてもらってるプレイヤーだもん。ぽっと出の素人が『お兄様』なんて呼んで馴れ馴れしくしてたら疎ましい気持ちにもなるよ」

 恋愛感情が絡めばなおさら。

 絢音は小さく息をつく。

「仏か!寛大すぎるよ、アヤ。それにお兄様呼びはヨミの指定でしょー。アヤの所為じゃないし。……ともかくこんな書き込みくらいでゲームやめないでね、アヤ」

「…うーん、今はまだやめないよ。……実は、ルキナさんからお茶会の招待状が届いてて」

 オーレリアン・オンラインには郵便システムがある。フレンド登録している者同士はリアルタイムチャットが可能だが、そうでない場合マイルームの住所を把握していれば、相手のポストに手紙(電子メール)を送ることができるのだ。

「はぁぁーー?!何それ?!此の期に及んでお茶会の誘いって!!……間違いなくアヤを吊るし上げて断罪する気満々でしょ!まさか行くつもりじゃないでしょうね?!」

「………えっと、行くつもり」

 気まずく告げると、「おばかー!」と叱られる。

「行かなきゃ行かないでそりゃぶっ叩く材料を与えちゃうだろうけど、絶対いい結果にならないよ!」

「うん、でもとりあえず今までのこととか、この前逃亡しちゃったこととか、全部あやまらないと。……紹介してもらった手前、ヨミさんにも顔向けできないし」

 八方塞がりなら、後ろめたさは残さずに終わらせたい。

「…えー…わたしもついていこうか?ひとりじゃ何されるか…」

「花奏も同じように言ってくれたけど、大丈夫だよ。何かあっても、わたしなりのけじめだから」

「…もぉ…アヤ、人が良すぎ…」

「そんなことない。ただの自己満足だよ」

「アヤ…」

 こっちが歯がゆくなるよぉ…と呟く千絵に絢音はなるべく明るく告げる。

「最悪退会することになっても、後悔したくないから。因縁のドラゴンをこの手で倒せなくなるのは残念だけどね!」

 そうなれば、ヨミとも縁が切れることになる。

 ガチャの偶然きまぐれとはいえ、兄妹となった彼から預かっている最強武器ブリュンヒルデも返さなければ。

 垂れ下がった細く脆い蜘蛛の糸をこちらから断ち切ることになるとは、思いもしなかったけれど。



 ※



 ああ、ようやく邪魔者を排除できる。

 どの面を下げてアヤがお茶会に参加するのか見ものである。

 ルキナはいつもの場所でお茶会の支度をしながらほくそ笑んでいた。

 ここのところワールドに顔を出していないアヤのために、お茶会の招待状を送っておいたが確認しただろうか。

 どちらでもいいわ、来ないなら来ないで噂は事実になるだけだし、二度とオーレリアンにログインしなければいいのだわ。

 ガチャによる偶然の幸運で『ヨミの妹』という立場を手に入れたプレイヤーをルキナが許せるはずもなかった。彼の実の妹であるならともかく、設定上などという公式のふざけた嫌がらせにルキナは怒りを覚えた。

 しかしルキナも当初は静観につとめた。ヨミは設定上の妹など相手にしないと考えていたからだ。彼は高嶺の花。孤高な彼は容易く下々と交流などしない。そう信じていたのに。

 現実は違った。

 ヨミはアヤと偽りの兄妹ごっこに興じていたのだった。

 楽しげなヨミとアヤの姿に、沸々と黒い感情が湧き上がる。

 なぜヨミはあんな取るに足らない女の相手をしているのか、なぜあの女は身に余る幸運を当然のように享受しているのか、なぜ彼の隣にいるのは自分ではないのか…なぜ、なぜ、なぜ…。

 ヨミに認知されるまでのルキナの努力を無にするようなアヤの驕りに憎しみをこえ、殺意すら芽生えた。

 ヨミ様は仕方がなくあの子の相手をしているだけ。そうに決まってる。

 本心ではとても迷惑しているはずだわ…あんな子の面倒を押し付けられて。

 そうよ。ヨミ様のために、わたくしがワールドから追い出してやるのだわ、あんな女。いつものように。

 ルキナはアヤと知り合うチャンスを狙い、他ならぬヨミのおかげで機会を得た。

 とりあえず欲しい情報を彼女から引き出そうと試みたが、ヨミのリアルについてアヤはまるで無頓着で何一つ得られない。ルキナは戸惑った。ヨミの私生活に興味を抱かないこの女は一体なんなのだと。

 きっと、本当は知っているくせに、ヨミ様の情報を独り占めしておきたいのだわ。なんて意地悪な子!

 彼の情報が得られないのであれば、アヤは本当に不要な存在だった。

 だから親切なふりをして試薬を渡した。あれは威嚇だ。

 見た目で毒が混じっていることを察せなくとも、飲めばわかる。わずかな量なのですぐに解毒すれば影響はない。アヤに毒を指摘されても、間違えたと言い張ればいいだけのことだ。

 まともな感性を持っていれば、試薬の真意を悟るはず。

 だが、その後のアヤはあっけらかんとしていつもお茶会に参加していた。試薬の影響など何も受けていないように。

 毒の量を増やしても変わらず、こちらの意図すら汲み取れていないアヤに試薬について尋ねると、薬瓶がひとりでに割れて、飲むに飲めなかったと言った。

 見え透いた嘘に苛立ちながらも反面、彼女が薬を捨てているという言質を取ったようなものだと気分をよくする。

 アヤが潔くワールドから去ってくれれば出すつもりはなかったが、最後の『とっておき』を彼女に差し出した。捨てることができない状況の中で。

 毒以外の要素を含んだ薬をアヤが飲みかけたとき、どこぞのプレイヤーのミスで煙幕弾が落ちてきて、気づけばアヤの姿は消えていた。ルキナは歓喜した。逃げ出したアヤに感謝したい気持ちにすらなった。

 あの子ったら、怖気づいて逃げたのね。自分から炎上ネタを作り出してくれたわ。付きまとってもなかなか叩くネタが上がらなかったけれど…やっと本性を現したわね。

 あとは掲示板に火種を投下し、仲間内で炎上を仕立て上げるだけの簡単な仕事だった。

「ルキナ様、あの子…お茶会にきますかしら?」

 仲間のひとりが上機嫌のルキナに話しかける。

「さぁ?でも弁解しに来なければ噂は本当のことになってしまいますわね。彼女にそんな度胸があるのか見ものですけれど…ふふ、今どんな気持ちか、お尋ねしたいですわね」

 顔を見合わせてクスクス笑う魔女たちのそばで、草を踏む音がする。

「…やあ、今日もお揃いで楽しそうだね」

 その声音にルキナははっと顔を上げる。

「何かいいことでもあったのかな…?」

 優雅に歩を進め微笑む美しい青年は、見間違えるわけもないヨミその人だ。

「ヨ、ヨミ様…!」

 ヨミの登場にルキナは一瞬たじろいだものの、慌てて駆け寄る。

「ごきげんよう、ヨミ様。しばらくお姿を隠していたようですけれど、お会いできて光栄ですわ」

「そうかい?それはありがとう。所用があってね、しばらくゲームから離れていたんだよ」

 にっこり微笑むヨミに、ルキナは頬を染める。

 ああ…ヨミ様の笑顔…素敵。この微笑みは『みんな』のものよ。あの子のものではないわ。

 悦に入りながらも、ルキナは問いかける。

「今日は…どうしてこちらに?…実は、アヤ様をお茶会に招待していますの。もうすぐ…アヤ様がいらっしゃるはずなのですけれど…」

 アヤがヨミの前で醜態を晒してくれるのが一番ありがたいが、そこまで高望みはすまい。

「…あぁ、ご婦人同士の交流の邪魔するほど僕は野暮ではないよ。用件が済めば、退散させてもらおう」

「ご用件が…?何か、薬をご所望で?」

「とりあえず、席につこうか。立ち話では落ち着かないだろうからね」

 柔らかい口調と微笑みだが、有無を言わせぬ雰囲気があり彼女たちは各々席につく。

 ヨミは本来アヤが座るべきところに腰掛け、ルキナに問いかける。

「僕が不在にしていた間…アヤさんとは仲良くしてもらえたのかな」

 ルキナや魔女たちは内心でギクリとしたが、それをおくびにも出さず微笑む。

「はいヨミ様。アヤ様に仲良くしていただきたくて、わたくしたち努力いたしましたわ」

 でも…と声音を翳らせる。

「…アヤ様はわたくしたちのことを疎ましく思っていらっしゃるご様子。わたくしがよかれと思って差し上げたお薬をどれも影で捨てていらしたようで…この間など、煙に紛れてわたくしたちの前から逃げてしまわれたのですわ」

 悲しむそぶりを見せ、同情を誘うようにヨミを見上げる。

 加害者はアヤで、被害者はルキナなのだと。

「…ヨミ様…わたくしたちアヤ様に嫌われているのでしょうか…?わたくしたちはただアヤ様と仲良くしたい一心ですのに」

『妹』の不出来を訴えられているヨミの表情に変化はない。ただ静かに、ルキナを見つめていた。

「…なるほど、それが君たちの言い分だね」

 ヨミは冷静な口調で続ける。

「とこころで、先ほど話に出ていたアヤさんに渡していたという薬とは、これのことかな」

 ヨミは中身が入ったままの薬瓶を取り出し、縁を指で摘み持つ。

 見覚えのある薬瓶と試薬の色彩にルキナは顔色を変える。

「そ…それは…」

 アヤに飲むように迫った『とっておき』の薬だった。

「どうしてそれを…。ま、まさかアヤ様が…ヨミ様に…?」

 今までのようにアヤは薬を捨てているものだと思っていた。よりにもよってその『とっておき』を残したままヨミの手に渡ることになるとは…。

 青ざめながらヨミの出方を見守っていると、彼は薄笑みを浮かべた。

「とあるプレイヤーが彼女から掠め取ったものだ。兄として僕が代弁しておくと、彼女は薬を廃棄していないし、自発的に逃亡もしていない。真実を述べているよ」

「ど…どうしてそれがわかりますの…?」

「僕にはいくつか『目』があってね」

 薄笑を浮かべたままルキナに視線を流した。

「せっかくなので成分を解析させてもらったよ。植物毒から毒虫まで…随分と頑張って抽出したね。大型モンスターでも悶絶する濃度だ。毒をプレイヤーに用いるのは違反行為だと君もよく理解しているはず。さて…一体どういう了見でこれをアヤさんに飲ませようとしたのかな。君の弁明を聞かせてもらうか。誤解があったのかもしれない。…あぁ、でも言葉選びは慎重にね。返答次第では、僕もそれ相応の対応を余儀なくされる」

「…………」

 ルキナは生きた心地がしなかった。

 どうすれば言い逃れできるかだけを考えている。

「…ま…間違えてしまったのですわ!わたくし…うっかり…そう、うっかり補助アイテムをアヤ様に渡してしまって…」

「では、この薬は手違いなだけで、以前彼女に渡した薬に毒は一切含まれていなかったと」

「は、はいっ、もちろんですわ。わたくしがアヤ様に毒など渡すわけがございませんから!」

「では、そういうことにしておこうか。証拠もないしね。…ただ、この薬についての弁明は終わっていないよ」

「…え?」

 ヨミはわずかに瞳を細める。

「…この薬…毒の中に別の意図が含まれているね」

 核心に迫るヨミの言葉に、ルキナは心臓が跳ね上がり、震えた。

「な…なんのことか…」

「おや、おかしなことだ。これは君がクラフトしたものだろう?それなのに心当たりがないとは不思議だね。……素直には言えないかい?毒より質の悪いコンピューターウィルスを仕込でいたとは」

「……っ…」

「僕の目は誤魔化せないよ。対象のゲーム保存データを破壊するばかりか、PCまで破損させる悪質なプログラムが組まれていた。このプログラム…一体どこで手に入れたのかな…?」

 ルキナの立場はどんどん悪くなっていく。…おかしい、今日この場にアヤを呼び出して嘲笑し、見下げる立場にあったのはルキナの方であったはず。

 断罪するはずが、最愛の人から詰問される側になっている。

「黙っていてもいいことはひとつもないよ。君は他者を追い落とすことにかけては熱心だが、この手のことには不慣れだろう?」

「え…」

「君は…いや君たちは今まで何人ものプレイヤーを退会に追い込んでいるね。掲示板やゲーム内の人脈を使い、搦め手で悪評を植えつける方法で。数は力だ…姑息ではあるけれど君たちのやり方は間違っていない。IPから正体を暴かれないようにするために、わざわざネットカフェを渡り歩いて掲示板に書き込んで……熱心なことだ。同じようにアヤさんの書き込みもしたね。でも気づいているかな…いくらIPで誤魔化してはみても、痕跡は残る。さらに街や店に設置された監視カメラが日常の全てをとらえていることを。まさか自宅のPCやタブレットも安全などとは…思ってはいないね?」

「………?!」

 ルキナたちはぎょっとし、言葉を失う。瞬きを忘れてヨミを凝視した。

 彼は一体『何者』なのか。

「ネットワークが通じているところなら、どこなりと追跡や侵入が可能なんだよ…壁が何枚あろうとも、僕にはね」

 彼は暗に告げている。お前たちの個人情報は丸裸になっていると。

 さて、とヨミはルキナを見やる。

「そろそろ教えてくれないかな。このウイルス…どこで手に入れた?」

 冷めた口調で問われ、ルキナは逃げ場を失い口を開いた。

「……よく…よくわかりませんの。…魔術師のローブをまとってはいましたけれど…顔まではよく見えなくて…。少し、おどおどした口調や態度の男でしたわ。ヨミの妹が憎らしいなら、これを使って排除すればいいと…押し付けるようにして去っていきました。…魔法使い界隈では、見ないプレイヤーでしたわ…」

「…嘘偽りはないかな」

 ルキナは機械的に頷き、震えながら続ける。

「その男をかばっても、わたくしに利益はございませんから」

「なるほど。君のその言葉を信じよう。…まぁ、指紋プログラムから大凡見当はついているのだけれどね」

 彼女たちは楽園を脅かす蛇になれるほどの器ではない。蛇にそそのかされ、知恵の実を食らう短慮なイブにはなれても。

 ヨミに牙を剥く蛇の想像はついていた。それこそ、はっきりと輪郭が描けるほどに。

「僕は以前から君たちを観察していたよ。短絡的な君たちがどこまで増長し、傲慢を肥大化させ、利己的で矮小になれるのか…数あるサンプルのひとつとして」

「…サ、サンプル…?」

「そうだよ。他に…一体何が必要だったと?」

 呆然とするルキナに、ヨミは微笑む。残酷に。

「僕はアヤさんと仲良くしてほしいと言ったね。…けれど君たちは僕の希望に反してアヤさんを陥れる方を選んだ。…嫉妬とは…美しくない感情だ」

「…ヨ、ヨミ様…あの子は…ヨミ様にはふさわしくありません!…わたくしたちは…ただ…ヨミ様のために…!」

「もう何も言わなくていい」

 かつて美しい仕事だと褒めてくれたその口で、ルキナたちを突き放す。

「ヨミ様!!」

「お別れに、君たちが敬愛するクローネに会わせてあげようか。…彼女も君たちに会いたがっているよ」

「…え?」

「漆黒の魔女『クローネ』召喚」

 ヨミがすっと指を伸ばすと、そこに黒いカラスが羽ばたきながら降りてくる。

 ヨミの指に止まった刹那、彼らが存在する空間は切り離され、真っ黒に塗りつぶされた世界にすり替わる。テーブルに置かれたキャンドルだけがなんとか空間を照らし出す。四方を覆う漆黒は、タールのような粘度の液体で出来ていた。

「……な…一体なにが…こ…ここは…」

「ようこそ、クローネのはらわたへ」

 ヨミは微笑んで続けた。

「…さぁクローネ、彼女たちを喰らうがいい。特殊召喚魔法『シャーデンフロイデ』」

 命令を下すやいなや、ぬちゃりと粘液を踏む音が耳の奥に絡みつき、そして無数の節足が行き交う不快な感覚が足元から届く。はっとして見やれば蛇蝎の類で溢れかえり、粘液はスライムのように体を這い上がってきていた。

 よく見れば、その粘液の先は老いた女の手そのもの。

「…ひっ…き、気持ち悪いぃ…!」

 ぞわりと鳥肌が立つ。

 嫌悪感に満ちた粘液を引き剥がそうとするが、容赦なく体を締め上げる。

 粘液はいよいよ彼女たちの顔を捉え、頬を百足が這いずった。

「気持ち悪いとは…クローネに失礼だろう?恥ずかしがり屋な彼女が君たちとは会ってもいいと教えてくれてね。この瞬間を楽しみにしていたんだよ」

 蠍を指の乗せ、ヨミだけが変わらず微笑みを浮かべている。

「いやぁ…こんなの…!」

 厚みを増していく粘液で呼吸すら怪しくなる。恐怖から半分パニックになりかけている彼女たちに追い打ちをかけるように、頬はこけ、目を血走らせた粘液塗れの醜女が背後から彼女たちを覗き込み、ニタりと笑った。首には蛇を、口には蠍を蠢かせ。

 冒涜的な世界の住人がそこにいた。彼女こそ、漆黒の魔女クローネだ。

「ひぃぃ…!!…ご…ごめんなさいヨミ様…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ…!」

 魔女たちはそれぞれ悲鳴や泣き言を口ににし、半狂乱となっていた。

「僕にあやまっても仕方がない。君たちが謝罪するべきは…退会に追い込まれたプレイヤーやアヤさんだからね」

 肩をすくめるヨミは指に乗せていた蠍を逃し、足を組み直して語る。

「愛するクローネの召喚技を体験できて、幸せだろう?…君たちは知っているかな。このゲームには目には見えていない善行と愚行とをはかるカルマがプレイヤーごとに数値化されていることを。クローネは術者以外の業を糧にしてレベルアップする特殊な精霊なんだ。つまり、君たちのようなプレイヤーが大好物というわけさ」

 反対に。

「礼儀正しく、高潔で、清らかな業を持つものを尊び、愛する。…そう、アヤさんがそれだ。彼女はとても稀な気質を持った人間なんだよ。クローネが好いているのは彼女だけ」

 矛盾したふたつの要素を天秤にかけるクローネに愛される者は少ない。なぜなら、世の中は業深き者で構成されているのだから。

「ゲームをやめるも続けるも当人の意思に任せるべきで、何者かが故意に外側へ追いやっていいものではない。だから僕は君たちに退会を迫ったりはしないよ。言うなれば、クローネは君たちへのはなむけだ。…これを機会にしっかりと自己を見つめ直すといい」

 その言葉を最後に、魔女たちは悲鳴と共にアバターごとぐちゃりと潰れ、漆黒の腑に飲み込まれて消えた。

「さよなら」

 ひとり残ったヨミが席を立つと漆黒の腑はカラスへ集約され、空間は正常を取り戻す。

 そうして何事もなかったように、彼は晴れ渡る空へカラスを放った。

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