第10話*お兄様といっしょ(3)

 小型モンスターを倒しながら森の奥まで進むと、巨体のクマが見えてくる。周辺をうろつきながら、あからさまに戦闘待ち状態だ。

「戦闘エリアに入ると赤いラインで範囲が表示されるからね。危ないと思ったらそこから出ればいいけれど、与えたダメージはノーカウントになってまたはじめから戦わなければならないから注意して」

「はい!」

 よしやるぞとアヤが意気込んだ時、ヨミの足取りが止まり、その背中にぶつかりそうになる。

「いけない、僕としたことが肝心なことを伝え忘れていた」

「?!…ど、どうしたんですか?」

 驚くアヤを振り返り、ヨミは真剣な顔をする。

「アヤさん」

「は、はい」

 彼は真顔で切り出す。

「これから僕のことは『お兄様』と呼んで欲しい」

「………………………え?」

 たっぷりと間を置いて聞き直す。

「僕のことは『お兄様』と呼んで欲しい」

 ヨミは律儀にもう一度言い直した。

 唐突な要求にアヤは瞬きを繰り返す。

「お、おにいさま、ですか?」

「うん。僕たちは特殊な環境下の関わりだ。君と僕との関係性を端的に示す言葉、それが『お兄様』だと思うんだ。誰が聞いても僕たちが兄妹だと認識できる。これはとても大事なことなんだよ。僕にとってアヤさんが特別であるように、アヤさんにとっても僕は特別でありたい。それら特別を集約し、さらに僕に仄かな優越感を与えてくれる至高の言葉、それがこそが『お兄様』。……アヤさん、呼んでくれるね…?」

 アヤの顔を覗き込み、優しく甘く懇願するヨミに、彼女は少し視線をそらす。

 異様に饒舌な上、もっともらしい理屈を捏ねてはいるが、これはただ単に…。

「つまりヨミさんが、個人的にお兄様と呼んで欲しいだけなんですよね?」

「平たく言えばそうなるね。お願いできるかな」

 にっこり微笑むヨミはは柔和なようで、存外押しが強いことに気づく。

「…でもあの、ここで今その話必要です?」

 ヨミさんの肩越しにエリアボスのクマさんがこちらをじっと見つめてるんですけど…待ってくれてるんですけど…。

 様子をうかがいながら、右往左往しているクマが可愛く見えてくる。

「何事もはじめが肝心だよ。僕たちの関係も然り」

 したり顔で頷くヨミにアヤは眉を寄せた。

 そうかな?

「呼びづらいのなら、練習してみようか。はい、『お兄様』」

 承諾していないのだが、もう呼ぶことになっている。

「え、お、おにい、さま」

「少しぎこちないかな。さぁもう一度、『お兄様』」

「おにーさま」

「もう一息、『お兄様』」

「お兄様」

「もう一度」

「お兄様っ」

「よくできました」

 満足気にヨミはうんうんと頷く。

「それで、ヨミお兄様っ、そろそろクマさんと戦ってもよろしいでしょうか?!」

「もちろんだよ、アヤさん。…ヨミお兄様…とてもいい響きだね」

 悦に入るヨミに、アヤはジト目を送る。

 兄妹設定を楽しんでるなぁ…この人。

「僕の要求に応えてくれた心優しい妹へのご褒美に、これを貸してあげよう」

 微笑みながら自身の武器ショートカットを開くと、一本の剣を取り出した。

 燃えるような真紅の剣身とそれに合わせた意匠の鞘と柄。散りばめられた宝石を間を埋め尽くすように彫金が効果的に施され、美しさと強さを体現する風情にアヤは圧倒される。

 一目で、それが強者の得物であることを察する。

「え、あの…」

「ほらアヤさん。行っておいで」

 アヤに剣を握らせると、ヨミはポンと彼女の背を押して、エリアボスである巨体クマとの戦闘エリアに向かわせる。

 弾みでしっかりと戦闘エリアに踏み込んでしまったアヤにクマは威嚇の咆哮を響かせた。

 縄張りを荒らす人間、許さない…!という怒りの雄叫びだ。

 アヤは持たされた剣から鞘を取り外し、構える。剣の種類は細身のロングソードで軽量だ。ガーネットを思わせる剣身には細かなルーン文字が刻まれている。ドラゴンスレイヤーは全く持ち上がらなかったが、この剣は初心者のアヤでも難なく取り扱える。

 だからヨミさんはこれを貸してくれたのかな?

 剣身から絶えず赤いきらめきが漂う。この輝きはどこかで見覚えがある。確か、はじめてヨミと出会った時に彼がドラゴンを退けるために用いていた剣のそれに似ているような…。

 記憶を浚っている暇はなかった。クマは立ち上がり、大きくなぎ払いの姿勢をとる。

 アヤはクマの動きに合わせて前方へローリングし、なぎ払いを回避すると、脇腹めがけて剣を振るう。

 強攻撃!

「えいっ!!」

 その瞬間、強い衝撃波と共に剣から炎が勢いよく吹き上がり、クマの巨体を凌駕する猛烈な炎の柱が戦闘エリアを突き抜けた。

「えっ、な、なに?!火?めちゃめちゃ火が吹いた…!」

 ぎょっとするアヤの前でクマは断末魔の雄叫びをあげて、その場にずしんと沈んだ。

 そして勝利のBGMと共に『Congratulation!(コングラチュレーション)』という文字が踊った。

 クマとの戦闘は、一瞬で片がついてしまったらしい。

 アヤは経験値とクエスト賞金を得た。…が。

「え、ええぇーーーーーー?」

 ど、どういうこと…?!

 衝撃波と共に火が吹いた剣と、倒れたクマとを交互にし、戦闘エリアぎりぎりのラインから見守っていたヨミを振り返る。

「エリアボス撃破、おめでとうアヤさん。ローリング回避のタイミングは完璧だったね」

 拍手をくれるヨミに詰め寄る。

「ど、どうなってるんですか?!クマさんを一撃で倒しちゃいましたよ?!オーバーキルしてましたよね?!」

「ああ、あのクマなら心配いらないよ。気絶しているだけだから」

「そういう問題じゃないですっ!この剣の所為ですよね!ヨミさんはともかく、わたしが一撃で倒せると思いませんから!」

 明らかに強者の得物ではあったが、初期配置のボスとはいえ一撃で沈めることなどあっていいのか。

「アヤさんとの相性はいいみたいだね。これからそれは君が持っているといい。僕がそばにいない間のお守りにもなる。心無いプレイヤーキラーの群れはもちろん、ランカー相手でも無双できるしね」

「はい?!」

 ランカー相手に、無双?!

「システム画面を開いてもらえばわかるけれど、その剣の銘は『ブリュンヒルデ』。僕が所有しているヴァルキリーシリーズのひとつ。戦乙女の長女にして頂、シンプルな見た目ではあるけれど、現時点ではオーレリアン・オンライン最強の剣だよ」

「………っ?!!」

 なん、ですって…?!!

 慌ててシステム画面を確認する。彼が説明した通り、入手困難度を示す星マークの尋常でない羅列と、目が飛び出るほどの桁数が記された攻撃力を併せ持つ超級レジェンダリー武器だった。この世界に13本しかない、ランカーやプレイヤーが血眼になって取り合っているトロフィー武器。ヴァルキリーシリーズ。

「実装後、ブリュンヒルデとたまたま運よく僕が一番に遭遇し、長時間に及ぶ戦闘の末勝利し得た剣なのだけどね、僕には強すぎて持て余していたんだ。だから、アヤさんが使ってくれると嬉しい」

 ヨミにとって強すぎる剣をアヤが所持するのは理屈としておかしくないか?

「いえ……だ、だめですよ!こんなチートすぎる剣、わたしのレベルにあってません!!」

「うまく扱えてたと思うよ。見事にクマを倒したしね」

「い、いえいえ、剣がすごかっただけですから!わたし振っただけですから!返しますっ、返させてください!こういうのはヨミさんのような人が持っていてこそ真価を発揮するんです!」

「うーん、でももうアヤさんに渡してしまったからね…。アヤさんがいらないのなら、そのあたりに突き刺しておくといい。誰か抜き取っていくだろうし」

「そんな雑な扱いしちゃだめな武器ですよね!」

「じゃあ、アヤさんが持っていてくれるね?」

「うっ…!」

 捨てるか所持かという究極の選択を迫られる。

 やっぱりヨミさん、ナチュラルに押しが強い。

 捨てるという非道な選択はできず、迷いに迷ってアヤは仕方がなく陥落した。

「……わ、わかりました。わたしが一旦お預かりしておきます。けど!わたしには使えませんからねこの剣…」

「ヴァルキリーシリーズは、レベル1のプレイヤーであろうと扱える親切さが特色なんだ。所有さえできれば、レベルに関係なく振るうことができる低コスト武器なんだよ。だから、アヤさんが持っていてもおかしくはないね」

「所有さえできればって…」

 ヨミほどのランカーとなってはじめて入手可能な武器であって、所有するための道のりと競争率、そして所有してからの抗争、筆舌に尽し難い艱難辛苦はそこに含まれていない話である。

「ブリュンヒルデとの戦いは本当にヒリヒリしたものだった。彼女の一撃はこの剣のごとく鋭く容赦がなくてね…」

「雲の上すぎて、わたしには想像もつかない話です…」

 アヤが手にしているブリュンヒルデにヨミは目を落とす。

「これから僕に対して気に入らないことがあれば、この剣で僕を刺すといい。さすがの僕も無事ではいられないけれど、アヤさんの攻撃は避けないと誓うよ。妹だけの特権だ」

「……世の妹は兄にそんな命がけのツッコミはしません」

 なんて厄介な天然属性。

 がっくり肩を落とすアヤは、今更ながらとんでもない人と縁を繋いでしまった思った。

 同時に、苦労して手に入れたはずの最強レジェンダリー武器を自分のようなまだ関わりの薄い低レベルプレイヤーにあっさり手放し、託してしまえる執着のなさにも戸惑う。

 彼はあくまでも、手に入れるまでの過程を楽しむプレイヤーなのかもしれないが…。

 だけどまるで、遥かな高みから相手を試しているみたい。これを渡すことによって、わたしがどう反応し、行動するのか…観察するかのような…。

 釈迦が天からカンダタへ落とした一本の蜘蛛の糸のように。

 釈迦はヨミさんで、カンダタはわたし。浅ましさを晒せば、その糸は切れる…。

 何故だか背中がひやりとする。考えすぎだと思いたい。

「と、ととととにかく、剣の処遇は今後の課題にします。でもいつなりとも返却しますからね?!」

「遠慮せず使っていいんだよ?」

「恐れ多すぎて無理です。…でも、もうとりあえず今回は、クマさんを倒したのでこれで落ちようと思います」

 さすがに色々ありすぎて、疲れてしまった。

「わかった。今日はこれで解散しようか」

「はい。今日はありがとうございました、ヨミさん」

「『お兄様』」

「あ、はい。お兄様」

 アヤは苦笑いしつつ、言い直すのだった。

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