第8話*お兄様といっしょ(1)

 アヤが思考停止している間に、義兄妹の契りは結ばれてしまったようだ。

 遜らせ、跪かせてしまった以上もう「え、嫌です」とは言えないし、そもそも拒否したところでアヤに危機あらばヨミは自動召喚されてしまうに違いない。ならば良好な関係を築いておいた方が建設的ではあるが、ヨミの利害はどうなのか。

 ヨミの解釈では公式がふたりをテストユーザーに選んだとのことだが、素人プレイヤーのアヤはともかく、トップランカーは足を引っ張る存在を不利益、不愉快、もしくは疎ましく思うものではないのだろうか。…ヨミはニコニコしているけれども。

「……本当に、いいんですか?ヨミさんの足手まといですよ、わたし…」

 想像していなかった公式の目論見に頭をくらくらさせながら確認すると、彼はアヤの手をそっとはなし、立ち上がる。

「アヤさん…その辺りの心配はいらないよ」

「え?」

 彼は元の席に腰掛けると、両ひじを机につき、顎の前で指を組む。

「…実はね」

「…は、はい」

 真剣なヨミの表情にアヤは思わず居住まいを正す。

「僕は、暇なんだ」

「………はい?」

 思わず聞き直してしまう。

「僕はとても暇を持て余しているんだよ、アヤさん」

 ヨミの眉間のシワがわずかに深まる。

「…………。…暇、ですか」

 深刻な表情と声音で何を言い出すかと思えば……想定外の告白にアヤは戸惑う。

「…そう、僕はこの世界で出来ることの大半をやりきってしまった人間なんだ。ああ、もちろん…ガチャでは排出されない装備…例えばこの世界に13本ある武器、ヴァルキリーシリーズを全て揃えるということはまだ達成していないのだけれど、すでに数本持っているのだから残りは他のプレイヤーのために残しておくべきだと友人に注意されてしまってね。それもそうかと納得して以来、オーレリアンで過ごす目標を見失ってしまっていたんだ」

「……はぁ…」

「そこに、今回のシステム実装で僕はアヤさんの兄になるという大役を得た」

「…た、大役…?」

「なるほど、これからは君を守りつつ、成長を見守る役割を与えられたのだと公式に感謝したくらいだよ。…だから、君は僕に負い目など感じる必要なんてひとつもないんだ。存分に、僕を使うといい」

 最後は微笑みで締めくくる。

 ゲーム内で暇とは矛盾を感じないでもないが……過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 何事も程度が大事ということなのだろうが、ヨミは冒険をし尽くしてしまったため、ゲーム内ですることがほとんどなくなってしまったのだ。

 これはトップランカーならではの悩みだったのだろう。アヤには遠く及ばない贅沢な苦悩。

「君はこれから、どこにでも行けるし、何者にもなれる。この世界での冒険がひらけたばかりのアヤさんが、逆に僕には羨ましく思うくらいだ。そしてその冒険の手助けができるなら、僕はとても嬉しい」

「…ヨミさん…」

 ヨミにとって、ドラゴンを含めてアヤとの一連の出来事はワクワクするクエストのようなものなのだろうか。

 自分でも単純だとは思うが、アヤはヨミに対して不愉快な印象は持っていない。アバターの奥にいる人物がなんであれ。

 ヨミさんが迷惑ではなく楽しいと感じているのなら……じゃあ、いいのかな?

 アヤはヨミとの関係を受け入れることにした。

「……えっと、不束者の『妹』ですが、これからよろしくお願いしますヨミさん」

 先のヨミの言葉を借りて頭を下げる。

「こちらこそ。早速IDを交換してくれるかな」

「はい、フレンド登録ですね」

 斯くしてふたりは無事フレンド交換を済ませた。

 アヤの数少ないフレンドに、生ける伝説トップランカーの名前が登録された。…違和感が半端ない。

 レベル等の情報が開示されていないのは、トップランカーなりの、引け目を感じさせないための配慮なのだろうか。

「今日、これからアヤさんは何をするつもりかな」

「本当は友達が別の街へ連れて行ってくれる予定だったんですけど」

「あぁ…ごめんよ。僕が邪魔してしまったね」

「いえ!それはいいんです。…なので、ジョブチェンジをしてレベルを上げつつ隣の街を目指そうかなと考えてました」

「先ほどもジョブチェンジがしたいと言っていたね。何の職業を目指しているのかな」

「実はわたし重装騎士にチェンジしようかと!」

 リルたちには披露し損ねたが。

「重装騎士に?何か理由が?」

「この前、ドラゴンに襲われて…正直、怖くてゲーム続ける気持ちが折れそうになっちゃったんですけど…数日間を置いてみて思い直したんです。これからドラゴンに襲われるなら、わたしがヨミさんのように、ドラゴンと戦えるようになればいいんだって。もしくは、ひとりでも逃げる隙くらい作れるようにならなきゃって」

 力強く語るアヤにヨミは目を見開き、そして頷く。

「アヤさんのその前向きさ、とてもいいね。それで重装備が可能な重装騎士に?」

「そうです。ちょっと調べたんですけど、ドラゴンに有効な『ドラゴンスレイヤー』という大剣があるみたいなので、扱えるようになりたいんです。やっぱりゲームといえば、大剣ですから!」

 現実では扱えないだけに、大剣への憧れは強い。

 重装備を得意とするのは重装騎士である。大剣を扱うにあたり主に、体力、筋力、頑強、技量を必要とする。パラメーターはここを中心にあげていく形だ。

「ドラゴンスレイヤーか…」

 ヨミは少し考えるそぶりを見せた後、アヤに顔を向けた。

「アヤさん、少しここで待っててくれるかな。すぐに戻るから」

「?どこかへ行くんですか?」

「一瞬、僕の拠点まで」

 微笑んで転送ゲートへ向かおうとするヨミの外套をとっさに掴む。

「ヨミさん!」

「はい?早速僕におねだりがあるのかな」

「??…ち、違います。その……着替えてきてもらってもいいですか。今のお洋服はとてもかっこいいんですけど、すごく目立ってるので…」

 集まる有象無象たちの視線が痛いのである。おねだりといえば、おねだりだろうか。

「あぁ、そうだね。アヤさんに合わせた方がいいね」

 微笑んだヨミはその言葉を残して颯爽と消えたが、本当にすぐに戻ってきた。始めて出会った時と同じ、平服姿で。

「僕も実はこちらの服装の方が好きなんだ。あれは自己主張が激しい気がしてね」

「平服姿のヨミさんもかっこいいです」

「僕の妹は褒め上手だね」

 交流スペースの食堂をあとにして城門を出るとヨミが尋ねる。

「アヤさんは、このあたりのエリアボスはもう倒したのかな」

「…いいえ、まだなんです。ジョブチェンジをしたら倒しに行こうかと思ってました」

「じゃあこれから一緒に行こうか」

「え、これから、ですか?」

「うん。その前にジョブチェンジしておこうか」

「あ、はい」

 アヤは言われるがまま、システム画面を開くとジョブチェンジの項目から重装騎士をセレクトする。

「いきます!」

 ボタンを押すと、『タタタターーン!』という効果音とともに、ジョブチェンジが完了する。外見上はなんら変化していないが、パラメーターの基本数値が変動する。

「はじめてのジョブチェンジおめでとう」

 ヨミが笑みを浮かべて拍手する。…拍手してもらうほどの出来事でもない気がするのだが。

「あ、ありがとうございます」

 会話している間にエリアボスの縄張りである森へたどり着く。

 クレメンティアのエリアボスは、森の番人と呼ばれている巨体のどう猛な熊である。ただ初心者エリアなだけあって、戦闘エリア外へ逃亡すれば追跡はしてこない。

「アヤさんいいかい、森の番人は基本的に正面からはなぎ払いと噛み付き、背面からは蹴り上げをする。攻撃判定の広いなぎ払いに注意して。体力が半分になったら突進を加えてくるけれど、ローリング回避を使えば軽く回避できるからね」

「防御高めの装備にした方がいいでしょうか」

「いや、防御を上げると装備の重さで自ずと行動と回避が遅れてしまう。その分、スタミナを消費してしまうから、今のままの軽装がいい。攻撃なんてものは、当たらなければ何の問題もないからね」

 涼やかな笑みを浮かべてアヤを諭す。

「…!」

 攻撃なんてものは、当たらなければ何の問題もないからね…当たらなければ何の問題もないからね…当たらなければ何の問題もないからね…。

 アヤの中で深くこだまする。

 ええ、まったくその通り。攻撃が当たらないのなら防御の概念は不必要ですよね。

 はい、名言いただきましたっ!

 強キャラ発言が嫌味でないのはランカーのヨミだから。アヤは所詮凡人プレイヤー。

「攻撃に当たったら回復薬ガブ飲みします!」

 ヨミは当たらないだろうが、アヤは当たる。きっと当たる。

「それでね、さっき拠点に戻った際に持ってきたんだ。アヤさんご所望のドラゴンスレイヤーを」

「えっ」

 ヨミが取り出した大剣は、まさに鉄塊であった。銘が示す通り、ドラゴンの首を叩き落とすためにあるような重厚感と威圧感は見るものを圧倒する。

 手本を示すがごとく、ヨミはその鉄塊を片手や両手で振り回し、無駄のない攻撃モーションを見せた。

「…す、すごいです。ネットで画像を見るのとは、比べ物にならない迫力ですね」

 こんな攻撃に一度でも当たったら、間違いなく今のアヤは叩き飛ばされて即死するだろう。

「そうだね。アヤさんもちょっと振ってごらん」

「いいですか」

「もちろん」

 快く頷くヨミは瞳を輝かせるアヤにドラゴンスレイヤーを手渡す。

 …その瞬間、鉄塊は安定を失い地面に落ち、危うくアヤは潰れそうになった。

 ………え?

 脳が混乱する。

 ヨミは軽々と扱っていたので、見た目ほどの重量はないのだとばかり思っていたのだが……おかしい。

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬぬぬーーーーっ!」

 アヤは柄を両手で持ち、振り上げようと渾身の力を注ぐ。しかしそのアヤをあざ笑うかのように鉄塊は地面から1ミリも動かない。

 粘ること数十秒……アヤは息をつくとそっと柄から手をはなし、近くにあった切り株に腰掛けて、がっくりとうな垂れた。

 …これは、ダメだ。完全なる敗北。

「…アヤさん?!どうしたんだい?」

 アヤの落ち込み具合に驚いたヨミが彼女を覗き込む。

 …どうしたも何も…。

「…ドラゴンスレイヤーが重すぎて、振るどころか全く持ち上がりません…っ!!ピクリともしませんっ!!」

 くっ、と苦く顔を歪める。

「ええ…?」

 アヤの訴えにヨミは転がっている鉄塊を片手で持ち上げると、「しまった」と呟く。

「ごめんよアヤさん。最終段階まで成長させてしまったから、重量がかなり増してるんだ。扱いづらくなってしまっていたね」

 鉄塊を片手で所持し、無尽蔵に振り回していたヨミとの差に、ほろ苦い気持ちになりながらアヤは遠い目をする。

「…それ以前の問題じゃないかと…」

 ジョブチェンジしたばかりのアヤでは身の丈に合わない得物。持ち上げることすらできない基礎身体パラメーター。

 圧倒的に筋力や頑強が足りていない証拠。

 ならば…ヨミのレベルや基礎身体パラメーターは一体どんなことになっているのか(…怖くて聞けない)。

 これが、トップランカーと素人にわかの歴然たる差。

 ヨミはたったひとりでドラゴンを撃退していたわけで、改めて生ける伝説の強さを思い知る。

「大丈夫。すぐに扱えるようになるよ」

 優しいヨミの言葉が今は切ない。

「…もっと精進します…」

 噛みしめるように呟いた。

 前途は多難。

 アヤのドラゴンスレイヤーへの道のりは、まだまだ遠く険しいようだ。

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