第7話*君に捧ぐミンネ

 確か、そう。

 リルの話では、ヨミはここから遠く離れた空中都市の飛空挺を拠点としていて、顔を合わせることは稀だと言っていなかったか。トップランカーがわざわざ初心者に会いに来ないと。そんな奇特な真似はしないとも。

 アヤは固まったまま、ヨミを見上げる。

 その奇特なトップランカーさん、いました此処に。

「……ヨ、ヨミさん、なぜここへ…」

「よかった。僕の名前を覚えてくれていたんだね」

 安堵の笑みを浮かべた後、ヨミは続けた。

「ほら、この前は説明する間もなく消えてしまったからね。フレンド交換もしていないから連絡が取れないし…ここに立っていれば、アヤさんに会えるんじゃないかと思って待ってたんだよ」

 しかし。

「でもなかなか会えなかったものだから、もう別の街に移動してしまったのかなと思い始めていたところだった。会えてよかったよ」

「…え?あの、いつから待ってくれてたんですか?」

「3日前から。この前出会った時間を中心にね」

「3日?!」

 3日。3日も。

 トップランカーを初心者の街で3日も棒立ちにさせていたことに恐縮し、アヤは青ざめて土下座する勢いで頭を下げた。

「す、すみません!わたし、あれからちょっと忙しくてログインできなかったもので!」

 特に宿題とバイトの疲れから、ログインは控えていた。

 その間、まさかヨミがアヤを探しに来てくれていたとは。

「僕が勝手にしていたことだから、あやまらないでほしい。リアルの予定を優先するのは当然のことだよ」

 気遣う言葉にアヤはほっとする。

 ヨミさんは大人だな…。見た目そのまま、王子様みたい。

 アヤの中でヨミへの好感度が上がる。

 そのヨミはアヤの横にいるリルに顔を向けた。

「アヤさんと話がしたいのだけれど…少し、彼女を借りてもいいかな」

 問われたリルは惚けたようにふたりのやりとりを見つめていたが、はっと我にかえり傍にいるケンタやマナと顔を見合わせ、3人はこくこくと何度も頷く。

「ど、どうぞどうぞ!!わたしたちに構わずごゆっくりと…!!じゃ、じゃあね、アヤ!わたしたちレイド戦に行ってくるから…!また今度一緒にあそぼ!!」

 3人は正面を向いたまま、飛び退る。怯えたエビの逃走のようだ。

 アヤを置き去りにした3人に「人でなしー!」と叫んでやりたいところだが、ヨミがいてはそれもできない。

 とはいえ3日もここで待たせていたことは申し訳と思っているので、アヤは観念してヨミの意思に従うことにする。

「あ、あの…とりあえず、場所を変えませんか?」

 先ほどから突き刺さっている有象無象の視線。同じ有象無象のアヤは居心地が悪くて仕方がない。ランカーのヨミからすると、有象無象は空気なのかもしれないのだが。

「ああ、これは失礼。そうだね、静かに話せるところへ移動しようか。やっと君に会えたから、僕も舞い上がってしまったかな」

 ヨミは自嘲するように軽く口元をおさえながら微苦笑を浮かべる。

 その仕草の美しさに、周囲のプレイヤーからどよめきが漏れた。

 アヤはときめくより前に再び青ざめる。

 こ、これはまずい。ここは有象無象の初心者の街。みんなヨミさんのような美形への耐性を持ってないわ!

 ヨミさんの美麗なアバターと立ち姿、玲瓏な声、それに相応しい王子様キャラに心を鷲掴みにされちゃう人が続出しちゃうんじゃ…?!

「ヨミさん!…は、早く、早く交流スペースへ行きましょう!」

 プレイヤー同士が休憩を兼ねて交流できる食堂を指差す。

「ふふ、せっかちさんだね」

 後ろを何度も振り返りながら小走りになるアヤと、優雅な歩調のヨミは連れ立って食堂へと向かった。

 だからといって、交流スペースである食堂に他のプレイヤーがいないわけもないのだが、城門の前にいるよりは随分とマシだった。

 窓際のテーブル席へ向かうと、ヨミはスマートにアヤを座らせた。…紳士である。

 彼が着席すると、まずアヤは礼を述べる。

「この前は、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」

「お礼ならこの前に言ってもらったよ」

「でも、ヨミさんがいなかったら、経験値を失ってしまうところでしたから。そうならなかったのは、やっぱりヨミさんのおかげです」

「なるほど、アヤさんは義理堅い子なんだね」

 微笑むヨミに、アヤは戸惑う。

 否定しないな、この人。

 アヤは安直に否定から入る人間が苦手だ。だが、ヨミは違うらしい。

 些細なことであっても、常に物事を肯定的に捉えている。

 アヤはネットゲームには疎く、失礼ながらトップランカーは一様に、マウンティングばかりする怖い人たちなのでは…という先入観を持っていた。だが、ヨミは常に柔和な対応をしてくれる。これが、強者の余裕というものか。

「自己紹介がまだだったね。改めて、僕の名前はヨミ。オーレリアン・オンラインではいわゆる初期勢のひとりで、ジョブは一通り極めてしまったから、この際ただのいち住民ということにしておこうか」

 今、さらりととんでもないことを言っていたような…。

「ヨミさんはトップランカーで、ギルドのギルドマスターだって、友達に教えてもらいました。あと…色々と伝説的なお話も聞きました」

 本人目の前にして、『死神』の二つ名は口にしなかった。

「ああ…そうか、じゃあ僕のことはそれなりに知ってくれていたんだね。でも伝説的だなんて、そんな立派な逸話は持っていないよ。噂に尾ひれはつきものということかな。……だとしても、ずるいな」

 ヨミは苦笑する。

「何がですか?」

「アヤさんは僕を知っているのに、僕はアヤさんのことは名前以外、何も知らないのだから」

「………」

 それ、全然ずるくないと思います…。ただ単に、生ける伝説と言われてるヨミさんが有名人なだけです(わたしは初心者すぎて知らなかったけど)。

 ツッコミを入れたい気持ちをぐっとこらえてアヤは自己紹介を始めた。

「えっと、わたしのゲームの名前はアヤです。友達に誘われてこの夏休みからゲームを始めたばかりで、レベルは今21です。そろそろジョブチェンジをしたいと思ってます。………………以上です」

 清々しいほど毒にも薬にもならない情報だが、彼は笑みを浮かべた。

「自己紹介してくれてありがとう。夏休み、ということはアヤさんは…学生かな」

「はいそうです。……ヨミさんは…」

「僕も本業は学生だよ、一応ね」

 聞いてもよいものか迷ったが、ヨミはあっさり答えてくれる。

 本業は、とはどういう意味だろうか。

 しかしヨミも学生だというのなら、ケンタ曰くの『100キロ超えのおっさん』ではない可能性が高い(ただし100キロ超えの可能性は微レ存)。

 まあ、彼が本当のことを話しているとは限らないが。

「この前は簡易な平服姿でごめんね。正式に君に会いにいくにはどんな服装がいいかと友人に相談したら、ギルドの隊服でいいんじゃないかとアドバイスをくれてね。でも、これでよかったかどうか…」

 軍服を模したスタイルだ。どちらかといえば軽装の類に入るのではないだろうか。

 光沢のある白い制服は金の刺繍と赤い縁取りで飾られており、左肩に羽織った黒い外套はベルベット素材で弓と矢が象徴的に大きく刺繍されている。その下には『A』と記されており、彼がギルドのエースナンバーであることが見て取れた。

「すごくカッコいいです。眩しいくらいです」

 平服姿のヨミも充分男前イケメンであったし、あれはあれで素敵だと思う。が、今のヨミは少々(?)本気を出してきただけあって、眩しさに磨きがかかっていた。

「そうかな、よかった。アヤさんは褒め上手だね」

 微笑みにもキラキラしたエフェクトが入る勢いである。

「…それで、本題なのだけれどアヤさん。僕が会いに来た理由を話してもいいかな」

「はい、もちろんです!」

「ありがとう」

 頷くアヤにヨミは微笑み、彼女に右手の甲を見せる。

「これなのだけどね」

「?」

 彼の人差し指に指輪がおさまっている。金の台座に青緑色の石の美しい指輪だ。

 そのデザインには見覚えがあった。

 …そう、アヤが所持するレジェンドアイテム『オーレリアンの襟飾りブローチ』によく似ていた。

「…あ!…それ…!」

「僕のは指輪だけれど、この前君が身につけていたブローチとよく似ているだろう?」

「…はい。ヨミさんもそのシリーズのアクセサリーを引き当ててたんですね」

「いや、僕の場合は公式から選ばれてね」

「?」

 選ばれた?

「この前のドラゴン…モルス・ヴァーミリオンと僕の召喚は顔見せイベントだと言ったことは覚えているかな」

「はい」

「あの時のドラゴンは本当にただの顔見せで、真の目的は君と僕だったと思ってる。公式の強権…強制イベントを発動させれば僕と君を出会わせることが可能になるからね」

「……そこなんです、不思議なのは。ドラゴンもそうなんですけど、どうしてヨミさんが召喚されたのか…そこがわからなくて」

 ブローチが影響して、強制イベントが発動したよりも、謎はヨミというランカーが召喚されたことである。

「あぁ、それはね。この世界で僕が君の兄になったからだよ。妹の危機に駆けつける兄役を任されたんだ」

 微笑むヨミに、アヤはきょとんとする。

「え?」

 ピンチに駆けつける兄役?なんですか、それは…。

「君がブローチを引き当てた瞬間に、公式がランカーの中からランダムで抽出した僕を君の『兄』に任命したんだ。この指輪は君の兄の証。この世界で、僕たちは兄妹になったんだよ」

 朗らかに微笑むヨミの美しい表情を見つめたまま、内容を理解するまで数分を要し、そして。

「えぇぇぇーーーー?!!」

 思わず声を上げる。

「兄妹?!わたしとヨミさんが?一体、何の冗談ですか?!」

 寝耳に水もいいところ。

「冗談ではなく。公式が定めたシステムだからね、こればかりは抗いようもない」

 な、なんでぇーーーー?!!公式さん、なんでそんな設定作ってしまったの?!!

 ちょっと何を言っているのかわかりませんが?!!

「結婚システムは以前から実装されているけれど、きょうだいのシステムは実装されていないからね。新規システム実装に向けて、これはそのテストかもしれない」

「テスト?!わたしとヨミさんがテストユーザーで兄妹に選ばれたと?!」

「そのように僕は解釈しているよ」

 ヨミは落ち着き払っているが、アヤは半分パニックである。

「捨ててください、その指輪、今すぐ!意味不明すぎます!!」

 たとえテストだったとしても公式からろくに説明もなされていない時点で、悪意すら感じる。

「いやいや、これは売却も譲渡も破棄もできないんだよ。そもそも指から外せないしね。アヤさんのブローチも同じなんじゃないかな」

 ブローチはその特性上、脱着は可能だが、売却や譲渡、破棄等は不可能になっている。

「…っ!…そ、そうでした!……で、でもそれじゃヨミさんにご迷惑を…!」

「僕は迷惑だなんて思っていないよ。むしろアヤさんのような妹ができるだなんて大歓迎だ」

「…だ、大歓迎…?」

「うん。それに、きっと僕の方がアヤさんに迷惑をかけてしまうと思うからきちんと君に挨拶をしておきたくてね」

「はい?」

 ヨミは立ち上がり、アヤの横に跪くと貴婦人にミンネを捧げる騎士のように彼女の手を取る。

「不束者の兄ですが、君の傍に置いて欲しい。僕は君のよき兄であることを誓うよ。これからよろしくね、アヤさん」

 義兄妹の契りというより、これではまるで求婚儀式プロポーズ

 玲瓏な声音で畳み掛け、彼は唖然とするアヤに美しく微笑んだ。

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