第3話*強制イベント『モルス・ヴァーミリオン襲来』、発動
夏休みという時間にゆとりのある日常と、千絵ことリルのおかげでオーレリアン・オンラインで過ごす時間は有意義なものになっていた。リルとそのオンライン仲間の協力もあり2日目にはレベル15まで育っていた。
アイテムはフレンド内で譲渡が可能なため(件の特殊アイテム以外)、彼女にアイテムを分けてくれたことも大きい。
「アヤ、結構慣れてきたわね」
ここはクレメンティアの城壁外に広がる森。
リルのオンライン仲間で、成人女性エルフのアバター姿のマナが木陰で休憩している間に話しかけてくれる。
「みんなのおかげで不自由なく遊べてるよ。今はMMOがそんなに怖くないかも」
「はじめてみるまでは怖い気持ちはわかるわ。お互いが何者かわからないまま社会が形成されているんだもの。でも気をつけてね、危ないやつも多いから」
「危ないやつ?」
「そうそう、クレメンティア周辺では公式の監視があるから安全だけど、場所によってはかなり治安が悪いから。プレイヤーキラーも普通にいるからさ」
「プ、プレイヤーキラー?」
男性ドワーフの姿をしたケンタが続けて説明してくれる。
「このゲーム、フレンドリーファイアの概念があるから、それを利用してプレイヤーを故意に攻撃して行動不能にしてくるやつらがいるんだ。アイテムや金を奪うのが目的だったり、弱いやつを痛めつけるだけが目的だったり、逆に強いプレイヤーを討ち取りたい名誉欲の塊のやつだったり……まあいろいろだよ。街によっては自警団もあるから困ったらそいつらに守ってもらうのもありだけど、タイミングよく出会えるってわけじゃないしな」
「……怖い。いきなり襲ってくるの?」
回復アイテムのひとつ(お菓子の形をしている)を口に放り込みながらリルが答えた。
「大概は唐突に襲ってくるよ。リスポン地点で待ち構えてたり。公式が悪質、とみなしたらそいつはアバター頭上にマークがついてる。絶対に消せないようにされてるからすぐにわかるよ」
まあ、そのマークを自慢にしてるやつもいるんだけど、と付け足した。
「とりあえず、わたしたちと行動してる間は心配ないよ。でも今後ひとりで行動するときは注意してね」
「わかった」
「そろそろ街に戻ろっか。アヤ、リアルでちょっと休憩したら他の街にちょっと行ってみる?」
「初心者でも他の街にいけるの?」
「もちろん。せっかくだもんね、案内できるところには連れていってあげたいし」
「俺とマナは街で一旦解散するよ」
「了解。じゃあ街に戻ろう」
リルが促して森を出る。
ところで、とリルが口を開く。
「アレどうなった?」
「あれって?」
「ほら、例の襟飾り」
「あぁ…」
言われて思い出す。アイテム欄の隅に存在している、オーレリアンの襟飾り。
「特にどうもしてないよ。謎の召喚も起こりそうにないし」
「何の話?」
マナが不思議そうにふたりの会話に加わる。
「うーん、あのね…」
リルがちらりとアヤを見る。伝えてもいいか確認するように。アヤは特に問題なさそうだと判断をして構わないと頷いた。
「実は、アヤってば、ビギナーズラックでLSSRアイテムを引き当てちゃったの、初回ガチャで」
「へぇ、すげーじゃん。どんなやつ?」
ケンタもLSSRと聞いて興味を引いたのか加わってくる。
「えっと…これなんだけど…」
システム画面を開いて襟飾りを装備して見せる。
「オーレリアンの襟飾りっていうの」
大きな蝶光石が輝く襟飾りに一同の視線が集中する。
「豪華なブローチね。高額売買されるアイテムだろうけど…はじめて見たわ」
「今夏実装アイテムだって公式がホームページでお知らせ出してる。ちなみにそのアイテム、廃棄も譲渡も剥奪も出来ないんだって。しかも二つと同じものがないアクセサリーだとかで、実質、引き当てたアヤ専用アイテム扱いになってるみたい。すごくない?」
リルが説明すると、彼らは顔を見合わせて怪訝にする。
「本当に?超級レジェンド武器のヴァルキリーシリーズでも売買や譲渡が許されてるのに?」
マナが瞬きを繰り返す。
「そうなの、アイテムの説明に書かれてて…」
アヤが頷く。
「そんな特殊アイテムがあるなんて知らなかったよ。…それで、一体どんなすごい効果があるアイテムなんだ?」
ケンタが腕を組んで尋ねる。
「……それが、よくわからなくて。特殊召喚が可能って書いてあるんだけど、何のことだか…」
「特殊召喚?召喚獣か?」
「具体的には何も書かれてないんだって」
とリルが肩をすくめた。
「…LSSRの価値が全然わからないアイテムって…」
ケンタが気後れしたように呟いた。
「まあ、そのうち価値がわかるかもだし…」
とアヤが半笑いで返した時だった。
マナが異変に気付く。
「…ねぇ、そのブローチって色が変わったりするの?」
「え?どうして?」
「…さっきまで青だったり緑だったりしてたけど……今は、真っ赤よ」
「………ええっ?!」
アヤが確認しようと顔を下に向けて覗き込むが、襟飾りは見えない。
「うわ。ほんとだ。石が真っ赤になってる。なんで?!」
かわりにリルが覗き込む。
「なんでって、わたしにわかるわけが…」
慌てて装備から外そうとするのだが、どういうわけか『装備から外せません』とエラーの文字が踊る。何度試しても駄目だった。
「は、外せない!」
「まさか、バグか?」
「新規実装アイテムならありえるかもしれないわね」
ケンタとマナが戸惑いを口にする。
だが、異変はそれだけに留まらなかった。どこか遠方から、得体の知れない鳴き声が聞こえてくるのだ。それは喚き声であったり、叫び声のようであった。モンスターの咆哮に近い。
「……何?」
リルが警戒しながら周囲を見渡す。
「嫌な予感がするな」
とケンタ。
「……声は、空からしてるわよ」
「…まさか」
リルが険しい表情で目をこらす。と、逆光の中に影を見出す。
「あれ!」
指差したその先に、尋常でない早さでその『影』は彼らに向かって一直線に飛び込んできた。
森の小さな獣たちとは比較にならない、存在感と殺意に満ちたその影は……厳しい真紅のドラゴンであった。このオーレリアンの世界でも数が限られている高次元の生き物である。
着地の衝撃で地面が揺れる。彼らは体勢を崩しながらドラゴンを見上げた。
「ドラゴン?!う、嘘ぉ?!」
まさかのドラゴン登場にリルは耳と尻尾をピンと逆立てて驚愕する。
「どうしてドラゴンがここに?!クレメンティア近くに出てくるはずないのに!」
マナが手にしている杖を構える。
「ダメだ、戦うな!見た目からしてヤバイ!野良ドラゴンじゃない、ネームドだ!」
ケンタが慌てて注意をすると彼らは顔を見合わせ、次にリルがアヤを見て言った。
「街に逃げるよ!走って!!」
その言葉を合図に4人はドラゴンに背を向けてクレメンティアの街に向けて走り出す。
「アヤ、あいつの攻撃に当たったら間違いなく即死する!だからやばそうだったら回復アイテム使い続けて!」
「わ、わかった!」
「防御力と素早さを上げるわ!」
マナが走りながらも素早く魔法を唱えてバフをかける。
すると走る速度が上がった。
しかし、逃がさないとばかりにドラゴンは地面から離れて飛び上がると容赦のない炎を吐き出してくる。
「避けて避けて!」
全員が炎の射線上から避けるように散らばる。
アヤは肩越しに振り返ってドラゴンの位置を確認すると、凶悪な真紅のドラゴンと目があった気がした。否、ドラゴンはアヤしか見ていなかった。
勘違いだと思い込もうとするが、アヤが逃げる方向にドラゴンもついてくるではないか。
「……な、なんでわたしを見てるの?!」
青ざめながら蛇行して走る。
「わたしザコなのに!!ドラゴンに狙われるような強キャラじゃないのに!!」
自棄になって喚く。
「アヤ、いいから走って!街までは追いかけてこないよ!」
「わかってる、わかってるんだけど…!」
如何せん、低レベルが影響していた。どんなに強化をしてもらっても、自らのスタミナ数値の低さがダッシュ時間に限界を与えていた。彼らほど長くダッシュ出来ない。が、通常の小走りではドラゴンに追いつかれて噛みつかれるか、薙ぎ払われるか、火をを吹かれるか……とにかく痛々しくて悲惨な結末が待つのみである。
みるみるうちにドラゴンの影がアヤに迫る。
「死ぬ…死んじゃう…!無理ゲーだよぉ!!」
初心者にこんな仕打ち、ひどい!!
とリアルな絢音が理不尽な展開に泣きそうになる。
スタミナの限界を迎え、バテ始める。もう本当に無理だ、ごめんなさい、死亡します。
「アヤ!!」
リルが叫び、ドラゴンの牙がアヤを捉えるかという、その瞬間。
アヤの襟飾りの蝶光石が光を放つ。まるで大量の蝶が飛び立つように。
「な、なに…?!」
蝶たちは魔法陣を描き、アヤとドラゴンの間に光の柱が立つ。
あまりの光源にアヤばかりではなく、襲いかかろうとしていたドラゴンも目が眩み、動揺の叫び声をあげて翼を羽ばたかせた。
眩しい…!前が見えない!…もう、やだ!一体何が起こってるの?!
ドラゴン、魔法陣、光の柱。
元々の知識がない上に、唐突な展開に全く理解が追いつかない。
そして光の柱が消えた後、そこに現れたのは…。
平服姿の、一切武装していないヒト族アバターの青年だった。細身の背中と銀髪が最初に目に入った。
「…えーっと…これは、どういう状況かな…」
少々戸惑った様子で体勢を立て直すために旋回をはじめたドラゴンに目をやり、次に背後で呆然としているアヤを振り返った。
緻密(ちみつ)に整った顔をした青年の瞳は深い青をしていた。そして視線が襟元に移される。
「あ、あの…」
呼びかけようとした時、素早く立て直したドラゴンが青年とアヤにめがけて炎を吐き出す。
あ、死んだ。と頭が真っ白になったアヤを青年が背にかばいながら「炎防御展開」とつぶやき、炎に手をかざす。すると見えない壁が炎を妨げ、熱すら感じない。
「…あ、熱く、ない」
「それはよかった」
青年は呑気に微笑んだ。
「あのドラゴンに狙われているのかい?」
「そ、そうみたいです。理由はよくわからないんですけど…」
「…そうか。じゃあとりあえず追い払うとしよう」
話はそれからだ。
アヤに薄っすら笑みを浮かべると、ドラゴンに向き直る。そして強い意志を持った言葉を放つ。
「イフリート、召喚」
彼の傍に魔法陣が展開され、屈強な精霊が現れる。
『呼んだか主』
炎をまとったそれを見ることなく、命じる。
「この子と周囲を守れ」
『承った』
「…あのドラゴン、見ないタイプだな…新規実装かな。おそらくネームド、接触してみれば名前もわかるか」
右手を軽く横に振る。その動線に武器が現れる。ショートカットで作られている装備群だ。その位置を確かめることもなくひとつを取り上げると同時にショートカットは消える。
手にした剣は白光し、淡い輝きが漏れ出している。…すぐにそれが冷気だと気づく。見事な装飾が施されているそれは芸術品に近い。
いや、それよりも。
あのドラゴンと戦うつもりなのだろうか。平服姿の軽装で。武器こそ凄そうだが、無謀なのでは…。
召喚された精霊と彼とを交互にしながらただただ戸惑っていると、青年は駆け出した。
「さて、僕の『エイル』とお前と、どちらが強いのかな。飛んでないで降りて来い」
ためらいなく手にしていた剣をドラゴンに向け投げつける。その鋭い刃はドラゴンの硬い表皮に突き刺さる。痛みと驚きでドラゴンは大きく喚き、体勢を崩して地上に落下した。
「戻れエイル」
命じると突き刺さった剣は持ち主の元へと瞬間移動し、青年は素早く駆け寄る。しかしドラゴンもさせまいと炎を吐いて接近を阻もうとするが、青年は足を止めない。炎の息の中を構わず飛び込んでいく。
「悪いね、僕単体に炎は無効なんだよ。その牙や爪を使うべきだったかな。…まあ、叩き折ってやるけどね」
青年は手にした剣でドラゴンの首を正面から切りつけて、飛び退る。
接触したことによって、ドラゴンの情報を得る。
「……体力バーはあるのに具体的数値がない。ということは今は討伐できないタイプか。…それに、」
ちらりとイフリートの背後に守られている少女のアバターに視線を移す。
このドラゴン、名を『モルス・ヴァーミリオン』というらしい。かなり高位のドラゴンのようだが、先ほどからずっとその視線は自分ではなく背後の少女に向かっている。彼女を害することを目的としているようだった。
システム上、ドラゴンが固有のプレイヤーを狙うことはない。邪竜の類でもなければ、望んでプレイヤーを襲ってもこない。ましてや、こんな平野部の初心者プレイヤーが集まっているような地域に出没することなど…ありえないのだが。
一体、どうなっているのか。
怪訝にドラゴンと向き合っているとドラゴンは彼女から視線を外し、後ずさると翼を広げて飛び上がる。二撃目を加えようと構えるとドラゴンはさらに高く飛び上がり、彼らの頭上を旋回した後、遠方の山へと飛び去っていく。
倒せないなら深追いはしない。青年は手にしていた剣をショートカットに戻すとアヤの元に帰ってくる。と同時、炎の精霊もふっと姿を消した。
災難が去ったことに安堵したアヤはその場にへたり込んだ。
す、すごい迫力だった。
「大丈夫?」
青年は膝をついてアヤを覗き込む。
「あ、あの…はい、えっと、ありがとうございまし…た?」
「どうして疑問形なのかな」
ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
とにかくこの青年は顔面偏差値の高い、完璧に整えられた美形アバターだった。
白いシャツにタイトなパンツスタイルにブーツを合わせて、とても飾り気のない軽装姿だが、有象無象のそれとは異なり、全体的に気品がある。そして、色気のようなものも。
何を考えてるの、わたし。
恥ずかしくなって立ち上がる。ふらつくと青年が手を取って支えてくれる。
「僕はヨミという。君の名前は?」
「あ、えっと、アヤです」
「クレメンティアにいるということは、始めて間もないのかな」
「は、はい、3日目です」
「そうか。じゃあ、いきなりドラゴンに襲われて怖かったね」
「…は、はい…」
ゲームの中とはいえ、死の概念は存在する。リスポーンはできるが、セーブポイントが限られているため、その寸前まで稼いでいた経験値を失ってしまうリスクがある。
「ところで、あの…ヨミ…さんは、どうしてここに」
魔法陣であらわれたこのヨミという青年。公式のNPCではなく、プレイヤーのひとりのようだ。とても強いプレイヤーであることは先ほどの戦いを見ても感じ取れたが、しかし、一体なぜ。
「僕もさっきまでは自分の飛空挺で友人と会話していたのだけどね…」
と苦笑するヨミもまた理由がわからないようだった。
「ところで、そのブローチ」
「え、あ、これ、ですか?」
自分では見ることができないので、今の状態はわからない。
「オーレリアンの襟飾りという名前のアイテムで…」
「どこで手に入れたのかな」
「ガチャです。ゲームをはじめたときにガチャで引き当てたアイテムですけど………」
「なるほど、そういうことか」
戸惑うアヤとは異なり、目の前の青年は腑に落ちた表情だ。
「…ドラゴンに襲われる直前、このブローチ外せなくなってたんです。もしかして、このブローチがいろんな原因だったりしますか」
「可能性は高いかな。僕の見立てによるとこの一連の流れは『イベント』だよ」
「イベント?これが?!」
「僕がドラゴンに直接攻撃を加えた時点でやつは……ああ、あのドラゴンの名前はモルス・ヴァーミリオンというのだけど…、君を諦めたようだったからね。おそらくは、そのようにプログラムされているんだ。ドラゴン、そして僕…これは顔見せだよ」
「顔見せ?え、でも、どうして」
「あぁ…それはきっと、僕が君の……」
核心部分を告げる前に、ヨミは彼女の前からかき消えた。まるで、先ほど役目を終えたイフリートのように。
「え、あ?!ヨミさん?…ヨミさん?!」
忽然と消えたヨミを探して周囲を見渡してみたが、彼の姿はもうどこにもなかった。
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