マルファンの骨が鳴ったら

増田朋美

マルファンの骨が鳴ったら

その日、武史くんの学校に、奇妙な容姿の転校生がやってきた。武史くんと同じ背丈の小学校1年生の男の子、というところは、武史くんと共通するのだが、それ以外の点で言えば、本当に奇妙キテレツな顔つきをしている。彼の名前は、藤井輝夫くんと言うのだが、たしかにちょっととっつきにくい容姿をしているのである。

「えーと、藤井輝夫くんね。ちょっと事情があって、この学校でみんなと一緒に勉強することになりました。みなさん仲良くできますね。」

校長先生は、武史くんたち、生徒に向かって、そういうことを言った。どっちにしても一学年に一クラスしかないので、武史くんたちは、同じ学年であれば、直ぐに、一緒にいなければならないのであるけれど。

「なんだか、妖精の王子様みたいな顔ですね。」

と、武史くんがいきなりそういった。確かに、本をよく読む人であれば、妖精の挿絵を見かけるかもしれない。それと確かに、よく似ている容姿をしているのである。スラッとして細身であり、余分な脂肪などは一切ついていない。そして、その特徴的な、尖った長い耳。学校では、男の子が長髪にすることは許されていないが、逆を言えば、長髪にしてもいいのではないかと思われるほど、男か女か識別が難しそうな顔である。

「武史くん、人の見かけについて、直ぐにどうのこうのと言っては行けないよ。それは、失礼と言うことになるからね。」

校長先生は、そういうのであったが、

「だって、疑問に思った事はすぐ言いましょうって授業のときは、必ず言うじゃないですか。」

と、武史くんは言うのであった。

「でもね、武史くん、言ってはいけないこととか、悪いことも有るんだよ。なんでも口にしようなんて、思わないでね。授業以外のときは、言ってはいけないときも有るんだよ。」

と、校長先生はいうと、

「それはおかしいじゃないですか。だって、僕たちが、授業中に手を上げればにこやかな顔をして喜ぶくせに、なんで今は発言して怒られなきゃいけないんですか?」

と、武史くんがいうので、校長先生は困ってしまった。

「武史くん。後で、校長室に来てね。」

と、とりあえず、それだけ言うのだった。

「そういうわけで、また学校から呼び出されました。もうこれで何回目になるんでしょうか。このままだと、学校の評判を落としかねないと叱られました。」

製鉄所でジャックさんが、杉ちゃんとジョチさんに向かって、大きなため息を付いた。

「全く学校というのは、メンツばかり気にするんだな。武史くんのことを、気遣ってやれるような、そんな人が誰もいないのか。」

と、杉ちゃんもジョチさんも呆れた顔をした。

「まあそうですね。それは、仕方ないというか、まあ、武史くんのような子を、放置してしまって、学校の体制ばかり維持しているような教育体制に問題が有るんだと思うんですけどね。」

ジョチさんがそう言うと、

「僕たちはどうしたらいいんだろう。武史が学校で、言われてしまった事も確かですが、疑問に思った事も、確かに悪いことではありません。どうやって武史に、説明してやればいいものやら。」

と、ジャックさんはまたため息を付いた。

「それに学校側は、親御さんである方が、ちゃんと伝えてくれないと困りますって、それ以上説明はしないと言って、もうあとは放置したままなんですよ。武史は武史で、まだ、なんで藤井くんはエルフの王子様みたいな顔をしているんだろうって、そればかり言っていますし。もうどうしたらいいんですかね。僕も、何をしていいか、わからなくなりました。」

「そうですか。それなら、そのまま真実を伝えてやればいいのではないですか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「しかし、どうやって伝えてやればいいか。僕もわかりません。何よりも、その藤井という方が、武史が自分に興味を持ってくれたので、喜んでいるみたいなんです。」

ジャックさんはそういった。

「はあ、つまり待ってください。彼と武史くんは、仲良くなったということですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「そうなんですよ。武史ときたら、そうやって思ったことを何でも言うので、藤井輝夫くんと、早速一緒に家に帰ろうといったそうです。」

と、ジャックさんは言った。

「はあ、そうですか。それなら、本人が気づくのを待ってやればいいじゃないか。それは、そうなる時を待つってのも悪くないと思うよ。武史くんが気がついたら、苑ときに解説してやれば、いいんじゃないか?そうすれば大人を尊敬する気持ちも湧いてくるよ。」

「そうなんですけどね。杉ちゃん。学校というのは、期限をつけるのが好きなんですね。来週までに説得をしてくれないと、武史のことを、なんとかするというものですから。」

と、ジャックさんは困った顔でいった。

「はああ、そうですか。学校はそんなことを言うんですか。全く、困ってしまいますね。変なところで、学校というのは格好つけるんですね。そういう変な教育体制は、今もどこでも、変わりませんね。」

ジョチさんがそう言ったが、ジャックさんは、困った顔をした。二人は壁にかかっているカレンダーを見た。今日は金曜だ。というと、あと三日しか時間がないことになる。同時に、応接室に設置されている、柱時計が、五回音を立ててなった。

「あ、もうこんな時間ですね。長居をしすぎてしまって、申し訳ありませんでした。」

と、ジャックさんは、急いで椅子から立ち上がった。そして、急いで、四畳半のある部屋に行ってみる。今日は水穂さんも調子がいいのか、簡単なショパンのワルツを弾いたりしているらしく、ピアノの音が聞こえてくる。武史くんは、その近くで絵をかいていた。それは、いつも描いている明日の神話のような絵ではなくて、きれいな少年が机に向かって絵を描いている様子である。

「水穂さん、ありがとうございました。武史を見てくださって。武史、帰るよ。」

ジャックさんは武史くんに声をかけた。武史くんは、絵を描いている手を止めて、急いでおじさんありがとうと言って立ち上がった。水穂さんもピアノの演奏を止めて、ジャックさんにいえいえこちらこそといった。

「あの小濱さんに教えてもらってからでしょうか。武史くん、きれいな絵を書いてくれるようになりました。良かったじゃないですか。」

と水穂さんはそう言うが、ジャックさんは一難去ってまた一難ですよとため息を付くのだった。

「武史くん、この絵は誰を描いているのかな?実在のモデルは居るの?今日は明日の神話のような絵ではないけど。」

と、杉ちゃんが言うと、

「僕は、見えるままに絵を描いているだけだよ。だってね。あの、藤井輝夫くんは、本当にきれいだったんだ。まるでエルフの王子様だった。それを忘れないように描いて置きたいんだ。やっぱりねきれいなものを忘れないように絵を描くっていうことが、大事なんだって、言われたこともあるしね。」

と、武史くんは言った。

「そうですか。武史くん、お願いなんですけど、その絵を拝見させていただけないでしょうか?」

とジョチさんがそうきくと、武志くんはいいよと言ってその絵をジョチさんに渡した。確かに、転校してきた、藤井輝夫くんが、机に向かって勉強している絵である。

「ああ、これはですね。マルファン症候群の少年の絵ですね。確か、この製鉄所を設立された、青柳先生も、そうだったような。」

と、ジョチさんがそう言うと、

「よくわからない名前だけど、青柳先生は、確か、漫画に出てくるようなトンガリ耳をしていた。」

と、杉ちゃんが言った。

「まあ確かに、5000人いれば、必ず一人はかかるという、遺伝子異常ですね。そういう子が、武史くんの学校に転校してきてもおかしくないですよ。武史くんの絵は嘘がありませんね。このモデルの少年の持っている鉛筆がマッチの様に見えます。」

ジョチさんが言う通り、絵に描かれている少年は、一般的な子供に比べたら、大きな手をしていた。

「確かに、青柳先生の手も、大きさで言ったら、ラフマニノフと変わらない大きさだったよ。そうか。とんがり耳の子供が武史くんの学校へ転校してきたわけか。それは、たしかに大事になるな。」

ジャックさんが、ジョチさんにマルファン症候群とは、どういうものなのか、と聞いてみると、

「ええ、染色体の異常によって起こる先天奇形ですね。どうしてそうなるのかわからないけれど、尖った長い耳や、手の巨大化、あるいは視力の異常などを合併し、古くは、青柳先生みたいに歩行が不能になることもありましたが、そこまで重症化する例は、非常に少なくなっているとか。」

と、ジョチさんは一般的なことを言った。

「まあ、僕も、青柳先生に聞いただけのことですので、詳しいことは知りません。ただ、武史くんのような、受け取り方をする子供さんは、現在少ないのではないかと。」

「そうだねえ。僕も、変な名前の疾患名は知らないが、トンガリ耳ということはわかる。確か、ラフマニノフとか、パガニーニみたいに、天才的な音楽家になれるやつも居る。」

と、杉ちゃんが言った。

「はい、それは、マルファン症候群に特有の症状で、骨が極端に柔らかくなるために、そうなると言うわけです。パガニーニが、あのような超絶技巧を身に着けたのは、マルファン症候群に伴う手の巨大化と、骨が柔らかくなるという症状のためでした。」

「はあ、そうですか。こういうことを、小さな子どもが理解できるでしょうか?」

と、ジャックさんは、心配そうに言った。

「そうだけど、なんとかわかってもらわなければいけないわけでしょ。それなら、なんとかする方法を考えようよ。でもね、武史くんのことだから、興味本位で相手に近づくということは、まずないと思うよ。武史くんは、一生懸命生きている子供だからね。そうでなければ、明日の神話のような絵を描くことはないよ。」

杉ちゃんが武史くんを擁護するように言った。

「まあ確かにそうですが、それでも、学校に言われた事はしなくちゃなりませんから。」

とジャックさんはまた言った。

「それなら、本人に話をしてもらえばいいじゃないか。青柳先生に来てもらってさ。武史くんにとんがり耳のことを話してもらえばいい。」

「杉ちゃん、突拍子もないことを言わないでくださいよ。青柳先生は、日本に果たしているかどうか。もしかしたらまた、海外で援助をしているかもしれませんよ。」

と、ジョチさんがいうが、

「いやあ、いるかも知れないじゃないか。連絡をしてみようよ。もしいなかったら、また違う手立てを考えればいいんだよ。」

杉ちゃんは一度発案すると、意思を通してしまう人であり、それを曲げさせるのは、難しいのはよく知っていたジョチさんは、とりあえず、青柳先生の居る大学に電話してみることにした。確か、青柳先生は、東京大学で現在教えていることは知っている。なので、とりあえず東京大学に電話してみる。まあ、無理だと思うけど、と思いながら電話をかけてみたら、受付の人はちょっとまってくださいと言った。数分後、また電話がガチャリとなる音が聞こえてきて、

「はい、お電話変わりました、青柳でございます。」

と、声が聞こえてきたのでびっくりする。

「青柳先生、今は日本にいらっしゃるんですか?」

と、ジョチさんが言うと、

「ええ、大学が休みなので、しばらくこっちに居るんです。来月には、また中国に行く予定ではありますけれども。」

と、青柳先生はそう言っている。すると、杉ちゃんがそのスマートフォンをひったくり、

「もしもし、青柳先生。ちょっとお願いがあるの。実は、武史くんという、ちょっと風変わりな小学校1年生の男の子に、トンガリ耳の話をしてやってほしいの。できれば、手が巨大化したり、指がタコの指見たくなることもお話してやってほしいな。お願いできないかな?」

とでかい声で言った。

「杉三さんがそうやって頼むのですから、普通の子ではありませんね。何か、事情がある子なのでしょうか。」

と、青柳先生はそう言っている。

「まあそういうことだ。僕はよく知らないが、思ったことを何でも口にして、学校で授業妨害をするという子だ。そういう子だから、百聞は一見に如かず。とんがり耳の人に話してもらうのが一番いいんだよ。そういうわけだから、青柳先生も、協力してください。」

「わかりました。子供さんは今は、一人で成長することはできないと思いますから、僕たちも、その手伝いをしなければなりませんね。それでは、手伝いますよ。」

と、電話口で、青柳先生は、そう言っていた。杉ちゃんもまた、そういうふうに何でも口にしてしまう性質なのである。それは、ある意味武史くんと同じ障害なのかもしれないが、こういう細かいことをほって置くことができないのは、やはり障害者ならではである。

「じゃあ、いつこっちに来てくれるの?」

「ええ、明日のお昼前には、そちらへ行けると思いますから。新富士へ、迎えに来てください。」

と、青柳先生は、杉ちゃんの言う通りに言った。

「じゃあ、よろしく頼むぜ。青柳先生。よろしく頼みます。」

と、杉ちゃんが言って、電話を切った。ジャックさんが、本当にありがとうございますと言った。

「いやあ、あとは青柳先生に任せましょう。こういう事は、当時者同士のことでないとわからないことです。」

ジョチさんは、杉ちゃんにいった。

その翌日。杉ちゃんとジャックさん、武史くんは、新富士駅に行った。しばらく改札口で待っていると、

「こんにちは。」

と声がして、車椅子を動かしながら、青柳先生が、改札を出てきた。誰にも手伝ってもらうことなく、車椅子できっぷを改札口で駅員にわたし、にこやかに笑って、武史くんたちのところに近づいてきた。やっぱり青柳先生も高齢であって、所々に白髪が混じっていたが、そのカールした髪を伸ばして居るのが印象的だった。紺色の着物の袖から、龍の刺青がチラチラ見えて、一見すると、車椅子に乗っている、ヤクザの親分の様に見えるのであって、とても東京大学の先生という風貌ではなかった。でも、髪の間から、長く尖った耳が見えた。

「あ、耳の長いおじいさんだ!」

と、武史くんはすぐにそれに気がついた。

「こんにちは。あなたが、田沼武史さんですか?」

と青柳先生は武史くんの近くにやってきた。

「はい、僕が、武史です。」

「ありがとうございます。青柳と申します。よろしくどうぞ。」

といって、青柳先生は、武史くんに頭を下げる。

「おじいさん、僕のクラスメイトの、藤井輝夫くんと同じで、尖った耳を持っているんですね。」

と、武史くんは、ここでも青柳先生に同じことを言った。

「そうやって、大きな手を持っていることも、藤井くんと同じなんですね。」

「そうですか。あなたの同級生にも、僕と同じ症状の子が居るんですか?」

と青柳先生は、武史君に聞いた。

「症状じゃありません。僕は、藤井輝夫くんは素敵なかおをしていると思っただけです。」

と、武史くんは答える。

「素敵な顔ですか。とても当事者から見たら、素敵ではないんですけどね。」

青柳先生は、ちょっとため息を付いた。

「しかし、武史くんは、学校から、問題発言が多いとしてよく呼び出されてますね。」

「うん。僕は、思ったことは何でも口にするようにと、学校の先生が言っているので、それを守るようにしています。」

武史くんは正直に応えた。

「そうですか。でも、それはいけないことでも有るということはまだ、おわかりにならないのですか?」

青柳先生に聞かれて武史くんは、

「時々わからなくなるときが有るんです。なんで黙ってというときも有るし、直ぐに発言して偉いなって言ってくれるときもあるんだろうって。大人って、そういうとことがよくわからないんですよね。僕は、どうしたらいいんだろう。」

と、嫌に大人びた口調で答えるのだった。小学校一年生がこんな発言するかどうか、よくわからないけれど、武史くんはそういうことができてしまう子供なのだろう。

「僕は、輝夫くんと友達になりたいです。彼は、僕の知らないことをたくさん知っていると思います。」

「そうですね。武史君。確かに僕たちは、この顔や骨のせいで、普通の人とは違った目で見られるので、嫌なことでも有るんですけどね。武史君、面白半分というか、好奇心で近づくのではなくて、その子が本当に困ったときだけ、手を出して上げてくださいね。そうでないとね。僕たちも、困ってしまうんです。」

と、青柳先生は、小さな子どもでも、対等に話すように言った。

「それは、どんな人にでもそうだけど、やたらに口を出したり、手を出したりすることは、かえって良くないことでも有るんですよ。」

「そうなんですか?」

と、武史くんは青柳先生に言った。

「確かに武史くんは、他人に興味を持つのかもしれないけど、それは、藤井くんという人にとっては、辛いことかもしれませんよ。僕たちも、楽器が弾けたりするとね、パガニーニと一緒だと言われて、嫌な思いをしたものです。骨が柔らかいというのは、得することばかりじゃありません。こうして歩けなくなったりもするものですから。」

「そうなんですか、、、。」

と、武史くんは小さな声で言った。

「では僕はどうしたらいいでしょう。輝夫くんと、仲良くなりたかったのに。」

「そうですね。武史君。そう思うなら、輝夫くんという生徒が、本当に困っているときに手を出してあげればいい。それ以外のときは、手を出さないでそっとしておいてあげてもいいのではないでしょうか?」

と、青柳先生は、武史くんに言った。

それを眺めていた杉ちゃんたちは、大きなため息を付いた。

「やっぱり、青柳先生のような人でなければ、武史のことを、なんとかしてはくれないですね。」

と、ジャックさんが杉ちゃんにいう。

「本当に偉いやつは、武史くんのことと、トンガリ耳の奴らのことを思って言えるんだな。口だけで言う教育者はまるで役に立たんよ。」

杉ちゃんは、青柳先生と武史君の顔を見ながら、そういうことを言った。







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マルファンの骨が鳴ったら 増田朋美 @masubuchi4996

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