第4話 合図

やっと給料日。


季節は夏のはじまりを知らせるかの如くセミがじりじりと鳴いている。湿気が体に絡まりついてくるようむすっとした暑さだ。不安定な天気が続いていたがようやく梅雨もあけ気持ちの良い青空が広がっている。


待ち望んでいた給料日。給料自体はそんなに多くはないが自由に使えるお金が多い。独り身の特権だ。今日は彼女に会いに行こう。仕事もひと段落したし、諸々の今月の支払いも終わった。やっと彼女に会いに行ける。


今日は彼女と何を話そう。久しぶりだし覚えてくれているかな。また自己紹介からスタートはいやだな。今日は奮発して指名をいれてしまおう。少しでも長く話せるように努力しよう。今日ぐらいは贅沢しても給料日だから大丈夫だ。そもそも何も使う予定のないお金だ。誰からも文句は言われないし誰も困りもしないだろう。彼女が喜ぶのなら安いものだ。


仕事終わりに直接キャバクラに行くのはさすがに気が引けるし、そもそもまだ空いてない。なじみの店にご飯を食べて軽くお酒を飲んでから会いにいこう。彼女がいるお店がオープンする頃にはちょうどほろ酔いぐらいになってるぐらいだと思う。多少酔っぱらってないと彼女を目の前にすると恥ずかしくて話せない。それはとてもじゃないけどもったいなさすぎる。気になる相手には常に奥手になりがちだ。昔から変わってはない。唯一変わったと言えば、お酒の力を借りれると知ったくらい。諸刃の剣だが無いよりかはずっとましだ。弱点を克服できているのかはわからないが、今日もまずはお酒にたよるとしよう。


ここ最近、彼女のことばかり考えていた。

考えていた内容は忘れたが僕は間違いなく恋に落ちている。

恋煩いってやつだ。

そういえば昔、本で読んだことがある。


「人は恋に落ちると知能はチンパンジーと一緒になる」


心理学の本だったと思う。当時はそんなことないと思うような内容だった。今となってはかなり実感している。仕事が手につかない。ミスも増えたし、何よりスケジュールの管理がおざなりになりがちなのだ。それほどまでに今の僕は自分でもわかるくらいひどい。


会えばこの病は治るかな。

どうだろう。わからない。

会ったら彼女からご飯に誘ってくれないかな。そんな都合のいいことはないか。

お店の外でも会えたらいいのに。

まだ今日で2回目だ。そんなに焦ることはない。

それよりも頑張ることはある。


うんと楽しむんだ。彼女との会話を。

もっと知りたい。彼女の事を。

味わいたい。非日常ってやつを。


仕事終わりの電車の中で


「よし!!やったるぞ!!」


と心の中で喝を入れたつもりがついつい声に出てしまった。周りに不審な目で見られてる気がする。くすくすと笑う声も聞こえる。やってしまった。恥ずかしい。大き目のマスクとタブレットで顔を隠すように持ち上げた。

早く家につかないかな。各駅停車の地下鉄が僕を家に帰さないように一駅一駅あえてゆっくりと止まっている気がしてしかたない。自分の降りる駅まで止まらずさっさと通り過ぎて行けばいいのに。

いつも気づいたら家にいるのに。あっという間だった帰り道がこんなにも長く感じるなんて。


恋煩いも案外悪くないんじゃないかと思う給料日だった。

青春って大人にもあるんだ。


ホームに降り立ち家路につく途中にふと空を見た。今日の夕焼けはやたら赤いように見えた。ビルの合間から西に落ちてい行く真っ赤な夕陽を見ながら何気なくそう思った。まだまだ夏ははじまったばかりだ。今年の夏は暑くなりそうだ。

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