Additional Report 1

 陰陽保安局東部支局の貴賓室爆破直後のことである――


 山吹光影の爆殺は未遂に終わった。しかしながら彼女・・にとって、光影の生き死になどどちらでもよかったのだ。 

 これは攪乱かくらんに過ぎず、目的は別にあったからだ。


 陰陽保安局東部支局の各フロアは、突然の爆発と襲撃に色めきだつ職員たちが早足で行き交っていた。この混乱のなかバレッタで髪をまとめた女性職員が一人、まったく動じない様子でとある場所へ向かっていた。

 人と人の間を、誰にも気取られぬよう上手くすり抜け、人気のない非常口の前に出る。ここは照明も弱く、日光も全く差してこないので薄暗い。分厚い鉄の扉を開ける。

 そこは非常階段だった。

 階段には、ほこりが薄く積もっている。女性は靴跡を残さないよう、つま先立ちで滑り止めの部分に足をつける。手すりに手をかけて、正確かつ迅速に階段を降りていく。

 やがて、「1」という階数の表示が壁に記されている踊り場に辿り着いた。

 女性は、振りかえる。

 左側が今しがた降りてきた上階に続く階段で、右側はどん詰まりになっている小さな通路だった。どん詰まりの中へ進むと、左手――つまりは階段下に小さな扉が設えられていた。

 女性はジャケットの内ポケットに手を入れ、そこから伸縮式の杖を取り出した。それからドアノブに向けて、微小な霊力場を展開し、霊力による光を明滅させる。


 ・・-・- ・-・- ・・・-


 ガチャン! 

 鍵が音を立てて解かれた。ドアノブは、霊力による光を感知する魔道具となっていたのだ。

 ドアノブを捻ると、そこは地下へと降りていく新たな階段だった。

 階段を下り終えると、打ちっぱなしの空間に出る。壁はコンクリートで近代的だが、白銀に光る合成金属の扉は認証センサーが取り付けられたスライド式で、現代的な印象を醸し出していた。

 左側の扉には、意味ありげに「劫」と刻まれている。

 その下には三つの認証式ロックが搭載されていた。

 一つは指紋認証。もう一つは網膜認証。最後の一つは、霊紋によって判別するセンサーだった。

 女性は右手を見つめる。


(……中指は間隔が均等。人差し指は、爪の先に向かって輪と輪の間隔が極端に狭くなっていくように……)


 すると驚くべきことに、指紋の形状が変わっていった。

 女性は変化を終えた右手を、タッチパネル式のセンサーに押し当てる。

 照合完了。

 女性は胸ポケットから手鏡を取り出し、右目を映す。

 海老茶色えびちゃいろだった瞳の色が、徐々に黒く染まっていった。

 それから慎重に、網膜センサーに右目を近づける。これも照合した。

 女性は、目を閉じて自身の霊波動をコントロールする。


(――集中しろ。微量のラメド波とツァダイ波が検出される特徴的なパターンだ……)


 しばらくそうしたのち、再び杖を取り出した。それを慎重に、センサーへ近づける。ゆっくりと、微弱な霊力場を展開した。

 ピー。

 センサーが音を立てた。照合に成功した。両扉が、ゆっくりと左右にスライドしていく。

 扉の先は、雰囲気が違うどころか建物ですら・・・・・なかった・・・・

 洞窟だ。さっきの扉は、庁舎の地下と円島の地下迷宮とをつなぐ境界だったのだ。

 女性は、暗黒のカーブとなっている奥へと進んでいった。道は勾配こうばいのゆるい坂になっている。杖の先に霊力の光を灯し、ゆっくりと螺旋の坂を下っていった。冷たく湿った空気が、彼女を包み込む。道はどんどん狭くなっていき、三分ぐらい歩き続けると、足音の反響が小さくなっていった。この先に広い空間がある証拠だ。

 女性は坂を下り終え、広い空間に出た。

 ……ぴちゃん…………、ぴちゃん……。

 鍾乳洞だった。両脇には、ごく細い川が流れている。

 その奥には、恐ろしく奇妙なものが設えられていた。

 鳥居と小さな祠。

 だが、祠の金属の格子の中には何も奉納されていない。


 そしてさらに奇妙なことに、鳥居は逆さに建てられているのだ。


 奥にある祠の台座には、梵字が彫られていた。

 女性は、ゆっくりと鳥居に近づいていく。目の前で、ぴたりと止まった。

 目を閉じ、意識を集中させる。そして、変わりたい自分の姿をイメージする――

 女性の身体を、かすかな光が包み込む。グレーのジャケットとスカートが、ゆっくりと変色し、変形し始める。


「……」


 女性は目を開く。ジャケットは深緑のブレザーになり、スカートはチェック模様になっている。頭に触れるとバレッタは消え、髪は短くなっている。それから、メガネがかけられていた。

 それはマガツの幹部である干こと、円島特別訓練魔道学校の生徒会長である島嵜美生の姿だった。


(あ、間違えた)


 彼女は自分の間違いに気づき、もう一度、目をつぶって集中する。自分の戻るべきイメージを。

 ……そして、ゆっくりと目を開く。

 千円以下のくたびれたカーキのパーカーに、使い古されたジーパン。頭に手を回すと、いつもの黒髪のショートボブだ。


 その姿は、喫茶パメラのウエイトレスである渠波羅咲芙みぞはらさふである。


 咲芙は、両手を独特な形で合わせ始めた。

 まず、まっすぐ伸ばした両手の親指をくっつける。それぞれの人差し指を鉤状かぎじょうに曲げ、各々の親指の先端につける。残りの三本の指もまっすぐ伸ばし、互いの指の腹を全てくっつける。

 そして、指先が大地に・・・・・・向かうように・・・・・・両手を百八十度曲げた・・・・・・・・・・

 それからゆっくりと、とある言葉を唱える。


「《オン・マイタレイヤ・ソワカ》」


 ……

 …………

 …………………ヴ、ヴ、ヴ……ヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ。


 落ちる雫と川のせせらぎ以外に何の音もなかった鍾乳洞だったが、今その静寂が破られた。

 空っぽの祠が振動し始め、白い金属の格子が赤く光り始めたのだ。祠からは魔力とも妖力ともつかない、禍々しい霊波動が放たれる。

 振動は呪文の詠唱後、しばらくして止まった。けれども、格子は力場を展開し続けていた。


「……ふう」


 咲芙は結んだ指を解き、弛緩したようにだらりと下にさげた。汗が腕を伝って、指先から落ちる。空気は冷たいのに、いやな汗が出て止まらなかった。


(――ここから早く出て、坊ちゃまにお伝えしなければ。首尾は上手くいったと。……)




(妖怪篇 完 ……神霊篇へ続く)

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