Report 15 最強の敵(12)

【Side - 真】


(異様な霊力場が消えて、よく知る霊波動が勁路に響いてくる……)


 真は勁路を通じて知る情報に、イライラを募らせていた。

 さっきから霊力場が激しく衝突したり、別の力場が現われたりしている。しかもあろうことか、いま感じている霊力場は、この場にいては・・・・・・・いけない人間・・・・・・のそれだったのだ。


「あのガキ……。待機命令を無視しやがって……」


 眉間に皺を寄せて、真は森の南の方へ向かって駆けていく。




【Side - 賢治】


「地獄の片鱗……だと?」


 賢治が言った。

 すると翔栄は、得意気に言い返す。


五気符術ごきふじゅつは、単純に相生・相克現象を引き起こすだけじゃない。符の気と素材の組み合わせにより複雑な反応を起こすこと、これが本来の五気符術だ。――気づいていないのか? 俺はお前たちに出会ってから、相生・相克の定型呪文しか唱えていない。


見せてやろう、ここからが本当の現代陰陽道だ……」


 そう言って翔栄は懐から黒い札を取り出して、火気符からの炎の壁で焼けた地面に貼りつけた。


「《土克水どこくすい魔睡蟲ますいちゅう!!」


 地中から、黒い霧が立ち込める。すると、霧は瞬く間に銀色の光を帯び始めた。


「これは、さっきの召喚術か?」


 光は凝縮して――一匹の蟲の形を形成していった。


「お、おい……。どこまでデカくなるのだ!?」


 銀の蟲は見る見る大きくなっていき――かたわらのキンモクセイの樹に届くのではないかというほどの大きさで止まった。それはまるで、俵藤太たわらのとうたが退治した大百足のようだった。


「じょ、冗談だろ……? これがコイツの、本来のサイズだっていうのか??」


 目を皿にして驚く賢治。

 目の前に対峙する召喚精霊は、これまで賢治が見てきたもののなかで間違いなく最大級のものだった。


「ふむ、土行ですか。ならば――」


 だがハーゲンティは慌てることなく、小瓶から濁った緑色をした石を取り出した。そしてさっきと同じように、一切の躊躇なくそれを飲み込む。 

 彼の周囲から、石と同じ緑色の霊波動が迸った。そして、驚くべき変化が起こる。


「ハ、ハーゲンティも大きくなったのだ!?」


 現世の言うとおり、ハーゲンティの身体は巨大化し始めた。それは急成長などと言える代物ではなかった。小さな子どものようだった四肢は節くれ立ち、隆々となっていく。びきびきと音を立てて、ハーゲンティは灰緑色の筋肉の怪物へと変貌していった。まるで、北欧のトロールのような姿であった。


「ホォー……。木行と土行の霊力場を込めた緑丹りょくたんか。脊髄反射で金行と木行の碧丹へきたんを使わなかったことは褒めてやるよ。それだと火行を出されたら一たまりもねえからな。――だが、このいかんともしがたい霊力差はどうする?」


 翔栄がほくそ笑むように言った。


「キシャアアア――」


 銀色の巨蟲きょちゅうが空高く跳び上がって、ハーゲンティに襲いかかった。


「避けるのだ! ハーゲンティ!!」

「〔土生金トゥーシェンジン鎖鏈・スオリャン〕!」


 ハーゲンティは野太い声を上げ、拳を地面に叩きつける。

 ズゥゥゥン!!

 地響きとともに、地面に黄色から白へとグラデーションに光る霊波動が広がっていく。光の中から無数の鎖が飛び出して、銀色の蟲に絡みついた。

 土生金どしょうごん。魔睡蟲の土気を鎖が吸収する。


「同じ行の気同士は、単純な力比べ……。召喚主様! 今のうちに相手の術師を!!」


 ハーゲンティの言葉に、賢治は反応する。


「《スタン・フラッシュ――MAX》!!」


 トネリコの杖先から放たれた光線が、翔栄目がけて飛んでいく。

 だが、翔栄は不敵にも笑った。

 ずろろろろ――ん。

 

「!? デカイ百足が、無数の小さな百足に分裂したのだ!!」


 現世が驚愕の声をあげる。

 魔睡蟲の巨体は粉々に砕け、無数の小さな蟲へと分裂し始めたのだ。その銀色にうねる空飛ぶ百足の波が、《スタン・フラッシュ》の光線を遮った。


「〔木克土ムーケットゥー降矢雨ジャンシィユー〕!」


 ハーゲンティから迸る青色の霊波動が、周囲の樹木を無数の矢に変成していく。

 ズズズズ――ビュバババババ!

 木行の霊波動を湛える矢は縦横無尽に飛び回って、夥しい数の土行の蟲を貫いていく。

 しかし、であった。


「ハーゲンティの服の中に虫が!」


 現世が悲鳴をあげる。

 銀の虫は、ハーゲンティの袖口や襟などから入り始めていた。いかに相克関係で有利だとしても、これだけの数を防ぎ切ることは不可能だ。 

 巨体であるため毒の回りは遅く、すぐには眠くはならないようだ。だがあれだけの虫に噛まれては、倒れるのも時間の問題であろう。


(……どうする!? 《ファイアボール》は火行に変換されて、土行である蟲たちを強化するだけだ!)


 賢治は次の一手を決め兼ねていた。

 だが、その逡巡が勝敗を決することになる。

 ドズン!!!

 ハーゲンティの胸が、巨大な矛に貫かれた。


「――」


 絶句する賢治と現世。

 前を向くと、翔栄が地面に白い札を三枚貼りつけていた。札の先は、何かが飛び出したように掘り返されていた。短縮詠唱されたのである。


「《土生金どしょうごん投擲矛とうてきぶ》! ……金の気を持つ矛は、ハーゲンティの土の気を吸収して木の気を破壊する」

「ぐ……、うぐ……」


 ハーゲンティは少しの間うめき声をあげたと思ったら、そのまま力尽きた。

 円陣が巨体を両断するように浮かぶ。そしてサァァァ、と音を立てながら木屑と泥に分解されて霧散した。


「そんな……」


 賢治は、ひざから崩れ落ちた。

 勁路負担率は90。召喚術は一日の制限回数を使い切ってしまった。絶体絶命の状態である。


「『周易しゅうえき参同契さんどうけい』の五行と色の対応を基にして作られた丹は、たしかに便利だ……。だが、決められた二種類とそれらから派生する相生関係の気の力場しか展開できなくなり、相手から次の手を読まれてしまいやすくなる。短期決戦にするべきだったな」


 翔栄が嘲け笑うように言う。


「さて……時間だ。一つ目のハンデが無効になった今、お前らが未来永劫連合に歯向かうことがないよう、俺の全力を見せてやろう」」

「全力だと……?」


 現世がうなった。


「お前ら、十二天将じゅうにてんしょうは知っているな?」

「……安倍清明が使役した式神しきがみだろ? それが、どうしたんだよ」


 賢治は虚ろな声で答えた。


 晴明の主著『占事略决』に記載されている神々で、元々は星占いをする式盤ちょくばんに用いられる神の概念として知られていた。だが安倍晴明は、これを式神として使役することができて、一条戻橋いちじょうもどりばしの下に隠していたという逸話が、『源平盛衰記』に描かれている。汎人界でも多くの人が知っている、極めて有名な召喚精霊だ。


「闘級に換算すると全てがS級であるこいつらは、あらゆる召喚術のうちでも最強クラスとされている。よって、勁路が血統的に優れた術師にしか召喚することは不可能だ。安倍晴明の直系である五星院家の人間は基本的に、十二天将じゅうにてんしょうを召喚することができる。だが、普通は一人につき一体が限度であり、どれだけ多くても三体までだ」

「何が言いたいのだ。伝統魔術において名のある神々は、喚起する場合はまだしも召喚となると限度があるのが普通だということは、現世も知っておる。ゲーティアでも、人によって召喚できないものも出て来ると、涼ちゃんからは聞かされておるわ」


 知らなかった。

 誰しもが、実力に応じて全ての精霊を召喚できるようになるものだと、賢治は漠然と思っていた。


「ここからが重要なんだよ。……俺は、安倍晴明と同じように十二体を全て召喚することができる。それも、全て同時にだ」


 場が凍りついた。

 翔栄はさっき、十二天将の一体一体の強さを「S級相当」と言った。


「S級……。つまり、お前や徳長先生と同じ強さの召喚精霊を……、十二体同時に召喚、できる、だと……?」

「馬鹿を言え!! ハッタリに決まっておる!!」


 怯懦に震える賢治と、撥ね付ける現世。


「ククク……。本当かどうかは、その身で確かめてみろよ」


 翔栄は各々の手で刀印を作り、互いの人差し指と中指、薬指の小指の第一関節と第二間接をくっつける。


「――《前一火神ぜんいつかしん凶将きょうしょう騰虵とうしゃ》」


 声が、反響して賢治の耳朶を打った。

 翔栄が印を結んで詠唱し始めると、周囲の空気が一変した。


「《前二火神ぜんにかしん、凶将・朱雀すざく》《前三木神ぜんさんもくしん吉将きっしょう六合りくごう》《前四土神ぜんよんどしん・凶将、勾陳こうちん》」


 見た目では何も変化が起こっていない。だが、確実に何かが起こっている。

 神の名前を読み上げられる度、強烈な圧迫感が賢治たちを襲った。


(か、身体が、動かない……!! 声が出すことすら……!)

「《前五木神ぜんごもくじん、吉将・青竜せいりゅう》《天一上神てんいつじょうしん、吉将・貴人きじん》《後一水神ごいつすいじん、吉将・天后てんこう後二金神ごにごんしん、吉将・大陰たいいん》」

「お、おのれ! させるものかッ!!」


 重圧を跳ね除けるかのように、声を張り上げて現世が突撃していった。


「現世! よせっ!!」


 賢治が止めに入る。

 だが現世は、止まる気配を見せなかった。


「術が無理なら、裸一貫でも止めてやる!」

「《後三水神ごさんすいじん、凶将・玄武げんぶ》《後四土神ごしどじん、吉将・大裳だじょう》《後五金神ごごごんしん、凶将・白虎びゃっこ》」


 だが翔栄は、詠唱しながら現世の執拗な体当たりを軽くいなしていた。


「《スタン・フラッシュ――MAX》!!」


 賢治は、全霊力を込めて《スタン・フラッシュ》を詠唱した。

 バズンッ!!

 白い光線が、翔栄の胸に直撃する。


「……《後六土神ごろくどしん、凶将・天空てんくう》」

「――!!」


 だが、何事もなかったかのように詠唱を再開された。


「! まずい!! 詠唱が! 終わってしまうのだ!!」

「――《急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう》!」


 そして、詠唱が完遂された。

 耳をつんざく轟音。目を眩ます閃光。身体を浮かせる猛風。

 爆発的に力場が膨らみ、賢治は立っていられなくなる。


「うわっ!」


 痺れる脚が持ち上げられ、真後ろへ転がる賢治。


「ぬわあぁぁぁーっ!!」


 開いた本の形状で風圧をもろに受けた現世は、林の奥へ吹っ飛ばされた。


「げ、現世ッ!!」


 光と風で目を開けられないまま、賢治が叫ぶ。

 ゥゥゥゥ――ォォォォオオオオン。

 五秒は経過しただろうか。ようやくのことで衝撃が収まった、その時だった。


「……!?!?!?」


 かつてない重圧が、賢治の襲った。

 大海の荒波、猛々しく噴火する火山、雪化粧に輝く山岳、どこまでも広がる砂漠――あらゆる自然の崇高さが、ひとまとめに体感されたかのような凄絶な感覚が、頭のてっぺんから爪先までを打ち震えさせる。

 賢治は、蝸牛が這うような鈍重さで地面から上体を起こす。ようやくのことで、顔を上げたそこには――


 不気味に漂う、黄砂によって描かれた男の顔。

 大樹をも引き裂く爪と、岩をも砕きそうな牙を持った、白銀の毛並みの虎。

 中国の長袍チャンパオのような服を着、顎髭あごひげを蓄えた文官らしい男性。

 尾が蛇になっており、身体に巻きついている、海亀。

 綻びかけた蓮の花の絵が描かれた着物をまとう、老婆。

 豪奢な鳳冠ほうかんを被り、極彩色の漢服を身にまとった美女。

 束帯と呼ばれる平安貴族の衣装に身を包んだ、精悍せいかんな顔つきの青年。

 青々とした鱗を持つ、天まで届くかと見紛う程に長大な龍。

 魚麟のような鎧をまとい、直剣を携えた、金色の鱗を持つ蛇人間の戦士。

 ボロボロの水干をまとった、恵比須顔の好々爺。

 羽の一つ一つが紅の炎に燃えている、火の鳥。

 粘りつくような黒焔をまとい、宙に浮かぶ大蛇。


「十二体……十二、天将」


十二体の召喚精霊が、威風堂々と立ち並んでいた。

 壮観、などという言葉では生温い。神の裁きを体現したかのような風景が、そこに広がっていた。


「理解したか? この世界には絶対に超えられない壁があって、弁えなくちゃいけねえってことを」


 翔栄が言った。

 賢治は、口をパクパクとさせるだけで何も言葉を発することができずにいた。この威風堂々たる光景に、その戦意が今度こそ完全に費えてしまったのだ。

 万事休す。心の奥底から、賢治はそう思った。

 視界に、白い靄がかかっていく。それは十二体の式神によるまばゆい霊波動によるものではなかった。絶望により、目の前の現実を直視することを脳が否定しているのだ。

 ぱちん、と赤い火花が瞼の裏で弾ける。

 世界との接続が、断ち切られた。


「……ね……え……」


 そんな最中さなかそれ・・は聞こえた。


(……?)


「……ねえ、…………ろう……」


 かすかに、声が聞こえる。

 目を凝らすと、小さな赤い光が二つ、こちらへ近づいてくるのに気づいた。それは、赤い目を光らせた小振りな人影だった。


(お前は……、まさかあの時の?)


 賢治がこれと遭遇したのは、今までに二回。一回目は、五年前にサッちゃんと出逢ったとき。二回目はついこの間、麻枝との戦闘の最中での出来事だった。

 二回とも、この影は現われるだけで声をかけるようなことはなかった。

 だが、今は違った。


「……ボクが……わりに……るよ……」


 はっきりと、自分に向かって語りかけてくる声が聴こえた。


(何……? 何て言っているんだ?)


 輪郭や、顔かたちがはっきりとしてきた。

 それどころか、互いの鼻先がくっつきそうになるまで接近していた。


(……!!)


 その顔を見て、賢治は心臓が裂けそうになった。

 それは、余りにも見慣れた顔であったからだ。


 赤い目の影の顔は――賢治と全く同じ顔をしていた。


「ボクとかわって。ボクが、やっつけてあげるよ」


 賢治の顔をした影が、そう告げる。

 ぱちん。また瞼の裏で、赤い火花が弾けた。

 そこで、賢治の意識は途切れた。

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