Report 14 妖誅(2)

※ 今回よりしばらくの間、視点表示サイドディスプレイモードに切り替わります。

※ 視点表示モードとは、そのセクションの視点が、どの登場人物によるものなのかを【Side - (登場人物名)】という形式で表示する表記法です。


〈交戦状況〉





〈残存敵対勢力〉


 甲   丙   戊   庚   辛   壬   干




【Side - 壬(灯)】


 時間は五分ほど遡る――


(……15時20分。敷地内に潜入する時間だ)


 灯は、太七川の本流から枝分かれした暗渠あんきょの中にいた。干の説明によると、この地下水路は陰陽保安局東部支局の敷地内に通じている。

 しばらく歩いていると、壁に吊り下げはしごが設えられているのを見つける。その上にはマンホールがあった。灯はそれに足をかけ、上にあがる。ポケットから小瓶を二つ取り出し、マンホールの施錠部分にふたを向ける。


「……〔川流波せんりゅうは!〕」


 すると、水の刃がコルクのふたを突き破って飛び出した。二つの刃は、マンホールに設えられた二つの錠前を破壊する。

 この小瓶には、霊的結界が張られていた。


 ――川天狗の能力〔川變万化せんぺんばんか〕。


 川に潜在する霊力を使い、川の水を自在に操る力である。

 通常、川の水に含まれる霊力は川から分離してしまうと、ばらばらに発散してしまい、時間と共に消滅してしまう。けれどもこの能力には、川の水の霊力を分離しても留めておく霊的結界を張る効用がある。

 それを、灯は応用した。

 まず、川の水を小瓶に採取しそれから霊力を込めて封じる。そうして小さな結界を作ることで川の水の霊力を保存して、備蓄・携帯することができるようになる。こうして灯は、川から離れた場所でターゲットを奇襲するという、一連の犯行を行ってきたのであった。

 それから灯は、慎重にふたを開ける。

 外へ出ると、そこは敷地内にある駐車場だった。

 植えられたイチジク木々の影になるため、監視カメラの死角となっている。灯は事前に知らされたルートを、注意深く進んでいった。

 すると――


 ドッグオオオオオオ――ン。


 頭上、建物の五階部分が爆発した。


(……え?)


 舞い散るガラス片。噴きあがる爆煙。たちこめるきな臭さ。パーカーをかすめる風塵ふうじん

 頭の中で組み立てられた計画が、全て白く塗りつぶされていく錯覚に襲われる。


 こんなことは全く予定にないことだった。


 灯は、何が起こったのか理解できなかった。


(何だ? 何が起こった? こんなことは一切知らされていない!!)


 ウウウウ――ウウウウ。

 施設内に警報が鳴り響く。

 その音を聞いて灯は、ビクッと身体を震わせた。それから全ての疑問を保留にして、今やらなければならないことを、全神経に命じた。


(……とにかく仲間に連絡を取り、この場を離れなければ!!)


 灯はスマホに「五階で謎の爆発。侵入不可能。撤退する」と打ち終え、本作戦のメンバー全員に送信した。

 それから、侵入したマンホールに向かって全力で駆け出した。


「おい、そこで何をしている!」


 前後から、黒スーツを着た男たちが出てくる。

 陰陽保安士たちだった。

 その手には、魔導自動拳銃セーマンM92が握られていた。目の前にいた職員の一人が、空中に向けて一発、威嚇射撃をした。


「止まれ! 次は足を狙う!」

「くっ……!」


 マンホールは既に、灯の目と鼻の先だった。

 灯は意を決して、半開きにしておいた蓋とマンホールの隙間から、中へ飛び降りた。


(両足から着地すれば、大丈夫だ……!)


 暗黒が、灯の身体を呑み込む――




   ★


【Side - エルワン】


「おい、ここなら安全じゃなかったのかよ! 話が違うじゃねえか!!」

「で、ですから、さきほど爆発物ばくはつぶつ処理班しょりはんが確認したときには、何の異変もなく……」


 爆風で煤だらけになってしまったツーブロックの男が喚いた。

 山吹光影である。

 詰め寄られているリクルートスーツ姿の女性は、三等陰陽保安士・明日葉萌であった。

 ここは陰陽保安局東部支局の五階。五星院家の人間など、陰陽寮と関わりの深い賓客を招く貴賓室きひんしつ前の廊下である。貴賓室には様々なセキュリティシステムが仕掛けられており、中へは容易に入れないようになっている。また、構造は特殊な防護壁になっており、何があっても中の人間を護るようになっている――ハズだった。

 だが今は、謎の爆発により半壊状態であった。

 光影は運よく中に設えられたトイレに入っていたため、直撃を逃れることができたのだ。

 安全なはずのこの場所で何者かによる攻撃を食らってしまった光影は、怒りを顕わにして明日葉にねちねちとこの状況の責任を追及しているのだ。


「あぁ!? ンなの言い訳になると思ってんのか!!」

「ひっ!」


 明日葉は、今にも泣き出しそうな顔で怯えていた。


「てめえ、泣く泣かねえの問題じゃねえからな。社会人だろ? 責任とれよ、あぁん?」


 光影がとうとう明日葉に手をかけようとしたそのとき、


「ですから明日葉が何度も申し上げておりますように、私どもが最後に確認した時には、不審な術式などは何も見つからなかったのです」


エルワンが二者の間に割り込み、はっきりと弁明をした。


「う……」


 威嚇する相手が気弱な女性から筋肉隆々の男性に代わって、少しばかり勢いが弱まり物怖じする光影。

 だがそれは一瞬で、すぐ調子を取り戻した。


「じゃあ何でこんなことになってんだよ、おたくらが見落としたから以外にありえねーじゃねえの、なあ。どうなんだよお、五星院家の落ちこぼれエルワン・ジロー=カバントゥさんよ!」


 エルワンは、ピクリと片方の眉を吊り上げた。


「本来なら五星院を名乗る資格なんざねえってな、てめえの腹違いの兄貴である支局長から俺ぁ聞かされてんだよ。まあその通りだな、α種採用試験をパスできずにノンキャリでこんなミスをしでかしてるんじゃあな! 五星院、いや、魔導貴族の恥だ。分家の未来の当主として、恥っずかしいぜ。ひっひひひ」

「――今の言葉、訂正してください」


 せせら笑う光影に、明日葉がそう言った。

 その顔は、さっきまで見せていたおびえが消え去った、毅然とした態度で怒りを顕わにしていた。


「今の状況は、完全に私たちの不手際です。ですが、班長の出自は、それとは全く関係ないことです! 訂正してください!」

「てめえナニ逆ギレしてんだ、あぁ!!? 口で言ってもわからねーならその身体に言い聞かせてやろうか!!!」


 光影はベルトに下げているケースから杖を取り出し、明日葉の顔の前に突きつけようとした――次の瞬間だった。

 ガシッ!!

 その右腕を、エルワンの節くれだった指でつかまれた。


「山吹光影。あなたを、公務執行妨害の現行犯で逮捕します」


 エルワンが厳かな声色でそう言う。 


「……は?」


 光影は、何を言っているのかわからないと言った顔をしていた。


「魔術師が持つ杖は、人を殺す道具にもなり得ます。あなたを警護する陰陽保安士にそれを向けるということは、公務の妨害と捉えて差し支えありません」

「はぁぁぁぁあん!!? ありえねー!!! 俺を誰だと思っている!!? 山吹家だぞ!! 警護対象だぞ!!! それを捕まえるとか、ふざけんなよコラ!!! ――ぅおい!!! この市民シビリアンに暴力を振るう公僕失格の無礼者を捕まえろよ!!!」


 だが、誰も光影の抗議に応える者はいなかった。

 顔色一つ変えない冷徹さが感じられる動きで、粛々と光影を取り囲んでいく。


「お……おい。何だよ……相手を間違えているんじゃねえか?」


 予想外の展開に、光影は冷や汗を一筋流す。


「何も間違えていません。あなたが私たちに危害を加えて公務を妨害しようとことは、列記とした事実です」

「まあ、安心してくださいな。留置所は貴賓室の次に安全ですから」


 エルワンの部下である、陰気な雰囲気の青年と顎がしゃくれている筋肉質の男性が、光影の両腕をふんじばって言った。


「は、離せ!! 離しやがれオイ!!! だだだ誰かあああぁぁぁ!!!」


 光影の声が段々遠ざかっていった。


「明日葉」


 エルワンが不意に明日葉の名前を呼ぶ。


「……さっきは無用な庇いだてをさせてしまって、すまなかった」

「え……?」


 詫びられた明日葉は、豆鉄砲を顔に受けたような表情になる。

 それはエルワンらしくない、やや湿っぽい語り口だった。


「だが陰陽保安士足るもの、公務中は感情を露わにするな。特にああいう相手にはな」


 明日葉は、ややはにかみながら「は、はい」と、頬を紅潮させて応えた。




   ★


【Side - 壬(灯)】


(ぐっ……! 足が段々と重くなる。万力で締め付けられているようだ)


 灯は悲鳴をあげる右足をかばいながら、地下水路の上を滑った・・・

 川天狗の超能力、〔川滑かわなめ〕である。

 足に霊力場を展開させて、川に含まれている霊波動と同調し、表面を滑る技だ。

 水路はかなり複雑で、もう飛び降りてから三分は経過しているだろう。

 目の前に光が見えた。

 ――出口だ、逃げ切れる。

 そう思った瞬間のことだった。

 バチイッ!!


「あうっ!」


 灯は、見えない障壁に跳ね返されてしまった。全身が裂かれるような激痛が襲う。

 後ろから、「いたぞ!」という職員の声が反響した。


(……霊的結界だと!? 入った時にはなかったのに!)


 どうやらこの庁舎の敷地内には、侵入者を発見すると逃走を防ぐために、霊的結界が張られるような魔道具具が、出入り口に仕掛けられているらしい。

 灯が両の手の平を前へ突きだす。


「〔天狗火てんぐび〕!」


 すると、人魂のような炎が空中に灯った。

 これは天狗火といって、天狗の生み出す炎とヒトの間で信じられていた怪異である。天狗火は人里と山の中間地帯で現われるとされ、それに誘われると神隠しに遭ってしまうといわれていた。川天狗の場合、これを使って川魚を引き寄せて漁をしていると信じられていた。

 だが、それは本来の使い方ではなかった。

 天狗火の本当の効用は、霊力場を干渉する力である。これの応用として、生き物の無意識に発する微弱な霊力場に干渉して関心を引くことで、操作していたというのが実態であった。勁路負担率は展開している時間に比例し、毎秒1とされている。


(霊的結界のような強力な力場にも効果があることは実証済み……! 術解呪文のように完全に解くことはできないが、自分一人がすり抜ける裂け目くらいなら作れるはずだ!)


 しかし、であった。

 霊的結界は、何の変化も示さず展開し続けた。


「そんな……!」


 足音が大きくなってくる。職員たちがすぐそこまで迫っていた。


「止まれ! ゆっくりと手を上げて、こっちへ来るんだ!」


 黒服の職員の一人が、走りながら降伏勧告をする。

 しかし灯は、動かない。


(……仕方がない。早いが、これ・・を使うしかない)


 ――ジャラリ。

 黒パーカーの中で、ルーン文字のメダルが音を立てた。

 そして、血がにじむほどの力でメダルを握り締める。


「……ッ!!」


 灯は、ありったけの霊力をこのメダルに込めた。

 メダルが真紅の光を放つ。

 すると、浅葱色の霊光を放つ強力な力場が周囲に生成された。

 霊波動が、流れる水に触れる。

 すると、水が海水のように波を打ち始め、増幅していった。それから、種々の形を為していった。

 具現化された水の杭、水の刃、水の蛇は、出口付近の壁を切り刻み、砕いていく。亀裂が、蜘蛛の巣のように広がっていく。


「おいっ、何をしているんだ!」

「やめろ!」


(――力を感じる、……今だッ)


 灯は感じ取る。割れ目から漏れ出てくるほんのわずかな本流の霊気が、暗渠の中に流れ込んでくるのを。

 意識を、霊気の流れ――霊道に集中させる。すると、結界の外の川の水に波紋が生じ始めた。

 ゴ、ゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ――ゴオンッ!

 一瞬にして増水し、結界に向けて激しく波打つ。


「ま、まずい! 暗渠が!」


 外側の衝撃は内部にまで貫通した。亀裂が一気に大きくなり、そこから河川の水が入り込み始めていた。

 そして――



   ★


【Side - エルワン】


「――報告します!」


 そばかすの青年が、エルワンの方へ駆け寄ってくる。


「たった今、陰陽捜査課第二係ダイニの職員たちが黒いパーカーを着た不審者を施設内駐車場で捕捉しました! 暗渠へ逃げたところを追跡中です!!」

「集合!」


 エルワンが号令をかける。

 彼の班の職員たちがきびきびと動き出し、彼の周囲に集まる。そして、きれいな半円をつくるように並んだ。


こおる爆発物処理班マルバクに全階を調べるよう、通達! 難波なんば三吉みよし課長に報告! 青金あおがね、明日葉、新銘しんめいは俺に続け!」

『了解!』


 五人の男女が、エルワンに敬礼した――そのときだった。

 遠くで、何かが崩れるような音がした。

 エルワンは、窓の外を見やる。


「……何だこれは!」


 敷地の西側に面している太七川が盛り上がり、噴水のように水を天へ打ち上げていた。護岸を水圧で打ち崩し、無残に砕けたコンクリートのかけらを巻き込みながら。それもよく見れば、ただ噴きあがっているだけではない。

 一つ一つの水の塊は、鳥の形をしていたのだ。

 侵入者に、逃げられたのだ。

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