Report 14 妖誅(3)

〈交戦状況〉


 壬 VS 陰陽保安局東部支局 → 壬が陰陽保安士を振り切って逃走



〈残存敵対勢力〉


 甲   丙   戊   庚   辛   壬   干




【side - 賢治】


 五色高校の屋上で、賢治、イソマツ、圭子の三人が呆然とたたずんでいる。

 彼らの視線は揃って、フェンスの向こうの陰陽保安局東部支局へ向けられていた。


「まずい! あそこには今、光影がッ……!」

 

 その言葉を聞いて賢治は、目を見開いて叫ぶ。


「光影だって!?」


 圭子はハッとした表情になる。

 自分が失言をしたことに気づいたのだ。


(光影がいる……、ということはマガツの犯行か!?)


 圭子の言葉を受けて、賢治はそう思い至った――そのときだった。


「《スタン・フラッシュ》!!」


 背後から、機械で加工された声が響いた。

 白い光線が圭子に命中する。

 光線が飛んできた背後上空へと振り向こうとしたその瞬間――


 グ――ン。


 身体が何かに引っ張られる、謎の感覚に陥った。

 だが眼下に広がる光景は、さらに信じがたいものであった。


(え……? 何でオレの身体が目の前にあるんだ??)


 ここにいるはずの賢治の肉体が、地面に倒れていたのだ。

 この奇妙な光景を目の当たりにした賢治の頭のなかを、ある言葉がよぎった。


(まさかこれって……幽体離脱か!?)


 幽体離脱。

 それは、自分の意識ないし精神だけが肉体を離れて遊離する現象のことである。

 何らかの術によって賢治は今、幽体離脱の状態にされたのだ。

 この術を行使したのは間違いなく、さっき《スタン・フラッシュ》を唱えた術師だ。

 賢治は身体――もとい霊体が引っ張られている方向へ、振り向いた。


 そこには赤いインバネスコート――赤マントと赤い山高帽を着た人物が、飛行箒に乗って浮かんでいた。


(松元……精輝!!?)


 それは、写真で見せられた松元精輝の姿そっくりだった。

 だが顔は、白いラバーマスクで覆われて隠されている。

 赤マントの右手には伸縮式の杖、左手には中央が赤く光る車輪の形をした魔道具が握られている。賢治は今、その赤い光目がけて吸い込まれているのだ。


(――)


 光が賢治の視界いっぱいに広がっていき――そこで、彼の意識は途切れた。




   ★


【Side - 辛】


「お、おい! こりゃあ一体、どうなっているんだ!」


 辛が狼狽えた声をあげた。

 マルティン教会近くの公園で待機していたのだが、さきほど灯から届いたメールの内容に仰天したのだ。



「五階で謎の爆発。侵入不可能。撤退する」



 遠くで聞こえた爆発音は、この音だったのだ。


「ど、どないしよっと、辛」


 庚もまた動揺していた。

 この兄は外見に見合わず、気の小さいところがある。


「とりあえず、干からの指示を待つしかねえだろ……」


 ブルブルブル。スマホが震えた。

 干からの着信だった。辛は通話ボタンを押す。


『――何で、教会に向かわんの?』


 辛の心臓が跳ね上がった。


(……な、何で干は俺たちの現在位置が分かっているんだ!? GPS追跡機能は切ってあるのに!!)


 辛は震え声で、言い訳をまくし立てようとした。


「い、いや、あの、さっきの壬のメッセージが……」 

『戊も丙も甲もメッセージ受け取ったはずだけど、みんな自分の判断で動き始めているよ。予測してないことがちょっとでも起こったら、動けないの? 二人ともロマネスクのときも指示待ちだったらしいけど、一世紀近く経った今でも指示待ちなの?』


 冷や汗が滝のように流れる。

 朗らかな声音でキツいことを言われるのがこんなにも怖いとは、辛は知らなかった。


「そ、そそそそそそそんなこたぁ、ねえ! これから動こうと思っていたところだ」

『遅いよ。結果で示して』


 プツッ。ツーツー。

 そこで着信が切れた。


「……」


 辛は干に言われて、すっかり自信を失い始めていた。

 判断力がないことの劣等感が、辛の頭の隅々まで侵食し始めていた。

 辛には、一度「自分はダメだ」と思うと気持ちの切り替えができなくなる欠点があった。

 バン!

 だが、意気消沈していた辛の背中を大きな力強い手が叩いた。

 庚だった。


「……レヰ而!! 行くど!」


 庚は弟を鼓舞するように、息巻いてこう言う。


「いかに松元に信頼されてようが、新参者にオイらの何がわかるとね!!」

「兄貴……。ああ、そん通りたい! 俺たちゃ、あの大弾圧を生き残った先達ばい! そん時代を知らん奴に言われたからって何とね! ようし、見返しちゃるばい!!」


 二人は公園を利用する親子たちの注目を集めながら、意気揚々とマルティン教会へと向かっていった。




   ★


【Side - イソマツ】


 赤マント目がけて、オレンジ色の小さな火球が三発発射された。

 イソマツが、振り向きざまに〔バクチク〕を撃ったのである。

 だが赤マントは巧みに飛行箒を操作して三つの火球をかわした。


 イソマツは「¡Mierda!(クソッ)」と毒づいた。


 赤マントは、呪文を短縮詠唱する。

 箒の柄の裏に搭載された杖が光った。

 イソマツの足許に、白い円陣――《サイコバインディング・ペンタグラム》の力場が出現した。

 霊光の鎖がイソマツを絡め取る。

 そして、劇痛が走った。


「ぐっ――」

「《レストレイニング・ワイヤー》!」


 赤マントが唱えた。屋上の地面から金属製のワイヤーが生成され、倒れる賢治の身体を拘束して引っ張り上げる。ワイヤーが地面から離れて、両端を赤マントの身体に回り、賢治と赤マントを結びつけた。


「小田イソマツだな。私はひのえ……。マガツの十干が一人だ」


 機械で加工された声で、自己紹介をする赤マントこと丙。

 イソマツのことなどお構いなしに、一方的にしゃべり続ける。


「私たちの目的はただ一つ。『門』の保有者を奪取して『霊極』の謎を解明し、魔導帝国主義の総本山たるリチャードソニズムを根底から覆して、この術師界に革命を起こすことだ。その目的以外に必要以上の危害を加えるつもりはない。『門』の保有者も丁重に扱うと約束しよう。だから――」


 そこで丙は言葉を止めた。

 ブチィッ!!

 イソマツが、《サイコバインディング・ペンタグラム》の鎖を力づくで引き千切ったからだ。


「なっ……!」

「ペラペラとうるさいよ、tonto(馬鹿)」


 イソマツは丙の背後である搭屋へ回り、天文台へ通じる階段の手すりへジャンプをする。ぐっと踏み込んだ後、その反動で天文台の外周へ飛び移る。さらにそこから、丙の箒目がけて高く跳んだ。


「くそっ!」


 予想外の対応に丙は驚き、箒を上昇させた。

 だが、間に合わなかった。

 ガシッ!

 イソマツは箒の上に飛び乗って、しがみついた。

 飛行箒は大きく上下に揺れた。


「ば、馬鹿! 危ないだろ離せッ!! 離さないなら――」


 丙は赤マントの中に右手を突っ込み、ベルトに吊り下げている棒状の何かを取り出した。

 力場を展開すると、棒状の何かは伸長して小型の飛行箒になる。スペアであった。

 丙は、即座にそちらへ飛び移った。

 ガ、クン――

 パイロットを失った飛行箒は、途端に落下し始めた。


「ははっ、無茶するからだ! お前が悪いんだからな!」


 冷静ぶった態度をかなぐり捨てて、小物じみた悪態をつく丙。

 イソマツは4メートルの高さから半回転し、無事着地する。

 だが丙は既に、上空10メートル以上上昇していた。


「フン……」


 賢治を奪われたというのに不敵な笑みを浮かべるイソマツは、ズボンのポケットから小さなカードキーを取り出す。

 そして、飛行箒のリーダー部分に差し込んだ。


 すると、システム・パネルに『パイロットの登録が完了しました』と表示された。


 尾部のマフラーから、虹色に光る霊気が排出される。


「ハッキングカード!!? 何でそんなものを!?」


 丙はその光景を見て、動揺し切った声をあげた。


「賢治くん、イソマツくん!! 何なんですかこの力場は!?」


 搭屋の扉が勢いよく開き、徳長が飛び出してきた。

 そして横たわる山吹と、飛行箒にまたがるイソマツ。

 賢治を背負った上空の丙の姿を確認して、状況を悟ったようだ。


「……これは!! 賢治くん!!!」

「賢治くんがマガツの連中に、魔道具で意識を奪われて連れ去らわれた! 僕が追う!!」

「待ちなさい!! あの者を追うのは私に任せなさい!!」

「そんなヒマない! あと頼むよ!!」


 イソマツはそう言うなり、飛行箒を急発進させた。

 徳長がまだ何か言っていたが、すぐに聞こえなくなった。




   ★


【Side - 現世】


(……!?)


 現世は、嫌な胸騒ぎがした。

 ここは、円島マルティン教会のプレイルームである。

 君香と六月、祢夢という、仲の良い三人と七並べをしていたら、急に虫の知らせが働いたような気がしたのだ。


「どうした現世?」

「現世ちゃん早くー」

「す、すまぬ。ちょっと、手洗いに行ってくる。このゲームは現世の負けでよいぞ」


 そう言って現世は廊下に出て、トイレに駆け込んだ。

 そして赤いチェックのカーディガンにつけた秘密術師結社バッジ「B」に意識を集中させた。


(……む!)

 

 現世の頭の中に、3Dレーダーのようなイメージが浮かぶ。

 現世を中心とした同心球状に、三つの光球が存在する。賢治・桐野・イソマツに対応し、彼らが現世、現世からどれくらい離れているのかを示している。

 そして、それぞれの光球の動きに異常を感じ取った。


(賢治とイソマツの光球が離れ、明らかにおかしい高度と速度で移動しておる……!? 飛行箒に乗っておるのか!? 一体、何故!?)


 言うまでもないが、駄菓子屋のただのバッジにこんな機能はない。これはゲーティアの精霊「伝令侯爵オリアス」の能力、〔伝令杖カドゥケウシスの複製・イミタティオ Caduceusis Imitatio〕によって付加された力である。

 いきさつは九日前、清丸魔導高校を見学した次の日の夕方に遡る。



 ……

 …………

 ………………


「《伝令侯爵オリアス――召喚エクスヴォケーション!》」


 賢治がそう唱えると、賢治の足許と目の前に一つずつ円陣が浮かぶ。

 そして円陣から、二匹の蛇が絡み合うような白煙が噴き出した。煙が晴れるとその中には、迷彩柄の戦闘服を着た小柄な女性――オリアスが立っていた。右腕には、白と黒の二匹の蛇がまとわりついていた。


【59. 伝令侯爵オリアス Marquis of transmission, Orias】


 戦闘力(combat power):D(攻撃:D 体力:C 射程:? 防御:D 機動:D 警戒:A)

 霊力:A+ 霊力安定度:S 教養:A- 技術:A+ 崇高:D 美:C

 忠誠心:A 使役難易度:III


「お、お呼びいただきありがとうございます! オリアスと申します!! 何なりと、お申し付けください!」


 オリアスが勢いよく頭を下げると、二房に結わいたライトグリーンの髪が上下に揺れた。


 賢治は「あ、はい。よろしくお願いします」と戸惑いながら挨拶を返す。


(余りにも普通の対応すぎて、人間と話しているとか思えない……)

「……ひとつ聞くがおぬしは、特定の物を通信機に変える術を持っているそうだな?」


 現世がオリアスに訊いた。


「はい! 私の従えているこの二匹の蛇、実はギリシア神話の神ヘルメス、あるいはローマ神話のメルクリウスが持つ『伝令の杖カドゥケウス』なのです! これは、ある物を霊波動による通信機能、つまりテレパシーの術を備えさせることができるという力、〔メルクリウスのメルクリー・カドゥケ伝令術ウシス・アルス〕を持っています!」


 オリアスの説明を訊いて、徳長が「ふむ」と声をあげた。


「ゲーティアの悪魔・オリアスの二匹の蛇は、ギリシア神話の神ヘルメスあるいはローマ神話のメルクリウスが持つ杖、ケーリュケイオンもしくはカドゥケウスなのではないか、という説があります。もしそれが本当なら、テレパシーのような識術系の術が使えるのではないかと思い、召喚してもらったのですが……どうやら当たりのようですね」


 清丸魔導高校での監禁および誘拐未遂を受けて徳長は、賢治たちが孤立した状況に陥って連絡が取れなくなる事態をおそれていた。そこで何としても、他の誰かに邪魔されない独自の通信手段が欲しいと徳長は思っていたのだ。

 それで徳長が口にしたのが、オリアスの存在だった。

 徳長は、賢治と現世から教えてもらい、新しく召喚できるようになった精霊のリストに、オリアスの名前が入っていたことを知っていた。オリアスが俗説通りなら、何らかの通信手段となる識術系の術を持っているのではないかと、考えたのである。


「なるほど……。じゃあオリアス、早速お願いできるかな?」


 賢治がオリアスにそう言うと、「はい! では、術を付加させたい物を出してください!」と言った。


「どんなものがいいのかな?」

「そうですね……。交信したい人同士が普段から持っているもの、というのが第一条件です。それに加えて同じものなら、なお交信しやすくなりますね!」

「同じもの……」


 これが問題だった。

 五人が同じもの、しかも普段から携帯しているものなど、そうそうあるはずもない。


「スマホ……じゃ、提出しちゃうからダメだよね」


 桐野が言った。

 徳長は、できる限り賢治たちには普通の生活をさせて、社会のルールを守らせるようにしている。校則に従うこともその一つで、例えば五色高も清丸高も携帯電話は朝に担任教師へ提出することになっている。携帯電話という連絡手段を一時的に手放すことはリスクが生じるが、それでも守るべきルールとして賢治たちに遵守させているのだ。


「では、これはどうなのだ!?」


 そう言って現世は、チェック模様のパーカーにつけた青い「B」のバッジを掲げた。

 以前、桐野が「いけだや」の舐めクジで当てた秘密術師結社バッジである。


「ああ……。そういや、イソマツに渡されてからオレも持ちっぱなしだった」


 そう言って賢治は、マントのポケットから「L」のバッジを取り出す。

 桐野も、パーカーのポケットから「U」のバッジを出した。

 イソマツは、オレンジ色のスウェットにつけた「E」のバッジを引っ張って示した。


「残念ながら私は持っていないので、交信するグループには入れませんね」


 徳長がそう言った。

 通信機にする物は決まった。あとは術を行使するだけだ。


「じゃあオリアス! 〔メルクリウスの伝令杖〕を!」

「はい! ――《偉大なるメルクリウス神の持物アトリブトゥス、カドゥケウスよ! 汝の力を、彼らが持物へと分け与えん!》」


 オリアスがそう唱えると、二匹の蛇は互いに螺旋を描く翼のついた杖に変身した。そして杖先の翼の飾りが光り出し、バッジめがけて(現世の場合は、ゲーティアに変身した現世に対して)霊光を放った。

 やがて光は収まり、術が完了した。


「皆様。カドゥケウスとして複製されたものに向かって、それぞれ念じてください」


 オリアスに言われた通り、四人はバッジに意識を集中させた。

 すると――


(……!)


 賢治の脳内に、自分を中心として球状に空間が広がっている3Dレーダーのようなイメージが飛び込んできた。

 そして、自分のすぐそばに光の玉が一つ。少し離れたところに光の玉が二つ浮かんでいる。


(すぐそばにある光の玉は現世、二つの光の玉は桐野とイソマツだ)


 驚くべきは、それぞれの具体的な距離が目で見るよりもはっきりとわかるということだ。もっというと1メートル単位でわかる。


(GPS発信機能みたいだな……。だが、これは便利だ)


 現世と話せるかどうかを試したく考え、賢治は携帯電話の通話ボタンを押すイメージを思い浮かべた。

 しかし、であった。


(……あれ?)


 何度も念じるが、何も変わらなかった。

 賢治は諦めて目を開く。


「オリアス、何も起こらないんだけど……」

「召喚主様。大変申しあげにくいのですが……この術の射程と、通信できる情報媒体および情報量は、召喚主様の召喚術師としての力量によって決定されるのです」


 オリアスは申し訳なさそうに頭を下げた。


「つまり今の賢治と現世の力量では、バッジを持っている各々の現在位置しかわからないということなのだな」


 現世が言った。

 だが、互いの場所や移動状況がおおよそわかる手段があるだけでも、賢治たちにとってはありがたかった。


 ………………

 …………

 ……



(考えられることはひとつ。――賢治がマガツの連中に誘拐され、それをイソマツが飛行箒で追っているということだ。どうやって調達したかは無論分からぬが)


「……因幡さんから、そんな話は聞いておりません。申し訳ありませんが、お引き取り下さい」


 ソクハの声が、玄関の方から聞こえた。

 すると、聞きなれない男の声がした。ソクハに食い下がっているようだ。


(……まずい! ここにもマガツの手の者が来た!! この場から離れねば、皆が危険だ! どうする……!)


 現世は周囲を見渡す。

 便器の上には、高さ25センチ幅80センチほどの小窓が設えられている。

 教会の本堂のある棟と、フリースクールの教練棟の間は、一メートルほど離れているのだ。そのためあの窓から出れば、そのまま庭へ出られるというわけだ。

 もちろん子どもの現世とはいえ、人間の姿のままで窓を潜り抜けることは厳しい。


(だが、ゲーティアの姿なら……)


 現世は、意を決した表情で窓をにらみつけた。

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