Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(4)

【2011年 桐野 12歳】


 赤城の森の中で灯と偶然出会い、少しだけ救われた気分になったのも束の間だった。

 わたしはそのあとすぐ、学校の教師たちに見つかった。

 最初に手を出したのはわたしだとわかると、鼻血が出るほどの強いビンタが私の両頬を見舞った。

 幸いにも大した怪我人が出なかったが、何人かの親は相当怒っていて警察に通報しようとしたらしいが、学校側がなんとか説得した。学校というのは、とにかく問題が起こることを嫌うのだ。

 家に帰ったらわたしは養父母に、散々殴る蹴るされた挙句に縄でしばられて物置に閉じ込められた。わたしは夫婦が寝たのを見計らって、扉を何度か蹴ってカギを壊して外へ這って出た。


(寒い……、気持ち悪い……)


 だが強烈な寒気と吐き気に襲われ、敷地を出てから15メートルほどのところで、ゲロった挙句に意識を失った。

 そしてそのまま児童相談所に通報されて、一時保護という流れになった。


 児相が動いたとなっては、さすがに親類一同で「見て見ぬフリ」とはできず、宇都宮に住んでいる遠縁の永田家ながたけがわたしを引き取る運びとなった。

 永田家は親類のなかでも比較的裕福で、前の養父母家族のような貧困に苦しめられることはなかった。いじめの切欠が養父母の貧困と家庭環境の劣悪さにあったことは明白だったから、他の親類も同じことを繰り返さないように配慮してくれたのだろう。

 だが永田夫妻は、決して善意でわたしを引き取ってくれたのではなかった。

 親類の厄介者であるわたしを、これ以上変なことをしないように監視下に起きたかったのだ。実際永田夫妻は、「キレると何をするかわからない子」として腫れ物を触るようにわたしを扱った。


 永田家の生活は、今までと比べれば悪いものではなかった。

 四十前後の夫婦は互いに仲が冷え切っていてそもそも会話がなく、小学生の娘はわたしを怖がって目を合わせない。けっして良好な家族関係とはいえないが、そんなものはわたしにとってどうでもよかった。

 ある程度の自由と、衣食住に教育費、月三千円のおこづかい。夫婦は成績さえ良ければ、それだけのことを保障してくれた。わたしにとってそれで十分だった。


 ――だが中学になると、そうもいかなくなった。




   ★


【2014年 桐野 13歳】


(127人中……68位!? そんな、これは何かの間違いだ……!)


 最初の中間テスト、初めてのテストの総合得点で平均点を逃したのだ。

 これは今まで常に満点だったわたしにとって、ひどくショックな出来事だった。

 当時通っていた一等住宅地にある中学校は、比較的成績の良い生徒が集まっていた。全国有数の私立中学校の受験に落ちて入った生徒も少なくなかった。推薦入試を狙って、今から長時間の勉強に励む生徒も多い。そのためわたしのような、塾にも通わせてもらっていない生徒にはどうしても限界があるのだ。

 そしてまた、クラスでは今までと同じように孤立していて、一緒に勉強する友だちなどいるはずもなかった。

 この学校では暴力こそないが、陰湿なイジメが横行していた。これまでに問題を起こし続けたわたしは、その行動を逐一監視され、学校裏サイトで情報交換されていた。そんなわたしに声をかけるものなど、誰一人いなかった。

 わたしのプライドはズタズタに引き裂かれ、ますますゲームへのめり込むようになった。


 このわたしの生活態度を、永田夫妻は放っておかなかった。成績が向上するまで、わたしには行動の制限と勉強時間の増加を言い渡した。


(家でゲームができないなら……。外でやるまでだ)


 必然的にわたしは、ゲーセンに出入りする頻度が多くなった。

 そうして迎えた期末テストは当然のことながら、127人中101位という、さらなる悲惨な結果に終わった。

 わたしはもはや、何もかも投げやりになっていた。そんな荒んだ気持ちで夏休みを目前にした――週末の出来事だった。


(……くっそ。チキン戦法を取るクズばっかりで、何も面白くねえ……)


 暑い盛りの時刻に近所のゲーセンを出たわたしは、とぼとぼとした歩調で永田家のあるマンションの階段を上っていた。

 405号室の前に着くと、鍵を差し込んで開けた。

 するとそこには、いかめしい顔をした娘と母親が待ち構えていた。


(チッ……。面倒くせえことになったな)


 ジトッとした目で、母親が私の方をにらみつける。


「桐野さん……。あなた、成績が上がるまでゲームセンターには行かない約束よね。これはどういうこと?」

「……何のことだよ。わたしは図書館で勉強してただけだよ」

「嘘おっしゃい!! 遠子がね、見ていたのよ。あなたが駅前の大きなゲームセンターに行くところを」

(……このガキ!)


 わたしは反射的に、小学生の娘をにらんだ。気の弱い娘は、すぐに母親の後ろに隠れた。しかしそこから覗かせる視線には、明らかに軽蔑の色と、異物を排除したい意志が込められていた。

 わたしは、その目を見て確信した。


(……そうか。わたしが、邪魔なんだ)


 ここの夫婦の仲は、もうずっと会話がない状態だった。この間、久々に会話があったと思ったら口論だった。

 それは離婚の相談だった。

 そこでは、わたしと小学生の娘の二人が母親に引き取られることで話が進んでいた。

 娘からしてみれば、わたしの存在が邪魔なのだ。いくら養育費が支払われるといっても、そんなものは元父が別の女と再婚するまでだ。

 そのうえ母親は高卒。今日び、学歴も資格もない女性の再就職は困難だ。子どもにだって、今までと同じように生活できないことがわかる。そこでわたしの存在は、彼女にとって邪魔以外の何者でもないのだ。


「ねえ! 黙ってないで、何とか言いなさいよ!」


 そう怒鳴って、永田母がわたしのスラッシャーのリュックを引っ掴んだ。

 不意を突かれたわたしはリュックを奪われてしまう。

 永田母は、リュックを勝手に開けてニンテンドー3DSを取り出した。


(――10歳の誕生日に、お母さんがくれたゲーム機!!)


 激怒したわたしは永田母に怒鳴る。


「何するんだ!! 返せッ!!」


 正直この時点で殴りかからなかっただけでも、自制した自分を褒めたいくらいだ。


「いいえ返しません! こんなものがあるから、勉強に集中できないの!!」

「てめえ、自分の思い通りにならなかったら他人ひとのモノを盗っていいと思ってんのか!! ふざけんなッ!!」

「何て汚い口の利き方……あの親にしてこの子ありね。いいわ、ここでこうして忘れさせてあげる!」


 永田母が、ニンテンドー3DSを逆に開こうとして壊そうとする。

 我慢の限界だった。

 理性が切れたわたしは、頭が真っ白になって永田母にタックルした。


「きゃあっ!」


 永田母は転倒した。

 そのショックでニンテンドー3DSを手放して、フローリングの床に転がった。

 わたしはすかさず、それをキャッチする。

 だが永田母も負けじと、後ろからわたしの同に腕を回した。


「返しなさい!」

「ざけんじゃねえ!! 死んでも返すか!!」


 わたしは胴にまとわりつく細腕を振り払う。

 そしてその化粧っ気のない醜い顔めがけて、一発蹴りを入れようとした。

 瞬間、向うずねに激痛が走る。


「……ッ!!」


 あまりにことに、わたしは一、二秒そこにうずくまった。

 前を向くと、そこには永田夫妻の娘がクイックルワイパーの柄の部分を持って立っていた。


「このガキ……!!」

「……出てって!」


 娘が涙声で叫んだ。

 その目に、あらん限りの憎悪を宿して。


「……ああ、出て行く。出て行くさ。こんなところは、一秒だっていたくねえ」


 わたしは痛む弁慶の泣き所をおさえながら、何とか立ち上がり、玄関の扉を開けた。後ろで永田母が「どこへ行くの!」とか叫んでいた気がしたが、完全に無視した。




   ★


 わたしは宇都宮駅で、神奈川方面に行く湘南新宿ラインに乗車した。

 行く当てはない。ただ何となく、海が見たいと思っただけだ。


(鎌倉に住んでいたころ、母に江の島へ連れて行って貰ったっけ……)


 三時間近く電車に揺られているうちに、時刻は6時を過ぎてしまっていた。

 そろそろ降りないと、夕暮れの海は見られないぞと思い、わたしは下車することにした。

 降りてみると、平塚だった。

 以前見た湘南の地図によると、徒歩二十分くらいで海岸に到達することができるはずだった。

 ビーチは時間が来ると入場できなくなるらしいので、相模川沿いに歩いて防波堤から臨むことにした。県道607号線を南下して、左手の大きな神社を取り過ぎる。漁港に突き当たると、雄大な相模川が見えた。潮の匂いがいよいよ濃くなっていく。湘南大橋につながる国道134号線を越えると、いよいよ防波堤。海である。わたしは、少しばかり胸を高鳴らせながら国道134号線を潜り抜けた。すると――


(……なんだ、これ)


 目の前には、島が広がっていた。

 右手の国道129号線の先に、でっかい島がある。これのせいで相模湾の西と南の水平線が拝めない。


(……忘れていた。平塚海岸の先には、円島まるしまっていう大きな陸続きの島があるんだった)


 しかたなくわたしは三浦半島と、その奥でかすかに見える房総半島を見物するに終わった。期待とはちょっと違った光景だったが、夕暮れの湘南潮来しょうなんちょうらいもなかなか良かった。


 ――今すぐセカイが終わればいいのに、と思わせてくれて。




   ★


 日が沈むと、とりあえずわたしは駅のほうへ戻って適当なファミレスで夕飯を済ませた。


(現在時刻は20時。これから、どうするか)


 未成年であるということは実に不便だ。金を手に入れる手段も限られれば、使うことに関しても制限が加えられる。

 例えばいま直面している問題は、今日の寝床である。ユースホステル、ネットカフェや普通の簡易旅館などは、ほぼ無理とみていい。身分証明書を求められたら、確実に疑われる。仮に身分証明書を求められなくても、わたしの外見ではどうしたって成人には見えない。カラオケボックスやファミレス、ファーストフード店などは年々厳しくなっているから、条例に基づいてすぐに通報されるだろう。


(……となると、もっと規制が緩いようなところしかない。よし、ラブホだ)


 わたしは以前家出したときに、自動清算機があるラブホテルで一泊したことがあるから、勝手を知っていた。

 そうと決まれば、とりあえず補導の危険がある22時前までは時間を潰すことにした。この手のラブホは毎時間何円という従量課金制だから、できる限り利用時間は少ないほうがいい。

 わたしは、駅から少し離れた県道61号平塚伊勢原線沿いのやや寂びれたゲームセンターに立ち寄った。

 中に入ると、この手の場末のゲーセンっぽい冷房の匂いとヤニ臭さが漂ってきた。冷房がキツかったので、夏用のデニムジャケットを羽織る。

 わたしは最新の機種には目もくれず、レトロゲームばかりが置かれているコーナーに行く。10年以上前に稼動された有名な対戦格闘ゲームの筐体きょうたいの前に座る。百円玉を入れてゲームスタート。

 『拳闘街伝けんとうがいでん3』というロゴが消えて、キャラクターセレクト画面になる。

 CPU戦を四回くらいやっていると、乱入された。乱入というのは対戦格闘ゲームの用語で、誰かがプレイしている筐体の対面にある筐体にお金を入れて、挑戦をすることだ。負けたほうがゲームオーバーとなり、勝ったほうはそのままプレイを継続できる。

 このゲームは、わたしの庭みたいなものだ。五人ほど連続で軽くいなしてやった。対戦は三本マッチだが、全て二勝で勝ち抜いた。そのうち五戦は、一発もダメージを受けないPERFECT完封を決めてやった。


(……げっ。ギャラリーができあがってやがる)


 いつの間にか、わたしのプレイを観戦する客が増え始めていた。口々に「あの子うまいな」「あんな可愛いがこんなレトロゲーを?」「子どもなのに珍しいね」などと、勝手な感想を言い始める。


(……乱入なしのゲームか、別のジャンルにすればよかったな。これ以上、目立つのはまずい)


 わたしは思案する。このままここでゲームを続けるべきではない。時間的にも、そろそろ補導される時間だ。


(――よし。次の相手に勝ったら、ここを出よう)


「いやあ、お強いですね」


 筐体の向こうから、声をかけられた。

 顔をあげると対面の筐体の前に、やや大きめのキャリーケースを二十代半ばくらいの若い男性が立っていた。涼しげな奥二重の目が、わたしを捕らえている。


(……なんだ、こいつ)


 こういうタイプのゲームでの対戦は申し合わせなどせず、互いの顔も見ずに行う。そして敗れたほうが、黙って去って行くのがフツーだ。


「不肖ながら、お相手したく存じます」


 ペコリと頭を下げる男性。

 ヘーゼルナッツの皮のような色(ベージュと薄緑の間みたいな感じの色)の長髪で、ぼんのくぼの辺りで結んでいた。イミテーションの琥珀こはくが設えられているループ・タイに、マホガニーの縦じまワイシャツ。ジャケットはライトグレー。

 外見の若さに似合わない、ジジ臭い喋り方とファッションをしていた。


(ダセー喋り方とファッションだな……。ちゃんとすれば結構モテるだろうに。まあどうでもいいけど)


 画面に、「NEW CHALLENGER!」のテロップが出る。


「すみません。この勝負、賭けをしませんか?」


 男が突然、言い出した。


「賭けだと……?」


 わたしは怪訝な声をあげた。


(何だコイツ……。まさか、援助交際エンコー目的とかじゃねーだろーな?)


 男は淡々としながらも、さっきよりも低いトーンでこう言った。


「――わたしが勝ったら、あなたには即刻お家へ帰ってもらいます」


 トンカチで頭を殴られたような錯覚がした。

 男は、追い討ちをかけるようにこう続けた。


「この辺の子じゃないでしょう? あなた」

(……この野郎。わたしが家出中だということを見抜きやがった!)


 心臓が早鐘を打つように鳴り出す。


(――どうする。逃げるか……。いやいや、そんなことできるものか! ここで立ったら、それこそ家出したことを認めるようなものだ。

 それにゲーマーの端くれとして……敵前逃亡などありえない!!)


 わたしは声が震えるのを必死に抑えて、こう言い返した。


「わかった。……ただしアンタが負けたら、わたしの前から消え失せてもらうよ」


 男はニッと唇の両端をあげて(顔は見えないけど、そんな風な気がした)、「いいですよ」と言った。

 「VS」の文字を挟んで互いのキャラクターのバストアップが向かい合っている画面がフェードアウトし、対戦画面がフェードインする。


 ――ROUND ONE, FIGHT!!


 ゲームがスタートした。

 フィールドは、先程見てきたような夕暮れの防波堤。

 1P左側、野球帽を被った細マッチョなブロンドの白人男性がわたし。

 2P右側、小柄で貧乳なポニーテールのくのいちが挑戦者の男。

 

(……負けて、たまるか!)


 わたしはジョイスティックを右に曲げ、相手よりも先に動き出した。――

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