Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(5)

【2012年 灯 93歳(外見年齢20歳前後)】


『六番コンベア何やってんだ!! 早く流せよ!』


 構内スピーカーから、怒鳴り声が響いた。

 作業フロアに林立する金属ラックが、ビリビリと鳴る。中二階の作業フロア、左右が商品で満たされたラックに挟まれ、私は作業していた。

 ここは、八大商社の一つに数えられる某大企業の飲料水及び酒類販売・物流部門の下請けの下請けを承っている流通センターである。

 パートタイマーである私の担当は、いわゆる商品の補充である。フォークマンが商品を上げてくる入荷ラックから、ピッキング(指定された商品を取ってきて出荷する作業のこと)用の商品を置く出荷ラックへと移す、補充作業を担当していた。


『おい早くしろって言ってんだよ! 時間ねーんだよ、わかんねーのか!!』


 いまスピーカーで怒鳴り散らしているのは、このフロアの担当社員だ。

 今は九月下旬。繁忙期のピークであるお盆は過ぎたとはいえ、まだまだ残暑がきつく、出庫量は高止まりの状態だ。

 だからこの一ヶ月ほど、スピーカーから彼の濁声が放送されない日はない。正直、鼓膜と腰痛に障るので勘弁して欲しい。

 そうかと思っていたら、急に神妙な声色が流れてきた。


『佐々木さん、加藤さん。あなたたちは今期で辞めてもらいます。次の契約更新で、更新しないでください』


 采配の誤りは管理職が責任を持つなんてのは、妄想の世界の言葉。こういう時のしわ寄せは下に押し付けられ、切り捨てられる。私たちなんてその程度の存在だ。

 心を無にして身体を動かしていると、また放送が流れる。内容は、今日の分の出荷が終了したことを知らせるアナウンスだった。

 私たちは簡単な清掃を済ませて、ロッカールームに戻る。

 支給されたエプロンを外し、夏用のパーカーを羽織る。着替え完了。

 パートさんや常勤の派遣さんに「お疲れ様です」と言う。

 彼女たちも「お疲れ様」と返す。

 私は彼女たちが普段、「暗いよね。あの子」「あの髪型、パンク気取ってんの?」「中二病抜けないんじゃない?」とか陰口を叩いているのを知っているけれど、こういう挨拶の応酬くらいはきちんとするのだ。それが社会人というものである。

 そんな悪口に花を咲かせる気配を背中に受けながら、私は職場を後にした。


 倉庫を出ると、強烈な日差しが私を襲った。

 空と土手は、極彩色の青と緑に染まっていて、夏の気配に満ちていた。

 だが私の心はもう、何年も色を失ってしまっていた。

 成人期がヒトよりもはるかに長く、歳を取らない私は、同じ職場で5年と働いていられなかった。

 それに身分証もないわたしは、素性を知られると厄介だった。

 戦後の十年くらいは戸籍が燃えたことにすればよかったのだが、時代が変わるにつれ、そうもいかなくなってきた。

 平成の時代になると、私は日雇い派遣をやるようになった。登録は簡単だし、現場も変わる。素性を隠したい私にとって、うってつけだった。

 だがそれも、今年の秋の法改正によってかなり制限されることになるだろう。だから仕方なく私は、ここで長期契約の派遣社員として働くことになった。

 雇用促進のためとか、こちらからすれば溜まったものじゃない。年収500万以上で日雇いをやる人間が、一体どこにいるというのか。


(……あ、降りなきゃ)


 バスの座席でまどろんでいたら、自宅から最寄りの停留所の一つ前だった。わたしは慌てて停止ボタンを押す。

 停留所に着いた。

 バスから降りると、むっとした熱気が襲った。

 川沿いにあるコンビニへ避難する。

 そこで私は一番安い弁当を選んで、レジへ行く。

 レジには、新商品の「ミルクシェイク」の広告が貼られていた。

 今日は給料日だ。少しくらい贅沢をしたっていいだろう。


「すみません。ミルクシェイク一つ」


 私は若い男性の店員にそう頼んだ。店員はとても快活な笑顔で、てきぱきとした動作でミルクシェイクのカップを用意する。

 一昔前はコンビニのバイトの態度が云々とか言われていたようだけど、この数年で接客スキルがつたない店員というのを見たことがない。バイトに就くことすら難しい昨今、マジメになって能力を向上せざるを得ないのだ。

 私はカップを片手にスムーザーのボタンを押して、ミルクシェイクを入れた。

 コンビニを出て、自宅のアパートまでの道のりをミルクシェイクをすすりながら歩く。


(アリオラが作ってくれたミルクセーキには遠く及ばないが……、贅沢は言えないな)


 そうこうしているうちに、アパートに着いた。

 自宅は六畳一間の築ウン十年。トタンの変色が著しい。トイレは和式で風呂はバランス釜だが、あるだけありがたいと思わなければならない。

 部屋の中は非常に簡素なもので、ほとんど私物がない。引っ越すときに面倒だからだ。趣味もない。粗大ゴミ置き場から拾ってきたボロボロのちゃぶ台の上には、1万円で買った中古のパソコンがある。スマホの前のガラケーで得られる情報は限界があったため、パソコンは必需品だった。けれども、これもそろそろ贅沢品かもしれないと、最近では思い始めている。

 PCを立ち上げ、弁当を開く。ミルクシェイクはとっくに飲み干してしまった。

 百回は食べた味が、口の中に広がる。

 疲労に眠気を覚えながら、私は匿名掲示板やSNSを巡回する。インターネットはいい。素性が知られないから、私のような根無し草にピッタリだ。

 私は、唯一アカウントを持っている簡易ブログ形式のSNSを開く。そしてだらだらと、「消えたい」などといった愚痴めいた――抽象的な放言をつぶやく。アイコンは卵のままだ。

 無趣味といったが、私の唯一の趣味と言えることだろう。

 暗い? 言ってろ。


(ん、リプライの通知がある……。「Kan_10」か?)


@hiddenshade スリーマートのタルタルチキンサンド。@hiddenshadeさんが油っこくてパンがふにゃふにゃっていうから迷ってたんだけど、職場の女の子がマズいって言ってました。買わなくて正解です ^_^


 やっぱりそうだ。

 私はKan_10にリプライを返す。


@Kan_10 そうですか。似たような名前のタルタルフィッシュサンドはさっぱりして美味しいですよ。


 Kan_10は半年前に、このSNSで知り合ったアカウントだ。

 彼だか彼女だかわからないこの人物と話すことは、どこどこのコンビニの惣菜パンがうまいとか、どこそこのスーパーは何曜日が特売日だとか、誰にでもトクする情報から、何某という派遣会社や現場はブラックだからやめた方がいいなどといった、そんなこと当たり障りのないことばかりである。

 近年ネットで盛り上がっている、政治的な事柄や時事的な事柄とかは、一切話さない。互いの深い所に入ってこない無責任なやり取りというのは、私にとって都合が良かった。

 こいつとの関係はそれ以上にもそれ以下にもならない――はずだった。


 ポーン。

 Kan_10から、メッセージ(簡易なメール機能のこと)が届いた。

 アイツがメッセージを送ってくることは、初めてのことだった。

 私はKan_10のメッセージを開く。



 あなた、ロマネスクの「ハウス」さんですよね?



 その一文を読んで私は、心臓が止まりそうになった。 

 ロマネスク。

 あそこでの日々は、ずっと記憶の奥底に封印してきた。


 一・一九事件の日。アジトを出た私は、山梨の都留地方へと向かった。そこには、道志どうし川天狗が支部長となるロマネスクの支部事務所ビューローが存在するためだ。

 その後すぐ、ロマネスクの五人について情報が入った。

 リンガー、アリオラ、ヘルメス、サンは、逃げている途中で次々と特別憲兵隊に殺害された。

 松元に関する情報は全く入って来なくなり、生きているのか死んでいるのか分からない状況になった。

 特別憲兵隊や退魔師、妖魔同盟は盛岡辺りまでしか追えなかったようで、そこからリチャードソン暗殺までの足取りは、現在でも不明なままだ。


 そして山梨ビューローも特別憲兵隊に突きとめられた。

 道志川天狗の支部長が特別憲兵隊に脅されて、居場所と仲間を売ったのだ。

 私は何とか逃げ延びたが、他の術師たちはその場で射殺されるか検挙された。


 それからはロマネスクの残党を頼って転々としたが、当局の追跡は厳しくて次々と摘発されては逃げるといった繰り返しになった。

 山梨ビューローの支部長みたいに、ロマネスクの構成員自らが我が身可愛さに、当局へ情報を売る裏切り行為も頻発した。


 当時の私にとって、それはショックなことだった。

 私は松元たちの崇高な意志を継ぎ、逃亡の道を選んだ。

 それなのに彼らは軟弱にも、平気で松元たちの思想を踏みにじった。


 私は疑心暗鬼に陥り、心を折ってしまった。

 彼らから受け継いだはずの高邁こうまいな思想は、ガラガラと音を経てて崩れてしまったのだ。

 諦念と絶望に侵された私は、ロマネスクの残党から距離を置くことにした。

 ちょうどその頃は、戦争の気配が内地まで漂い始めたため、弾圧もよりひどくなっていたのだ。

 私は〔変化〕によって眼の色を隠して、人里に潜り込むことにした。

 そうしているうちに、戦争は終わった。

 戦争が終っても私は、かつての仲間に会おうとはしなかった。


 この頃にはもう、「革命なんて無理だ」と諦めきっていた。


 松元精輝。


 あなたのような英傑がいながら、革命は成し得なかった。

 誰もあの、凄惨な戦争を止めることができなかった。

 いくら〔深淵〕の力を持っていようとも、私一人に何ができるというのだろう?

 結局私は、革命などどうでもよかったのだろう。

 松元と、一部の本当に彼が信頼していた仲間たち――例えば、サン、ヘルメス、リンガー、アリオラ――が作る、あの「場」が好きだっただけなんだ。

 そしてその「場」は――もうどこにもない。永遠に戻らない。

 

 あなたのいない世界で、今さら革命を起こすことに一体何の意味があるだろう?


 私は罪悪感を感じつつ、自らに宿る革命の火を自らゆっくりと鎮火させていってしまったのである。


 そのため術師界成立以後も、私は一歩も術師界に足を踏み入れることなかった。

 私の愛する人たちの命を踏みにじった連中が築き上げた場所でなぞ、誰が暮らすものか。

 そんなことをするくらいなら、魔術も妖術も知らぬヒトの社会のなかでボロボロになるまで働いて孤独に死んだ方が、何等もマシだと思えた。


 そのようなわけで私は、今日までほぼロマネスクの残党との交流を絶ってきたのである。

 もちろんいかなるSNSでも、自分が――現代の言葉でいうところの――「術師」であることも、ロマネスクのことも一度として話していない。

 Kan_10は私の素性を一発で言い当てた理由が、全くわからなかった。


 今になってヒトの社会がロマネスクの残党狩りを始めたってこと?

 Kan_10はその手先?

 あり得ない。

 ヒトの勝利はもはや確定している。

 今さら何の意味があるというのだ。


(落ち着け……。沈黙しているのはどのみちまずい。何か返信しなくては……)


 私は悩みに悩んだ結果、とりあえずKan_10に返信することにした。



 意味がわからない。何を言っている?



 それだけ打って、送信ボタンを押す。

 すると、しばらくしてからKan_10から返信が帰ってきた。

 私は、心臓を高鳴らせながらその返信を読んだ。


「……!!」


 私は息を呑んだ。

 返信の内容よりも、添付された画像ファイルの方に私は驚愕した。


 そこに映っていたのは、「雹 Haggal」のルーン文字が刻まれた黄金のメダルだったからだ。

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