Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(3)

【1932年 灯 12歳】


「立て!! 帝国に里を蹂躙され、ヒトに紛れて日々労苦を強いられている妖怪たちよ!!

 邪宗と蔑まれ、精神の自由を凌辱された魔術師たちよ!! おのれの革命的使命に覚醒せよ!!」


 フードを目深に被った私はそう叫んで、大量に印刷されたビラを数十枚ずつ掴みながら、約30メートル下の路上の群集に向かってばら撒いた。

 夕陽にきらめきながら、あっちへチラチラこっちへチラチラと、無数の紙切れが舞い飛ぶ様は一瞬爽快に感じたが、それだけだった。

 ここは、日本橋のとある百貨店。

 私と松元は客に紛れて屋上階までのぼり、柵に身を乗り出す形でアジテーションを行ったのだ。

 バン!

 背後の鉄扉から、警備員が警察官二名を引き連れて現われた。


「おいコラ! 何をしている!」


 怒鳴る中年の警察官。

 だが松元は全く意に介さず、指揮棒のような白樺の杖を懐から取り出して得意とする北欧系の魔術を行使した。


「〈《úrウル》……雲より出でてそらに舞い降るものよ、我が身を隠さん〉」


 松元がそう唱えると、白樺の杖の先端に〈霧雨・残滓(úr)〉のルーン文字が描かれた光の魔法円が浮かぶ。

 魔法円から光の霧が噴き出して、私たちを包み込んだ。すると――


「な、何だ! どこだ! どこへ行った!!」


 警察官は慌てて周囲をキョロキョロと見回す。

 〈霧雨・残滓〉のルーンの呪文は、唱えた魔術師が指定した範囲の姿を隠す力場を展開する。

 松元は黙って私の手を引き、その場から駆け出して扉の方へ戻る。

 実はここに来るときも、こうやって身を隠したのである。

 松元の全身赤ずくめの姿は、何処へ行っても目立つからだ。

 百貨店の店内は、屋上で何ごとか起こったらしいと察した客たちによって、大いにざわめいていた。


「どうだい? 少しは慣れたかい?」


 だが松元はそんなざわめきをよそに、あたかも職場の先輩が新人に問うような調子で私に聞いた。


「……どうもなにも、こんなの人民党の真似事じゃないか」


 私は素っ気なく返した。

 私が松元に保護されてから一年近く経った。この間私は、参入儀礼イニシエーションを経て、ロマネスクの正式にメンバーとして迎え入れられたのだ。

 地下集会、アジビラのばら撒き、抗議デモ、シンパの大学教授などを招いてのシンポジウム……はっきりいってやることが、他の非合法組織と何ら変わらない。違いがあるとすれば、魔術や妖術を行使するという一点のみだ。


「フフフそれもそうだ。だが我がロマネスクと一緒にされるのはやや不本意だ。現在、この国では憲兵特務機関『當摩』の役割を引き継いだ『特別憲兵隊とっけん』による弾圧がいや増しに高まっている。だのに、この危機的状況においても彼らは、分裂と内紛ばかりを繰り返している。――わたしたちは、彼らとは一線を画すと同時に、その仲立ちを果たす存在となることを、常に志しているのだ。君も我が団の一員に加わった以上、ゆめゆめ覚えておくように」


 ぼそぼそと低い声で、だが一気呵成いっきかせいにこの男はそう言った。

 私は話の内容には特に聞きいることはなく、息が切れないのだろうか、などとくだらないことを考えていた。

 この男は顔色の悪い容貌に似合わず、肉体もかなり頑健なのである。

 大傳馬町おおでんまちょう、人形町を通り過ぎて、新川を超えて茅場町に入り、追っ手がいないことを確認すると路地裏に潜った。

 そこで松元は〈霧雨・残滓〉のルーン魔術を解いて、別の呪文を唱え始めた。


「〈《フェー》……、生ける者は生けぬ物へと為り、餓える者を富ませ、肥やし……変革せん〉」


 〈富・牛のルーン(fé)〉が、白樺の杖の先に浮かぶ。

 すると、私と松元の衣服が輝き始める。

 松元の服は、スタンドカラーシャツに袴、下駄、ロイド眼鏡、そして黒いインバネスコートという書生風のスタイルに成り替わった。

 一方の私はフード付きのアノラックパーカーから、桃色の矢絣やがすりの袴という女学生風の恰好に変身した。

 松元は手を挙げて「一円タクシー円タク」というプレートが張られたA型フォードを止めた。そして私の手を引き、円タクへ乗り込む。


「東神田のカフェ、ラズル・ダズルまで」


 なんとこの魔術師は大胆にも、逃げてきた方向に逆戻りするよう、若ハゲの運転手に指示したのだ。

 私は「おい大丈夫なのか」、と小声で誰何しようと松元の袖を引っ張る。

 だが松元は黙って、人差し指を唇に当てた。

 対向車線の側の歩道を見る。

 すると、さっきの警察官たちが走ってきた。

 私は思わずアゴを引く。

 だが警官たちは、そのまま素通りしていった。

 どうやらやり過ごせたようだ。

 しばらくすると、右手に「ラズル・ダズル」と書かれたネオン看板が見えた。

 松元が「ここで」と運転手に言う。

 そして、懐から一円札を迷いなく差し出した。

 すると運転手は髪が薄くなった部分にぺたりと手をあてて、「どうもありがとうございます」と満面の笑顔を浮かべた。


(……このくらいの距離だと「80銭に負けろ」とかゴネる客も多いんだろうな)


 そのカフェはレンガ造りで、この辺りならどこにでもある簡素な洋風建築だった。

 松元は、ラズル・ダズルの両開きの扉を開く。

 店内にまだ客はいなかった。

 松元はいくつかの丸テーブルを通り過ぎ、まっすぐカウンターへと向かった。

 そしてカウンターに立つ偏屈そうな初老の男に、懐からあるものを・・・・・取り出して提示した。


 それは、中央を結ぶ横棒が右下がりになった「H」――「雹 hagall」を表すルーン文字が刻まれたメダルだった。

 初老のバーテンダーは表情を一変して恭しい態度を取り、「こちらへ」と奥の扉に右手を掲げた。

 松元は「ありがとう」と言って、その扉に手をかける。

 扉の向こうは、地下へ通じる階段があった。

 くだると、そこは木箱や樽が雑然と置かれた物置だった。

 松元は何もない壁に杖を当てる。

 そしてゆっくりと、霊力場を展開した。

 すると「Das Gemeineダス・ゲマイネ」と、光る文字が壁に浮かび上がった。

 松元は杖を一振りして空中に「Urstandウルシュタント」と、同じように霊力の光で文字を描いた。

 そして、驚くべきことが起こった。


 「Das Gemeineダス・ゲマイネ」という光る文字が長方形へと変形していき、一際強く光った。

 光りが収まると、そこには鉄の扉があった。

 松元は扉のドアノブに手をかけて、ゆっくりと開く。

 なかは、一階よりもやや手狭な酒場になっていた。

 設えられている椅子や丸テーブルには、既に何人もの男たちが腰を掛けている。バーカウンターには、一階と同じように様々な種類の酒が並んでいタ。


 そう。ここは、ロマネスクの非公然アジトの一つなのである。

 そして労いの言葉が、松元と私を迎え入れた。


「おービクター。お帰り」

「お疲れ様ですビクター!」

「ハウスちゃんも座って座って!」


 ビクターというのは、松元の魔術名である。

 魔術名というのは、魔術結社に所属する魔術師に与えられるコードネームだ。ロマネスクに入団すると、魔術名と偽名の二つの名前が与えらえる。魔術名は魔術師同士が互いに呼び合う用途で使われ、偽名は郵便や機関誌など表の世界で使われる書類に記載するためのものだ。

 ちなみに私の魔術名は「ハウス」、偽名は「田野たのカンナ」だ。 


「まーまー、駆けつけ一杯ってことで」


 飄々した雰囲気のタレ目の男が、松元の肩に手をかけてそう言った。


「ただいま、サン」

「おかえり。お前さんがこの間欲しがっていた林檎酒シードル、何とか手に入れてやったぜ」


 サンはそう言って、瓶を松元に差し出した。

 松元は「ありがとう、ちょうど林檎酒が呑みたい夜だったんだ」と言いながら王冠に爪を引っかける。

 すると、彼の爪に暗黒の霧が取り巻き始めた。霧は凝縮して、つけ爪のような形で固まった。漆黒の爪を王冠に引っ掛けると、ポン! という音を立てて、王冠が吹っ飛んだ。爪はいつの間にか元の白い爪に戻っていた。


「ビクターの旦那、そんなことでガンドを使うんですかい?」


 眉毛が立派でギラギラとした雰囲気をまとう痩せ型の男が松元に言った。

 ガンドとは北欧系の魔術の一つであり、霊力を凝縮して様々な物理現象を引き起こす術だ。さっき松元が開栓に使ったのはそれだ。


「モード。魔術は本来生活・・のためにあるものだ。『雨乞あまごい』だってそうだろう?」


 そう返して松元は、林檎種をラッパ呑みする。


「……ハウス。吾が目指している世界はね、誰もが自分の好きなことをして、それで喜ぶ他人の声を糧にし、さらに好きなことに励める世界なんだ。そして、そうした生活を支える技術が『魔術』であり、『唯物弁証法的魔術』である。――というのは、何度も話したね?」


 どこか遠くを見つめるように松元は、そう言った。


「疎外……だっけ」

「そう。例えば、この林檎酒。これは美味いが残念なことに、生産する機械を自分で持たず林檎酒に興味関心がどれほどあるかわからない労働者を搾取することによって作られているものだ。だが人民主義においては、林檎酒を作ることが本当に好きな人が生産手段を保有し、好きなだけ林檎酒を作ることに励むことができる。そうしてできた最高の林檎酒は、呑むものに各々の好きなことの生産に励む力となる。こうして各人民の『好き』な生産の好循環を生み出すのが『人民主義社会』であり、吾が目指している理想の世界なのだ」


 私は(そんな上手くいくものか)と心の中で毒づいた。

 しかし、魔王じみた外見に似合わず少年のようなキラキラとした目で語る松元を見ていると――実現しそうな気がするから、不思議なのだ。


「ビクターの言う通りばい!」


 顔中にひげを生やした筋肉隆々の小男が反応した。


「魔術・妖術は生活のためにあるとね。金槌坊であるワシの力も、元々は生業なりわいである冶金のためにあったものたい。だからこそ、儂らはこの運動に加わったば――あがっ!」


 小男はテーブルに足を引っ掛けてすっ転び、グラスの芋焼酎を床にぶちまけた。


「呑み過ぎだぜ、ハリー」


 サンがせせら笑うように言った。

 この人はいつも皮肉めいた笑みを浮かべているようで、本気で笑っているのかどうかいつもわからない。

 モードが「すみませんね、サンの旦那。……ほれ兄貴! こっち来て頭冷やすばい」と、ハリーを介抱する。


 私はこの非合法組織での生活の、どこかぬくい雰囲気が嫌いじゃなかった。

 お父との暮らしや里とは全く違う生活様式スタイルではあったが、似通った「温かさ」が通底しているように思えたのだ。

 いま思えば私は、斜に構えた態度を取りながらも、この人たちが好きだったのだろう。


「ハウスちゃんはミルキセーキでいいかな?」


 ふと、カウンターの奥にいた眼鏡の男性が私に声をかけてきた。

 私は「はい。お願いします」と返した。


「ちょっと待ってて。アリオラほどは上手く作れないけど、勘弁してね」


 男性と笑いながら言って、ミルクセーキを作り始めた。


「リンガーとアリオラは、まだドサ回り・・・・から戻って来られないんだっけ?」

「あの二人は目立つからな。締め付けが厳しくなっている今はまだ、東京に戻って来ねえ方がいい」


 松元とサンがそんな会話を交わしていると、男性がカウンターにミルクセーキを置いた。完成したようだ。


「はい。お待たせ」


 私は「ありがとうございます」と言ってそれを手に取ろうとした――が、


「テレフォン。ミルクセーキにマンドラゴラは入らねえだろ?」


サンが私と眼鏡の男性――テレフォンの間に割って入った。

 それまで酒精と紫煙のなかで歓談していた魔術師と妖怪たちが、顔色を一変させてこちらを振り向いた。


「な、何を言っているのですサン!」

「とぼけるなよ。さっき卵と一緒に入れた粉末、ありゃあマンドラゴラを乾燥させたもんだろ? マンドラゴラにゃあ催眠効果と依存性がある。首領に可愛がられている子をヤク漬けにして、一体何をさせるつもりだったんだ? あん?」


 テレフォンに詰問をするサン。

 彼は答えに窮して、黙り込む。


「テレフォン……。潔く、自分が特別憲兵隊の諜報員スパイなのだとここで白状するべきだ」


 松元が、無表情のままテレフォンに問いかける。

 その目と声音には、失望と悲しみが込められているように思えた。


「リンガーとアリオラに捜査させたところ、君が特別憲兵隊の東京市諜報分隊に所属していることが判明した。なかなか決定的な証拠は得られなかったのだが、君の故郷である秩父まで二人に赴いてもらってようやく足がついたと、今朝送られてきた封書に書いてあったんだ」


 テレフォンは、扉のあった方に目をやる。

 しかし、そこは既にただの壁になっていた。

 この魔術的な仕掛けはテレフォンだって当然知っているはずだ。しかし、この状況で冷静な判断をしろと言っても無理があるか。


「残念だよテレフォン……。君の作ってくれる蜂蜜酒ミードと薬草酒のカクテルは、最高に美味しかったのに」

「く、くそっ!」


 追いつめられたテレフォンは、ジャケットの懐に手を入れた。

 その途端――銃声が鳴り響いた。


「……」


 どさり。

 テレフォンが、額から鮮血と脳漿のうしょうを垂れ流して崩れ落ちた。

 私は銃声がした方向を振り向く。


(サン……!!)


 そこには、リボルバーを握るサンの姿があった。


「ひ、ひいいっ……!」

「なんばむげえこっちゃ……」


 突然の惨事に、モードやハリーといった若い闘士たちは狼狽えた声をあげるが、幹部であるサンと松元は一切そんな素振りは見せず、この状況で取るべき行動を迅速に取る。


「ビクター、あっちへ」


 サンが松元に、ダーツ盤が吊り下げてある壁を指さした。


「地上まで銃声は届かないし、周囲に仲間がいるとは考え難い。だが、万が一のことがある。お前はここから逃げろ」


 それから私の肩に手を置いて「ビクター――松元のことを頼んだぞ」と言い残して、テレフォンの死体の方へと向かった。

 松元は「すまないサン」といって、私の手を引いてダーツ盤の方へと向かった。

 松元がダーツ盤に杖を掲げて霊光を浴びせる。

 すると、壁が切り取られて回転扉のように回転した。

 その奥には通路があった。

 ツン、と鼻を突く臭いがした。どうやら下水道とつながっているらしい。


「……非合法活動は、甘いだけじゃない」


 松元が不意に口を開いた。


「理想を叶えるためには、非情にならなければならぬ時がある。君も我が結社の一員である以上、理解しなければならないことだ」


 私を労わると同時に戒めるような口調で、松元は言った。

 その通りだった。

 切った張ったの荒事は日常茶飯事。それが、非合法活動の世界なのだ。

 この通路の果てしなく昏い闇が、私とロマネスクの未来を暗示しているようだった。




   ★


【1935年 灯 15歳】


「ダメだ、王子区のアジトも落ちた。どうするビクター」


 トサカのように逆立てた奇妙な髪型をした男――リンガーが言った。

 ビクターこと松元精輝が顔をあげる。

 だが、いつもより眉間にしわを寄せているものの無言のままだ。

 彼の周囲にいる四人の男……リンガー、アリオラ、ヘルメス、サンも、同じように険しい表情をしたままだ。

 ここは東京某所の地下に設えられた、魔術結社ロマネスクの本部アジトである。

 ここには松元含め最高幹部の五人と――新たに幹部として迎え入れられた私を合わせた、六人しかいない。


「荒川区で戦っているフライハイの部隊も、いつまで持ちこたえられるかわからねえ。ここに攻め込まれるのも時間の問題……。やべえ、やべえよ!」

「おい。こんなときに、何にやついてんだサン」

「笑ってねえ。生まれつきこういう顔なんだよ」


 いつも冷静なロマネスクの最高幹部たちがこれだけ狼狽するのにはわけがあった。

 「第七天」作戦。

 昭和10年1月19日、ロマネスクは新興宗教『不死団しなずだん』と手を組み、そう名づけられた大規模な武力闘争を行った。

 不死団はその修行法に、薬問屋・露ノ屋つゆのやで製造された薬物を使っている。露ノ屋の薬物はロマネスクでも重宝しており、ここを通じて両者は接近した。

 他の新興宗教が当局に弾圧される昨今の風潮において、不死団も例外ではなかった。そこで生き残りのために、彼らは武装路線を選ぶことになったのだが、それにロマネスクは同調することにしたのだ。

 そして今日、ロマネスク・不死団連合部隊が帝都で兼ねてよりの計画を始動する――はずだった。

 

 露ノ屋が土壇場で裏切り、特別憲兵隊に私たちの情報を売り渡したのだ。


 計画を知った特別憲兵隊は総動員するだけでなく、陰陽寮を始めとして密教寺院やエクソシズムの性質が強い教会など、体制側の術師たちに協力を呼びかけた。

 さらには、松元と対立関係にあった妖魔同盟と不可侵協定を結び、協力を要請したのだ。

 私たちは四面楚歌の状態になり、行動はことごとく失敗して検挙されるか、最悪その場で殺されてしまった。

 こうしてたちまち制圧されてしまった私たちは今、本部のアジトに逃げ込んだというわけだ。

 ここも、いつ見つけ出されるか分からない。

 ロマネスクは――いや、魔術師と亜人の解放運動は今、存亡の危機に立たされていた。


「ちくしょう露ノ屋め! 和谷露陣め!! 裏切りやがって!!」


 五人の中で最も幼い顔つきをしているアリオラが、そう毒づきながらテーブルを拳で叩きつけた。

 リンガーが「落ち着けよ甚太」と本名で言った。


「だってあにい!」

「今更喚いてもどうにもならねえ。冷静になれ」


 結論の出ない話し合いを傍らで聞いていて、私は自分の無力さを恥じた。

 ――また私の大切な人たちが、危険な状況に陥っている。

 それなのに、私には力がない。


「……灯」


 私が自分を責めていると、ふと松元が声をかけてきた。 


わたしたちが北へ逃げて、帝国のいぬどもを引きつける。その隙に君は、西へ逃げるんだ」


 耳を疑った。

 それでは、「自分たちが囮になる」と言っているようなものではないか。


「ふ……ふざけないでください首領!! 結社の首領自らが囮になるなど、ありえない!!」


 松元の意図が読めず、私は激昂した。


「吾の命など、結社の革命的使命に比べれば取るに足らない。大事なのは、意志の継承を絶やさないことだ。だから、君には逃げ延びる義務がある」

「首領!!」

「聞くんだ、灯!!」


 目を見開いて驚く私。

 松元が大声をあげて怒鳴ることなど、滅多にない。 

 怒鳴ったかと思うと松元は、顔をうつむかせて訥々とつとつと語り始める。


「君と石老山で出会ったとき……。実は、君はもう助からない状況だったのだ」

「えっ……?」


 突然話題を変えられ、理解が追いつかない。


「最後の力を振り絞って〔川變万化〕を放った君は、既に虫の息だった……。放っておいたら、間違いなく死んでいただろう。……吾は思わず、力を分け与えてしまった。この身に宿る、恐るべき力・・・・・を」


 そう言う松元の声音には、申し訳なさが込められているようにも思えた。


「恐るべき力……? 〔凶ツ弾ガンド〕のことですか? しかし、あれなら皆使えるではありませんか」

「ガンドではないし、あんなものとは比較にならない力だ。


……この宇宙には、宇宙全ての霊力が集う亜空間が存在する。その亜空間と接続する力を吾は持っており、かつ人に分け与えることができるのだ」


 余りにスケールが大きいことを言われて、さすがの松元と言えど信用できなかった。


「論より証拠だ。実際に感じた方が早い」


 松元は両手で私の両手を取る。


「……! な、何だこの霧は……!?」


 すると、黒い霧のようなものが私たちの周囲に漂い始めたのだ。

 

 ...d....ong, Di.......g...


 そして、不意に鐘の音の幻聴がし始めた。


「吾と君は、今からその亜空間を体験する……」


 霧の量が一気に多くなり、私たちを包み込んだ。

 やがて何も見えなくなる――


 ……

 …………

 ………………


 ......Ding-dong, ding-dong, ding-dong.


 鐘が、すぐそばで鳴り響いている。


「目を、開けて御覧……」


 松元が言った。

 私は言われるままに目を開ける。すると――


「……! なんだここはッ……!!」


 私と松元が、無数の星空がきらめく濃紺の空に浮かんでいた。

 周囲には極めて巨大な四つの時計塔が、四方を取り囲むように浮遊している。

 そのうち一つの時計塔の面板から、黒い霧のようなものが私たちの上へ噴き出していて――「ひび割れ」のような形をつくっていた。


「これが吾が所有しており、君に分け与えた力だ……。吾はこれを、〔深淵アビソス〕と呼んでいる」

「深……淵?」

「膨大な霊力を与えてくれるとともに、この世界に『次元の裂け目』を作り出すことができる強大な力だ。ロマネスクでこれを持っているのは吾と君、二人だけだ」

「だから……、私にこの力を守るために生き延びろと……」

「そういうことだ。君の任務は……『生き残ること』だ。生きて、この力の継承者となり、革命の火を絶やさないようにすること、それが君の使命だ」


 松元が、真剣な表情で私に言った。

 次の瞬間――


 ぐにゃり。


「!?」


 私の視界が、陽炎のように歪んだ。

 否。視界だけではない。

 私の身体、松元の身体、浮かぶ時計塔――空間そのものが歪み始めているのだ。


「……時間切れだ」


 松元がそう言うと虚空がねじれて、意識が遠のいていった。


 ブヴヴヴヴウゥゥゥゥウウウウンンンンン――……


 ………………

 …………

 ……


 目を開けるとアジト本部の、狭い事務室ビューローに戻っていた。

 松元他、五人の魔術師が私を見つめていた。


「……」


 目頭が熱くなる。

 私は、涙を流していた。


「……同志、リンガー。同志アリオラ。同志ヘルメス。同志サン……。そして、同志ビクター――いえ、同志松元精輝」


 私は震え声で、自らの使命を背負う宣言をした。


「私、闘士ハウスこと河辺灯は、同志松元より賜った力を守り抜き、いつか革命を達成する日まで……その火を絶やさぬ所存であります!」

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