Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(2)
※ 過激かつ具体的ないじめの描写があります。苦手な方はご注意ください。また、本作で描写された加害行為は窒息死しかねない大変危険なものですので、絶対に真似しないでください。
【2006~2012年 桐野 5~11歳】
「ねえ、おばちゃん。あの茶色いネコみたいなの何?」
夕映えの竹林の根元に、毛むくじゃらの不思議な動物がいた。わたしはそれを指差して、保護者である親戚のおばさんに声をかけた。
「いやねえ、キリちゃん。何もいないじゃない」
「ええー、いるよお。よく見てよう。――あっ、ほら。ニャーンって鳴いたぁ」
おばさんはただただ笑って、話をはぐらかした。
……こんなやり取りをわたしは、このあと何度も繰り返すことになる。
……「ねえ、あの子変なことばかりいうのよ」「何もないところに向かって、猫が鳴いているだの、人がいるだの」……「気を引きたいだけじゃないのか」……「ちゃんと面倒みているわよ」……「うそつきーうそつきー、きりのちゃんはうそつきー」……「あのね、桐野ちゃん。何もいないって、みんな言っているよ?」……「……そんなこと言われたって、ウチでもちゃんとしつけしています! そんなものはいないって!」……
「他人に認識できないものを認識してしまう」力のせいで、わたしは幼少期から迫害されてきた。最初のうちは、「子どもの空想」と大目に見てもらえていたが、繰り返すうちに段々と「変な子」というレッテルを貼られるようになっていった。
わたしは、「不気味な子」として瞬く間に親類中に認識された。そうして幼くして、親戚の家を転々とすることになった。
わたしが六歳の頃、母親が大学を出て就職が決まると、状況が少しだけ改善された。
母が、国家公務員に採用されたのだ。
養育費として相応以上の額が支払われるようになり、引き取り手もできる限り優しく接してくれるようになったのだ。
学校でわたしが、教師から腫れ物を触るように扱われたり、悪ガキどもにいじめられたりして泣いていると、「無理して学校に行かなくていいのよ」と言ってくれたことさえあった。
(おとなって「ゲンキン」だ)
子どもながらに、そう思った。
何はともあれ、ひとところに居続けられて境遇が少しでも良くなるということ自体は、喜ばしいことだ。また年に一、二回だけだけど、母と会えるようになったことも嬉しかった。
しかし、この多少はマシだった状況も長くは続かなかった。
……わたしが11歳になる年の初夏。母が、失踪してしまったのだ。
理由は一切不明。何の手がかりもなく、忽然と姿を消してしまった。
このとき以来、私の待遇は急激に悪くなった。親戚の間でたらい回しにされることはもちろん、学校でのイジメも暴力を伴う苛烈で陰湿なものへと変化していった。
わたしは、以前よりわたしを慰めてきた勉強とゲームにますます傾倒するようになった。
どっちも人間関係やコミュニケーションなどといった、判断基準が曖昧模糊としたものとは違って、結果が一目瞭然で短期的に客観的な成果を得ることができるからだ。「目に見えないもの」に苛まれるわたしは、「目に見えるもの」を積み重ねることで、「アイツらとは違う」と自分を慰めていたのだ。
孤立しているのに勉強が得意なわたしを、周囲のガキどもはますます気に食わなくなったようで、学級活動や団体行動とかでわたしが何か少しでもみんなと違うことをするたびに、鬼の首を取ったように責めるようになった。
そして教師たちですらも、
「堺さん。マジメなのはいいけれど、どうしてみんなと一緒にできないの? 仲良くしたくないの?」
と、何故かいじめられている私の方を責めたのだった。
はい。「仲良く」したくありません。
てめえの言う「仲良く」の背後で、アイツらが何してるのかがわかんねえのか。目に見えない、薄っぺらい「関係」なんかより、目に見えるわたしの「実力」を認めろよ。
大人に頼ることを諦めた私は、身体を動かして鍛えるようにした。
それと、考えを切り替えることにした。最初は、理不尽な口実で責められるたびに泣いていたわたしだったが、「『間違えることを恐れて』他人の顔色を窺うからいじめられるんだ。相手に嫌われようと、さらに報復を受けようと、ツッパらないとダメだ」と、考えを改めるようになった。自主的に筋トレやケンカの練習を自らに課して、状況に即したシミュレートをするようになった。
そうして「泣くくらいなら殴る」という選択を意図的に取り続けるようになったわたしには、「不思議ちゃん」「ガリ勉」に加え、「不良」のカテゴリーが追加された。
そんな感じの退廃とした日々だったが、それでも取り返しのつかないことをされるというのは、まずありえない――そう思っていた。
だが、この年の残暑に起こったある事件で、わたしはその認識を改めることになった。
当時わたしは、無職でアルコール依存の夫にパートの妻、高校中退で補導歴ありのフリーターの娘という、絵にかいたような貧困家族に引き取られていた。そうして転校から一ヶ月で、早くもクラスで孤立をしていたときの出来事だった。
★
【2012年9月 桐野 11歳】
給食が終わった後の昼休み。
わたしは男女十人くらいに、詰め寄られた。切欠はとてつもなくくだらないことだった。
「あ……、あの……堺さん……」
わたしと同じくカースト最下位の、運動が苦手で太っちょの男の子が「話がある」と言って、教室のすぐ近くの階段脇に呼び出したのだ。
階段脇は、明らかに複数の視線を感じた。実際、壁から頭をのぞかせているヤツもいる。
わたしは呼び出された時点で、これから何が起こるのかを理解できてしまっていた。
告白ゲーム。
いじめの
男児はもじもじと気まずそうに、上目遣いでこちらを見ながら話を切り出せずにいた。
わたしはイラッときて、こう言ってしまった。
「あのさ。言わされてんなら、はっきり言えよ。ウザいんだけど」
そう強い口調で言うと、男児はビクッと肩を震わせた。そして、顔から血の気が引いていく。
ここで対応を間違えれば、またアイツらにいじめられる。大方、そんな風に考えているんだろう。
すると壁の影から、何人かが嘲笑をあげながら出てくる。
「おい、そりゃないんじゃないのー」
「せっかく、ピザが勇気出してんのにさー」
わたしはそいつらの方を、キッと睨み付ける。
すると、先頭に立っていたポニーテールの地味めの女子が、わたしの目の前まで詰め寄ってきた。
(……? 誰だっけこいつ……)
クラスメイトなんてどうでもいいのだが、「自分に危害を加えそうかどうか」を見定めるため、全員の名前と顔、そして性格やクラス内での人間関係、立ち位置などは大体頭に入れている。
だが目の前のこいつは、全く見覚えがなかった。
――イ、ヒヒッ。
ざわっ。
そいつがヘラヘラと笑った途端に、わたしは全身が怖気立った。
我慢ならない苛立ちが、口を突いて出た。
「ウゼえんだよ! あっち行け!!」
わたしがそう怒鳴る。
女子はニッ、と不敵に笑った。
そして、霧のように
「――!」
わたしはこのとき、しまったと思った。
ポニーの女子は、人間じゃなかったのだ。
「お化け」たち――わたしは術師になるまで霊障物も妖獣もそう呼んでいた――は、ヒトのマイナスの感情に対して反応して、現われたりちょっかいを出しにきたりする奴らが多いことを、経験から知っていた。ヒト同士が争っている場を好み、煽ることを好む天邪鬼な奴らもいることも。
今のポニーテールの女子のお化けは、まさにそういうタイプだったのだ。
「あ……? 何だその態度」
「てめー、調子こいてんじゃねえぞ」
口々に威嚇する女子たち。
こいつらにはあのポニーの「お化け」は見えないため、さっきのわたしの台詞は、自分たちに言われたものだと思ったのだ。
まず女子三人が、わたしを取り囲んだ。
一人は、ポンパドールのチビ。もう一人は、小学生のくせにバッチリメイクをキメているガーリーなファッションのギャル系。最後は、バレーボールクラブの部長であるショートヘアの体格の良い女子。
私はショートに、襟首を掴まれる。こういうやつは口調こそサバけているが、実は粘着質だったりするのだ。そして二人の女子が、口々にわたしの悪口を言い始めた。
(――ここでやり返したら、後が面倒だ。しかたない。一発殴られてやり過ごそう)
「泣くより殴る」は当時のわたしの基本的なスタイルではあったのだが、それをすると親が抗議してくるなど面倒くさい状況が延々と続くことも時としてある。「言われるまま、殴られるまま」の方がリスクが少ないと判断できる状況では、そうすることも多くなった。
だから今回も、黙って罵られて適度に殴られて、穏便に済ませるつもりだった。
だが――
「……お前の母親、行方不明なんだってな……」
そう言われたわたしは、「なんでンなこと知ってんだ?」と、色をなして言い返してしまった。
「……何で知ってんだって? バーカ、SNSでお前が前の学校にいたとき同じクラスだったヤツから聞いたんだよ」
それを言われてわたしは、事態を理解した。
SNS世代の子どもの情報網というのは、恐ろしい。カースト上位の女子グループはSNSや学校裏サイトなどを駆使して、クラスメイトの情報を調べ尽くすのが
そしてわたしもまた、以前在籍していた学校での立ち居地を調べられたのである。
(……そういや母親が行方不明になったとき、担任のババアが「堺さんはたった独りのお母さんがいなくなって大変だから、みんな仲良くしてあげてくださいね」なんて無神経なことをほざきやがったな。このSNS時代で、そういう風に個人情報を漏らすことが本人の暮らしにどう影響するか考えられねえのか、あの化石脳が)
ショートヘアを中心に、三人の女子は悪罵を吐き続けた。
「お前の母さん、まだ若いんだってな」
「高校生のときに、お前を産んだんだろ?」
「男をつくって逃げたんだよ」
「テメーみてーなクソ女、もう育てたくねーってよ!」
――ブツンッ。
わたしの理性が、吹っ飛んだ。
気がつくと右アッパーカットを、ショートヘアの顎に叩き込んでいた。
(……!)
パンチマシンで200
震える女子たち。
取り巻きの男子たちが次々と前に出る。
(……しまった! やってしまった!)
わたしはすぐさま階段脇を飛び出し、教室方向へ向かった。
そこには、170センチオーバーのデブが待ち構えていた。
後ろ足で退くわたしだが――遅かった。
デブの右回し蹴りが、わたしの左脇腹に命中。廊下から六年二組の教室へと、わたしは転がった。
「……ぅげほっ!! がはっ!」
黒板の下でチョークまみれになりながら、大量の唾液を吐き出した。とっさに左の小手でガードしたのだが、80キロの体重から繰り出される回し蹴りには、あまり効果がなかった。しびれる左腕をかばいながら、わたしはうずくまってしまう。
「――ッ、オラ! 立て!」
栗色の髪をガッと捕まれて、無理やり立たされる。
身長が高い男子が両腕を後ろから、二人の男子が脚を一本ずつ押さえる。そのまま引っ張られ、両腕を押さえている男子が椅子に腰かけた。
別の男子二人が右頬を殴り、みぞおちに蹴りを入れる。
「あぐっ、げえっ」
わたしは喘ぎながら、ショートパンツから剥き出した脚をバタバタとさせる。けれども、まるで動かない。全員が全員、地域の体育大会などで入賞するような体育会系だ。いくら鍛えているといっても自己流で、かつ女であるわたしが力で適うわけがない。
クラス内カースト最上位のゆるふわロングボブ女子が、わたしの口を強引に開ける。その手にはチョークの粉入れが握られていた。女子は
「ゲホッ、ゴホッ!!」
わたしは激しくむせた。
喉にチョークの粉がまとわりついて、窒息しそうになる。
「ごめんねー、ちょっと粉っぽかった? じゃあ、水を飲ませてあげるよー」
甘ったるい吐き気が出そうな声でせせら笑いながらロングボブは、水道からのばしたホースをわたしの口に突っ込んだ。
そして合図をすると、スタンバっていた別の女子が蛇口を開いた。
わたしの喉に、大量の水が注ぎこまれる。
濡れたチョークが喉の奥で張り付き、呼吸ができない。
「ぐえ――ごぼっ、がぼぼ」
わたしの口から、チョークの粉が溶けた水がダラダラと流れる。
だが調子に乗ったロングボブは、ますます強引にホースを喉の奥へ突っ込む。水が気管に入って何度ゴボゴボと咳き込んでも、ケラケラ笑っていやがる。
意識が遠のいてきた。
殺される。
直感的にわたしはそう思った。そして――
(……殺されてたまるかッ!!)
わたしは咳き込んだ拍子に、両腕を捕らえている身長の高い男子の鼻づら目がけて、思いっ切りのけ反った。
「ぐぶっ!」
狙い通り、わたしの頭頂部がデクノボーの鼻に命中した。デクノボーは鼻血を私の栗色の髪に降りかけながら、後方へ倒れ込んだ。すると、わたしの両脚を拘束している二人の男子もバランスを崩した。
薄れゆく意識のなか、わたしは無意識にこの好機をものにした。
両足を思いっ切り蹴り上げて、二人の男子の腕を払う。後方へ頭から倒れ込むが、先に倒れたデクノボーがクッションになってノーダメ。
「ごぼげぼ、がばっ、げええっ!」
デクノボーの上でわたしは、水を盛大に吐き出した。
酸素が急に取り込まれたため、頭が靄がかったようになり、気管支が痛んだ。
だが、視界は妙にクリアだった。
命の危機を感じて、脳内麻薬ってヤツがドバドバなんだろう。
わたしは立ち上がり、近くにあった学級椅子を引っ掴んだ。
「……うああああああっ!」
わたしは叫び、クソロングボブ女の弁慶の泣き所めがけてぶん投げた。
「……ッツ!!」
ロンブボブは声にならない声をあげて悶絶し、その場にうずくまった。
さらに別の学級椅子を引っつかみ、両脚を拘束していた二人の男子目がけてぶん投げた。
床でバウンドし、廊下の窓にぶち当たって落ちた。ガラスにひびが入る。
狙い通り、男子たちの態度が明らかにさっきよりも及び腰になった。
わたしは教室から脱出するため、廊下へ走り出した。
「どけッ!!」
わたしは目につく椅子や机を片っ端から引き倒して、追っ手の道を塞いだ。
「――堺! これは一体どういうことだ!!」
クラスの担任である角刈りの男性教師がこっちへ走ってくる。誰かがチクッたか。そんなことはどうでもいい。
わたしは廊下に設えられた消火器を取って、ピンを抜いた。
「おい何をする! やめろ!」
ホースをセットし、レバーを握る。
わたしは角刈り目がけて噴射した。
「うわっ! げほごほっ!」
咳き込む男性教師。
それから、教室から出てきたガキどもにも見舞ってやった。
ざまみろ。さっきのお返しだ。
わたしは角刈りが来た方向とは逆の方向に走り出す。
右の太ももから、血がダラダラと流れている。さっき蹴り上げた時に、どっかの飛び出た金具にでも引っ掛けたか。
三段飛ばしで階段を駆け下りる。
すれ違って声をかけようとした教師どもには、もれなく消火器の粉を見舞ってやった。
一切の同情も
あんな奴らに育て上げて、イジメを見て見ぬフリしてきたこいつらも全員同罪だ。
昇降口から上履きのまま飛び出した。
校務員のジジイに呼び止められる。
消火器はもう空だ。
足許に向かって投げつけると怯んだ。
そのスキに学校の敷地の外に出て、そのまま校舎裏の林――赤城山麓の森の中へ駆け込んだ。
20分ほど走ったところで、息が切れた。木の枝やら葉っぱで、剥き出しの腕と脚は傷だらけだった。
「ハァ……ハアッ……。ゲホ、げほっ」
わたしはペッと、チョークの白い粉と血が混じった痰つばを吐き出す。ハンカチを取り出そうとポケットをまさぐる。すると、腰のベルトに括りつけられたチェーンにひっかかって、鍵とキーホルダーが出てきた。
それは九歳の誕生日に母からもらった、逆十字のキーホルダーだった。
「――ああああああっ!」
わたしはキーホルダーのチェーンを引きちぎり、キーホルダーを地面に向かって投げつけた。そして、何度も何度も踏みつける。
こみあげてくるやるせなさと、怒りと、哀しみを、抑えられなかった。
(……なんで)
涙を流して、嗚咽しながら――わたしは何度も母の形見に八つ当たりをした。
(……なんでお母さん、いなくなっちゃったの……?)
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