Report 12 ロンリーガール・クロス・ロンリーガール(1)
【1931年 灯 12歳】
雲一つない晴天の下、私と父はムクドリの啼く山間の森を、奥へ奥へと不安に駆られながら登っていた。
私たちは顔立ちこそ日本のヒトの子と同じだが、一点だけ大きく違っていた。
――それは川天狗の特徴である、
「ふんばれ
父が、私をなだめるように言った。
「この先にあるお里にゃあ、
――がさ、がさ、がさ。
私は、ピクンと肩を振るわせた。
人の気配。大きくなる物音。
数は多い。十人近くいると思われる。
「いたぞォ、こっちだア」
遠くから怒号がかすかに聞こえた。
声の大きさからして距離はあった。問題は、その発生源が私たち親子の進行方向であるということだ。
「いかん、挟まれた。このままだとはちあわせだ」
父は、横の細いけもの道に逸れて回避しようとした。
しかし――
ドッ、ドッ、ドッドッドッ――ヒュンッ。
足音が迫ってきたと思ったら、銀色の光が父の首を貫いた。
膝をつく父。
背後には、血にまみれて悪鬼の形相をした若い男が日本刀を携えていた。
「お
私が悲鳴をあげた。
だが、それ以上の大音声で男が叫んだ。
「
草むらから人影が一つ、また一つと増えていく。
二十から四十くらいのたくましい男たちで、一人残らず日本刀や脇差、村田銃、
そして彼らが持っている獲物、そして彼ら自身は例外なく――血で濡れていた。
ヒュー、ゲブ……ゴボッ。
穴の開いた喉笛で、父は何事か私に言おうとした。
その口の動きは「に」「げ」「ろ」だった。
だが私は、足がすくんで動けなかった。
そして私たち二人は、何のいわれもない非難を衆愚から浴びせかけられる。
「ジンガイだ、天狗のジンガイだァ」
「こいつら、村のみんなを皆殺しにしてアジトを作るつもりなンだ」
「村の衆への仕返しのつもりか、化物がァ」
「家ン中から金目のモン盗み去ったのもこいつらだァ」
「その目が気持ち悪ィんだよォ」
「ジンガイを殺せ。ぶっ殺せェ――」
男たちは各々が手にした武器で、父を滅多打ちにした。
男たちに囲まれてその姿は見えないが、人と人の間から時おり、赤いものがちらちらと噴き出すのが目に入った。
涙すら流れないほどの、超現実だった。
私はただただ恐怖に呑まれ、尻餅をついたままじりじりと後退する。
「――もう一匹いるぞ!」
ゲートルを足首に巻いた男が、血まみれの手で私を指差して叫んだ。
私は「ひっ」と声にならない声をあげて、さらに退いた。
ぐらり。
重力に引っ張られる。
背後は、急勾配の斜面だったのだ。
私の小さな身体は泥と草に塗れて、何メートルも下へごろごろと転がり落ちる。
――ばしゃり。
私の小さな身体を、小川の水面が激しく打つ。
遠のいていく男たちの罵声。左目の脇からこめかみの部分が熱い。さっき転がったときに、岩で切ったのか。
だがそれ以外に、痛みは感じない。
目の前の超現実に、麻痺しているのか。
(あいつらは皆、おかしくなっている)
私は、そう直感した。
何がおかしくなっている?
頭だ。
自分の頭の中の見当と、目の前にあるものとが合っていないことに気づいていない。
自分たちのような、丸腰の年寄りと
兇器を手にした大の男と、どっちに力の利があるか。子どもだって分かるというのに――
ガァーオン!
火薬が破裂する音がした。
一人の男が、こちらに向けて村田銃の引き金を引いたのだ。
いいさ。おかしくなっているのなら、おかしくなったまま死ぬがいいさ。
例えば、私が身をつけているこの水が、金槌だと、大鎌だと、鉄拳だと、大蛇だと、猛禽だと、そんな風に化けたと勘違いして、あいつらが恐怖に怯えて狂い死んでしまえば、どれほど愉快なことか。
少女は、意識を燃え盛る
川面が波打ち始める。
それは、粘土のように
……
…………
………………
どれくらい時間が経っただろうか。
むせ返るような血の匂いで、ようやく目が覚めた。
ぼんやりとした視界が明瞭になっていく。
(……赤い水?)
私の周りには、男たちの死体が沈んでいた。
あるものは無惨に切り裂かれ、あるものは瓜のように頭を砕かれている。
「――ひっ」
私は声にならない悲鳴をあげて、起き上がった。
私が転がり落ちた斜面には、男たちの血痕や肉片がべったりとこびりついている。
「だ、誰が。一体誰が、こんなことを……」
「君だよ」
腹の底に響くような重低音が、前方から響いた。
赤く染まった水面よりも、さらに赤い衣装に身を包んだ顔の彫りが深い男が立っていた。赤い中折れ帽子に赤いインバネスコート、そのハイカラな衣装は山の中には到底不釣合いと言えた。
(私が? この男たちを殺した? どうやって?)
気絶する直前の光景を思い出す。
私の周囲の小川の水面が、激しく波打つ。
杭、鎌、鳥、蛇――さまざまな形に変化する川の水が、村田銃を向ける自警団の男を目がけて飛んでいく。
それらは男の身体を刻み、砕き、裂いた。
そして背後の仲間たちも、諸とも八つ裂きにした。
川の水をさまざまな形の武器にして攻撃する川天狗の
「う、ぐ」
凄惨な光景を思い出した私は、たまらずその場で
からっぽの胃の中から、緑色の酸が吐き出された。
喘ぐ私をよそに、男は不敵なアルカイック・スマイルを歪ませこう言った。
「――君もまた、境界に立つ者か」
意味が分からなかった。
「……は?」
「君は今、世界と世界の境界にいるのだ。君をゆりかごのように育くんできた川天狗の
「意味がわからない。何を言っているの?」
「そのままの意味さ。『個』を失った『集団』の狂気に抗った君はもう、否応なしに革命の拳を振り上げざるを得ない……」
「そこをどいて。私は川天狗の里に行くんだ」
会話にならない相手とは、早めに会話を切り上げるに限る。
それはお父と一緒に行商をしていたとき、酔漢や荒くれ者の若衆に絡まれそうになったときに学んだ
ここまで素っ気ない態度を取って、ようやく男はまともに会話になる言葉を発したのだが――
「――行っても無駄だよ。みんな殺されているから」
それはよりにもよって、私がもっとも聞きたくない応答であった。
「……どういう、こと」
「さっきの男たち……君の父親を殺す前から血みどろだっただろう? 返り血だよ、あれ」
私は、さっき自警団の一人が口にした言葉を思い出した。
――
「あ……、ああ……」
あの「まだ」は、そういうことだったのか。
私は、その場に膝を落とした。
赤く濁った水面がばしゃん、と音を立てて波を打った。
最後の頼みの綱は、いとも簡単にばっさりと断ち切られてしまった。
――不意に男が、その大きな右手を私の目の前に差し出す。
「
私は、ごく自然な素振りでその手を取った。
全てに絶望した人間は、目の前にあるものだった
「あなた……、名前は……」
震え声で、私は男に訊いた。
「松元精輝――
それが、私と松元精輝の出逢いであった。
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