Report 11 憎悪を萌すもの(7)

 喧騒が少しづつ収まっていく。

 どうやら、白銀衆の連中は魔導警察の指示に大人しく従っているようだ。この手の連中は大抵、権力に弱いものなのだ。


 校舎の裏で賢治たちは、腕を組み仁王立ちする徳長に、ここに来てから起こったことを包み隠さず話した。


「約束を破ったことは、ごめんなさいなのだ……。ただ現世は、どうしても見過ごすことができなかったのだ」


 現世が落ち込んだ声で、しかしはっきりとした声でそう言った。


「ごめんなさい! 先に言い出したのは、オレなんです!! 現世や他のみんなは、悪くありません!!」


 賢治が前に出て、はっきりとそう謝った。


「いや、わたしも『見てみたい』と言いました。処罰ならわたしたちにもお与えください」

「え? 僕、巻き添え?」


 続いて桐野とイソマツがそう言った。

 だがこの庇い合いに似た状況が、いっそう徳長の眉間の皺を深めることになる。


「――何か勘違いしていませんか? 私は、個別に責任を求めているのではなくて、あなた方四人全員・・・・の行為と判断を問題にしているのです。あなた方の行為の何が問題だったか。ひとつひとつ詳らかにしていかなければ、分かりませんか? でしたら、そうしましょう」


 徳長は失望と怒りを込めた声音で、今回の賢治たちの行動の問題点を指摘していく。


「あなた方は今回、何度にも渡って判断を間違えました。まず『私の指示に反して、円島特別訓練魔導学校に向かった』こと。これは説明しなくてもわかりますよね。ただ賢治くんや現世さんが言うように、義憤に駆られてという気持ち自体は、浅慮とは言え理解できるものではあります。

 次に円島特別訓練魔導学校に到着したとき、『何の計画も立てず徒手空拳で真正面から白銀衆に抗議したこと』。あなた方はこの間の対校試合で、白銀衆の構成員が話の全く通じない粗暴な集団であることは理解しているはずですよね?」


 この指摘は、賢治たちにとって痛かった。

 廣銀兄弟や唐紅英流、そして風由青空。彼らは全く人の話を聞かず、道理も通らない人間たちであった。そのことを知っていたなら、真正面から抗議をすることが無意味な結果に終わることは、容易に想像がついたはずだ。

 簡単に避けられるミスを、わざわざ踏んでしまったのだ。


「イソマツくんは、羽山先生に注意されたことを逆恨みにした構成員が、ナイフを振り回す現場まで目撃しています。個人でさえそうなのに、集団行動となったらどれだけ理性が働かなくなる連中なのか、経験からわかることでしょう。さらにいうと、あなた方は白銀衆の構成員と互いに面識がある上に、構成員の数人に屈辱的な敗北を与えています。ミトコンドリア程度の寛容さしか持ち得ない彼らが、まともに話を聞いてくれると思いますか? 教師がこんなことをいうのははばかられますが――


対話が出来ない人間に説得や抗議を試みることは、無意味どころか無駄に自分の身を危険にさらすだけです。


あの連中は、特に悪質な手合いといえるでしょう。あなたたちはこの時点で、私に相談するべきだったんです」


 自分たちの行動が全くの無駄であったと否定された賢治たちは、顔を下にさげた。


「次に現世さんが取った『デモ隊の少年のスピーカーを奪って、それを使って耳元で一喝した』という行動ですが、これもまた間違った判断をしています。客観的に見ればこれは暴行です」

「なっ……、ではあのような暴言をそのまま見過ごせと言うのか!?」

「『スピーカーを使って、耳元で一喝をした』ことが問題なのです。取り上げるだけならまだしも、大音量のスピーカーを使って耳元で怒鳴ったら軽い音響外傷では済まないことくらい、あなたでもわかるでしょう。少年も、迷惑防止条例法違反とアンシーライズ防止法違反ではありますが、それに対するあなたの行為は過剰防衛といえます。いいですか、この手の連中は自分たちには甘いが・・・・・・・・・盾突く相手には・・・・・・・死ぬほど厳しい・・・・・・・のです。それなのにあなたは、相手が付け入るスキを自ら作ってしまった。はっきり言って軽率と言えます」


 徳長はどんな相手でも常に、対等な人間として見るように心掛けている。

 それは誰であっても、間違っていることには間違っていると、毅然とした態度で指摘するということでもある。

 そのような格律・・にしたがって徳長は、現世にも手厳しい物言いをした。


「しかしこの時点ではまだ、賢治くんと現世さんが廣銀兄弟を打ち負かし、唐紅を失脚させた術師であることに気づいていませんでした。相手が小さな子どもだとナメきった態度を取っています。ここまでなら、まだその場から離れる、という選択肢ができました。しかし、あなた方はそうしませんでしたね。そればかりか現世さんは挑発に乗り、『構成員の一人に回し蹴りを食らわした』。さっきのスピーカーの少年のときと同じく完全にあなたたちが先に手を出しているのです。……あなたたちは一体、どれだけ自分から不利な状況を作り出すのでしょうか?」


 徳長の的確な指摘が、賢治たちに重くのしかかる。


「ただ、予想外の攻撃を食らって実力行使に出た白銀衆ですが、まだ現世さんのことをナメて遊んでいる構成員はいました。ここで目くらましをするなり、現世さんに伸びる手を振り払うなり、最低限の抵抗をしつつこの場から逃れ、私に連絡をするべきだったのです。しかし、あなた方はその行動を取らなかった。それどころか、桐野さんが一人の構成員に『鉄拳を顔面に食らわしてしまった』。本格的に乱闘が始まった瞬間です」


 指摘を受けた桐野は目を伏せて、悔悟の表情をする。


「さあ、これでさっきよりも格段にこの場から逃げることが難しくなりました。揉みあっているうちに廣銀蔵人が到着し、ここで賢治くんたちの正体がわかってしまった。さて、ここで『決闘を受けるべきか、否か』という選択肢が出ますが、ここでも『受けるべきではなかった』のです。まず何より、術師同士の『決闘』は汎人界同様、基本的に・・・・刑事罰の対象となるからです」

「基本的に……ということは例外があるということで――あっ」


 賢治は、つい口を突いて出た空気を読まない質問に、自分自身で後悔をする。

 徳長は片方の眉を少しだけピクリと動かして、その質問に応える。


「例外は、まず学校や行政機関で行われる『実戦練習』です。これは分かりますよね。次に、『正式な形式を整え、術視界に申請を行った上での決闘』がこの例外に当てはまります。術師階位が『賢者』である術師の承認を得ること、そして『達人』以上の術師を審判に一人以上つけること、その他細かな細則をクリアした上で、正式な書式の『決闘申請書』を所轄の行政機関に申請を行うこと、これが『正式な決闘』の条件です。――しかし言うまでもなく、蔵人もあなた方もこれを守っていない。この時点で問題外なのです。法律を守らないような人間の言うことに乗っかって、事が上手く運ぶはずがないのです。実際、彼は決闘の条件であった約束を守りませんでした。けれども、あなた方は受けてしまった。考えなしもいいところです。一体あなたたちは、何度相手の挑発に乗るんですか?

 受けてしまったからには、戦うしかない。しかし戦うなら、『できる限り引き延ばすべき』だったのです。その間に私や魔導警察が来る可能性に賭けるべきだったのです。実際、私はここでようやくあなたたちの霊力場を感じ取り、存在に気づきました」

「……先生は、それまで何をされていたんですか?」


 賢治は、やや怪訝そうな声音で聞いた。


「学校内の生徒の保護と誘導、そして裏門から押し寄せてくる白銀衆の構成員の対応に追われていました。パニックになって超能力を使ってしまう初等部の子どももいれば、無闇に呪文を唱えまくるデモ隊もいる……。校舎の中とその裏門は霊力場が入り乱れて大混乱に陥っていたのです。あれではいかに私でも、離れた場所にいるあなたたちの霊力場を感じ分けることなどできません。実際、ゲーティアの精霊を召喚したあとでも、あの炎の竜巻が出るまでは、確信が持てませんでした」


 徳長がそう返答する。


「それで……、あなたたちは『応援が来るまで引き延ばす』という選択肢を選ばず、短時間で決着をつけてしまった。羽山先生が来て時間を稼げたから何とかなったものの、それがなかったらどうなっていたことか……」


 それから「彼は彼で判断を大いに誤ったのですが、その話は今は控えます」と付け加えた。


「しかし、それは理屈なのだ」


 現世はなおも自分の意思を曲げず、徳長に食い下がった。


「目の前で誰かが邪悪なものに苦しめられているのならば、とっさに身体が動くのが勇気なのではないのか!? 涼ちゃんも普段から言っておるではないか! 『沈黙』は邪悪なものに屈し、賛同することと同じだと!!」

「『考えなしに行動する』のは勇気とは言いません。蛮勇と呼ぶのです。熟慮して『頼れる大人に相談する』という適切な方法を取ることは『沈黙』ですか? 履き違えてもらっては困ります」

「し、しかし……現世たちの行動は、たしかにムボウであったかもしれんが、トクマの生徒たちは、きっと現世たちの行動を『正しい』と思うはずなのだ」


 いくら反論しても全くなびかない徳長に、さすがの現世もやや自信がなさそうな声音でこう言った。


「そう言うのなら、実際に見てみましょうか。この学校の生徒たちが、あなたたちの行動をどう評価しているのかを――」


 徳長は、校舎の方を向いてそう言った。

 校舎の窓から、こちらを見る生徒たちの表情が窺えた。


 あからさまに眉をしかめる者。

 眉間に深い皺を溜めている者。

 横目でチラチラと見ている者。

 唇を歪めている者。

 冷めた目で見下ろす者。

 はっきりと目を見開いてにらみつけている者。


 赤ら顔で角を生やし、あるいは獣の耳を生やし、あるいは一つしか目がなく、あるいはヒトと変わらぬ容姿を持っている――様々な亜人の生徒が賢治たちに、どう贔屓目に見ても好意的とは言えない表情で視線をぶつけていた。

 むしろ「余計なことをしやがって」と言わんばかりに、賢治たちを非難するようなものばかりだった。

 白い目を一斉に向けられ、現世は真っ青になって震え声で口を開く。


「これは……、どういうことなのだ……」

「ここにいる元未登録術師や亜人の人たちは、その超能力ちからゆえに苦しみ、様々な形で迫害を受けてきたのです。そのため社会生活の様々な場面において、多数派マジョリティと比べて大幅に少ない社会的選択肢しか与えられない不平等を享受してきたのです。それでも、『多数派に逆らえば、与えられるわずかな選択肢すら奪われるかもしれない』とおそれ、身を縮こまらせて、口を閉ざすのです。こうした状況を『沈黙効果』と呼びます。


 ……あなたたちだって、似たような経験はしてきたはずです。どうしてもっと深く、彼らの立場に立って想像しなかったのですか」


 賢治たちは、我が身を振り返った。


 「みんなと同じようにできないこと」を責められたことは、一度や二度ではない。

 そしてその度に、怒鳴られたり、失望されたりしてきた。

 そもそものスタートラインはみんな違うはずなのに、それを考慮されることもなく、しかしそれを口にしては「言い訳をするな」と突き返された。

 そうしてさらに状況を悪化させて、やがては行動すること自体が怖くなってしまった。

 口を閉ざし、耳を塞ぎ、誰も信用できなくなり、縮こまっていた。


(そんな状態で、どこの誰だかも知らない人間がしゃしゃり出てきて状況が改善されるなんてこと、期待できるはずもないじゃないか……。大きなお世話って思うよ……)


「……あなたたちにはこれから、敷地内の掃除を手伝ってもらいます。そうしてこの学校の人たちの普段の生活を肌で感じることで、自身の行いをしっかりと反省してください」




   ★


 敷地内は白銀衆の連中に、ひどく荒らされてしまった。

 ブロック塀は至る所が破壊され、スプレーで落書きもされていた。校門の前にはプラカードの残骸やらアジビラやらが散乱している。

 被害は校舎内までに至っている。石やペンキの入ったビニール袋、防犯用のカラーボールなども投げ込まれていた。

 業者を呼ばなければどうにもならないところは応急処置をしたり後回しにして、教職員や事務員、生徒たちが総出で片づけていた。

 そこで賢治は、亜人が多いこの学校ならではの光景を目の当たりにする。


 超能力を使って三本の箒を操る、ショートボブの女子生徒。

 高いところに付着した汚れを取るために、腕を伸ばす中年の男性教師。

 廊下のサイズに合った大きなモップを生成して一気に拭き取る、ALT外国語指導助手と思しき西洋人の中年女性。


(本当に、いろんな亜人の人がいるんだな……)


「¡Bufビュッフ, tengoテンゴ・ hambreハンブレ!(は~、お腹すいた) これいつになったら終わるんだろう」


 イソマツが、わら箒を片手に言った。

 賢治はそう言われて、昼食を食べていないことを思い出した。

 空を見上げると日が長い五月だというのに、もうオレンジ色が差し掛かっていた。


「あのさ、堺……。昼間、オレが指示を出したことなんだけど……」


 賢治がそう話しかけると、察したように桐野が「ん」と答えた。


「ごめん……。オレ、どうかしていた……」


 廣銀蔵人が約束を違えたとき、賢治は憤怒と呼ぶにもためらわれるような兇悪な感情に陥った。

 白銀衆の構成員を、同じ「人間」として認識することをやめたのだ。

 この憤怒を通り越して排除を志向する冷徹さは、廣銀成人のときにも経験した。

 だがあの時は、廣銀成人への仕置きが完了しそうになるや否や、同じ「人間」としての廣銀成人に対する怒りの感情へと回帰することができた。

 しかし、今回はそうならなかった。

 もしあそこで維弦が助けに入ることがなく、杖を突いた老人を賢治自身が攻撃していたのならば――この状況から脱した後も、「人を人と思わぬ感覚」が継続していたかもしれない。

 そんな風に考えると賢治は、余りにもゾッとしないものを感じてしまった。


「自分があんなにも恐ろしく冷酷な考えができる上に口に出して、その上お前らにやらせようとするなんて……。何であんなこと言ったのか、自分でもわからないんだ」

「……そんなに後悔することができるのなら、アンタはまだ大丈夫だよ」


 桐野が、やや諭すような口調で言う。


「後悔しているってことは、自分の考えや行いを省みることができてるってことだから。それはわたしなんかより、『考え』を省みることが本分の『哲学』が大好きなアンタなら、わかることだろう?」

「堺……。うん、わかったよ。ありがとうな」

「おーす、終わったかお前ら?」 

 

 声をかけられて振り向くと、そこには維弦がいた。その肩には、壊れたフェンスが掲げられていた。


「おお、ツルちゃん! もう取り調べは終わったのか?」


 現世がそう訊くと、維弦は素っ気なく答える。


「うるせー。池田のヤロー、本気でとっちめやがった。同級生甲斐のない奴だぜ」

「あれ? 二人って、同じ学校なんだ?」

「ああ。俺が超能力を自覚したのが高二ン時で、そこから日輪ひのわ魔導高校に転入してな。現役で魔導医大に入るためガリ勉だった俺に声かけてくれたんは、アイツだけだったんだよ」


 維弦から聞けた池田の話に、賢治は意外に思った。

 頭は固いが芯の通った人間だとは思っていたけれど、面倒見の良さもあるようだ。


「お疲れ様ですー。いまどんな感じですか?」


 太い黒縁眼鏡の女子生徒が、白い雑巾を手にして姿で賢治たちに声をかけた。

 現世が「おお島嵜しまざき生徒会長せいとかいちょうどの! 大体終わったところなのだ!」と挨拶を返す。


「んですねえ、こんぐらい片づいていれば後は生徒会ど先生たちでやっておくから、大丈夫ですよー」


 語尾が伸びがちなおっとりとした口調で島嵜が言った。


「いや……、それは申し訳ないですよ。こんなことになったのは、ぼくたちにも責任があります。最後までやらせてくだ――」


 グゥ~。

 賢治が言いかけた途端、彼の腹の虫が鳴った。

 賢治はやや顔を赤らめ、島嵜はクスクスと笑う。


「こっちこそ、しょっす……恥ずかしいところお見せしちゃってごめんなさいねー。でもこの学校の人たちは今回のことがあって、外部の人間を本気でおっかながっているんです。そのことをちょっとご理解してもらえると、うれしいでがんすね」


 徳長に言われて、賢治たちが掃除を申し出たとき、真っ先に対応したのが高等部の生徒会長であり、雑巾を生成しては念動力で操ることのできる亜人・「白うねり」の島嵜美生しまざきみきだった。彼女は賢治たちを、白銀衆に対するそれと同じように警戒の目線を向けるトクマの生徒のなかで、唯一といっていいほど温かく応対してくれたのだ。


「わかりました……。至らないぼくたちに丁寧に対応していただき、本当にありがとうございました。それではぼくらは、これで失礼します」


 そして賢治たちは、礼を尽くしてくれた島嵜に心からのお礼の言葉を口にした。


河辺かわなべさんも、それ片づけたらもう上がっていいよ。お疲れ様」


 島嵜は校舎の方を振り返ってそう言った。

 そこには背の高い黒髪の女子生徒が黙々と、窓ガラスについた蛍光塗料の汚れを拭き取っていた。


「……はい」


 島嵜に「河辺」と呼ばれた女子生徒が振り返る。

 髪型は左目が隠れたアシンメトリーで、もう片方の目は――サファイアのような、薄い青色だった。クールな印象を湛えた女子であり、制服である深緑のブレザーも相まって、中性的な印象を湛えていた。


「帰ろー、キリちゃん」


 イソマツが声をかける。

 だが、桐野はその場で目を見開いたまま硬直していた。

 イソマツが「キリちゃん……?」と首をかしげる。

 それから二秒ほど経過して――桐野は河辺にこう言った。


「――灯?」

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