Extra Report 2 Lovableな奴ら(2)

 先週の木曜のことである。

 賢治たちはいつものように、練習場でゲーティアの召喚術について練習をしていた。


「今日は、戦闘タイプではなくサポートタイプの召喚精霊を召喚してみましょうか」

「ヴォラクみたいなやつですか?」

「そうですね。現世さん、識術系の超能力を使える召喚精霊を何かお願いします」

「じゃあ、こいつはどうなのだ?」


 そう言って現世は、右のページに召喚精霊を表示した。


【54. 霊媒伯爵れいばいはくしゃくムルムル Count of ghostly medium, Murmur】

 戦闘力 E(攻撃 E 体力 E 射程 C 防御 E 機動 C 警戒 C)

 霊力 B 力場安定性 A- 教養 E 技術 A- 崇高 E 美 C 忠誠心 B 使役難易度 IV


「ムルムルは……。霊障物れいしょうぶつを自分自身に憑りつかせることができるみたいなのだ」

「『れいしょうぶつ』?」


 賢治は首をかしげてそう言った。

 すると徳長が解説をする。


霊障物れいしょうぶつとは、心霊障害しんれいしょうがい物件ぶっけんの略称です。心霊障害物権とは汎人界でいうところの『幽霊 Ghost』です」

「ゆ、幽霊ですか??」

「そうです。亡くなった術師の霊力場が死後も残留し、様々な現象を起こすことを術師界では霊障物というのです。ここで気を付けないといけないことが、霊障物はあくまで残留した霊力場であって、死んだ人がそのままこの世界に留まっているわけではないという点です。したがって、霊障物があたかも意志を持っているかのように振る舞っても、法律上の人権が適用されることはありません」

「ああ、残留思念ですね」

「そうです。そしてムルムルのような霊媒能力は、その霊力場を自分に転移させて霊力場に残留した思念を読み取って音声にするに過ぎず、死者と対話としているわけではないと、現代の精霊術では解されます。流派によって解釈は異なるのですが、リチャードソンの精霊術および術師界の法律ではそう解釈されているのです」

「わかりました……。では、ムルムルを召喚しますね」


 現世がムルムルのページを表示する。

 賢治が「《霊媒伯爵ムルムル――召喚》!」と詠唱した。

 目の前に出現した円陣から、白い煙が漂い出す。その中にライオンの下半身と鷲の上半身と翼を持った妖獣――グリフィンが出現した。


「ムルムル! 幽霊の声を聞かせてくれ!」


 賢治が言った。

 だがムルムルは、だるそうにあくびをするだけだった。


「ムルムル……?」

「霊障物がなければ何もできなくても当たり前なのだ」

「ああ、それもそうだな。……といっても霊が憑りついているものなんてそうそう用意できねえし、心霊スポットとかにわざわざ行くのもな……」

「こんなこともあろうかと、すでに用意してあります」


 そう言って徳長が取り出したのは、透明なケースの中に入っている黒髪が伸びまくった実に不気味な人形だった。


 賢治は「うわあ……」と思わず声に出してしまう。


「中部地方のある町で権利関係が不明になっている廃墟に、塗り込められた地下室があったのです。その地下には座敷牢があってですね、ポツンと置いてあったところを発見されたという運びです。ちなみに、人形のすぐ脇は畳が凹んでいて、少ししみがあったそうですよ」

「……で、業者で保管していたら霊障が起こったというわけなのだな」

「持ち主不明の物権、廃墟、地下、塗り込め、座敷牢、凹んだ畳にしみ、市松人形……。もう髪伸びていなくても、数え役満じゃないですか」


 現世と桐野がやや投げやり気味にツッコミを入れる。


「本来なら管轄の魔導警察の霊障課に提出するべきなのですが、私は第一種・二種霊障物管理士の資格を持っていますからね。無理言って引き取ることにしたのです」

「引き取らないでくださいよこんなもの!」

「なんてことを言うのです。こんなに状態が良い第二種霊障物、滅多にありませんよ。あのまま霊障課に保管されていても、事務的に廃棄されるだけです。この人形に霊障として込められた残留思念は、永久に顧みられることなくなるわけですよ。それなら私が保管して、霊障主が報われる機会を模索した方がどう考えても良いでしょう」

「いや、単なる好奇心じゃないんですか……」


 イソマツが「先生、変なものを集めたり調べたりするのに夢中になると、周りが見えなくなるところもあるから……」と耳打ちをする。


「言っておきますけれど、この家にはもっと危ないものもいくらでもありますから。裏の蔵とか倉庫を、迂闊うかつに開けたりしないでくださいね」


 賢治は母屋がある方を見て思わず、「ヒッ」と後ずさってしまう。

 その反応を見て徳長は、いつになくいたずらっ子っぽい笑みを浮かべている。いざ、開ける段取りになると、その口角はさらに吊り上がった。


「おはらいを担当をした密教系の僧侶の管理士は、霊障の力場を収束させることも、力づくで破壊することもできなかったので、かなり危うい霊障物といえるでしょう」


 徳長は「ちなみに前者を『浄霊じょうれい』、後者を『除霊じょれい』と呼びます」と捕捉した。


「何とかできたのが結界呪文を施すことくらいで、それがあるから安全は安全なのですが……。一時的に解いて分析するのが、さすがの私でも骨が折れそうでしてね。じっくり取り組める時間ができるまでしまっておいたのです」

(いや……。だから、しかるべき機関に任せましょうよ……)

「そういうわけでこのケースには、僧侶と私による、二重の結界魔術による封印が施されています。一時的に封印を解いて、ケースを開けますよ」

「ちょ、ちょっ! 冗談でしょう!?」

「封印を解かなければ、ムルムルの超能力を発揮できないでしょう。さあ、いい加減覚悟を決めてください。大丈夫、何かあったらすぐに私が対処しますから」


 そう言って徳長は懐から杖を取り出し、人形のケースに向けた。


「《インターミット・シール・イン・ゴーストリィ・ハザード――All》!」


 くすんだ薄紫の円陣がケースを包み込む。

 パキンッ!

 何かが割れたような音がした。すると――


(……ッ!!)


 賢治は、身体の中に何かが這って潜り込まれたような錯覚を感じた。

 それは市松人形から発せられた、目に見えぬ禍々しい力場だった。


(な、なんだこれは……! 圧は麻枝とかよりも、はるかに弱いが……。それとは全く違う恐ろしさを感じる! どうしようもなく悪寒がして気持ち悪い……!)

「さあ……。それではいよいよケースを開けますよ……」


 徳長がケースをつかんで、ゆっくりと開ける。

 その瞬間、壮絶な寒気が賢治たちを襲った。


「……さ、寒い!」


 一瞬で淀んだ空気が落ち込めてくる。


「ああ、これは結界を作られましたね。でもご心配なく。《インターミット・シール・イン・ゴーストリィ・ハザード》を解けばすぐに元通りです」


 徳長だけが涼しい顔であっさりとそう言った。


(――そりゃあアンタは経験豊富なのでしょうけれど、こっちは未経験なのだから少しは手加減して欲しい)


 賢治は心の中で、そう毒づいた。


「賢治! 見ろ、ムルムルを!」


 現世が叫んだ。

 ムルムルの周りが、陽炎のように揺らめき始める。

 その揺らぎはやがて、長い髪を蓄えた少女のように見え始めた。


 うぅぅぅううう――


「……ひ、ひいっ!!」


 極めて不気味なうめき声が、幻聴される。

 賢治の震えは最高潮に達した。

 ムルムルの重たいまぶたの奥にある青い目が、カッと光る。

 すると信じがたいことに、周囲の揺らぎがムルムルに吸い込まれるように消えていった。


「ムルムルの超能力、〔心霊のゴーストリィ・口寄せインヴォーク〕なのだ!」

「……い、いいぞ! ムルムル! 幽霊の声を聞かせてくれ!」


 賢治が指示を出した。

 ムルムルの口が、ゆっくりと開かれた。


「ムー、ムー……」


 ……

 …………

 ………………

  

「……ほえ?」


 賢治は、首をかしげる。

 いくら経ってもムルムルは、「ムー、ムー」と唸るだけなのだ。


「ねえ……。もしかして、幽霊を憑依させても人間の言葉を喋れないんじゃない?」


 桐野が指摘する。

 次の瞬間、ムルムルからまた少女のシルエットをした揺らぎが出現した。


「ああ! 霊体の部分がよりしろ・・・・である人形へと戻っていくのだ!」


 揺らぎは、フルフルと首を振るようなしぐさをしたかと思うと、市松人形の方へ戻って行ってしまった。

 カチンッ。

 鍵を閉じたような音がした。

 《インターミット・シール・イン・ゴーストリィ・ハザード》が時間切れで収束し、元々の封印である結界呪文がまた働いたのだ。

 そして、悪寒はすっかり止んでしまった。 

 ぽかーん。……


(い、いいいいいい意味ねぇー!!)

「……人形を片づけてきますから、ムルムルを《帰還》させておいてくださいね」


 徳長は、誰よりも落胆した顔で市松人形を持っていった。


「《帰還リターン》……」


 賢治が唱えると、ムルムルは煙になって賢治の杖先に戻っていった。

 それからすぐに、徳長が戻ってきた。


「気を取り直して、次の精霊を召喚しましょう。現世さん、第16席の精霊ゼパルのページを開いてください」


 現世が右側にゼパルのページを表示した。

 赤い甲冑に身を包んだ、ブロンドの髪を棚引かせる美丈夫の肖像が浮かび上がる。


【16. 官能公爵かんのうこうしゃくゼパル Duke of voluptuous, Zepar】

 戦闘力 D(攻撃 E 体力 D 射程 A 防御 B 機動 D 警戒 B)

 霊力 A- 力場安定性 B 教養 A+ 技術 A 崇高 E 美 A 忠誠心 Z 使役難易度 III


「忠誠心は『Z』……。賢治、注意して召喚するのだぞ」

「ああ、わかってる。――《官能公爵ゼパル、召喚exvocation!》」


 賢治と現世の目の前に、薔薇が円周を描くように咲き誇る。


「何だこの召喚陣は……、こんなの初めてだぞ」


 賢治は思わず一人ごちた。

 薔薇によって縁どられた絢爛けんらんなる円陣の中央から、ド派手な赤い甲冑の美青年がせり上がってくる。その手には刀身が波打つフランベルジュが握られていた。


「……私を呼んだのはお前か? フン、貧相なガキどもだな」

「何だと!? 貴様、主人は誰だと思っておる! 分を弁えるのだ!」


 左のページの中で腕をぶんぶんと振り回して激怒する現世。


「お、落ちつけ現世! 忠誠心『Z』って釘を刺したのはお前じゃないか! 少し抑えろ!」

「ああ、何という耳障りで聞くに絶えない声だ! 少し痛い目を見ないと黙れないのかな?」


 そう言ってゼパルは、フランベルジュの切っ先を賢治たちの方へ向けた。


「なっ……。お前、何をする気だ!」

「何って、醜いお前らに赤い薔薇のような美しい傷口を作ってやろうって思ったまでさ――ハッ!」


 そして、突如駆け出した。


「賢治くん! 《帰還リターン》を!」


 徳長が叫び、桐野が《サモン・ディポーテーション》を唱えかけた――その時だった。

 ずでんっ、ズザーッ。


「……」


 ゼパルはド派手にすっころんだ。

 それは彼の着ている鎧よりも、薔薇の召喚陣よりも派手なすっ転び方だった。

 流れる沈黙。

 緊迫した空気が糸が切れたように途切れ、誰も二の句を告げずにいた。


「う……、うおお……。おのれ、私の美しい顔に傷を……」

(いや、お前が勝手にすっ転んだだけだろ!)

「フン。鼻血と泥にまみれた今の無様な顔が、おぬしにお似合いなのだよ」

「鼻血……? ――ハッ! ひ、ひ、ひ、ひひひ」


 わなわなと震えだすゼパル。


「お、おい? ゼパル?」

「ひいいいい――ッ!! 血だァ――ッ!! 死ぃぬぅぅぅううう!! 助けてええええっ――ッ!! きゅーきゅーしゃーッ!!」


 半狂乱になって騒ぎ出した。

 そして、さっきまでの奢り高ぶった余裕は微塵みじんも感じられない醜態を晒す。


「な、何なんだこいつは!?」

「……もしかして、実は血が苦手ってオチじゃない?」


 眉をしかめる賢治に、イソマツがツッコんだ。


「……ほえっ」


 鼻血を噴き出しながら叫んで走り回るゼパルは、貧血でぶっ倒れてしまった。


「……《帰還》」


 これ以上は無意味と判断した賢治が、ゼパルを帰還させる。

 円陣がゼバルの身体の下に出現して、無数の薔薇の花びらをまき散らしながら消失した。


「次が、今日最後の召喚になります」


 徳長が言った。

 ゲーティアの召喚精霊の召喚ルールその一、召喚は一日三体まで。


「さっきまでの二体が、ちょっと締まらない者ばかりだったから……最後くらい強そうな奴で行くのだ! 第21席の精霊、モラクスを召喚するぞ!」


 ゲーティアの右側のページに、全身が筋肉で盛り上がった緑色の牡牛の肖像が表示される。


【21. 鈍牛総裁どんぎゅうそうさいモラクス President of Dullbull, Morax】

 戦闘力 A-(攻撃 A 体力 A+ 射程 E 防御 A+ 機動 E 警戒 E)

 霊力 E 力場安定性 E 教養 Z 技術 Z 崇高 E 美 E 忠誠心 E 使役難易度 III


「《鈍牛総裁モラクス――召喚!!》」


 賢治がそう唱えると、目の前に白く光り輝く召喚陣が出現した。

 円陣の光のなかに大きな影が見えたかと思うと、ズンッと地面が震えた。


「う、うわっ――デカッ!!」


 賢治が思わず叫んでしまった。

 光が止むと、そこには肖像で見たとおりの緑色の体毛を持った牡牛が眠っていた。その大きさはとてつもなく、体長8メートルはあるのではないかという大きさだった。牡牛というより象である。


「よし、モラクス! 起きてお前の力を見せてくれ!」


 賢治がそう言った。


「グゴー、グゴー……」


 だが、モラクスは相変わらず眠ったままだった。


「おーいモラクス……、おーい!」

「グゴー、グゴー……」

「起きるのだ、モラクスーッ!!」

「グゴー、グゴー……」


 賢治と現世の二人が、耳元で全力で叫んでもモラクスは微動だにしない。


「桐野! 《ディスリープ・アロマチュール》なのだ!」

「《ディスリープ・アロマチュール――MAX》!」


 桐野がそう唱えると、杖の先端にビビットグリーンの円陣が浮かび上がる。そこから、非常に濃厚で芳しいハーブの香りが漂った。

 人間や動物の睡眠を阻害させ、覚醒させる生術系の呪文である。


「グゴー、グゴー……」


 しかし、モラクスは起きなかった。


「こいつ……、マジで寝ているだけなのか……?」


 賢治はがっくりと肩を落とした。


「これ以上は時間の無駄のようなのだな」

「……《帰還》」


 ムルムルの足許に召喚陣が出現すると、緑色の煙と化して霧散した。


「三回召喚してしまったので、今日の召喚術の授業はこれで終わりですね……」


 徳長がそう言うと賢治たちは、虚しさに頭を抱えながら粛々と後片付けを始めた。




   ★


(こいつマジでどうしよう……。使えないだけじゃなく、戻せないなんて……)


 木曜の出来事を思い起こしながら、目の前のザガンもまた「使い道がわからない召喚精霊」であると、賢治は感じていた。

 そして当のザガンは、桐野とイソマツを翻弄しながら逃げ回っていた。


「くっそ、ちょこまかと調子こきやがって……!」


 桐野がアゴに流れる汗を拭いながら毒づいた。

 挑発するザガン。


「やーいやーい! 悔しかったら、ここまで来いよー!」


 だが次の瞬間、ザガンは表情を一変させた。

 身を翻して、背後の影の奇襲をかわす。

 その後ろには、いつの間にか接近していたイソマツが立っていた。


「……遊び過ぎたようだね。お互いに」

「まずい! イソマツがキレた・・・のだ!」


 現世が声をあげた。

 たしかに、その目には箕借神社のときのような冷たい獰猛さが湛えられている。


「お前……さっきまで猫かぶってやがったな!」


 そう言ってザガンは、複雑な円陣が描かれた護符ごふを懐から取り出した。


「こいつは、亜酸化窒素を生成する錬金術の円陣だ! ちょっとでもその火花を出してみろ! この辺一帯燃えちまうぜ!!」

「¿Burroブーロ?(バカか?) お前なんて――超能力を使うまでもないんだよ」


 獲物を捕らえる肉食動物のように飛びかかるイソマツ。

 しかし、であった。

 その間を徳長が割って入った。


「少し落ち着きましょう、イソマツくん」


 諭すような声で徳長がそう言った。

 すると、イソマツの表情が急に和らぐ。


「……ゴメン、先生」


 イソマツが元に戻って賢治は胸をなでおろしたのだが、


「ああっ! ザガンが竹林の中へ逃げ込んだのだ!」


現世が声をあげたことで、今の状況を思い出した。


「へーへっへ! じゃあなノロマども!」

「おい待て! どこへ行くんだ!」


 賢治たちはザガンを追いかけて、竹林の中に入っていった。

 塀の方へ逃げると賢治たちに捕まると考えたのか、ザガンは急に方向転換をした。


「そっちは崖なのだ! 観念するのだ!」


 竹林の南側は、極めて高い崖になっている。

 この崖と高い塀によって、因幡邸が外敵が侵入しにくい構造になっているのである。

 しかしザガンは慌てることなく、エメラルドのマントの端二つをブーツのかかとの金具に装着させた。


「にゃはは! お前ら、オレ様が錬金術師だってことを忘れてんじゃねえのか?」


 彼の来ているカットソーの背中には、またもや複雑な錬金術の円陣が描かれていた。


「地の記号と水の記号……『炭化水素』!? こんなところで燃料を生成して燃やすんじゃない!! 山火事にする気ですかッ!!」


 徳長が叫んだ。

 だが、ザガンは「バーカ、熱気球みてーに調整するに決まってんだ……ろッ!」と舌を出して挑発した。

 そして、マントをモモンガのように広げて勢いよく飛び降りた。

 ザガンの背中の円陣が光り、背中と空気で膨らむマントの間に小さな炎が灯った。

 熱気球のホバリングと同じ現象を引き起こしたザガンは、地面から10メートルくらいのところからふんわりと降下して、無事着地した。

 彼はものの数秒で、20メートル以上ある切り立った崖を下り終えたのだ。


「くっそー! 街の方へ向かったのだ! 追いかけるのだよ!!」


 ゲーティアの中で地団太を踏む現世が悔しそうに叫んだ。




   ★


 賢治たちは因幡邸を出て逃げたザガンを追いかけていた。

 清丸町を囲む道路を越えて、清丸町二丁目から繁華街のある一丁目へ向かおうとしていた。


「はあ、はあ……。アイツ、どこまで逃げる気なんだ」


 人の家の塀を渡って、ドブ川のパイプを伝り、公園のフェンスも平気で乗り越える。縦横無尽に逃げ回るザガンに、賢治たちは追いかけながら閉口していた。

 特に賢治は「体力の限界」といって様相で、完全に息を切らしていた。


「て、てめえら! しつこいんだよ! いい加減にしろ!」


 だが、さしものザガンも全く疲れていないわけではないようだ。

 住宅街を抜けて、商店街の裏道を横切ると、そこはオフィスビル街のすぐ隣にある繁華街だった。


「ぜえぜえ……。いい加減にするのは、お前の方だろ! さっさと止まれ!」

「誰が……止まるか! オレ様はぁ、自由なんだよ! このタブラ・スマラグディナに書いてあるように、天地自在なんだ! お前らの命令なんか、聞いてたまるかッ!」

「……!」


 そのザガンの心の叫びは、賢治に自らの召喚精霊に対する態度を顧みらせた。


 賢治は初めて召喚魔術を行ったとき、マルコシアスに「自分は道具だ」と言われた。だが賢治は反発し、「一緒に戦ってくれる仲間」として「お願い」をしたのだ。

 それからずっと、賢治はそう思ってゲーティアの召喚精霊と付き合ってきたつもりだった。

 しかし慣れてくるうちに、いつの間にか実質的に彼らを道具として扱ってはいなかったか。


(そうだ……。アタリだのハズレだの、使えるだの使えないだのを、一方的に決めつけて評価するなんて……そんなの仲間って言えるのか!? 言えるわけないじゃないか! だってこれって、相手を道具扱いしているのと同じだろう!?)


 ザガンの本音を受けて賢治は、いつの間にか自分の心に救っていた傲慢さを恥じた。


(さらには力を発揮できないのをアイツらのせいにしていた。それを引き出し、活かすのが、召喚術師じゃないのか!? オレは、コイツらの――召喚主マスター失格だ)


「何してんだ青梅! ザガンが逃げてしまう!」


 桐野が叫んだ。

 だが考え込んでいる賢治の耳に、その声は届かなかった。


「へんっ! そこでそうやって棒立ちしてろバ――」


 ドン!

 そう言いかけたザガンは、何かにぶつかったことで台詞を遮られた。


「痛ってーな、てめえ」

「なぁに、このガキ?」


 骨をくわえたヘルハウンドの顔がプリントされたスカジャンを着込んだパンチパーマの男と、彼の右腕に両腕を回す水商売っぽい服装をした女性が言った。

 賢治は一目で、二人が「関わっちゃいけない系の人」だと認識した。


(コイツ……! 何でこんな時だけ悪運が働かないんだよ!)

「な、なんだよ! ぶつかってきたのはお前らの方じゃねーか! 馬鹿みてーに肩揺らして、邪魔なんだよ!」


 ザガンがほぼ居直るような反論をかました。

 賢治は(しかも、いらん挑発かましやがった!)と絶望的な表情をする。


「あぁん、いい度胸じゃねえかクソガキ。おい、そこで見ているてめえら。こいつの関係者か?」


 パンチパーマが、こっちに狙いを変えてきた。

 桐野が、びくびくしている賢治に耳打ちをする。


「青梅。他人のフリをしな」

「堺、そんな……!」

「冷たいようだが、ザガンの自業自得だ。保護役として、アンタたち二人を危険な目に遭わせるわけにはいかない」

「――そのザガンは、現世と賢治の召喚精霊なのだ! 非礼は詫びよう!」


 だが桐野のアドバイスも虚しく、現世は堂々とそう宣言してしまう。


「あーあ、言っちゃった」

「現世……。ああうん、アンタはそういう子なんだよね」


 イソマツと桐野が頭を抱えながらこぼした。


「ザガン、おぬしも頭を下げるのだ! あの者が肩を揺らして歩いてきたのは事実なのだが、飛び出したのはおぬしなのだ!」

「な、何だよ! フン! こんな奴、怖くなんかないよ――ッと!」


 そう言ってザガンは、懐から護符を取り出そうとした。

 しかし、であった。

 シャキン――


「……!」


 賢治たちは息を呑んだ。

 パンチパーマの男の両手には、いつの間にか光の剣と盾が握られていたからだ。


「アイツ……! 《ザ・ロマンティック・ウォーリアー》を短縮詠唱しやがった!」

「どっかに仕込ヒドゥン・イクみ杖ウィップメント持っているねえ」


 桐野とイソマツが分析をする。


「ねーえたけるぅ。こいつらうっさいから、まとめてさっさとシバいちゃいなよぉ」

「おう、まかしとけ羅々らら


 パンチパーマと水商売っぽい女――武と羅々が嗜虐的にほくそ笑みながら言った。


「くっ……こうなったら仕方がないのだ! 戦うぞ賢治!」


 現世に言われて賢治は、腹を括って構える。


「……ああ現世。〔側算〕!」


 賢治の眼鏡に、武と羅々のステータスが表示される。


 

  戦闘力 C(攻撃 B 体力 C 射程 D 防御 B 機動 C 警戒 C)

  霊力 C 力場安定性 C 教養 E 技術 C 魅力 C 統率力 C


  総合評価 C級術師


羅々


  戦闘力 E(攻撃 E 体力 D 射程 E 防御 Z 機動 E 警戒 B)

  霊力 E 力場安定性 E 教養 Z 技術 C 魅力 B 統率力 D


  総合評価 E級術師


「よし! これならザガン、お前でも戦える! 距離を取って体勢を立て直すんだ!」

「……ひ、ひい! オレ様いち抜けた!」


 だが、すっかり光の剣に及び腰になったザガンはマントで体をくるませて縮こまっていた。

 次の瞬間、マントがエメラルド色の光を放った。

 賢治が「うわっ!?」と目をくらませる。


「〔反帰還アンチ・リターン〕に次ぐ、タブラ・スマラグディナのもう一つの力! 〔召喚サモン精霊交換・エクスチェンジ〕!」

「お、おい! ふざけるでないザガン!! お前が売ったケンカであろう!!」


 賢治とザガンの足許に、召喚陣が出現する。

 それはうねうねと形を変えていた。

 別の召喚精霊が召喚されようとしているのだ。


 ――もしかしたら、戦闘用の奴が選ばれるかもしれない。


 今にも敵が襲いかかろうとしているこの局面では、そんな期待を抱くのが普通だ。

 だが目の前に現れたのは、いつか見た薔薇の召喚陣だった。


「……フン、私の優雅な昼下がりを邪魔するとはいい度胸だ」


 召喚陣からは、フランベルジュを召喚主の方へ向ける真紅の甲冑の青年がせり上がって現れた。

 ゼパルであった。


 終わった! 絶望だ!!


 そこにいた者は皆、揃えて青ざめた顔をしてそう思った。

 ――賢治一人を除いて。

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