Conclusion
賢治にとって、術師界の魔導公教育との最悪のファーストコンタクトとなった日の夜。因幡から五人にはこう告げられた。
「同盟は一枚岩じゃねエ。内部からも気をつける必要があるってことがよっく分かったわ」
それから、少しばかり申し訳なさそうに「すまねェが、どこに敵がいるかわからねェ。気ィ引き締めてくれ」と付け加えられた。
★
魔導学校見学から、三日経った日の午後。
中間テスト期間であり午前中で学校を終えた賢治は、因幡邸に来ていた。
最終日を除いて、今日と明日は徳長による魔術の勉強はしない予定であるのだが、もはやそうしたことは関係なしに賢治は因幡邸に来るようになっていた。
そしていつもの客間で、賢治は桐野に勉強を教わっていた。
「
「あーもう、終わったものは悔やんでも仕方ないよ。残りの教科を頑張りな。明日は?」
「ライティングと古典と化学I、それと日本史……。化学が滅茶苦茶ヤバい……」
「一年の中間なんて、『水兵リーベ』を覚えていれば何とかならない?」
「『水兵なんとか』って何?」
「ああ……ごめん、語呂合わせで暗記って苦手だったね。じゃあ、理屈で覚えよう。メンデレーエフの周期表には1族から18族まであって……」
ガラリ。
徳長が、ふすまを開けて客間に入ってきた。
「清丸高から連絡が来ましたので、お伝えしておきます」
徳長がそう切り出すなり、賢治たちはやや神妙な顔になった。
「まず、星野先生は懲戒免職および魔導教育免許の取り消しです」
その言葉を聞いて賢治は、抗議の声をあげる。
「そんな……。星野先生は勁路負担が限界の中、オレたちを助けようとして過剰勁路負担となったんです。もう少し穏便な措置は取れないのでしょうか?」
「たしかに、最後にあなたたちを守ろうとしてくれたことには感謝しています。しかし、彼女が罪を犯した事実は覆りません。特に未成年者の誘拐など、子どもを預かることが仕事の教師という職業人において、最も許されない部類の犯罪です」
「しかし……」
「あとは、司法に任せるしかありません。裁判のときに、身を
次に……唐紅先生についてです」
その名前が出ると、イソマツ以外の全員が眉に皺を寄せた。
「停職三ヶ月のち減給5分の1処分。それで風紀委員顧問、現代実践術部顧問、現代実戦術監督の役職から降ろすそうです。クラス担任には、今後一切させないようです」
桐野は「懲戒免職じゃないんですか……」とつぶやく。
「残念ながら執行猶予つきレベルの犯罪程度では、教員が懲戒免職になるということはほとんどないんですよ。これは術師界でも同じです」
徳長は、苦虫を噛み潰したような表情をしながら言った。
イソマツが「ホンット、身内に甘いよね~」と茶化した。
「同じ教員として反吐が出るような気持ちになりますが、実際そうなのです。まあただ、これは実質的に退職以外に道がないも同然です。彼は魔導実戦術の腕を買われて、監督として
現世が「ざまあみそ汁なのだ」と、悪態をついた。
徳長は報告を続ける。
「続いて生徒ですが、まず今回の事件の発端となった廣銀識人くんは停学二週間、暴言を吐いて試合を侮辱する反則行為を行った廣銀成人くんは自宅謹慎一週間、賢治くんと現世さんと試合した生徒全員が三日の通学謹慎となりました。廣銀識人くんはもう、AO推薦以外の推薦入試を利用することは不可能でしょうね。なお、以上の処分を受けた生徒職員が白銀衆の構成員であるかどうかの調査はこれから行われるようで、判明した事実いかんによっては、追加でさらに処分が下るそうです」
「対戦しただけで謹慎は重いですね……」
賢治は、一雨や麻塩の顔を脳裏に浮かべながら言った。
対戦相手のなかでも悪人とは言い難く、処分が下ったのには心苦しい思いがした。
「『明らかに教育現場から逸脱する行為に加担した』ことは事実ですし、無処分では道理が通らないでしょう。謹慎処分なら推薦にも響くことはありませんし、温情的と言えます。さて、清丸高の話はここまでで、次に魔導警察に逮捕されたマガツの構成員たちの、現状についてお話します」
徳長がいったん咳払いをしてから、話を続ける。
「幹部の乙と丙、乙の仲間である信州スリーパーズの少年たちは、ご存知の通り管轄の魔導警察で拘留中です。緒澤さんが現在調査してくれていて、なかなか聴取は進展していない模様です。そもそも、『門』に関わる事件の捜査権は所轄の魔導警察などにはありませんからね」
「麻枝のときと同じですか……」
「遅くとも、賢治くんたちの聴取が行われる今週の金曜日よりは前に、陰陽保安局で取り調べは行われるでしょう」
事務的な報告を終えて徳長は、「それでは勉強中のようですし。私はこれで」とその場を辞去しようとした。
イソマツが「えー、勉強見てくれないのー」とぼやいた。
「あのですね、私が五色高の教師であることをお忘れですか? あ、あとイソマツくん。テスト期間中に私の部屋に近づこうものなら、世にも恐ろしいおしおきが待っていますからね」
「あ……、先生。理科を勉強していて思い出したんですけど、訊きたいことがあるんですがいいですか?」
賢治が言った。
徳長が「はい、なんでしょう」と返す。
「廃墟の工場で星野先生が唱えた《ベレロフォン・スタッブ》なんですが……、倒れる直前に星野先生が言った言葉に従えば『キメラ特効呪文』だそうですけれど、もっと詳しく教えてくれませんか?」
「いいですよ。あれは、キメラの特性を利用してキメラの生命活動を停止させる呪文です」
「キメラの特性とは何ですか?」
「キメラが生命活動を行えるのは……、アミソーダロス酸と呼ばれる人工酵素の働きによるものなのです」
「アミソーダロス……。ギリシャ神話でキメラを造って育てたとされる王様の名前ですね」
徳長は「よくご存じですね」と微笑んだ。
なお「ベレロフォン」とは、炎を吐くキメラの口に鉛の槍を口の中に突き入れ窒息死させて退治したという、ギリシア神話の英雄ベレロポーンの英語読みである。
「アミソーダロス酸を血中のヘモグロビンと結合させることで体全体の移植免疫を抑制し、異なった遺伝情報を持つ細胞同士を一つの固体の中で共存させることが可能になるのです。早い話が、拒絶反応を起こさせないようにする酵素がアミソーダロス酸なのです。さて、賢治くん。ヘモグロビンの果たす役割はなんでしょうか?」
「酸素を運ぶこと、ですよね?」
「その通りです。しかし鉛を摂取して、それが血液中に流れると、ヘモグロビンにどう作用するでしょう?」
「ええと……、ヘモグロビンの働きを邪魔する……?」
「正解です。鉛はヘモグロビン合成を阻害する効果があります。いわゆる鉛中毒ですね。ヘモグロビン合成を阻害するということは、アミソーダロス酸が機能しなくなるということを意味しています。これをさっきの話と合わせて考えると、どうなるでしょうか?」
「……あ! 移植免疫が働いて、生命活動に支障が出てしまう!」
すると徳長はニコリとして「そういうことです」と言った。
「何か……。すごく苦しそうで、残酷な呪文ですね」
「そうですね。ただ、あそこにいたヤマチチ・キメラのような状態になると、もう回復は絶望的でしょうし、生き続けさせる方が残酷かもしれません」
……コロ、シテ……。
徳長にそう言われると賢治の脳裏に、ヤマチチ・キメラが見せた幻覚が頭の中をよぎった。
あのキメラは、賢治にこう伝えたかったのではないか。
――殺して。
「あのキメラは、何のために実験されていたのだ?」
現世が訊く。
「あの後、魔導警察の目を盗みながら日麿と月麿の二人に廃工場を調査させましたが、どうも生物兵器として運用するキメラを開発していたみたいです」
「生物兵器……なのだ?」
「和谷製薬は、薬問屋の露ノ屋の時代から旧軍とのつながりもありましたからね。軍事開発もお手の物というわけです。戦後は、国内外の反社会的術師結社を相手に卸すために、あそこで生物兵器を製造してしたというわけです。もっとも、芳しい成果はあまり出なかったようですが」
「その材料がヤマチチ……。ひどすぎるのだ。ヤマチチたちはただ大人しく暮らしていたいだけであろう。それなのに棲家を奪ったばかりか、無理やり戦わせる兵器に改造してしまうなんて……。人のやることとは思えないのだ」
その現世の言葉を聞いて賢治は、対戦した清丸高の生徒たちのことがもう一度頭の中をよぎった。
(戦わなくていいのに、戦わなきゃいけない存在が出るのは、どうしてなんだ)
彼らもまた、唐紅英流などの権力ある悪人に戦わされただけの存在にすぎない。それでも、降りかかる火の粉はやはり払わなければならない。罪悪感とやるせない気持ちに抗いながらでも。だから、賢治と現世は戦った。
――しかしこの「諦め」こそが、戦争に歯止めを効かなくさせる原因ではないのか?
そんなふうに思うと賢治は、ますます暗い顔になった。
「……賢治くん。あまり、変な風に思い詰めない方がいいですよ」
徳長が、諭すような口調でそう言った。
「今回の事件であなたたちの判断は間違っていなかったし、判断を誤り続けた星野先生も最後の最後であなた方を助けるという正しい判断をしました。皆さん、出来る限り最善の行動を取ろうとしたのです。だから、あまり気にし過ぎないでくださいね」
そう言い残して、徳長は客間から出て行った。
「青梅。あと現世も」
突然、桐野が口を開いた。
「まだ、ちゃんとお礼を言えていなかったよね。わたしのために怒ってくれて、本当にありがとう。あと、危ない目に遭わせてゴメンね」
それは、素直な感謝の言葉であった。
賢治は思わず
そして「……あ、ああ」と、間の抜けた返答をした。
「何を言っておるのだ、水臭い! 家族なのだから当然のことであろう!」
桐野は、現世を甘やかすときの媚びた感じとも違う、柔和な表情を浮かべていた。
こんな彼女の顔を、賢治は初めて見た。
(……こいつ、こんな顔もできるのか)
すると、不意に腋の下と脇腹にこそばゆい感触が走った。
「――ぎゃははははっ! って、何すんだイソマツッ!!」
「いや~、別にィ」
悪戯っぽい、あるいはからかうような小悪魔的な声でイソマツは言った。
「さ、勉強を再開するよ」
そう言う桐野は、もう凛としてクールないつもの彼女の顔に戻っていた。
扉が開け放しにされた縁側からは、初夏の終わりを告げるようなやや湿った風が入り込んできていた。
(魔導学校見学篇 完 ……妖怪篇へ続く)
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