Report 10 製薬工場廃墟での激闘(3)

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(……みんな、キライ)


 私は、幼いころからずっとリチャードソンの本を読んで育ってきた。

 きっかけは魔導小学校三年生の頃に手に取った子供向けの著書、『哲学へのみちびき』だった。この本は「自分を存在させているこの世界とは何か」という問いかけから始まる。


 子どもの声とそよぐ枝葉の音が遠くから聞こえる公園の隅、電線まみれの青空、真っ白な雪の絨毯に覆われた空き地、誰もいない幼稚園の教室、ベッドの中から見上げる真っ暗な天井……そうした一人ぼっちのとき・ところでふと生まれる、『どうしてこの世界はこんな風に見えたり、聞こえたりするんだろう』という不思議な感覚を、リチャードソンは「哲学のはじまり」として、子どもたちに訴えかける文章をこの本では書いているのだ。

 本書は多くの子どもを魅了し続けていて、私も読んだ瞬間からその一人になった。


 私は、子どもの頃から目の前にあるこの世界のあらゆるものが、魅力的に見えて仕方がなかった。知りたくて仕方がなかった。他の子どもは、ものごころがついて友だちづきあいに夢中になるうちにそんなことは忘れてしまうのだが、私はそうじゃなかった。そんな私にとってこのリチャードソンの本は、彼女の関心の向かう先を示してくれる、道しるべの役割を果たしのだ。

 私はリチャードソンのように、この世界を知って、考えたい一心から、勉強がとても好きになった。テストはいつも満点だった。

 そうして私はみんなから「ガリ勉」と呼ばれて、嫌われていった。


(……ええもん。私には、お母さんがいるから)


 私を支えてくれたのは、母だった。

 政治家として忙しくほとんど家にいない父に代わって、私を含む子ども三人を育ててくれた。


 ――アンタは、他人に誇れる結果を出して好きなことをやっているんやから、いくらでも胸を張ってええんよ。


 そう言ってくれる母が、何よりも支えになってくれた。


(……あとは、宇隆うりゅうゆう……。ときどき鬱陶しいけど、何かあったらお母さんが悲しむから)


 私には母と、二人の兄弟さえいればそれでいい。

 世界のことを知りたいと思いながら、意識は家族へと閉じていく。

 そんな透明な歪さを、危うい純粋な歪さを抱えたまま、私は努力をし続けた。……


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 (……選ばれた! 選ばれた! これ夢とちゃうんやんな!? 私が、リチャードソンが解明できへんかった「門」の候補者に選ばれたんや!)


 山城魔導高校からの帰り道、私はスキップでもしたい気分だった。


 私はこの日、高校で授業を受けていたら突然担任の教師に呼び出された。

 指示された応接室にはその教師も入れず、外部の来客である男性と一対一で対応させられた。

 その男性は、リチャードソン協会の人間だった。

 彼は私に、「門」の候補者として諒子が選ばれた旨を告げた。

 今日はひとまず連絡だけで、後日改めて自宅へ伺い、検査当日の手引きなどを説明するとのことだった。


(お母さんが聞いたら、喜ぶでなあ?)


 私の母は二年ほど前から、とある厄介な難病にかかっていた。

 心の支えだった母が、死ぬかもしれない難病にかかったと聞いたときは、目の前が真っ暗になるかと思った。

 それでも私は、努力を怠らなかった。

 自分のせいで私が落ちぶれるのは、母にとって一番悲しむことであることを知っていたからだ。

 その努力が実ったと感じた私の喜びは、ひとしおであった。


(これで少しは元気になるかいな? 少しはまた動けるようになるなんて、そないな奇跡、期待してええんかいな?)


「……お嬢、大変でさあ! お嬢!!」


 浮かれた気分でいたら、目の前に余り会いたくない人物が現れた。

 冥賀尚人だった。

 本当に小さなときは一緒に遊ぶのが楽しかったが、今は違った。

 ――母は、父や祖父が魔導人民党の仕事に専念することで追いつめられた。

 10歳を過ぎた辺りから、そう考えるようになったのだ。

 その憎悪の対象には、祖父の付き人から政治家に転身した冥賀も含まれていた。


「何の用? いま、アンタと会いたい気分やあらへんのやけど」

「そんなこと言っている場合じゃありやせん!! 若奥様が! いま病院から危篤だと、連絡が入りやした!!」

「……!」


 ……

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 私の母が集中治療室に入って、二週間が経った。

 母はあの日から目を醒ますことがないまま、私は〔鍵〕候補者検査当日を迎えることとなった。


 当日のことは、ほとんど覚えていない。

 それでも〔扉〕の保有者――現世の前では明るく努めたつもりだったが、それも不毛な努力だったようだ。

 結果は無反応。

 私もまた、他の候補者と同じく〔鍵〕の保有者に選ばれなかった。


 ……

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 ………………


 母が死んで、兄弟三人はそれぞれ別々の親類の許で育てられることになった。

 私は、子どもがいなかった母方の伯母夫婦と養子縁組をした。

 母が亡くなった日。死に目に会わなかった父のことを私は、心の底から憎んだ。

 「旭」の名前すらいとうようになり、養子縁組とともに改姓も申し出た。

 進路も山城にある魔導大学ではなく、新東京自治区にある日本魔導大学魔導物理学部に変更した。

 子どもの頃から親しんでいた京都弁すら、あの家のことを思い出すので意図して矯正し、一年もする頃にはすっかり標準弁のアクセントになっていた。

 そして、苦労して入った唐紅ゼミでは――


 ――あのねえ、「霊極」の研究なんて補助金が出ないの。あれはリチャードソンの研究のなかでも、社会の役に立たない部類。そんなにやりたいなら、魔導哲学科にでも転科したらぁ?


 ――魔導教育庁からも御達しがあるようにねえ、これからの魔導大学は稼げる研究をしなきゃ! そうしなきゃ、博士課程終ったあともポストもらえないよぉ?


 ――あんまり生意気な女の子は嫌われるよ? 研究を続けるにも、愛嬌は必要だよ?


 どうしようもないクズに牛耳られた伏魔殿ふくまでんであった。

 教授や先輩の研究員のリチャードソン批判は、学部生でもわかるくらいお粗末なものだった。けれども、それを指摘して機嫌を損ねさせたら、研究者としての道は閉ざされる。ただでさえ私は、学部生の頃から彼らに『生意気な女』と疎まれていた。


 糊口をしのぐため、高校の魔導物理学の免許を取り、清丸高で非常勤講師として働くことにしたが、ここにも唐紅の魔の手が伸びていた。

 私はもはや、何をする気力も湧かなかった。


(……今日の夕方はずっと、クソみたいな部活指導サービス残業だったわ……。そして、明日も……)


 ある日のこと。

 残業を終えて自室に帰ると、ストロング系のアルコール飲料を胃に流し込みながら、虚ろな頭でノートパソコンのキーボードをタイプした。

 書いているのは、術師界ウェブのブログ運営企業「びっくりブログ」のコンテンツの一つである匿名びっくりブログの記事である。内容は、所属する研究室を名指しで批判するものだった。

 間違いなく身バレするだろうな。

 だけど、吐き出さずにはいられなかった。

 愚痴を聞いてくれる友人なんて一人もいないし、家族に頼るのはもっと嫌だった。

 そうなると吐き出す場所は必然的に、ネットの痰壺しか残らなかった。

 今まではこんなところに書き込む連中は、努力を怠った自業自得のヤツらだと見下していたが、理不尽な経験を経た今となっては、その考えを改めざるを得なくなった。

 しかし改めたところでどうしようもなく、疲弊し切った頭ではこんな場所へ吐き出すくらいしか思いつかなかったのだ。


 吐き出すだけ吐き出した翌日、びっくりブログのIDにメッセージが届いていた。



 Hinotoです。つらいお気持ち、お察しします。

 私も一部のヒトの男性術師のせいで、魔導生物学の研究をあきらめました。


 ID: Hinoto


 ……

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 ………………


 私は「Hinoto」なる女性と、他のSNSを使ってやり取りするようになった。

 話を聞いてみると、Hinotoは亜人だった。

 大学のゼミで男性の先輩や教授からハラスメントを受けて精神疾患になり、中退してしまったのだという。

 ある時Hinotoに推薦されて、彼女の知り合いが運営しているという招待制のSNSに参加することになった。


 実はそれは、マガツのWeb拠点のひとつだったのだ。


 そこには現在の魔導教育に不満を持つ何人かの術師がおり、交流を持つようになった。

 そのうちの一人は「Kinoto」といって、どうやらまだ高校生らしい。

 そしてもう一人は「Hinoe」で、彼はこのSNSの管理人らしい。魔導情報工学が専門で博士課程を中退したと言っていた。


 マガツの構成員との交流を深めるうちに、今回の計画を持ちかけられた。

 彼らとは今に至るまで、一度も顔は合わせたことがない。

 それなのに私は、この計画に参加することを決意したのだ。

 はっきり言って、私は彼らの言うことを半分も信じていない。

 利用されているだけなのかもしれない。

 だが私は既に、匿名のやり取りで犯罪行為を進めることで湧いてくる後ろめたい興奮に浸り込み、常識的な判断力は麻痺させられてしまっていた。

 そして、幼稚な万能感が私の内で満たされていった。


 私を選ばなかったこの世界に一泡吹かせてやりたい、と。……


 ………………

 …………

 ……



 光が収まった。

 賢治は顔をあげる。


(……!)


 その光景を見て、賢治は息を呑んだ。


 現世と星野が〔五芒星の魔防壕〕の結界の中に入り、瓦礫の山に横たわっていた。


「デカラビア……!」

「フン、馬鹿なことを。術解したって、張り直せばいいだけのことだ」


 デカラビアは傲然とそう言い放った。気のせいか、やや照れ臭そうだった。


 現世が結界のなかから、「ありがとうなのだ、デカラビア!」と言った。


「何が有り難いことか。思慮深い吾輩なら、やって当然のことをやったに過ぎない……」


 「傲慢ごうまん」であることと「良い奴」であることは両立するのだと、賢治は思った。


「う、うう……」


 結界のなかの星野がうめいた。

 彼女は、涙を流していた。


(麻枝のときと、同じ現象だ。あのとき、オレと現世と星野の三人の間で、霊力場共鳴が起こったんだ。さっき見たイメージの奔流……。あれは間違いなく星野……星野先生の過去だった)


 賢治は慈しみを込めて、彼女にこう言った。


「起きてください先生……。Rassemblez『気をつけ』Saluez『礼』の時間ですよ……」

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