Report 10 製薬工場廃墟での激闘(4)

 星野は杖を差し出して、正座していた。

 賢治の側もデカラビアを帰還させ、戦意がないことを表した。


「賢治、ここは現世に任せるのだ」


 そう言って現世は、星野に話かけた。


「諒子どの。勝手に記憶を見て、ごめんなさいなのだ……」

「……」


 しかし星野は無言だった。


「……諒子どのは、こんなことが本当にやりたかったことなのか?」

「……うるさいわね。アンタに、何がわかるっていうの」

「ああ。今のおぬしの本心なぞ、わからぬ。それはいくら当時の記憶とそのときの思考を知っても、わからぬことだ。――だがあの検査の日、おぬしは真実の言葉で語ったではないか。『リチャードソンが発見した「門」の保有者になり、誰にもできない方法で研究に取り組むことで、家族を喜ばせたい』と」

「……!」


 星野は現世の握る手を、ふるふると震わせる。


「マガツは、リチャードソンの研究を汚すことそのものを目的としておる。そんな連中に協力して『門』の研究を歪めるのが、本当におぬしのやりたいことなのか……?」


「……そんなこと言ったって、もうどうすればいいのかわからなかったのよ!! あなたたち、私の記憶を見たんでしょ!? 努力しても努力しても、私の心から大切なものが欠けていったのが分かるでしょう!? 努力が全部、無駄になっていく辛さが! 虚しさがッ!!」


 星野が悲鳴をあげるように言った。


「無駄になどなってはおらぬ。やり直すのだ、諒子どの」


 現世が、きっぱりとそう言った。


「……何を言っているんだか。こんなことして、今さらやり直せるなんて……」

「今さらじゃなくて、『今』だからこそやり直すのだ。――自分の過ちに気づいたときこそが、やり直す最良の機会なのだよ」


 黙り込む星野。

 すると、ゆっくりと現世の左手から手放した。

 そして崩れ落ちて、床に手をついた。


「――うわああああっ!!」


 慟哭どうこく

 幼い子どもに戻ったかのように、星野はせきを切ったかのように泣き叫んだ。


(現世、お前は本当に勇気があるヤツだよ。オレだったら、あんな風に説得することなんてできない。……対話から始まった哲学に傾倒しているというのに、とんだお笑い草だ)


 賢治は哲学を学んでいるにも関わらず、実際の戦闘において真正面からロジカルに喝破するのはいつも現世だった。

 自分の無力さを、賢治は噛みしめる。


(だけど……、現世。オレもいつか必ず――お前の相棒として相応しく、どんな相手でも毅然とした態度で言葉を紡げるような――そんな術師になってみせる……!)


 その時、崩れた方とは反対側の中二階の窓が割られた。

 割られた窓から、二機の飛行箒が入ってくる。


「賢治くん! 現世さん!」


 それは徳長と桐野だった。 


「現世ッ!!」


 桐野は現世に向かって一直線で飛んで行った。

 そして本の状態の現世を抱きしめた。


「無事でよかった……! ごめん、ごめんね現世。……それと、青梅も。役に立たなくて申し訳ないね……」


 桐野はいつになく塩らしく、賢治に言った。


「いやいや、仕方ないって!」


 賢治は、(調子狂うから、いつもみたいにして欲しい)と思った。


「! ――星野諒子ッ!!」


 桐野は星野を視認するなり、彼女に杖を向けた。


「……もう投降しているわ」


 星野は両手をあげてそう言った。


「話は後です!! さあ、私と桐野さんの飛行箒に乗ってください! 星野先生も一緒に!!」


 一体どうしたことか。いつも冷静な徳長が、やけに焦った様子である。


「どうしたんですか先生、そんなに慌てて」

「妖獣ヤマチチの大群が、こっちに向かってきているんです!! 今すぐここを離れないと危険です!!」


 徳長がそう言った、その瞬間だった。

 一階の金属扉がガタガタと揺れ始めた。

 それだけじゃない。

 中二階の窓を見上げると、そこには世にも不気味な生き物が這い上がってきていた。


 口がアリクイで顔は猿、手足はぬめぬめとてかっていて爬虫類のような鱗が生えている。それで黒いボロをまとい、二つに分かれた蛇の尾の足を滑らせて、不規則なリズムで這っているの。


(なんだよ、これ……)


 賢治は妖獣ヤマチチの面妖さに、思わず絶句する。

 徳長が、「くっ、間に合わなかったか……」とこぼした。


(どうする……! オレはもう術を使えないのに!)

「全員、私の方へ来てください!」


 徳長に従って、全員が彼の周囲を囲むように集まる。


「〔円月剣風流・鎌鼬術――刺風獄しふうごく!!〕」


 徳長の周囲から、徐々に霊的結界が行き渡る。結界に触れたヤマチチは、「ギャッ」と声をあげて、力場の外へ押し出された。

 やがて、この廃墟全体を結界が包み込んでしまった。


「ヤマチチは群れを成しますが、こんな大群が一ヵ所に押し寄せるのは不自然です。何者かに操られてここまで来たに間違いありません」

「何者か……。そうだ、ひのとは魔導生物学の研究を大学でやっていたと聞いたわ!」


 徳長の疑問に、星野が答えた。


「その人物は妖獣師ビーストテイマーでしょうね。ヤマチチは、あの瘴気をまとった腕で獲物の目を隠して意識を奪い悪夢を見させて攻撃します。それからあのアリクイみたいな口で口づけし、霊力を根こそぎ吸い取ってしまうのです。最悪の場合、死に至りますね。その丁という人間は、最初から合流する気などさらさらなく、ヤマチチを使って星野先生から賢治くんと現世さんを横取りするつもりだったんでしょう」


 現世が「なんて卑劣な!」と憤慨した。


「皆さんは、この〔刺風獄〕の中にいてください。私は結界の外に出て妖獣師を探し、この術を止めさせます」


 そう言って徳長は飛行箒を発進させて、入ってきた中二階の窓の穴から出るため、〔刺風獄〕の結界に触れた。するとスリットが入ったように隙間ができて、そこから徳長は脱出する。徳長が出ていくと、スリットはすぐに閉じてしまった。




   ★


 徳長は飛行箒に乗って、周囲を見渡す。

 ここは工場跡からほど近くにある、清水の流れる開けた岩場だった。奥の方は勾配が極めて急な岩壁地帯になっており、訓練を受けたクライマーしか登れなさそうだ。

 日輪山の二合目にある日陰沢とプロミネンスがいである。


(そんなに遠くから操ってはいないはず。必ず、この付近の林に潜伏しているはずだ……)


 徳長は、意識を集中する。

 すると火の玉のようなものが、あちらこちらで宙に浮いているのが、とてもかすかに見えた。


(これは……〔釣瓶火つるべび〕!!  動物や妖獣の注意を惹いて、誘導することができる超能力で、「釣瓶落つるべおとし」の亜人のみに備わった超能力だ。しかし、ここまで〔隠形おんぎょう〕できる釣瓶火など見たことがない……)


 徳長は、〔釣瓶火〕の力場が強くなっていく方向へと向かった。

 林のなかを、器用に飛行箒で潜っていく。


(……! 見えた! あの女性ひとが丁か!)


 木々の間に不審な人影を見つけて、徳長は飛行箒を停止させた。

 それは、迷彩模様のオーバーオールを着こんだ若い女性――マガツの幹部・丁だった。べっとりとした長い黒髪で顔が隠れていて、陰気な雰囲気を醸し出している。丁は両手で何かを操っているような動作をしている。

 仕草だけでも十分怪しいのだが、決定的だったのは麻枝と同じく赤く光る「H」が刻まれたメダルを持っていることだった。賢治たちの報告では、あれは一種の霊力増幅装置だという。それを持っているということは、彼女がマガツの構成員である紛れもない証拠であった。


「ひっ、ひいいいい――っ!!」


 丁が耳障りな甲高い悲鳴をあげる。

 気づかれた。

 そう思うや否や徳長は、右手の二本指で〔風縛〕の形を作る。


「こ、こここ来ないで! 来ないで! 来ないでーッ!!」


 女性は、〔釣瓶火〕の炎を徳長の方へ差し向けて、ヤマチチをおびき寄せようとした。どうやら、この超能力を発動しているときは他の呪文を唱えることはできないみたいだ。

 ヤマチチの群れが恐ろしい速度で集まり、徳長と丁の間に肉の壁が築かれる。


「〔烈風衝〕!」


 だが徳長はものともせず、左手に展開する霊力場から吹きだす風圧でヤマチチの壁を吹き崩した。


「い、いやあっ!!」


 丁は懐から杖を取り出した。

 〔釣瓶火〕の霊力場をいったん中断して、呪文を唱える気だ。


「〔真空烈断〕!」


 徳長が右手の二本指を払うと、丁の杖が真っ二つに折れた。

 そしてそのまま〔風縛〕の霊力場をつくり、丁へ投げつけた。


「あ、あ、あわわ――」


 丁は慌てて逃げようとするが、〔風縛〕のドーナツ状の霊力場が丁の頭からすっぽり入って両腕と胴体を拘束する。


「あうっ!!」


 勢い余って、丁は茂みの中へ派手に転んだ。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」


 徳長が思わず手を差し伸べようとすると、丁は振り返って叫んだ。


「さっ、触らないでっ!! こっ、こっこの体制側のいぬっ!」


 枝によるひっかき傷だらけの顔で丁は、吃音気味に訳の分からないことを叫び続ける。


「ああああああなた、私に説教する気でしょう!? せせせせ生存バイアスに無自覚で自己責任論を押し付けてくる、ライトノベルの主人公みたいにっ! ラノベの主人公みたいに!!」

「落ち着きなさい!!」

「ひいっ――」


 うんざりした徳長は、思わず大声をあげてしまった。

 すると丁は、完全に怯え切った表情で歯をガタガタと震わせた。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ぶたないで、ぶたないで……」

「〔釣瓶火〕の力場さえ解いてくれれば、私はこれ以上何もしません」


 徳長は丁に諭すような口調で言った。

 その声音は、自分でも驚くくらいに穏やかだった。

 彼女の怯え様から徳長は、この女性の亜人が今まで受けてきた理不尽と暴力を察した。こういった「追いつめられた加害者」を相手することは、徳長にとって今まで何度もあったことだった。


「失礼。ちょっと、お身体に触りますね」


 徳長は茂みの中から、丁を助け起こした。

 それから丁は、茫然とした表情でこう言った。


「……みんな、それぞれのおうちへお帰り」


 丁は徳長の言うことに素直に従い、〔釣瓶火〕の霊力場を収束させた。

 すると群がっていたヤマチチたちの行動に指向性がなくなり、バラバラの方向へと消えていった。


(これで一安心か。さて四人を迎えに行くか……)




   ★


 う、う、う、う、う、ぅ……。


 ――ぞくんっ。

 どこからともな聞こえてくる啜り泣くような声に、賢治たちは戦慄する。


「この鳴き声は……、ヤマチチなのだ!?」


 現世が言った。


「……なんだ、この匂い」


 桐野が、鼻をつまむ。

 猛烈な悪臭が四人の鼻腔を刺激する。

 それは、地下で匂ったのと同じ匂いだった。


(単なる動物の匂いじゃない。何というか、傷が化膿し壊死して腐敗したような匂いと、薬品の匂いが混じったような、強い不快感と忌避を掻き立てる何か。……そう、例えば医療ゴミのような――)


 う、うう、う。――ぅぅぅぅぅぅううううううううう。


 声が大きくなった。

 近づいている。

 先程の戦闘でできた瓦礫の山の中からだった。

 その隙間から、瘴気が噴き出した。


「う゛う゛う゛う゛う゛う゛、お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!」


 世にもおぞましいき声が、廃墟に響き渡った。

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