Report 10 製薬工場廃墟での激闘(1)
賢治は混乱していた。
何故星野が、自分を誘拐して拘束するなんて暴挙に出たのか、まるで見当がつかなかったからだ。
「どうしてこんなことをするんだ、って顔をしているわね」
星野が口を開いた。
「このところ起きた出来事を振り返れば、わかるんじゃない?」
「……!」
その言葉に、賢治の頭の中でバラバラにかき回されていたピースが嵌められていった。
あの飛行箒の連中は何なのか。
星野とはどういう関係なのか。
そもそも何故、飛行箒の連中と星野は自分を誘拐するのか。
現世はどうしたのか。
それらの疑問の答えとなるひとつの想像が、賢治の頭に浮かんだ。
――星野諒子が、マガツの構成員であるという可能性だ。
「フフ、気づいたようね。――お察しの通り、私はマガツの協力者よ」
驚愕の表情を浮かべているであろう賢治に、愉悦の表情で星野は語る。
「協力者と言っても、今日まで一度も顔を合わせたことはないけれどね。『霊極』の研究をさせてくれる、っていうからこの話に乗ったのよ」
狂っているのか、と賢治は思った。
星野があの場からいなくなれば、確実に星野に嫌疑がかけられる。そうなってしまえば、研究もへったくれもないだろう。
「別に私は正気よ。詳しくは教えられないけれど、あの連中金払いだけは妙に良くてね。あいつらのバックには、アメリカの術師界でラボを持っている個人のパトロンがいるらしいの。今回の作戦が成功したら、そこで研究者として雇ってもらえるよう手引きしてくれるって言われてね。ラボの写真を見せてくれたし、国外脱出の具体的な手段も教えてくれたわ」
(そんな上手い話があるか! 冷静になれ! 利用されているだけだ! 目を覚ませッ!!)
そう思ったが、賢治は「うー、うー」としか言えなかった。
「ああ、現世ちゃんがどうなっているか教えてあげるわ」
(……現世! 現世はどうした!!)
「どういうわけか捕まる直前、
(くそっ……! 《展開》しても多分このワイヤーはほどけないだろうな。しかも手が後ろに回されているうえに指まで拘束しているから、杖が握れねえ……!)
星野が顔を近づける。彼女の豊かな黒髪が賢治の額を
「しかし……アンタ、本当に16歳? 童顔というより子どもそのものじゃない」
星野は白い手で賢治の頬に触れた。女性の手にしては大きく、手の平には大きなタコがいくつかできていた。
……ゴクリ。
星野は生唾を呑み込み、妙に艶かしい声色で語りかける。
「……ねえ。マガツの連中が合流するまでの間、『門』が身体にどういう影響を与えるのか、ちょっと調べさせてもらうわね……」
何故か頬を紅潮させながら、星野は賢治のブレザーに手をかける。
――ゾゾゾゾッ。
賢治は、これまでに感じたことがな興奮と怖気に襲われた。
(何だこの女! 気持ち良――いやいや、気持ち悪い!!)
「うーっ!! うーっ!!」
「あははは! いくらでもうなりなさい!! 私の胸をゾクゾクさせるだけだから!! ――さあ、まずは契約印がある場所の定番、首筋と鎖骨を見せなさい!!」
星野が賢治のワイシャツのボタンを外しかけたその時、である。
「けえええええんじいいいいいいっ!!!」
聞きなれた声と共に、直方体の物体が星野の方を目がけて飛んできた――
★
「……さん! 桐野さん!!」
桐野は名前を呼ばれた。
目を開くと、そこには徳長がいた。
「……涼二、先生? ――!!」
徳長の顔を見るや否や、桐野は顔からざあっと血の気が引いてしまい、「取り返しのつかないことをしてしまった」というような表情をした。
桐野が眠る前、最後に見たのは、本の状態から人の状態に戻って眠り込む現世を抱きかかえる星野の姿だった。
「も、申し訳ありません!! わたし、わたし、保護役でありながら、何も役に立たず……!!」
「弁解は後で聞きます。今は私と一緒に、賢治くんたちを救出することに専念しましょう。動けますね? 身体に異常はありませんね?」
「はい、わたしは大丈夫です。あの、それよりも、犯人が星野先生で」
「それももう、あのマガツの幹部である乙から訊いております。そうですよね?」
徳長は、〔風縛〕で拘束していた飛行箒の一味の方を向いて言った。
「……そうだよ」
乙こと瑞樹は力なくそう答えた。
桐野が周囲を見ると、眠っていった清丸高の生徒たちが少しづつ目を醒まし始めている。
あの魔導薬の効果は、そこまで深い睡眠状態を催すことはできないようだ。
扉も開かれていて、教職員が中に入って生徒たちの介抱をしている。
「コントロールルームが別のマガツの幹部にハッキングされたので、私が術を使って強引に空けました」
「先生、星野先生――星野は、どこへ青梅と現世を連れて行ったのですか?」
「それが、わからないのです。実行犯の彼らに訊いても、知らされていないんですよ。どうも誘拐先で別のマガツの幹部がいて、その者と合流するようなのですが、具体的な場所は乙も知らされていないんです。部分的に情報を共有しないことで、足をつかないようにしているのです。巧妙ですね」
「それじゃあ、探しようがないじゃないですか」
「いえ、見当はついています。今朝、緒澤さん――おっと、とある情報屋から興味深い情報を購入しましてね。昨日の夜遅く、日輪山の日陰沢の近くにある
「まさか、星野と合流するマガツの幹部では……」
「まだ確証はありません。ですが、合流場所はここからそんなに遠くない場所だとは思います。とりあえず、その廃墟へ行ってみましょう。ここから一キロちょっとなので、飛行箒ならすぐです。――これ、ちょっとお借りしますよ」
徳長は、瑞樹から
そして飛行箒を宙に浮かせ、またがった。
「桐野さん、後ろに乗ってください」
「……」
「信州最強」「
瑞樹の飛行箒には、文字の書いたステッカーやら大仰なマフラーガードやら、目立ちすぎる装飾で一杯だった。
「あの……、せめて装飾を外していきませんか」
「我慢しましょう。さあ乗って」
★
「無事か、賢治!!」
賢治の目の前には、本の状態の現世の姿があった。
本は霊力で光り輝いており、消えた《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》に代わって、これがこの部屋の光源となっている。
「げ、現世!? 目覚めたのか!」
「うむ! 柱に縛りつけられていたのだがな、《偏開》して本の姿になったらするりと抜けたのだ!」
二人のすぐそばでは、星野が倒れていた。
本の姿の現世に、思いっ切り側頭部を本の角の角で殴られた星野は、
星野が握っていた杖は、現世が奪い取って部屋の外へ投げ捨てた。
「いまワイヤーを切るのだ。動くでないぞ――《偏閉》!」
現世は賢治のワイヤーの縛り方を確認して、その場に落ちている錆びついたハサミをそばに持ってきてから、人間の姿に戻った。
それからハサミを拾い、暗闇のなかで賢治のワイヤーを切ろうと試みる。まずは指先であった。ここを切ってしまえば、賢治が力場を展開したとき、杖を握ることができるだろう。そうすれば、星野が早く目覚めてしまっても、最悪何らかの呪文は唱えられる。
「ぐっ、ぐうっ……固いのだ!!」
現世は、ワイヤーを切断するのに苦戦した。ただでさえ錆びついたハサミなのに、絡みついているのは頑丈な金属のワイヤーである。そうそう簡単に切れるものではない。それでも親指だけでも動かせればと思い、そこだけを重点的に現世は傷つけることにした。
かれこれ40秒は格闘して、ついに――ブチン!! と音を立てて、賢治の右手の親指のワイヤーが千切れた。
「ぐっ……、こんのクソガキどもッ……!」
星野の声がした。意識を取り戻したようだ。
「まずい! 賢治、いったん霊力場を展開するのだ!!」
「おう! ――《展開 Expand》!!」
賢治がそう唱えると、ワイヤーに縛られたまま賢治は青マントと三角帽、白い指ぬき手袋の魔装をした。そして、解放された右手の親指でトネリコの杖を握る。
「《サイコバインディング・ペンタグラム》!!」
賢治は唱える。
円陣が星野の足許にできあがる。
だが直後に星野は、マントからスペアの杖を取り出し、「《ターゲット・アルタレーション》!!」と唱えた。勁路負担率は25。
「《サイコバインディング・ペンタグラム》の対象を、青梅賢治に変更!」
「もう一本、杖を持っておったか!! ――打ち消すのだ、賢治!」
現世は賢治に指示を出す。
だが、賢治は思わぬ応答をした。
「――いや、通す!」
「なんだと!?」
賢治の足許に、薄紫の円陣が浮かぶ。
そして円陣から霊力の鎖が出てきて、賢治に絡みつく。
「ぐっ――あああああっ!!」
電流が走ったかのような、激しい痛みが賢治を襲った。
「賢治ィ!!」
「あっ……、ああっ。いい、いい、すっごくいいわぁあ……。もっと、もっと泣き叫びなさい!!」
心配する声をあげる現世とは対照的に、星野は恍惚とした表情で
だがその時、賢治を拘束する金属のワイヤーが朽ちて千切れた。
「何ですって!?」
「! 賢治、おぬしまさかワイヤーにダメージを与えるためにワザと通したのか!?」
現世と星野が思わず声をあげる。
(思った通りだ! このワイヤーは星野の呪文による生成物。さっきの廣銀の戦いでオレは、カニバル・サイボーグの金属部分が《サイコバインディング・ペンタグラム》によるダメージで劣化していくのを見た。それならこのワイヤーにも、ダメージを与えるんじゃないかと賭けに出たのだが……、この賭けは成功した!)
予想が当たってほくそ笑む賢治。
だが、賢治が予期したのはこのことだけじゃなかった。
「――《中断 Stop》!!」
賢治が指示呪文を唱えると、《サイコバインディング・ペンタグラム》の力場が閉じられた。
(よし! 思った通り、星野の《ターゲット・アルタレーション》は一つの呪文に対して
「クソッ!!」
星野が杖を賢治たちの方へ向け直そうとした。
「うおおおお――ッ!!」
だが本の状態で現世が突撃して、星野の杖を持つ手の甲を角の角で殴った。
「あぐっ!」
星野は悲痛な声をあげて、杖を落とした。
それを現世は、本に挟むようにして空中でキャッチし、そのまま星野のみぞおちに全力で突撃した。
星野は「ぅぐほっ」という胃の腑の空気を全て吐き出されたような声をあげて、薬瓶の入った棚に激突した。
「来い賢治!!」
「ああ! 《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》!」
賢治と現世の二人は、扉から廊下に出る。
両脇に動物の檻と思われる建造物が並んでいた。
(動物の匂いの正体がこれか……!? ここは動物病院の廃墟か? でも、何でこんな地下に手術室が!?)
「正面の階段を昇るぞ!」
現世が指し示す先には階段があった。
昇り終えると、廊下に出た。道が左右に分かれている。
「こっちなのだ!」
現世が左の方を指さす。
「現世を信じよ。ここに来る途中、この廊下の部屋は全て当たったのだ」
「助かる! でも現世、何で《偏閉》して人間の姿に戻ったんだ? 本の状態のままなら『眠り松』は効かなかっただろう?」
「無数の飛行箒の操縦士たちがいる上に、天井は結界が張っており、扉は閉まっておるしな。あの状態で逃げるのは不可能だと考えたのだ。本の状態のまま拘束されたら、人の姿に戻っても拘束が解けぬ。だからあえて、人の姿に戻って眠り、連れ去られることにしたのだ」
歳に見合わぬとんでもない状況判断能力である。
賢治は、現世の判断力のすごさに舌を巻いた
「すごいなお前……。本当にありがとう、現世」
「相棒として当然のことをしたまでなのだ!」
二人は薄暗い廊下を駆け抜けると、光が差す階段が見えた。
「地上階なのだ!」
現世が言った。
二人は階段を昇る。
するとそこは、極めて広大な空間だった。
天井は高く、中二階の通路には大きな窓が設えられていた。光はそこから差し込んできているようだ。地面にはガラス片やセメントの欠片、木の葉などが散乱している。目の前には、ベルトコンベアを搭載した機械がいくつも林立している。
「そうか……。さっき見たときは夢中で気づかなかったが、ここは和谷製薬研究所跡なのだ……!」
「現世! 知っているのか!?」
「うむ。円島に住むもので、ここを知らぬものはおらぬ。和谷製薬は、賢治も知っておるだろう?」
「あ、ああ。たしかずいぶん前につぶれた製薬会社だよな? でも術師界にまで施設を持っていたなんて」
「ここの工場から出ていた廃液は、度々公害を起こしておったらしくてな。この辺りにはヤマチチという妖獣が住んでおったのだが、この公害によって巣を奪われたのだ。それ以来、行くところのない凶暴化したヤマチチが廃墟の周囲には出るようになって、今では肝試しに行く不良くらいしか近寄らない場所となっておる」
「何だって――でも今は危険を承知でも外に出ないと! 捕まってしまうぞ!?」
「いや、問題はそれだけではない。さっき諒子どのは、『マガツと合流する』と言っておった。こっちにマガツのものが向かっているということなのだ。それが一体どのくらいの規模の勢力なのか、見当もつかぬ。下手に出るのは危険なのだ」
「じゃあ、どうするんだよ!?」
「地下迷宮を使って逃げるのだ!! 公害が表立ってからここは、地下に不法投棄していたみたいなのだ。だからきっと、地下迷宮につながっているはずなのだ」
「わかった。今来た道に戻るわけにはいかないから、別の入り口を探――」
そう言いかけて、賢治はやめた。
視界に、星野の姿が入ったからだ。
星野が中二階の通路から、こちらに左手で杖を向けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます