Report 9 茶番の終局(4)
昼下がりの静かな住宅街を、革靴で駆け抜ける音が高らかに響く。
徳長は走っていた。
円とぴあから清丸高までの距離は約1キロメートル。
徳長の足なら、急いでいけば5分で行ける距離だった。
走りながら徳長は、月麿の携帯に電話をかける。
もう何度もコールしているのに、全く出ない。
彼は清丸高が背にしている月輪山の大樹にのぼり、そこから校舎を見張っているはずだった。
「……ッ、
非常に弱々しい声が、スマホのスピーカーから聞こえた。
「月麿!?」
「申し訳……、ありません……。樹にのぼる前に松脂みたいな匂いの粉をかがされて……。魔術で生成された金属のワイヤーで、拘束されていました」
徳長はわが耳を疑った。
月麿も日麿も徳長には劣るが、桐野やイソマツよりはずっと強い術師である。
眠り薬を使ったにしろ、そうそう手玉に取れる相手ではない。
(……いや。そもそも一体、誰が何の目的で?)
唐紅及び白銀衆には、月麿を襲う理由がない。
清丸高で今やっている試合は、あくまでも唐紅と彼の教え子である廣銀の個人的な感情を晴らすためだけのリンチであり、そのためにわざわざ徳長の見張りを昏倒させるとは考えにくい。
というよりも、彼らは徳長が見張りを付けていることすら知らなかっただろう。
一体何が起こっているのか、さっぱりわからない。
徳長は九品川にかかる中正橋を渡り終えたところだった。もう少しで、清丸高が見える。
「今、清丸高で何が起こっているのか分かりますか!? 状況を教えなさい!!」
「……はい、……うっ、しょっと。……何だあれ。演習室の天井から、なかが煙で充満しているのが見えます」
「煙ですって? 火元は見えますか? 避難している様子は?」
「煙がすごくて、よく見えません。でも黒煙じゃないですね。粉末みたいな感じで……」
「粉末?」
「はい。ときおり職員が……とても困った顔で右往左往しているのが見えます」
徳長は桐野からの電話と月麿の言うことを整理して、状況を推測した。
あの中で、唐紅が始めた馬鹿げた試合の最中に何らかのトラブルが起こった。
煙の発生源はそれだ。火事ではないらしい。
しかし、演習室から出てきたと思しき人間がおらず、職員が校内を右往左往しているということから、次の状況が想定される。
謎の煙が発生してからその場にいた人間全員が、連絡したり外に出たりすることができない状況に置かれているということだ。そして何らかの理由で、演習室を外部から開けることができない状態にあるということだ。
そこまで考え、徳長は肝を冷やす思いになった。
(非常にまずい状態だ!! くそっ! 無事でいてくれよ!!)
★
「眠り松」が充満する清丸高の演習室で、飛行箒にまたがったニット帽にゴーグルの少年が高笑いをあげていた。
「ヒャーハハハ!! 眠れ眠れェ、勉強ノイローゼの我利我利優等生たちとサービス残業漬けのクソ先公どもが! 睡眠不足のテメーラにこの
マガツの幹部・
多少遅刻してしまったが、清丸高の奇襲に成功し、眠らせた「門」の保有者である青梅賢治と因幡現世を
――そして、
「こんな簡単に制圧できる術師界トップクラスの進学校とか、松も生えねえなぁオイ!!」
そう言って瑞樹の向いた方には、数人の清丸高の生徒と教師が縛り上げられていた。その中には、唐紅英流と廣銀兄弟も含まれている。眠らされた彼らは顔を落書きされ、拘束するロープにはこんなことが書かれていた。
『ぼくたちは亜人や勉強ができないひとを差別する、悪い子たちです』
瑞樹は事前に仲間から、清丸高にいる白銀衆の名簿を顔写真つきで渡されていた。瑞樹たちには努力課題として、白銀衆の粛清も別の幹部から言い渡されていた。
瑞樹がばら撒いた粉末は「
「総長、そろそろズラかっぞ。コイツらの粛清は、こんくらいでいいだろう」
背の高いガスマスクの少年が、瑞樹に話しかけた。
「ああ、そうだな。ただその前に換気だけでもしておくか。このままじゃコイツら、ずっと眠りっぱなしで衰弱しちまうからな」
清丸高における開閉装置や換気装置などは、清丸高のクローズド・ネットワークのサーバーがある南棟2階のコントロールルームで管理されている。これは、自然災害や不審者の侵入から生徒を守り、被害を最小限にしつつ適切な誘導を行うために設えらえたものだ。しかしそれは、コントロールルームをハッキングされると一たまりもなくなる、ということを意味している。
(オレたちが侵入する20分前に、
★
そうこうしているうちに、清丸高に徳長は到着した。
正門の警備員に説明するのは面倒だと踏んだ徳長は、南棟側の塀に回った。
「はっ!!」
跳躍すると同時に、〔
(中の職員に出くわして、理由を
そこからベランダの突きだしなどを足掛かりにして、次々と跳躍し、演習室の上まで辿り着いた。
外壁の縁から、演出室内を覗き込む。月麿の言った通り天井の結界から見える室内は、何らかの粉末で充満していた。
徳長はおもむろに、虚空に左手を伸ばした。
左手の何もない空間が揺らいだと思ったら、鞘に収まった日本刀が突然現われた。
徳長は抜刀して、刀身に意識を集中させた。
すると、緑色に光る霊力が日本刀を包み込んだ。
魔導剣・
(結界を破壊するだけに威力を留めるようにして……)
徳長は刀を両手で握り、ゆっくりと振りかぶる。
そして、振り下ろした。
「〔円月剣風流 鎌鼬術・奥義――
★
瑞樹たちの頭上で、すさまじい轟音が起こった。
「な、何だ!?」
瑞樹が見上げると、天井の結界が壊れていた。中央に大穴が空き、その周囲はバグったコンピュータのウィンドウのように揺らいでいた。
そして穴から、何者かが飛び降りてくる。
「敵襲だ!! 総長は下がれっ!」
「おい! 何者だてめえ――うわっ!」
だが乱入者に向かっていった三人は、飛行箒と杖が真っ二つに折れてしまい、墜落する。
「〔円月剣風流・鎌鼬術、
乱入者が二本指で円を三回描くと、ドーナツ型の風術の力場が三つ生成された。徳長はそれらを、墜落した三人目がけて投げた。すると、彼らはその風のドーナツに拘束された。
「
仲間をやられた瑞樹は思わず、声を荒げて乱入者に向かって威嚇した。
乱入者の周囲に、一陣の風が吹いた。
煙が晴れて現われたのは、チャコールグレイのスリーピースを着た若い男性だった。
「……『門』の保有者は、どこですか?」
乱入者の男が口を開いた。
「あれは、徳長涼二……!!」
瑞樹はその姿を視認して、彼の名前を言い当てた。
「徳長……は!? 同盟の因幡清一郎の右腕と呼ばれる!? なんで、そんなスゴいヤツが自らここに来るんだよ!!」
瑞樹の隣にいた背の高い少年が同様の声をあげる。
「
突撃しようとした瑞樹。
だが、背の高い少年に前を阻まれた。
「邪魔するな、
「いいや、総長。お前だけでも逃げろ」
「は!? そんなことできるわけ――」
「お前なら力量差が分かるだろ? あの男は、俺たちがどれだけ束になっても敵う相手じゃねえ」
「熱っちゃん……」
「総長! ここは奇襲隊長の言うとおり、逃げるっさ!」
別の肥満の少年が瑞樹にそう言った。信州スリーパーズの
親衛隊長に続いて、親衛部隊の少年と少女が瑞樹を守るように、徳長との間に割って入る。
「お前ら……、くそっすまねえ!!」
瑞樹が上昇しようとすると、それに合わせて徳長が指を向けた。
「そうはさせないっさ!!」
ガスマスクをつけた五人の少年と少女が斜線を塞ぐように、飛行箒に乗って徳長に突撃していった。
徳長に衝突する寸前で左に曲がる。
そして円を描くようにして旋回し、詠唱した。
「《ホイールウインズ・ラウンドソー》!!」
風術系の集合呪文である。運動する三人以上の術師で円を描いて、円に真空状態を作って対象物を切り裂く呪文である。
「〔円月剣風流・鎌鼬術――烈風衝・周〕!!」
徳長を中心として、円状に疾風が引き起こった。
《ホイールウインズ・ラウンドソー》の力場を押し返す。
パイロットたちは暴風によってコントロールが効かなくなり、円陣は崩れてしまう。
「はっ!!」
徳長は五発の〔真空列断〕を一息に引き起こして、五人の飛行箒を両断した。
少年たちは「わーっ」という声をあげて墜落した。
直後、徳長は二本指で円を五回描く。
五人分の〔風縛〕の霊力場が生成された。
徳長は墜落して転がる五人めがけてそれらを投げつけると、あっという間に彼らを拘束してしまった。
「――残りはあなた一人ですね?」
徳長と瑞樹の目が合う。
瑞樹はブチギレた。
この状況で逃げては男じゃない。
そんな少年らしいマッチョなプライドが彼を駆り立て、損得勘定を全て投げ打ち、懐からサバイバルナイフを取り出して突撃した。
「てめえッ、よくも俺の
だが徳長は赤子の手をひねるように、それを
ナイフを〔真空列断〕によって真っ二つにして、瑞樹の胴体を掴んで飛行箒から引き離した。
「ぐふっ!!」
だが転倒する際、徳長に捕まらないようにあえて地面を転がった。
嗚咽に耐えて、一気に立ち上がる。
徳長が、ゆっくりとこっちに向かって来ていた。
「――ッ! おいてめえ! なんで眠り松使いじゃねえのに、眠り松の粉末で充満してるこの部屋で平気なんだ!!
「あいにく幼少期から少しずつ毒を盛られてきたので、この程度の薬効には耐性がついているのです。悲しいお家の事情というやつですね」
徳長はあっさりとそう言ってのける。
それから少しばかり眉間に皺を寄せて、たしなめるようにこう述べる。
「それよりあなた。刃を人に向けるということがどういうことか、わかっているのですか?」
「うるせえ! 亜人のくせにヒトと手を取る裏切者の説教なんざ誰が聞くか!!」
すると徳長はやや目を細めて、問うた。
「……あなたの生家はもしかして、廃業した眠り松職人の家では?」
その質問が、瑞樹の逆鱗に触れた。
「てめえ……、人間には触れちゃいけねえところがあんだよ……ッ!!」
瑞樹の家は代々眠り松を粉末にして、それを売って生計を立てる、眠り松職人の家系だった。近年はどこの家も零細状態で、存続が危うかった。
ところが三年前、信州自治区の地方自治区創生計画によって土地が必要なため、術師界行政府の魔導内務省が、瑞樹家の土地を含む眠り松職人の土地を買収しにかかってきたのだ。代々守ってきた土地をはした金で奪われるとあって、瑞樹たちは当然、抵抗運動を繰り広げた。
だが魔導内務省の担当者と、事業を請け負ったゼネコンの社長が、連合側の術師だった。彼らは白銀衆をけしかけ、眠り松職人たちにありとあらゆる脅迫行為や暴行を行った。そうして連合に従わなかった眠り松職人たちは土地を奪われ、職を失ってしまったのだ。
そうして瑞樹たちは反ヒト主義に傾倒し、マガツに入ったのである。
以上のことは、当時の術師界でそれなりにニュースになったので、徳長は当然知っていたのだろう。
だが瑞樹は、徳長から憐憫の目を向けられれば向けられるほど、腹立たしい気持ちになってきた。
(同じ亜人の癖に、亜人を守らねえ裏切者が――)
「白銀衆の彼らはともかく、それ以外の人たちはあなた方の土地を、職を、尊厳を奪った人たちではありません。彼らを傷つける道理なんて、あなた方にはないんですよ。ましてや、あなたたちのターゲットであろう賢治くんと現世さんの二人は――」
「黙れ!! オレぁてめーみてーな教師面したヤツが一番嫌いなんだッ!! さっさとかかって来い!!」
徳長の言葉を遮って、折れたナイフを突きつける瑞樹。
すると徳長は、左手を虚空に伸ばした。
すると何もない空間が揺らぎ、そこから鞘に収まった歳星が現われた。
そして徳長は、すぐさまに抜刀する。
(か……
だが徳長は、またしても予想外の行動をとった。
歳星の柄の部分を瑞樹に向けて、砂利の上を滑らせるように彼に渡したのだ。
「取りなさい」
徳長が、厳かにそう言った。
「て、てめえっ!! 何の真似だ!!」
「そんなチャチで粗野なものに頼っているから、いつまでたっても『人を傷つける』重みを知ることができないのです。それを使って全力でかかってきなさい。そのやわな身体に、心に、『戦い』の本質を叩き込んであげましょう」
残った鞘を掲げながら徳長は言う。それは教師が生徒を叱るような、威厳のある口調だった。
(ナメやがって……!!)
瑞樹は、渡された歳星を手に取る。
――ズン。
瑞樹は初めて持った歳星の感触に、これまで経験したことがないような緊張を覚えた。
(な、なんだ……!? 重さはせいぜい一キロあるかどうかなのに、すさまじく重たく感じられる……!)
「どうです、重たいでしょう。あなたがいま感じている重さは、重量だけによるものではありません。
――人を殺めるものを持っているという
剣先が、ガクガクと震えて仕方がない。
瑞樹は脇をギュッとしめて、何とか震えるのを抑え込もうとする。
「う……」
こっちは真剣で、あっちはただの鞘。
どっちが有利かなんて火を見るより明らかなのに、瑞樹は徳長に勝てる気が
「――うわああああ!!」
それでも、瑞樹は戦うことを選んだ。
頭を真っ白にして歳星を思いっ切り振りかぶり、徳長に突っ込んでいった。
金属の刃と漆器がかち合う音が、高らかに鳴り響く。
「……」
そして瑞樹が我に返ったとき、その手から歳星が離れていた。
徳長が鞘を一振りして、はたき落としたのだ。
余りの早業に、理解が追いつかなかった。
弾かれた手応えが、ようやく脳内で処理される。
瑞樹はその場に、ぺたんと座り込んだ。
完敗だ。
これ以上ないくらいの完敗だった。
「『門』の保有者はどこにいるのです?」
徳長が訊いた。
驚くべきことに、この混乱した状況のなかで『門』の保有者がここにいないことに気づいていたのだ。
瑞樹は観念して、全てを話すことを決めた。
「……協力者が、連れ去っていったよ」
「協力者とは誰です?」
「それは――」
★
ひゅうっ。冷たい風が賢治の頬をなぜた。
「……んっ」
手足を動かそうとする。
動かない。
金属のワイヤーで拘束されているようだ。ゆっくりと目を開ける。
真っ暗だった。
感触からして、自分がホコリまみれのひび割れたリノリウムの床に寝かされていることは分かる。
薬品の匂いと、動物のような生臭い匂いがした。
(……どこだここは!? オレはさっきまで、清丸高にいたはずなのに!)
賢治は自分の置かれた状況を鑑み、どうしてこうなってしまったのか、記憶を遡行する。
(……そうだ! たしか飛行箒に乗る変な奴らが現れて、ソイツらが妙な粉を投下したんだ! それを吸って眠くなってしまって……。待てよ。ということはオレ、誘拐されてしまったのか!? 現世! 現世はどこだ!!)
「うーっ! うーっ!!」
口も塞がれている。ご丁寧なことに、猿ぐつわの上にバンダナを巻くという、二重の口封じとなっている。これでは、杖があっても詠唱などできない。
その時、重い金属が軋む音が響いた。
一筋の光が暗闇に走る。
目の前は扉だったのだ。それを誰かが開けた。
差し込む光のおかげで、周囲の様子がようやく見えた。
賢治の目の前には、やけに大きな手術台があった。地面には医療用具が散乱している。棚は薬瓶だらけで、潰れた病院の一室のようだった。
光源が動く。
それは、扉を開けた人物が唱えたであろう《ウィル・オー・ザ・ウィスプ》だった。
手術台の向こうから、その人物がこっちへ近づいてくる。
賢治は戦慄した。
――間違いなく、いま近づいてくる人物が、ここへ賢治を連れ去った張本人だからだ。
「無駄よ。《レストレイニング・ワイヤー》で生成されたワイヤーは、そう簡単には切れないし解けないわ」
その人物が喋った。
女性の声だった。
その手には、伸縮式の杖が握られていた。
(聞き覚えのある声……、まさか――)
「全く、廣銀のバカどもと唐紅のクズがあんなことをし始めた時は、本当に計画が御破算になると思ったわ。スリーパーズの連中は眠り松を事前にくれたのはいいけど、遅刻するし」
手術台の影から現れたのは、さっきまで賢治たちと同じ部屋にいた、灰色の三角帽に灰色のマントを装着した若い長身の女性教師だった。
(星野先生……?)
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