Report 3 魔術のホームスクーリング(4)

 ――PM: 7:00 掃除・夕食の支度


 一日の勉強が終わっても、賢治にはまだまだやることがあった。教室として使った客間、家の各部屋や廊下、風呂場の掃除である。

 カリキュラムには、こうした日常の雑事も含まれている。因幡邸で世話になる以上、家事の手伝いをするのは当然のことというのが、徳長の方針であった。

 なお料理も当番制であり、今日の当番はイソマツと現世である。

 賢治が廊下で雑巾がけをしていると、遠くでピンポンという音がした。


「先生、お客さんです」


 賢治がそう言うと、「はーい、いま出まーす」という徳長の応答が聞こえた。


「こ……腰が痛い」


 昨日今日の疲れがたっぷりと熟成された身体での雑巾がけに、賢治は苦闘する。


(――よし、玄関まで行けば廊下は終わりだ)


 玄関の前までさしかかった、その時だった。


「いっ!?」


 ブリキのバケツを置いておいたことを忘れていた賢治は、そのまま激突してしまう。

 水を吐き出したバケツは、そのまま来客の応対をしている徳長のいる玄関へと転がっていく。

 ガチャ、ガラリ――


「こんばんは……うわッ!」


 ベコンッ! ブリキのバケツが凹む音が響いた。

 どうやら、来客が踏んで変形させてしまったらしい。野太い声と大きな影からして、かなりの偉丈夫のようだ。


「賢治くん、何やっているんですか!」


 徳長が振り返って叱責した。


「ご、ごめんなさい! ――あ、あれ、筒井先生!?」


 来客の顔は見覚えがあった。五色高のスクールカウンセラーである筒井であった。


「君は……、青梅くん? 何故、因幡さんの家に?」


 「何故」と言いたいのは賢治の方であった。




 ――PM: 8:00 夕食


 夕食は、昨日と同じように客間で行う。昨日の賢助の位置に筒井がいることを除いて、メンバーは昨日と同じだった。


未登録術師対策局局員サルベージャー?」


 賢治が、クローマラ(イギリスの水牛の妖獣)のステーキを切り分けながら訊いた。


「そう。それが僕の本当の仕事なんだ」


 筒井は、因幡から勧められた桜のワインを揺らしながら答える。

 本国の術師界における行政は「術師界行政府」が担っている。この行政府直轄の内部部局の中に地方行政庁があり、そのさらに内部部局として未登録術師対策局というものがある。筒井はそこの職員なのだ。

 五色学園に勤めるスクールカウンセラーというのは仮の姿であり、調査のために派遣されているのである。この職務につく人間のことを、俗に「サルベージャー」と呼ぶ。


「現在の術師界法では、三親等以内に術師がいない場合、検査を受ける義務がない。術師界の存在を知らない家族の許に生まれた子供なんかは、行政府が把握しないまま汎人界で自分の能力に苛まれていたりするのさ。そういう人を未登録アンレジステッド術師・サイキックっていうんだ」

「へえ……。でも、そういう人って周囲の人から理解されず困るんじゃないですか? 『魔女狩り』じゃないけど、いじめとか受けるんじゃ……」

「そういう未登録術師を『サヴァイヴァー』って呼ぶんだよ。そのサヴァイヴァーの人を発見して保護するのが、僕たち局員の仕事なんだ」


 賢治は何気なく、えのきのバターソテーを食む桐野の方を見やる。

 昨日のイソマツの話からすると、桐野もサヴァイヴァーの一人といえる。理由は違えど賢治も、小中学校といじめを受けた身である。どこか、気にかかるところがあるのだ。


「しかし、驚いたよ。まさか因幡さんのところで、君が魔術を習っているとは」


 筒井がそう言う。

 因幡はそれに対して、こう答えた。


「あゝ。ちと事情が込み入っていてな、普通の魔導教育が受けられンのだわ。だから、ここでホームスクーリングみてェな形で魔術を学んでいるのサ」

「筒井先生は、どうして今の仕事に就こうと思ったんですか?」


 賢治が訊く。


「魔導高校まで一緒だった友人が亜人のサヴァイヴァーでね……。小学校まで虐待を受けながら育ってきたんだけど、局員に保護されて里親に出されたんだ」

「……!」

「だけど、そういうひどい過去を負って途中から術師界に入ってきた子ってのは、大変なんだよ。幼い頃の経験が違い過ぎて周囲に馴染めないし、勉強についていく力もなければ意欲も湧かない。養護施設なんかだと魔導高校までしか面倒みてくれないし、里親に引き取られたってこの不景気じゃ私立の魔導大学まで行くのは難しい。だから、大抵のサヴァイヴァーは学歴もなく、就職もままならなくて、貧困層に陥る。僕の友人の里親はある程度の中流層で、本人も努力したから進学校にいけたけど……、そういうのは稀なケースだ」


 因幡が横から「そもそも里親がロクでもねェケースも多いしナ」と言った。


「僕は彼女から話を聞いてショックを受けた。それまで僕は、苦もなく育ってきたからさ……。魔導大学では魔導心理学や魔導教育学の勉強をしながら、サヴァイヴァーに関する本を読み漁ったり、ボランティアで働いたりしたよ」


 筒井はグラスのワインを飲み干して、述べ続ける。


「僕は、自分が今まで何も知らなかったことを教えられた。サヴァイヴァーの子たちは、口にするのもはばかられるような仕打ちにあってきたケースも多い。そんな人権侵害が人知れずに起きている……、こんな間違った現実は正さなきゃならない・・・・・・・・・。一人ひとりの力は弱いけれど、みんなで考えればきっと理不尽は打ち崩せる! そうした変革の機械の歯車に、僕はなりたいんだ。

 ――ああ、申し訳ありません。つい、力が入ってしまって青臭いことを」


 徳長は微笑を浮かべて「いえいえ。筒井先生の熱いお言葉、つい聴き入ってしまいました」と述べる。


 賢治も、神妙な顔で筒井の言葉を聴いていた。

 人の人生は様々。人である術師の人生も、当然様々なのだ。徳長や筒井みたいな立派な術師もいれば、昨日の癸たちみたいに道を踏み外してしまう者もいる。

 賢治はそんなことを考えながら、お茶をすすった。




   ★


 夕食を終えた後、筒井は因幡と徳長に礼を述べて辞去した。


「じゃあ賢治くん。また学校で」


 賢治は筒井の手を握り返して、「はい。今日はお会いできて良かったです」と答える。


「何かあったら、いつでも相談室に来なさい。術師界のことでも、相談に乗るから」


 筒井を見送ったあと夕食の片付けをした賢治たちは、茶の間に集まっていた。座っているのは子どもたちだけで、思い思いの時間の過ごし方をしている。

 すみに置かれた液晶テレビには、術師界でしか放映していないチャンネルが映っていた。

 どうやらバラエティ番組のようであり、イギリスのコーンウォールにあるドラゴンを飼育している施設に訪れた女性タレントが解説していた。青色の鱗に覆われた10メートルほどの大きさのドゥムノニア・グリーンドラゴンが巨大な檻の中で緑色の火を吹いている。飼育員が「この炎に触れると骨まで溶かされますから、これ以上は絶対に近づかないで下さい」と説明していた。


(……すげー。これ、特撮じゃねーんだよな……)


 賢治は、テレビの画面を食い入るように見ている。


「何もかもが珍しいって様子だネ」


 横から話しかけるイソマツ。


「しかたないだろ。見たことのないものばかりなんだから」


 テレビはCMパートになった。国産メーカーによる伸縮式の杖フレキシブル・ワンドの宣伝を、若いイケメンの魔術師が実演している。


「ねえ。涼二先生の許可が出たらさ、清丸町へ遊びにいこうよ」

「……そういや、まだどこにも行ってないな。よし、行くか」


 賢治がそう返事するとイソマツは「¡Oléオーレ!」と喜んだ。

 賢治にとって術師界のものはどんなものでも珍しく見え、心を動かすものがあった。

 例えば、となりに座る現世が苦戦している知恵の輪。形は普通の知恵の輪と同じなのだが、霊力によってひとり手にぐにゃぐにゃと動くのだ。動き方には一定のアルゴリズムがあり、それを読み取ってタイミングよく解いていかなければならない。名前を「知恵のオフィディアン・パズル」というらしい。


「のわー! またあさっての方向に曲がって、解けなくなったのだー!」

「二番目の知恵の輪はね、上半分が左三回・斜め上曲がり右回転二回の法則で回るんだよ」

「何……おおっ、解けたぞ! あとは、一番目と三番目だけだ!」

「頑張って、現世」


 桐野が横で、こうでこうでと教えてあげている。その顔は昼間とは別人のように険が取れていて、微笑さえ浮かべている。


(……本当、現世相手だと態度違うよな。コイツ)

「キリちゃん。夕飯とき、ずっとうつむいていたよねぇ?」


 イソマツが桐野に話しかける。

 それは賢治も気になっていたことだった。

 桐野は、一度も筒井と目を合わせようとしなかった。


 イソマツが「桐野サン。オ客サンガイルトキハ、愛想良クシテナキャイケマセンヨ」と、似ていない徳長の声真似をする


「……胡散臭いんだよ。ああいうギラギラした目の男」


 桐野は眉を寄せて、苛ついた顔つきに変わる。


「意識が高いっていうか『社会のこと知ってますよ、教えてあげますよ』的な雰囲気丸出しで自分を正当化するタイプ」

「……」

「被害者をダシにして、酔っ払ってるんじゃねーよって感じ」

「……ちょっと、それは言い過ぎなんじゃ」


 賢治が反論した。

 桐野は賢治の方を向いて、睨みつける。


「――あ?」


 その鋭い視線に、賢治は心臓が口から飛び出そうになる。

 けれども、「ビビるな。そんなことでどうする」と弱気になる自分を諌め、やっとのことで意見を訴えた。


「そ、そんなにいうなら、正面切って反論すればいいじゃないか。あ、あとで揚げ足を、とるような陰口は……良くないよ」

「……あのさ。あの場は、因幡さんも先生もいたんだよ。アンタがわたしの立場だったら言えるの?」

「う……」


 そう言われて、賢治はたじろいでしまった。


(……考えてみれば、オレも他人の顔色窺ってばかりじゃねーか。その場で言いたいことが言えないなんて経験、山のようにしてきている)


「自分にできないことを他人に求めるような言動は控えるべきだね。足をすくわれるから」

「――いや。今のはそういう問題ではないぞ、桐野」

「……げ、現世?」


 現世による不意の介入に、桐野がやや困惑した表情で言った。


「おぬしの筒井先生に対する非難は、何の根拠もないものだ。陰口と捉えられても仕方あるまい」


 敢然とした態度で現世がそう言うと、桐野は唇を噛み締めて黙り込んでしまった。

 現世に自分の非を指摘されたのが、ショックだったようだ。

 ガラリ。

 風呂場の方から、引き戸を開く音がした。因幡が風呂から出たようだ。


「……お風呂入ってくる」


 桐野は顔をうつむいたまま立ち上がり、お茶の間を出て行こうとする。


「おい、桐野!」


 襖がぴしゃりと音を立てて閉じた。


「――ったく、素直に自分の過ちを認めれば楽だというのに……」

「キリちゃんはCorazónハートをもっとAbiertaオープンにするべきだね!」


 現世とイソマツが話している脇で、賢治はこれからのことが思いやられる気分になっていた。


(……はあ。また明日もアイツと練習するのか……。気が重い……

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