Report 3 魔術のホームスクーリング(3)

 ――PM: 3:15 呪文学(ゲーティア・座学)


「それではこれから、二人が『門』によって力場を展開することによって獲得した『ゲーティア』について、勉強したいと思います」


 ホワイトボードの前に立つ徳長が言った。

 午前中と同じように賢治たちは、客間に戻っていた。


「現世さんがどうして『ゲーティア』の姿になるのか……という疑問については、余りにも手がかりが不足しているので、ひとまず保留とさせてください。正直、私も師匠も今のところ全く見当がつきません」


 徳長がそう言った。

 『霊極』の『門』である〔鍵〕と〔扉〕の力は、元々が『ゲーティア』含むソロモンの魔術とは全く関係がない概念である。またリチャードソンの『霊極』に関する予言の中にも、『ゲーティア』に関わる記述は全くない。現世の出自にも、つながりそうな要素は皆無である。


「さて、『ゲーティア Goetia』とは、五つの魔導書から構成される『ソロモンの小さな鍵』を第一部にあたる書物であります。他の『ソロモンの小さな鍵』を構成する魔導書としては、『アルス・テウルギア・ゲーティア』『アルス・パウリナ』『アルス・アルマデル』『アルス・ノヴァ』の四つの魔導書があります。これらは、その魔導書群の総称で名前が冠されているように、紀元前900年代にイスラエル王国を第三代の王として統治したソロモンの叡智えいちを記したものなのです」


 徳長は歴史の中におけるソロモンと、彼の魔術的な逸話について解説する。


「ソロモンが単なる一時代の統治者に留まらず、偉大なる術師の一人として数えられるのは、彼の超常的な存在に関わる様々なエピソードによるところが大きいです。

 例えば、エジプトのファラオの娘との結婚のエピソード。ソロモンは結婚の貢物として、ギブオンの地でこの世界に唯一である神『ヤハウェ』に対して盛大な捧げものをしました。それを喜んだヤハウェはソロモンの枕元に立ち『そなたの望むものを何でもやろう』と言います。ソロモンは『ならば、知恵を下さい』と頼みました。その後、エルサレムに神殿を立てようとしたソロモンは、大天使ミカエルを介してヤハウェより『知恵の指輪』を授かったのです。指輪の力によりソロモンは様々な天使や悪魔、精霊を使役できるようになり、果ては動植物と会話できるようにもなったといいます。

 その中に、その有名なソロモンの七十二はしらと呼ばれる悪魔たちがいます。ご存知のように『ゲーティア』で召喚できるのが、この72柱の悪魔――現代実践魔術の用語ですと『召喚精霊サモン summon』ですね。

 賢治くん、現世さん。力場を展開して、実際に72柱の召喚精霊が記載されているか確認してみてください」


 徳長の指示に従い、賢治と現世は力場を展開する。


「わかったのだ!」

「《Expand》!!」


 賢治がそう唱えると、二人はまた昨日と同じ魔装をした状態になった。


「これでいいのだ?」


 『ゲーティア』になった現世が、右側にソロモンの72柱全ての召喚精霊の名前を表示する。


 徳長が「そうです、よくできましたね現世さん」と褒める。


「この赤字で表示されているのが……、いまぼくたちが召喚できる精霊ということでしょうか?」


 その中には、赤字で表示されているものと、黒字で表示されているものの二種類があった。

 現在赤字で書かれている悪魔は、「7. アモン」「34. フルフル」「35. マルコシアス」「48. ハーゲンティ」「50. フルカス」「57. オセ」「62. ヴォラク」「69. デカラビア」の計八体である。


「恐らくはそうだと思います。次の授業で、実際に召喚してみましょう」




 ――PM: 5:30 呪文学(ゲーティア・演習)


 座学によるゲーティアの講義を終えた後、賢治たちはまた裏庭に戻ってきた。


「それでは賢治くん、現世さん。力場を展開してください」


 徳長がそう指示すると、賢治は「《Expand!》」と唱える。魔装が完了する。現世はゲーティアに変化して頁を開く。

 そこにはさっき見たように、72柱の悪魔が記載されている。


「私が考えるに、この〔扉〕と〔鍵〕の力はお二人の力場が共鳴することによって発現するもののようですね」

「共鳴……ですか?」

「そう。二つの力場は接触すると、霊波動が共振現象を引き起こすことがあります。それを『霊力場サイコ・フィールズ共鳴・レゾナンス psycho fields resonance』と呼ぶのです。霊波動の性質というのは術師によって千者万別で、多くの共鳴現象は偶発的に引き起こるものです。これを意図的に起こすのは熟練の術者同士であっても、なかなか上手くいかないことが多いのです。恐らく、なかなか〔鍵〕の所有者が見つからなかったのはそのためでしょう。――ところが、です」


 徳長は賢治と現世の二人を見て、改まった口調で話を続けた。


「あなたたちは初対面にも関わらず、それができた。よっぽど相性がよいのでしょうね」


 徳長はそういって、にいと笑った。

 賢治は、少し気恥ずかしさを覚えるとともに、嬉しい気持ちになった。賢治は、これまで誰かと一緒に一つのことを一生懸命に取り組んだ経験がなかったのだ。けれども昨日、現世というパートナー足る存在と出逢えた。このことは賢治にとって未知のできごとであり、胸に何かときめくものを覚えるのを禁じざるを得なかった。


「よってこの召喚術は、お二人の共鳴がカギを握るものだと私は考えています」

「〔鍵〕、だけにね!」

「イソマツくん、茶化すなら物置の掃除を言い渡しますよ。……まあそういう訳で召喚を行う前に、一度改めて霊力場共鳴しているということを強く意識に働きかけてみましょう。――サン、ハイ!」


 徳長が合図する。

 賢治はイメージした。

 二つのピアノの音色が調和し、美しいメロディを奏でる二重奏を。

 ヴ……ウウン。

 そのとき、これまで経験したことがない感覚が意識の奥底で起こっていることに賢治は気づいた。


(……身体の内側が、どこからともなく吹き寄せる風にそよいでいるような……、けれども決して不快ではない……。そんな、不思議な感じだ。これが共鳴なのか)


「いいですよ、二人とも! とても安定した共鳴の力場を作れています!」


 徳長がそう褒めた。

 どうやら、安定した霊力場共鳴を維持できているらしい。賢治が主導の通常呪文の詠唱は上手くいかなくても、現世との共同作業である召喚魔術はやり易いようだ。

 賢治はトネリコの杖を持った右手を前に突き出す。


「二人とも、その共鳴状態を保ってください。それではいよいよ、召喚精霊の召喚です。まずは黒字の召喚精霊である第1席の精霊バアルを召喚してみてください」


 現世はバアルの頁を表示した。


 【1. ■■■■■ ****, Bael】

  ■■■ *(■■ * ■■ * ■■ * ■■ * ■■ * ■■ *)

  ■■ * ■■ * ■■ * ■■ * ■ * ■■■ * ■■■■■ *


「な、なんだこれ?」


 昨日、マルコシアスを召喚したとき、右ページにはマルコシアスの名前とデータが英語で記述され、イラストも表示されていた。

 だが、今は違っていた。「1. ****, Bael」以外の文字は、完全に解読不能な文字になっており、イラストを表示する箇所には大きな「?」が表示されているだけだった。

 ところで現世の身に宿るゲーティアの召喚精霊の名称は、二つ名と階級、そして名前で構成されている。例えば昨日召喚した「炎斬侯爵えんざんこうしゃくマルコシアス Marquis of Blazing Slash, Marchosias」の場合は、次のようになる。


・二つ名――炎斬 Blazing Slash

・階級――侯爵 Marquis

・名前――マルコシアス Marchosias


 先ほどの座学において徳長は、次のように説明した。

 キリスト教文化圏においては古くから、天使と悪魔には階級があると解釈されてきた。そして悪魔の階級は、魔王 King、君主 Prince、公爵 Duke、侯爵 Marques、伯爵 Count、総裁 Presidentの順番で、魔王に近いほど偉くなるというように階級分けされた。この考えは精霊術にも取り入れられ、天使や悪魔が召喚精霊として解釈されてからも、伝統的な階級分類がなされたのである。

 なお「二つ名」については、徳長も分からなかった。現世のゲーティアに何故このような二つ名がついているのかは、不明のままである。

 そして今召喚しようとしているバアルは、その階級が書かれているであろう部分が判読不能なのである。この点においても賢治は、(これは詠唱に失敗するだろう)と思った。


「一応詠唱してみるか……。《バール!! 召喚エクスヴォケーション!!》」


 賢治は名前のみを読んで、召喚を行った。

 し~ん……。

 思った通り、何も起こらなかった。


「賢治、イラストの下をよく見るのだ」


 イラストの下には、こう書かれていた。


 ――You can not Exvocation this Summon yet(お前はまだ、この召喚精霊を召喚することができない).


「『まだ』ってことは、いずれは召喚できるようになるってことなのかなぁ?」

「何か条件があるとか?」


 イソマツと桐野が、現世を覗き込んで意見を言い合う。


「まあともかく、これで黒字の召喚精霊は召喚できないということがはっきりとわかりました。それでは気を取り直して、赤字の召喚精霊を召喚することにしましょう」


 徳長の指示に従い、賢治と現世は第34席の召喚精霊「フルフル」のページを開く。

 ゲーティアの右側のページに、電気をまとう可愛らしい仔鹿の肖像が浮かび上がった。「34 Count of Electro Horn, Furfur」と記述されている。


 【34. 電角伯爵フルフル Count of Electro Horn, Furfur】

  戦闘力 C(攻撃 C 体力 C 射程 C 防御 D 機動 C 警戒 B)

  霊力 C 教養 E 技術 B 崇高 D 美 B 忠誠心 A 使役難易度 IV


「あの、先生。昨日から気になっていたんですけれど、この肖像の下に記載されている項目は一体なんなんですか?」


 賢治が訊いた。


「これは、精霊術において召喚精霊の強さや能力を表す指標ですね。『リチャードソン=サムソン・スケール』といって、術師や召喚精霊の能力をいくつかの項目に分けて示す指標を、リチャードソンとサムソンという術師が、1960年代の前半に発明したのです。


使役難易度以外の項目は、SS、S、A+、A、A-、B、C、D、E、Zの順番でその強さが示されます。SSに近いほど強力で、Zに近いほど弱くなります。


使役難易度はIからVの五段階で、Iに近いほど扱いづらくVに近いほど扱いやすい、という風になっています。テレビゲームのステータスのようなものと考えてもらえばいいでしょう」

「精霊術? でもゲーティアは、精霊術が開発されるずっと昔から伝えられてきた伝統的な魔術書ですよね? 何故、現代の基準に合わせて表示されるのです?」

「それは私にも分かりません。『リチャードソン=サムソン・スケール』には複雑な計算式があるのですが、さっき言った序列はそれによって算出されます。でも現世さんはまだ、それを知らないはずです」


 徳長が現世に訊くと、「おう。全くわからんのだ」と返した。


「つまり、現世さんの〔扉〕による『ゲーティア』の力には、現代の精霊術の理論が組み込まれているということになります。その理由は、私にも全くわかりません。今はこんなところでよろしいでしょうか?」


 徳長がそう言うと、賢治は納得して召喚に取りかかることにした。


「《電角伯爵でんがくはくしゃくフルフル――召喚!》」


 賢治の足許のその目の前に、昨日と同じ円陣が浮かび上がった。円陣は、二つの円から構成される。賢治を囲む円陣と、その前に召喚した精霊を呼び出す召喚陣とである。

 この二つの円を形成する「陣」は、西洋における召喚魔術の基本的な形といえる。魔術師を囲む円陣は精霊が召喚された際に放たれる霊波動から守る役割を果たし、召喚精霊を呼び出す円陣は「集積コレクティブ・幻想ファンタズム・レギオン collective phantasm region」に働きかけ、任意の召喚精霊を召喚する。

 「集積幻想界」とは、スピリットの循環運動のうちに記録された「神話や夢など、時代と文明を越えて全ての人間の無意識下にある空想が積み重なった仮想世界」のことであり、召喚精霊の「元型アーキタイプ」と呼べるものの集合概念である。召喚精霊を呼び出す呪文を術師が唱えるとスピリットの循環運動に干渉してこの集積幻想界が作用し、召喚したい精霊に含まれる元型(例えばマルコシアスなどの場合、「剣士」「炎の精霊」「英雄」「男」などなどの元型の集積体である)が術師の個人的な潜在イメージ(個人パーソナル・幻想域ファンタズムエリア personal phantasm area)と結びついて具現化され、この世界でたった一つの疑似生命として現実世界に誕生させるのである。故に、同一の召喚精霊であってもそれぞれの術師によって姿は異なって召喚されるのだ。例をあげると、賢治と現世が昨日召喚したマルコシアスと全く同じマルコシアスは、賢治と現世にしか召喚できない、ということだ。

 そして今、その幻想界に働きかけて一つの新たな疑似生命が誕生しようとしていた。


 ポンッ!

 帯電した召喚用の円陣から、小さな仔鹿が飛び出てきた。


「おおっ! 本の肖像よりも可愛いのだっ!」


 現世が歓喜の声を上げた。

 フルフルは目がクリクリとしていて、赤い角をピョコピョコと動かす。角の周りには電気が流れていたが、やがて止まった。


(……へえ。これがフルフルか。現世のいうように、本当に可愛らしい外見をしてるや)


 フルフルの愛らしい見かけに、その場にいたものは思わず顔が綻んだ。あの桐野でさえも。


「キリちゃん、触りたいんだったら、触りたいって正直に言いなよ」

「……黙れよバカ」


 その愛くるしさに、思わず賢治は足許の魔法円から離れて、フルフルに近づく。すると『ピュー、ピュー」と鳴いた。


「! こいつ、言葉が喋れないのか?」


 賢治がそう言うと、徳長が説明する。


「ゲーティアの悪魔のほとんどは、人並みかそれ以上の知性を持っているとされています。しかしどうやら、賢治くんたちが召喚するフルフルは、人の言葉が全く喋れないようですね」

「なるほど……。では、フルフルはどんな風に役立つのですか?」

「フルフルは、人には備わってない種類の知能や鋭敏な感覚の持ち主です。発達した嗅覚で薬草の種類を嗅ぎ分けてくれたり、人の匂いを辿って追跡したりすることができます。またその愛らしい外観から、男女の仲を取り持つこともありますね」

「へー。お利口さんなんだねー」


 イソマツがそう言いながら、フルフルの角に手を触れる。


「あっ、角に触っちゃダメ!」


 徳長が注意したが、既に遅し。


「ピュエヤアアアアッ!!」


 フルフルが鳴き喚いて、角から黄金の電撃を当たり一体に放出する。


「ぎえええええっ!」

「¡Ayyyyyyy!」


 賢治とイソマツが同時に叫び、そして倒れた。


「……角は伝導体であり、触られると一番嫌がるところでもあるから、絶対に掴んではいけないんですよ。犬猫の尻尾と同じです」


 徳長は呆れ顔でそう言いながらゴム手袋をはめて、フルフルが喜ぶ胸の部分や首の後ろを撫でてなだめる。


「り……《帰還リターン》」


 賢治が帰還の指示呪文を唱えると、フルフルの足許に召喚陣が出現する。そしてフルフルが光り出し、粒子となって召喚陣ごと消え去った。

 卵はというと、当然割れてしまっていた。中身が出て、またもやすっかり焼けてしまっている。


「おおっ、今度は目玉焼きなのだ!」

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