Report 2 術師界へ(3)

 因幡と徳長は先ほど賢治に話した内容を、要点だけ掻い摘んで賢助に説明した。


「そんなことが現実に……」


 賢助は、ひどく困惑した表情を浮かべている。


「すぐに信じて頂けないのも、無理はありません。けれども、お話した事は全て事実なのです。――賢治くん、現世さん。もう、魔装を解いてもいいでしょう」

「どうやればいいのだ?」

「心を落ち着かせ、元の姿をイメージして《Convergeコンバージュ》と唱えてみなさい」

「……《Converge》」


 賢治は、いわれるまま唱えた。

 シュウウウウ。……


 魔装品であるローブ・杖・手袋・三角帽子が、陽炎のように透け始める。

 隣では、赤い本が音を立てて白い煙をあげた。


「おおー、戻れたのだー」

 

 本があった場所に、人間の姿に戻った現世がいた。


「し、信じられない……」


 魔装が煙になって吹き飛んでしまったかのように完全消失し、制服姿に戻った賢治は、(あの装備品はどこへ行ったんだ?)という表情で、身体中をペタペタと触れている。


「《Expandエクスパンド》で力場を展開して、《Converge》で収束させる。基本的な『指示呪文コマンド・スペル Command Spell』です。『門』も力場を形成する以上この指示呪文で大丈夫だとは思いましたが、当たっててよかったです。今度からは、これで魔装をするようにしてくださいね」


 賢治は、目を見開いた賢助の顔をちらりと見やる。


「……」


 予想通り、「なんと言ってよいのかわからない」といった表情だった。

 賢助は、大抵のことでは動じない強靭な精神の持ち主である。そんな大伯父がこんなに驚くのを、賢治は見たことがなかった。


「……オレも未だに信じがたいけど、現実のことなんだよ。おじさん」


 そう賢治が言うと賢助は、賢治の肩に手をかけた。


「お前は、どう思っているんだ」

「どう思っているって?」

「その力を手にして、どう思ったかってことだ」


 賢助のその質問に、賢治はどう答えようか逡巡した。

 少しの間をおいてからゆっくりと、しかしはっきりと今の自分の考えを伝える。


「オレは……まだよく分からない。全く知らないことばかりが、津波のように押し寄せてきて、どう考えればいいか見当もつかない状態なんだ。

 でも……、どんな突飛なことでも、自分に一度降りかかってしまったことから逃れることはできない。だから、ちゃんと現状を理解し、少しずつでも自分なりの答えを出していきたいと思う」


 その言葉は、分からないなりに自分で考えて進みたいという、堅固な意志の表れだった。

 そして少しの間を溜めた後、ゆっくりと賢助は言った。


「賢治、何も恐れることはない」

「――おじさん」

「どんな出来事に見舞われようと、どんな不可思議な力を手に入れようと、お前はお前なんだ。しゃんと、胸を張っていればいい!」

「……うん!」


 賢助が、優しい眼差しで賢治の顔をしっかりと見る。そこには困惑の色は消えて、いつものたくましい大伯父の姿が蘇っていた。


さて。大伯父と大甥の仲むつまじいやり取りに割り込んで申し訳ないンだけど、――今後のことについて、話さにゃならンのですが」


 因幡が割って入るように言った。

 賢治たちは姿勢を正して因幡の方に向かい、拝聴する。


「まず、賢治クンと現世にはその力をコントロールできるようになってもらわねえといけません。加えて賢治は、術師界のことや魔術のことをイチから学ぶ必要がありやす。けれども事情が特殊だから、普通の魔術師の卵が通う魔導学校に通わせるわけにゃあいけやせん。なンで賢治は、今のまま汎人界の・・・・・・・・学校に在学しながら・・・・・・・・・放課後や休みの日に・・・・・・・・・私塾のような形で・・・・・・・・ここに通ってもらい・・・・・・・・・徳長から魔術の・・・・・・・手ほどきをして・・・・・・・もらおうと・・・・・考えておりやす・・・・・・・


 因幡は徳長のほうを向いて「頼ンだぞ、涼二」と言った。

 徳長が「承知致しました」と、返事をする。


「で。長期的にはそうする心算なンですがね……。青梅さん、ちょっといいすか」


 賢助は「はい、何でしょう」と応答する。


「ひとまずゴールデンウィークの間は、賢治クンをこちらで預からせてもらいやす」

「えっ……?」


 その言葉に、賢治は目を皿にして因幡を見る。


「マガツは、またいつ攻撃してくるかわかりやせん。何もかも突然のことで申し訳ないんですが、何卒ご理解頂きたく存じます」

(ああ、保護下ってそういう……)


 賢助は少しばかり思案するしぐさをしてから、返答した。


「……わかりました。私の方はそれで構いません。連休中、家で賢治が一人でいるよりは私も安心できます。――いいか? 賢治」

「うん。オレは、別に構わないよ」


 時計がボーンボーンと音を立てる。針は六時を示していた。


「ア、もうこんな時間か……。涼二、夕飯の支度してくれねえか」


 因幡がそう言うと、徳長は「分かりました」と言ってすっくと立ち上がる。


「現世さんはお風呂掃除。桐野さんは着替えてきてから、台所に来てください」


 徳長がそう言うと、現世と桐野が返事をした。


「分かったのだ!」

「分かりました」

「イソマツくん、賢治くんに着替えを貸して上げなさい。それが終わったら、二人で台所に来てください」


 イソマツは気の抜けるような声で「おーけー」と答える。

 因幡が、賢助の方を向いて言う。


「ああ、そうだ。青梅さん、よければ夕飯召し上がっていかれませンか」


 因幡の申し出に、賢助は朗らかにこう答えた。


「ええ。明日の昼まで予定は空いておりますので、ご好意に甘えることにします」


 賢治は、イソマツに「行こ、青梅くん!」と声をかけられる。


(――オレがここにお世話になって、徳長先生から魔術の手ほどき……。何か、妙な流れになってしまったな)


 客間には因幡と賢助だけ残して、他のものは解散した。




   ★


 時刻は七時ちょうどだった。

 賢治はイソマツに灰色の上下セットのスウェットを借りた後、家の中を案内される。台所に来る頃には料理はできあがっていて、賢治とイソマツの二人は配膳を手伝った。

 座卓が片づけられた客間に、夕餉ゆうげが運ばれる。

 銘々膳めいめいぜんと呼ばれる一人ひとりに用意されたお膳に、夕飯が乗っけられている。かつおのたたき、竹の子の土佐煮、三つ葉を浮かべたかつおのあら汁、卵焼き、しょうがごはんという献立だ。


「一汁三菜に旬の食材。理想的な和食のスタイルですな」


 賢助が言った。


「初鰹です。お好みで、小皿の醤油にすだちの汁を垂らしてみてください」


 徳長は、先ほどの洋装ではなく和装をしていた。リネン製の薄い海松色みるいろの着物に白い割烹着という服装は、なで肩で低い身長の徳長によく似合っていた。170歳と言うからには、こちらの方がむしろ普段着といっていいのかな、などと賢治は思った。


「――美味しい!」


 感想を口に出す賢治。

 賢治はこのところ、賢助がいないときは出来合いのもので済ませてしまっていた。そうして舌がなまっていたためか、かつおのたたきに舌が触れたとき、まるで小躍りをし始めたかのような錯覚を感じた。

 徳長は微笑して「喜んで頂き、光栄です」と言った。


「ふはは、どうだ! 涼ちゃんの料理は美味かろう。そんじょそこらの小料理屋なんかには、負けない腕前なのだ。そこに桐野のサポートが入れば鬼に金棒、弁慶に薙刀、獅子にひれ、龍に翼を得たる如し!」


 現世がまるで自分の手柄かのようにふんぞりかえって、徳長の料理を激賞する。

 そして桐野はというと、すまし顔をして黙々とかつおのたたきを食んでいる。


(――必要なとき以外、喋らないんだなこの人)


 桐野はどことなく鋭い雰囲気があって、とっつきにくい印象を賢治は感じていた。


「え……と、堺さん」


 賢治が名前を呼ぶ。

 ――ギロリ。

 ドキンッ!

 心臓を射抜かれた。

 そんな風に思えるほど、桐野の目つきは険しく、賢治はたじろいだ。


「あ、あ、あ。あの。夕方は、あ、ありがとうございました。――小田も。助かったよ」

「……いいよ、礼なんて。こっちの失態だし」

「え……でも」

「あと『堺』でいい。敬語もいらない」


 隣でイソマツが「へへへー、ゆーあーうぇるかむ」と朗らかに対応した。思いっきり気の抜けた日本語の発音で。


「イソマツと同じクラスなんでしょ。だったら同学年だから」


 桐野は目線を膳に戻した。

 賢治は、次の言葉が出なくなった。


(……なんなんだよ、この突き放したような態度。オレ、何か気に食わないことでもした?)




   ★


 時計が鳴る。時刻は九時を過ぎた。


「さて。すみませんが、私はそろそろ……」


 賢助がそう言って、席を外そうとする。


「そうすか。じゃ、また何かありやしたら、ウチの徳長を通じてすぐに連絡させやすから」


 賢助の見送りに、徳長と賢治が玄関前まで出る。


「賢治。右手を出してみろ」


 玄関まで見送る賢治に、賢助は包みを手渡した。


「開けてみなさい」


 賢治は言われるままに開封する。

 中身は、G-LOCKの最新モデルであるソリッドタイマーズだった。G-LOCKはアメリカの航空機会社ウォーロックスの時計部門が開発した腕時計であり、30年前に日本で初めて発売されたときには「地上15メートルからの落下にも耐える」という触れ込みで一世を風靡した。色はブラック。細長いボディが、スマートな印象を与える。


「おじさん、これ……!」


 賢助は目を細め、慈しむような眼差しでゆっくりと言った。


「誕生日おめでとう。賢治」


 四月二十八日。今日は、賢治の十六歳の誕生日なのだ。

 一日のうちに、余りに多くのことが起こりすぎて賢治はすっかり忘れていた。


「……ありがとう、おじさん」

「それじゃあな。しっかり励むんだぞ!」


 それから徳長に向かって礼を述べた賢助は、夜の帳に消えていった。

 大伯父の激励を受けて賢治は、目頭が熱くなるものを感じた。

 思えば、この歳まで賢助には迷惑ばかりかけてきた。小学校でいじめに遭ったときも、中学校で騒ぎを起こして転校したときも、賢助はずっと賢治のことを気にかけてくれていたのだ。


(……おじさん、ゴメン。オレは、こんなにも親身になってくれた人の優しさも頭の片隅に置いて、自分のことばかり考えていたよ)


 この時、賢治は自分にこう言い聞かせた。利発でたくましく優しい、この大伯父に育てられた恩に報いるためにも頑張らないといけない、と。

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