Report 2 術師界へ(1)

 五人を乗せるカローラフィールダーはガタガタと車体を揺らしながら、月輪山のけもの道を駆け抜けていた。


「あわっ、わっ、わっ、わああっ!」

「口を閉じて! 舌を噛みますよ!」


 助手席に乗せられた賢治の小さな身体は、上へ下へとシェイクされる。オフロードタイヤでないため、上下動をモロに受けるのだ。


「現世、現世!! ――ああぁぁぁあ、現世っ!!」


 賢治の後ろで、歓喜と悲鳴が混じったような声が響いた。


「怖い目にあったね。可愛そうにね。ごめん、ごめんね現世。怪我はない? 気分は? どこかひねってない? 熱は? 頭痛くない?」


 それは、桐野だった。

 さっきまでのクールな雰囲気はどこかへすっ飛んでしまい、本のままの現世を狂ったように抱きしめて頬ずりしている。


「う、ううむ……。案ずるな、大丈夫なのだ。大丈夫なのだよ」


 賢治は少し引き気味にその様子を見ている。


(……状況が状況だったとはいえ、えらい心配振りだな。目がイッちゃってるし……)


「先生、現世を元の姿に戻して」

「却下します」

「わたしには、一刻も早く生身の現世を抱きしめる義務がある」

「そんな義務を課した憶えはありません。二人はこのままの姿で師匠のところへつれていきます」

「キリちゃーん、僕でよかったら代わりになってもいいよー」


 ズムッ、という鈍い音とともにイソマツの「¡Augオッフ!」という悲鳴が響いた。

 どうやら桐野に肘鉄をくらったらしい。


 ようやくけもの道を脱出したフィールダーは、舗装された県道803号に入る。


「……現世さん。今あなたが変身しているのは、本当に、『ゲーティア』なんですね?」


 徳長が現世に訊く。


「おう、本当にあの『ゲーティア』なのだ。賢治と一緒に、『ソロモンの七十二柱』を召喚することができるぞ。理由は全く分からんのだ」

「……分かりました」


 術師の世界において現世と浅からぬ関係がありそうな徳長も、現世の力が何故『ゲーティア』として発現されるのか、どうやら分かっていないようだった。

 徳長は、そのことだけ現世から確認を取ると、サンバイザーに取り付けたBluetoothのハンズフリーキットを使って通話を開始する。


「……申し訳ありません、現世さんを危険な目に遭わせたのは、私の失態です。……はい。そうです、あの『ゲーティア』です。どういう訳か、現世さんの〔扉〕の力は『「ゲーティア」の悪魔を召喚する力』として発現しているのです。……はい、もう一人の保有者も保護しました。現世さんと一緒に……。名前は青梅賢治。私の生徒です……」


 カローラフィールダーは、また山道へと入った。

 賢治は、車内のナビマップを見て疑問が湧いた。


(あれ? たしか、このまま進むと行き止まりだぞ……?)


 賢治の思ったとおり、車は完全に林の中に入ってしまった。

 徳長は車を止める。左右前後誰もいないことを確認すると、前方に向かってパッシングをし始めた。


 パーッ、パッ、パッ、パーッ。

 パッ、パッ、パーッ、パッ、パッ、パッ、パッ。

 パッ、パッ、パーッ。


 突然、フロントガラスの光景がぐにゃりと歪み始めた。


「……!」


 賢治は息を呑んだ。


 無人の林だったはずの車窓の風景は、車でごった返している四車線の広いトンネルになっていた。


 車線の両脇には広い歩道、車線と車線の間には高速道路の料金所のような建物が二箇所設えられている。

 建物の窓口に立っている警備員風の制服を着た中年男性に、徳長はマイナンバーカードのような写真つき身分証明証を見せる。

 受付員はにこやかな顔をして、「どうぞ」という合図をした。

 カローラは、再び発進する。


「せ、先生。今のどうなって……」

「ここは、清丸町せいがんちょう――私たちが住んでいる世界、術師界アーティスツ・ソサエティに属する一都市ですよ」


 トンネルを抜ける。賢治の目に、夕空が飛び込んでくる。


(――街だ。山と山に囲まれて、街がある!)


 やや楕円に歪んだすり鉢上の地形に、都市が形成されている。

 トンネルはすり鉢のふちの部分にあたる円状の道路につながっており、賢治は街並みを俯瞰ふかんすることができた。

 手前にはアーケード商店街やビジネスビル街が広がり、街の中心部なのだろう。その少し奥には、目を引く小高い丘があった。位置的に円島の中心に当たるところだろうが、何故かそこは高い柵に囲われていて、厳重そうに管理されているようだった。繁華街の向こうには住宅街や高層マンション、スーパーや学校が見えるが、丘とビルに隠れてよく見えない。

 ここまでなら、どこにでもある地方都市という感じだ。


 ――だが夕空には、まず現実の世界では見ないであろうあるもの・・・・がいくつも飛び交っていた。


(……あれ、空飛ぶ箒か?)


 空中には、人が乗った不思議な機械がいくつも浮かんでいた。

 尾部がラッパのように広がった細長い管の形状をしていて、ラッパの部分からは色とりどりの光を噴出していた。恐らく、排気ガスのようなものなのだろう。

 賢治は直感的に、それを空飛ぶ箒だと思った。

 パイロットのほとんどは、現代的なバイクスーツのようなものを着込んでいたが、三角帽にマントというクラシックスタイルの術師も一部いた。


「……うっ!」


 そのとき、賢治の頭にまた痛みが走った。そしてまたしても、壊れた動画ファイルのような映像と音声の断片が賢治の脳内に迸る。



 ――ねえ、その箒で雲の上につれてってよ。


 ――残念だが、それはできないんだ。


 ――ええー、なんで?


 ――あまり「高み」からものを眺めない方がいいからさ。何の苦労もなしに見晴らしの良い景色を知ってしまうと、全てを悟ったような錯覚に陥り、何の根拠もなく自分が特別な存在なんだとおごってしまう危険があるんだ。だからね、賢治。君が君自身・・・・・のことを知ったとき・・・・・・・・に、この箒に乗せてあげようか。



「どうしました、賢治くん?」


 不意に、徳長の声が隣で響いた。

 気づくと賢治は、右手で頭を抱えていた。


「いえ……なんでも、ありません」

「そうですか、それならいいですが……。賢治くん。あなたが今から会うのは、この国の術師界において陰のトップであり、術師結社・妖魔同盟ようまどうめい首領しゅりょうである因幡清一郎いなばせいいちろうという方です。失礼のないように」


 フィールダーは円状の道路から抜けて、両側を林が囲むなだらかな上り坂に入る。短い坂を上り終えると、立派な門を構えた高い塀があった。

 塀と一体になっているガレージの中に、徳長はフィールダーを停車させる。

 五人は車から降りて、門の隣に設えられたインターホンを押す。


「涼二です。現世さんと〔鍵〕に選ばれた男の子をつれてきました」


 するとインターホンから『おう、入れ』という男の声が響いた。

 門が、駆動音を上げて開く。

 賢治はイソマツに肩を貸してもらいながら、中に入った。

 瓦葺の屋根。長いひさし。池のある庭園。ガラス戸の玄関。

 そこにあったのは、典型的な日本家屋であった。

 徳長が玄関前で立ち止まり、引き戸を開ける。


「よお、ご苦労さん」


 土間に面した廊下には、和装をした男性が立っていた。


「ただいま戻りました」


 徳長が男に頭を下げる。

 和服の男性の背は170センチほどで、ぼさぼさの黒髪は天然パーマのようだった。歳は四十前後といったところか。黒い木綿の単着物ひとえきものに丸サングラスという服装が、どことなく浮世離れしているのに世俗的な雰囲気を醸し出しているという、互い違いのイメージを融合させているように印象付けられた。


「ただいまなのだー!」


 現世が本の中から、元気よく挨拶を返した。


「おう、ただいま。……なるほど、本当に『ゲーティア』だわ」


 この状態であるというのに、因幡は眉一つ動かさなかった。


師匠せんせい。彼が、現世さんと対になる〔鍵〕の力を得た少年です」


 徳長が因幡にそう言った。


「ほう……。ふーん。フン、フン」


 発現した〔扉〕と〔鍵〕の力がどのようなものなのかを確認しているのだろうか。因幡は、賢治の頭の先から足の爪の先までを値踏みするように眺めた。

 身内の人間がこのような奇態なことにおり、それにどこの馬の骨かもわからない子どもが関わっていると来ているのだから、このような振る舞いは当然といえば当然のことである。けれども、「このようなことがなくとも、この人はどこか真意を読み取れない振る舞いを、普段からしているんじゃなかろうか」という感じが因幡からは滲み出ており、賢治はどこか近寄りがたい印象を覚えた。


「まァ、上がりなよ」


 因幡の合図に一行は、靴を脱いで宅に上がる。

 賢治は「お邪魔します」といってからスリッパに履き替える。


 招かれた十畳の客間には、長めの座卓と座布団が用意されてあった。座卓にはお茶の入った湯のみが用意されてあった。掛け軸がかけられたとこの前にある座布団に、因幡が「どっこいしょ」と座る。


「……」


 全員が座り終えたとき、桐野が深刻な顔つきで因幡のほうを向いた。

 そして、突然両手を畳についた。


「因幡さん! 申し訳ありません! 保護役のわたしたちがついていながら、現世を危険な目に遭わせてしまい……。ほら、イソマツも頭を下げて!」

「¿¡Eyエイ!?(えっ!?)」


 桐野に頭を押さえられ、イソマツはぐいと頭を下げさせられる。

 だが、それを徳長が制止させた。


「涼二先生……」

「桐野さん、イソマツくん。頭を上げてください」


 徳長に言われて、平静を取り戻す桐野。


師匠せんせい。急襲した『マガツ』の構成員は、桐野さんとイソマツくんの二人の実力をはるかに上回るものがありました。特に己と名乗る『土蜘蛛』の亜人は、間違いなくA級術師です。そんな強力な相手を二人に任せて応援に遅れ、采配を振るえなかった私の責任です。どうかご寛恕かんじょを」


 徳長が因幡との間に入って、そう言った。


「あゝ、いいよいいヨ。そんなかしこまらなくて。〔鍵〕の保有者も見つかって結果オーライよ」


 だが当の因幡は、相変わらずの飄々とした態度で受け流した。


「とりあえずは、自己紹介といこうや。俺ァ因幡清一郎。よろしくナ」


 因幡がぬっと右手を差し出してくる。賢治はおずおずとその手を受け取り、挨拶をする。


「ボ、ボクは、青梅賢治と申します。よろしくお願いします」

「おう、賢治。俺ァな、『妖魔同盟』っつう術師結社で幹部を務めているんだ。ア、術師結社ってのは術師の集まりだな。お前らの世界でいう『法人』だ」

「現世からは組合のようなもの、と聞きましたが」

「まあそうだな。もっと会社みたいなところもあるぜ。つうか、そっちの方が多い。術師界において、術師の集団がそれ自体で個人と同等の権利を受けるにゃあ、術師結社をつくらなきゃいけないって法律で決まってんだ。まあ、こんなことはどうでもいいとして――俺ァこう見えても、妖怪化けガラスの純血だ。三百年近く生きてるゼ。ああ、亜人っつた方がいいのか」

「さ……、三百!?」

「おう。徳長は170歳超えたカマイタチの純血だし、イソマツは寿命こそ普通の人間と同じだが、サラマンダーの亜人だ」

(170歳。幕末の生き証人が目の前に。……)


 賢治は感心半分理解不能半分といった表情で、苦笑する徳長と見合わせていた。


「さて。こっちのセーラー服は、堺桐野。こいつァ俺らと違って亜人の血は入ってない、ただのヒトだ。術師界こっちの世界の高校に通っている」


 桐野はペコリと会釈をする。


(……なるほど、どおりで見慣れない制服のハズだ)


 因幡は、現世の方をチラリと見る。


「で、現世の素性については……。ちと込み入った事情があるので、後でな。――さて、賢治」


 因幡は賢治のほうをくるりと向く。


「おめえ、現世たちからどンくらい聞いた?」

「え……と。どれくらい、というのは」

「こっちの世界のこととか、この不思議な力についてのことだよ。つーか、あそこであったこと全部話してくれねえか」


 賢治は月輪山で起こったこと、知ったことを全て話した。

 あそこでの出来事は全てが非現実じみていて、上手く説明できているか、時々不安になりながら。


「フーン、なるほどね。じゃあ改めて説明しなけりゃならンことがあるな」


 因幡は扇子でパタパタと仰ぎながら言った。

 そして、講義じみた説明が始まった。

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