Report 1 賢治と現世(6)

「何ッ!?」


 突然現れた謎の術師に、賢治は動揺する。


(……くっ! さっき現世が言っていた、もう一人の襲撃者か!?)

「賢治! 唱えよ!」


 現世が叫ぶ。

 賢治は闖入ちんにゅう者の正体を推測するのを中断して、現世に指示されるまま《アブラカダブラ》を唱えた。


「《アブラカダブラ》!」

『《アブラカダブラ》!』


 だが相手も即座に対応した。

 対象に取るのは、賢治の《アブラカタブラ》だ。

 《サモン・ディポーテーション》の淡い桃色の光線は直進を止め、のた打ち回る蛇のように大きくうねり出す。その上には、二つの《アブラカダブラ》の「陣」が鎖のように重なり合っていた。


「くそ! 《アブラカタブラ》!」


 三つ目の《アブラカダブラ》の「陣」が重なる。


「駄目なのだ! 賢治!」

「え――」


 がくっ。

 その時、賢治の身体が何かにのしかかられたように重たくなった。


(――何!?)

「《アブラカダブラ》!」


 四つ目の《アブラカダブラ》の『陣』が重なる。

 連なった呪文同士が鎖のようにつながり、その場に留まった。


「こ、これは……」

「『チェイン』と呼ばれる現象なのだ……。『呪文を対象に取る呪文』に対して、それをさらに対象に取る呪文が唱えて応酬ラリーが起こった場合は、呪文の力場同士が鎖のように連なってその場に留まるのだ。そして応酬が止むと、唱えられた順番通りに作用するのだ。これは呪文の『式』にあらかじめ組み込まれた、プログラムのようなものなのだ……」

「ぐっ……、《ア》……《アブ》……ううっ!」


 賢治は新たに呪文を唱えようとしたが、強烈な倦怠感に襲われてできなかった。

 そして、連なった呪文の力場たちが再び動き出した。

 まず、謎の術師による二発目の《アブラカダブラ》が、賢治の二発目の《アブラカダブラ》を打ち消す。これによって、相手の一発目の《アブラカダブラ》を邪魔するものはなくなり、これが賢治の一発目の《アブラカダブラ》を打ち消した。


「そして何も妨害するものがなくなった《サモン・ディポーテーション》は、再びマルコシアスに向かう!」


 現世の言うとおり、《サモン・ディポーテーション》の光線は再び直進し始めた。


「逃げろ、マルコシアス!」


 賢治は思わず叫んだ。

 だが逃げ切れるわけもなく、光線はマルコシアスに到達した。

 マルコシアスの足許にのみ、召喚された時と同じ召喚陣が浮かぶ。


「うおっ……! 申し訳ありません、召喚主様……」


 そしてマルコシアスは光の粒子となって、召喚陣ごと消失した。


「マルッ……!」


 賢治の悲鳴は、突如襲った強烈な倦怠感と震えで声にならなかった。

 賢治は、前方にいる闖入者をキッとにらみつける。

 そこには、黒のフルフェイスをした黒ずくめの人物が立っていた。


『これは一体どういうことだ……、癸……』


 黒ずくめの術師が口を開いた。

 術師は、繊維強化プラスチックによる黒のフルフェイスを被り、防弾ベストを着込んでいた。右手には、癸と同じタイプの杖が握られている。ベストの上からでも隆々な筋骨が窺え、癸よりもさらに剛健そうだった。


「賢治、この者なのだ! この癸と一緒に現世たちを襲ったのは!」

「……何……だと!?」

「たしか……。そう、つちのととか名乗っておったわ」


 癸が焦点の定まらない目で、己を見て言った。


「……ッ、つ、己……」

『癸。何故、因幡現世の〔扉〕の力が発動している。この少年は誰だ』

「……巻き込まれただけの、ただの汎人コモニスのガキだ。……だが、〔扉〕のガキに出逢って、……何故か〔鍵〕に……選ばれちまったらしい」

『何だと!? 世界中の優秀な術師を集めても見つからなかった〔鍵〕の保有者に!?』


 癸の証言を聞いて己は、少しばかり冷静さを崩してそう叫んだ。


「……現世、さっきから……身体が、すごく重くて……」

勁路負担サイアードネス……」


 現世が深刻な顔つきで言った。


「サイ……?」

「人間の身体には、『勁路けいろ Psycuitサイキット』と呼ばれる隠された器官があっての。これは、実体と霊体の中間的な存在なのだ。これを介することで、人間は霊力を内外へ出し入れすることができる。

 だが、呪文を短時間に多用すると勁路が疲労してきて、満足に霊力を循環させることができなくなってしまうのだ」

「何……!」

「特に勁路に強く負担をかける術は負担率として数値化することができ、それを『勁路負担率 Psyirednessサイアードネス・ rateレート』という。負担をかける呪文は決まっておって、例えば《アブラカダブラ》は25。《サモン・ディポーテーション》は15。勁路負担率の限界は個人差があったり、その時の健康状態が左右したりするが、一日八時間の睡眠をとった十五歳以上の人間で、大体一日100までが限度と考えていい。

 つまり《アブラカダブラ》を四回唱えた賢治は、さっき100に到達してしまっておるのだ!」

「何だって……!! それじゃ……。オレはもう、今日は呪文を、唱えられない……」

「すまぬ! さっき現世が止めようとしたのだが、間に合わなかったのだ!」


『なるほど。それは良いことを聞いた』


 己が、二人の会話に割り込んできた。

 そして杖をこちらに向けながら、じりじりと迫ってくる。


「くっ……!」


 万事休すか――賢治がそう思った時、凛としたアルトが響いた。


「《オーバーグロウン・グレイトヴァイン》!」


 地面に緑色の円陣が浮かび上がる。すると陣から大量のつるが飛び出した。


「――! 誰だ!?」


 賢治は、声がした方を向いた。

 そこには、栗色の髪を一つに結わいた黒いセーラー服の少女が立っていた。

 蔓は癸を縛り上げ、己に絡みついた。


「桐野なのだ!」


 現世が歓喜の声を上げる。


「現世……!? どうしたんだよその姿!」

「説明すると長くなるのでな――、それよりも己を!」


 己が「《リッパー・ストーン》!」と唱えた。

 地面から石の刃が何個も生成され、中空を目がけて飛び出した。それらが蔓をかたっぱしから切断していく。


 ガサリ――。

 樹の上から、小柄な人影が飛び出してきた。


「……小田!?」


 それは、賢治のクラスメイトである小田イソマツだった。


「¡Hey! ¡Hey! ¡Hey! これでもくらいなっ!」


 拳銃のジェスチャーをするイソマツの右手人差し指が光り、小さな火球が発射される。

 発射速度は《ファイアボール》よりも遥かに速く、己に着弾する。


『ぐっ……出でよ! 〔土孕ノ仔蜘蛛つちはらみのこぐも〕!!』


 地面がボゴボゴとうごめいて盛り上がる。

 すると、土と泥で作られた一メートルほどの大きさの蜘蛛形の召喚精霊が何匹も生まれた。


「《オイリィ・ヘルズ》!」


 桐野が唱えた。

 切断された蔓に円陣が浮かび上がる。すると、蔓の中の油脂が溶けだした。


「イソマツ!」

「¡Vale《バーレ》!(がってん了解!)」


 桐野の合図に応答するように、イソマツが火球を放つ。地面に染み込んだ植物油に着火して、激しく燃え上がった。土孕ノ仔蜘蛛たちがおぞましい悲鳴を上げて燃え尽きていく。


『ぐ……、《サンド・ストーム》!』


 己の周囲に砂風が巻き上がり、火を瞬く間に消していく。

 そしてまた、土孕ノ仔蜘蛛が召喚される。


「あ~、さっきからこの繰り返し。キリがないよ」


 イソマツがぼやく。


(す……、すげえ。これが「術師」同士の戦いってヤツなのか。さっきの、現世に言われるままのオレの戦いぶりとはエラい違いだ……)


 助太刀に来た二人の戦いぶりに感心する賢治。

 ぐいっ。

 突然、襟首を引っ張られた。


「アンタ、何ボサッと座っているんだ! 早く現世をつれて逃げなよ!」


 賢治が驚いて振り向くと、眉間にしわを寄せた桐野が立っていた。

 その剣幕に委縮しながら、賢治が弁解をする。


「ま、待って。術の使い過ぎで……、身体がすごく重いんだ……」

「は!?」

「まーまー、キリちゃん。Tranquiloトランキーロ.(落ち着いて)」


 イソマツだった。

 土孕ノ仔蜘蛛を火球の術で牽制しながら、イソマツが賢治に話しかける。


「¡Hola! 同じクラスの青梅くん? だったよね。なら僕が、肩を貸すよ?」

「あ、ありがとう……」


 賢治はイソマツの申し出を受け、肩に手をかけようとした。


「《凶ツ弾》……!」


 不意に、己が唱えた。

 すると己の杖先から、周囲が陽炎のように歪む真っ黒な霊力の塊が発射された。


「《プロテクティヴ・シールド:シャドーキネシスッ!! ――MAX》!!」


 桐野が詠唱した。

 イソマツが、賢治の頭と本になった現世を押さえて倒れ込む。


「伏せてっ!!」


 桐野の杖先に、紫光しこうの円陣が浮かび上がる。

 《凶ツ弾》が桐野の円陣に触れると、電撃波が四方八方に散った。


『「門」の保有者は、「マガツ」が貰い受ける』

「――! 現世ッ!」


 桐野が悲鳴を上げる。

 彼女が己の《凶ツ弾》を《プロテクティヴ・シールド》で抑えているスキに、己本体が現世と賢治目がけて突進してきたのだ。

 これまでか――賢治がそう思いかけた、その時であった。


 ブロロロロ――ガガガガガ、ガヅンッ!!

 一台のトヨタ・カローラフィールダーのシルバーメタリックが、土蜘蛛の召喚精霊を蹴散らしながら己に激突した。

 己はカローラの上に乗りあがり、そのまま地面に放り出された。


「なっ……!?」

「涼ちゃんの車だーっ!」


 困惑する賢治と、喜びの声をあげる現世。

 カローラの左面のドアが両方とも開けられる。

 下げられたドアガラスからドライバーが顔を出して叫ぶ。


「乗ってください!」


 ドライバーは、賢治のクラスの副担任である徳長涼二だった。

 その表情は教室だとまず見ない深刻さを湛え、歴戦のつわものといった気迫に満ちている。同一人物とは到底思えない。


「賢治くん!? 何故、あなたがここに!?」

「と、徳長先生こそ、どうして」

「……いや、説明は後です! あなたも車に!!」

『に……逃がさん!』


 車に轢かれたはずの己が、こっちに向かって左手を手を向ける。


「《オーバーグロウン・グレイトヴァイン》!」


 《凶ツ弾》の力場が収束して《プロテクティヴ・シールド》を解除した桐野が唱える。


「《アブラカダブラ》!」


 それを己が、右手の杖で打ち消した。


「ハアッ!」


 運転席から飛び出した徳長が、右手で刀印(チョキの人差し指と中指が閉じた形)を作って勢いよく逆袈裟に切る。

 すると空中に真空の刃が生じ、己の杖と右腕の小手が切り裂かれた。


「おおっ! 涼ちゃんの〔カマイタチ〕なのだ!」


『くっ……。〔土還ツチガエリ〕!!』


 己は転がる癸をつかんだと思ったら、ドリルのように身体全体を回転させた。大量の泥と砂ぼこりを撒き散らしながら、みるみる地面の中へと潜っていく。


『我らは諦めんぞ!! マガツの悲願である術師界打倒! それには「門」の力が不可欠なのだ……!!』


 あっという間に、姿が見えないほどに穴へ潜ってしまった己。桐野とイソマツが「逃がすか!」と、飛び出した。


「待ちなさい、二人とも!」


 徳長が叫んだ。

 ブシュウウウウウウ――

 その時、己が空けた穴から黒い煙のようなものが爆発的に噴き出す。


「毒霧だ!!」


 イソマツが叫ぶ。

 毒霧があっという間に、賢治たち四人に迫る――


「〔円月剣風流えんげつけんぷうりゅう 鎌鼬術れんゆうじゅつ――烈風衝れっぷうしょう!!〕」


 徳長の右手から、緑色の光をまとった猛風が発生。

 黒い霧を押し返した。

 しかし、なおも穴からは毒霧が吐き出され続けた。


「あれを吸ってはいけません! 早く車に!」


 徳長が賢治たちを招く。

 賢治たちは徳長に従って己の追跡を止め、カローラの中に乗り込んだ。

 徳長は全員が乗り込んだことを確認するとアクセルを全力で踏み込む。カローラは猛スピードで発進し、充満する毒の霧をようやくのことで振り切った。

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