Report 1 賢治と現世(4)

 現世が宣言したことを、賢治は了解できずにいた。


「え……。ちょっと、どういうことだ? オレが? 魔術師?」

「おう、そうだ。おぬし、ちょっと上を見上げてみよ」

「上……うわあっ! 何だぁ!? これ!」


 賢治の頭の上には、「鍵」の形をした青緑色の光の幻影が浮いていた。

 そして現世の頭の上にも、直方体の中心に切れ目が入っている「扉」のような形をした、青緑色の光の幻が揺らめいていた。


 これら二つの青緑の幻影には、どちらもそれを投影している一筋の光があった。

 二つの光の筋は四つある時計塔の一つから放たれていた。どうやら時計盤から放射された光の筋が収束して、形作られているようだ。


「簡単にいうと、いま現世の頭の上にあるこの扉のようなものと、おぬしの頭の上にある鍵のようなもの。これらが、現世たちが所持する『ゲート』より与えられた能力、〔ポルタクレイス〕なのだ」

「『門』……何の?」

「それには、この異空間について説明せねばなるまい。ここは『霊極れいきょく Spirit singularity』といって、全宇宙の『精霊スピリット』が集まる異次元空間なのだ。ここにつながり、ここから供給される霊力が使えるようになる『門』――それがあの時計塔なのだ」


 現世は二人の〔扉〕と〔鍵〕を投影している、時計盤が青緑色に光る時計塔を指さした。


「現世の持っている〔扉〕と、おぬしが今しがた手にした〔鍵〕。これらは一つの『門』から与えられた、二つで一つの能力なのだ。だから、相棒が必要だったのだ」

「あの言葉はそういう意味だったのか……。それで、術を使うにはどうしたらいいんだ?」

「それを説明するには、先ほど言ったことのおさらいをせねばなるまい。この宇宙には形作られない『霊気サイキ Psyche』に満ちていて、これがぶつかり合うと『霊力サイコ・エナジー Psycho energy』というエネルギーができあがるのだ。これを意図的に引き起こして、『精霊スピリッツ Spirits』として現象させるのがすのが術師だと言ったであろう?」


 賢治は頷く。


「術師たちは皆、自分は『スピリット』から成る一つの生命『精霊スピリッツ』であり、世界はスピリットに満ちていると『信じること』により、術を使えるようになる。このアクションを『faithフェイス』と呼ぶのだ」

(万物は精霊……。少々スピリチュアル過ぎる嫌いもあるが、考えようによってはオレたちが知っている原子論にも通じる問題意識だな)

「イメージするのだ、賢治! 今おぬしには、目には見えねども膨大なスピリットが〔鍵〕より注ぎ込まれておると! そのイメージを『faith』するのだ!」

「分かった……!」


 賢治は集中し、意識した。

 この世界を構成するものは、全て精霊スピリット。自分はその精霊に満ちた世界の、特定の、一つの、集積体である。

 そして自分は請う。このエネルギーを、発現せしめんことを。

 すると――


「な、な、なんだこれは!」

 

 驚き、叫ぶ賢治。

 青緑色に輝く光の渦が、賢治を中心として猛烈に吹き上がる。それは、術師自身の賢治自身の身体を震わすほどであった。


「よし! いいぞ賢治! 次はコントロールなのだ!」

「コ、コントロール……、どうやって?」

「それは――」


 ヴウンッ。

 現世がそう言いかけた時、空間がぐにゃりと歪んだ。

 そして空間全体が、モニターのノイズのように揺らぎ始める。


(――な、なんだこれは?)


「いかん!! 元の空間に戻されてしまうのだ!」

「何だって!? ――う、うわあっ!」


 空間の歪みが大きくなる。

 賢治は、身体が明後日の方向へ引き込まれる感覚を覚えた。


「まだ説明しなければならぬことが山ほどあるのだが、仕方があるまい! これからしなければならないことだけ、ごく簡単に言うぞ!

 霊力は、スピリットに満ちたこの世界に波を起こす。この波のことを『霊波動サイブレーション phybration』と呼び、波の届く範囲が霊力が運動する範囲となる。この範囲のことを『霊力場サイコ・フィールド psycho field』と呼ぶのであるが、これを制御する方法の一つとして『魔装イクウィップメント equipment』がある」

「イクウィップメント?」

「古代より術師たちは術を執り行う際、様々な道具をその助けとして使ってきた。ローブ、僧衣、お札、祈りの短剣、数珠、十字架、供物、……そして杖」

「癸が持っていたようなものか?」

「そうだ。『導体』は魔装の一つだ。今、おぬしは〔鍵〕から莫大な霊力を得ている。それを使って『導体』を作ることができるはずだ」

「ど、どうやって作るんだよ?」

「これも同じだ! イメージするのだ! おぬしが考える『魔術師』の姿をイメージするのだ! 霊波動とは、いわば形作る前の粘土! それに手を加えて具体的な形にするのが『術』なのだ! この霊力の光を、おぬしの思い描く『魔術師』の衣装や持ち物に変えるのだ! 一度具体的に形作られた力場は安定するのだ!」

「で、でもどんなのを想像すればいいのか……」


 ――ズキン。

 その時、また例の頭痛が起こった。


(ぐっ、こんな時に……!?)


 賢治の脳裏に、またサッちゃんの姿が浮かぶ。


 

 ……ネイビーブルーのマントに、でっかい三角帽子。親指と人差し指と中指が空いた白手袋。そして、先の折れ曲がったトネリコの杖。……



「……おい賢治! しっかりするのだ!」


 ハッと気がつくと、現世が賢治の肩を揺らしていた。

 空間の揺らぎがひどくなっている。もう時計塔がぐにゃぐにゃになって輪郭をまともに保てていない。


「もう戻るのだ! 早く『魔術師』の姿をイメージ――」

「いや。それなら、もう大丈夫だ」


 焦る現世。だが賢治は、不敵に笑って応えた。


「どういう訳だかわからないけど……。いまオレのまぶたの裏に焼き付いている、うってつけのイメージがある……!」


 虚空がねじれ、賢治の意識は遠のいてゆく。


 ブヴヴヴヴウゥゥゥゥウウウウンンンンン――……




   ★


 荒れ果てた狭い部屋。

 横倒しにされた机。

 散らばった書類。

 カビとほこりの匂いが充満している。


 それはまさしく、さっきまでいた廃屋の中の光景だった。

 賢治は、時計塔の異空間から戻ってきたのである。


(どうやら、無事に帰って来られたようだな……)


 しかし、あの異空間に行く前とは違うものもいくつかあった。

 

 完全に割れてぽっかり空いてしまった窓。

 賢治たちを中心として、吹き飛ばされたように散乱する小物。

 そして、床に転がる癸。


「な……なんだ。どういうことだよ。何でクソボウズの方まで、魔装をしてやがる……!」


 狼狽える癸。

 賢治に杖を向ける。

 

(――!)


 賢治は反射的に、右手に持っていた何かを癸に向ける。


 それは、白昼夢の中の女性が持っていたトネリコの杖だった。


 杖を握る手は、親指と人差し指と中指が空いた白手袋をはめている。

 そしてネイビーブルーのマント。

 頭の違和感は、でっかい三角帽子を被っているからだ。


 その時、賢治は自分が初めて『魔装』をしていることに気づいた。


「ファ、ファッ、《ファイアボール》!」


 癸の杖の先端に赤い光が灯る。そして、火の玉を形作っていく。


「打ち消すぞ、賢治!」


 賢治は声が上がった方を振り向く。

 そこには異空間のときと同じように、赤いハードカバーの本になった現世が浮かんでいた。

 現世も無事戻ってきたようだった。


「打ち消す……? あの《ファイアボール》って術をか?」

「そうだ! この『サークル』と、[]大カッコの中の『フォーミュラ』を見ながら、二重カギかっこ(《》)のなかの『呪文スペル』を唱えるのだ!」


 現世が映し出されている左側のページの反対側のページに、文字と円陣、そして数学の公式のようなものがが浮かび上がる。


       《Abracadabraアブラカダブラ


       [MEK: TS = 0]


A B R A C A D A B R A

 A B R A C A D A B R

  A B R A C A D A B

   A B R A C A D A

    A B R A C A D

     A B R A C A

      A B R A C

       A B R A

        A B R

         A B

          A


 考えている余裕はなかった。

 現世の言うとおり、この奇怪なイメージを目に焼き付けて、《》の中のスペルを音読することにした。


「《アブラ……カダブラ》!」


 男の杖先つえさきについた火の玉が完成し、発射された。

 だが火の玉を割るように、《アブラカダブラ》の円陣が空中に浮かび上がる。

 パキィン! と音を立てて、火の玉は消えてしまった。

 賢治の術が、男の術を打ち消したのだ。


(す……、すげえ! 本当に打ち消してしまった……!)


「よくやった賢治! 呪文の『詠唱えいしょう Chant』とは、術師がこれからこの世界に『ある運動』を働きかけるという宣言なのだ! それを今、おぬしは見事成功させたのだ!」


 現世が、賢治の初めての詠唱を褒めたたえた。


「て、てめえ! さっきまでは、何の力も持ってないただの小僧だったじゃねえか! 〔ポルタ〕のガキもさっきまで力を使えなかったのに! なんだってんだ!!」


 癸が吠えた。

 だが喚いた途端、癸は何かに気づいたように表情を一変させた。


「ま、まさか。てめえ――」

「そうだ。たった今、現世が持つ〔扉〕の力の相棒である〔鍵〕の力を、賢治は手に入れたのだ」


 現世は、不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「し、信じられねえ。いくら〔鍵〕の保有者になったからって、いきなり術を使えるなんて……。おいガキ!! てめえ、一体何なんだ!!」


 狼狽した癸が、そう怒鳴り散らした。


(そう……。この男が言うとおり、オレはさっきまで、何の力も持っていなかった。

 だけどオレは、何故かこの力を、この力を何と呼ぶのかを知っていた。そして、この力を使えるものが、何と呼ばれるのかを!)


 賢治は目をカッと見開き、こう宣言した。


「魔術師――青梅賢治!」

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