円島編

魔術師誕生篇

Introduction

 “Goetiaゲーティア”と表紙に記された赤いハードカバーの魔導書が、開かれた状態でふわふわと浮かんでいた。

 この魔導書は奇妙にも、右側の頁が何も書いておらず、左側の頁には映像が映し出されている。

 映し出されているのは、長い黒髪をなびかせた十歳くらいの女の子であった。


 少女の映像が浮かぶ魔導書の隣には、青いマントと三角帽を装着した極端に小柄な少年が立っていた。少年は自分の背丈の半分もあろうかという杖を、目の前に立つ大男に向かって突きつけている。


 少年に杖を突きつけられている筋肉隆々で人相の悪い男は、少年に対抗するように指揮棒のようなものを突きつけていた。何故かその髪はチリチリに焦げていて、着ているミリタリーベストは煤とホコリだらけだった。

 

 月輪山つきのわやまの麓の沢に建てられた廃屋のなかで、奇妙な三人が揃って緊迫とした表情でにらみ合っていた。


「ファ、ファッ、《ファイアボール》!」


 男が狼狽した声色でそう唱えると、指揮棒の先端に赤い光が灯る。

 そして、火の玉を形作っていく。


「打ち消すぞ、賢治けんじ!」


 赤い魔導書に映し出された少女が言った。

 何も書かれていなかった魔導書の右側に、文字と魔法陣が浮かび上がる。


       《Abracadabra》

 

A B R A C A D A B R A

 A B R A C A D A B R

  A B R A C A D A B

   A B R A C A D A

    A B R A C A D

     A B R A C A

      A B R A C

       A B R A

        A B R

         A B

          A


「この『サークル』を思い浮かべながら、二重カギかっこ(《》)のなかの『呪文スペル』を唱えるのだ!」


「《アブラ……カダブラ》!」


 賢治と呼ばれた少年がそう唱える。

 男の杖先つえさきについた火の玉が完成し、発射された。

 しかし、であった。

 パキィン!

 火の玉を両断するように《アブラカダブラ》の『陣』が出現する。その瞬間、『陣』と火の玉の双方がガラスの割れるような音を立てて、消えてしまった。

 賢治の術が、男の術を打ち消したのだ。


「て、てめえ! さっきまでは、何の力も持ってないただの小僧だったじゃねえか! そして、〔ポルタ〕のガキもさっきまで力を使えなかったのに! なんだってんだ!!」


 男が吠えた。

 だが喚いた途端、男は何かに気づいたように表情を一変させた。


「ま、まさか。てめえ――」

「そうだ。たった今、現世げんせが持つ〔ポルタ〕の力の相方である〔クレイス〕の力を、賢治は手に入れたのだ」


 自分で自分のことを「現世」と呼んだ少女が、不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「し、信じられねえ。いくら〔鍵〕の保有者になったからって、さっきまで汎人コモニスだった奴がいきなり術を使えるなんて……。おいガキ!! てめえ、一体何なんだ!!」


 狼狽した男が、そう怒鳴り散らした。

 その時、賢治の脳裏に一つのイメージが浮かんだ。

 それは、今よりも幼い姿の賢治が、ある女性と話しているというものだった。


 原っぱ。

 夏の青空。

 青と緑の境界線。

 空の色のように、濃いネイビーのマントと三角帽を被った長い黒髪の女性。

 その手には、絵本でよく見る持ち手が曲がった杖が握られていた――


 ――次に君はこう思う。『この人、何なんだろう』と。何だと思う?


 ――魔術師?


 ――そうなんだけど、それは『私が何であるか』の正確な答えじゃあないな。


 そして女性は不思議な言葉を唱えた。

 すると杖には、光が満ちてきて……。


(……そう。この男が言うとおり、さっきまでオレは何の力も持っていなかった。

 だけどオレは何故かこの力・・・を知っていた。この力を何と呼ぶのかも知っていた。そして、この力を使える者・・・・・・・・が何と呼ばれるのかを!)


 追憶が終わる。

 賢治は目をカッと見開き、こう宣言した。


「魔術師――青梅賢治おうめ けんじ!」

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