第十四話 夜半の謁見

「アルヒ・クリーヴズ。貴様は規則を破った。故に本日は終日剣を握ることを禁じ、外周を走ることを命ずる」


 アルヒは冷淡な口調で告げた萌葱色の騎士オーブリーを見据え、敬礼する。


「はい」


「いいか、クリーヴズ。貴様の王族への冒涜行為は騎士団長と第三王女によりなかったものとされたが、討魔騎士としての役目を果たさなかったことは許されざる行為だ。貴様もだぞ、ベネット・バックス!」


「はいはーい。分かってますって、隊長。だからこうして大人しくしてるんですから」


 アルヒの後ろで、いつの間にいたのかベネットがひらひらと手を振ってオーブリーの怒鳴り声を受け流す。

 オーブリーはそんなベネットに注意はせず、カチャカチャと鎧の音を鳴らして腕を組んだ。


「貴様、私を恨んでいるか?」


 その問いにアルヒはやや目を見開いてオーブリーの顔を見る。

 彼の顔は鎧に隠されているので表情は不明。声からも、心境を窺うことはできない。

 しかしアルヒははっきりと言い切った。


「恨むだなんてありえません。むしろ、機会を作ってくれたことに感謝してるくらいですよ」






 ページを捲る乾いた音が室内に響き、アルヒは眠気に誘われて瞼を閉じかける。慌てて瞼を引き上げ、ぶんぶんと頭を振る。

 本を読むのは苦手だ。横に大量に並んでいる文字列を見ると、催眠にかかったような気分になってすぐに眠くなってしまう。

 いつもならすぐに諦めるが、今は自分から始めたことなのでそういうわけにもいかない。


 頑張って5ページほど読み進めたところで、扉の開く音が聞こえた。

 顔を上げると、やや驚いたような表情を浮かべたリアムがアルヒを見下ろしていた。

 風呂に行ってきたのか、手には脱いだ後の騎士服が入った籠が提げられている。


「おつかれ」


「おう。お前はいつ終わったんだ?」


「1時間前くらい?」


「それで、終わったから優雅に本を読んでいる、と。ジャンルは? まさか俺のじゃないよな」


「ないない。ネヴィルさんに借りたんだ。ジャンルはなんだろう、歴史? 歴代聖女の情報が書いてあるんだ」


「ふうん」


 と言うとリアムはアルヒから本を奪い取り、表紙を眺めたあとペラペラと流し読みする。


「セルマ・ビザンティオン──最後に載ってるってことは、こいつが一番新しい聖女か。……いや、今はお前の妹が一番だったな。へえ、この人は亜人族だとよ。聖女って純粋なヒトじゃなくてもなれるんだな」


「しかも確か、セルマさんは双子で、双子の姉の方も聖女だったはずだ」


「ほんとだ。ステラ・ビザンティオン。ん? 所属が違うぞ。こっちはナンドリスで、妹の方はケトポールだ」


「それは確か、同盟でも結んでたんじゃなかったか?」


 ナンドリスもケトポールも、アルヒの生まれたフィランツェと同じく王国で、立地的にはこちらからだと少し遠いが両国は隣接していたはずだ。

 両国は昔から仲がよく、双子の聖女を分け合っているのも、おそらく聖女の均等をうたった同盟のせいだ。


「ふうん。大人の事情、ってやつね」


 リアムが知らなかった、というように鼻を鳴らす。その態度がアルヒには意外だった。


「っていうか、お前が知らないんだな。よく本読んでるし何でも知ってるんだと思ってた」


「何でもはないだろ。俺が興味あるのは悪魔のことだけだ。聖女なんかには興味ない。……お前こそ、頭悪い割にはその辺知ってるんだな」


「守りたい人が聖女だから、少しでも知りたいと思って」


「ふうん? そういや、お前その、守りたい人ってのに会ってきたんじゃなかったか? その後に聖女関連の本を読んでるってことは──」


 リアムが全てを口にする前に、アルヒは大きく頷く。


「そうなんだ。気になることがあって。リアムは知らないか? 聖女になって、見た目が変わった人が過去にもいたかどうか」


「──さあ。知らないな。そもそも興味がないし、実家の図書室でもそんな感じのことが書いてありそうな本はなかったはずだ。読んでみた感じ、この本にもそのことは書いてなかったぞ」


 リアムは言いながら、持っていた本をアルヒに投げる。それを慌てて受け止めると、アルヒはもう一度本をめくった。

 確かに、冒頭にはそのような人物はいない。


「詳しいことってのは、そういうまとめ本じゃなくて個人個人の伝記とかに書いてあるもんだぜ。聖女のってなれば、伝記はほいほい見つかるはずだ。町の市場にも売ってるんじゃないか?」


「確かに。次の休暇日に探してみる」


 休暇日は一か月に一日だけで、騎士として就任した日から一か月後ごとに設定される。なので、初めてのアルヒの休暇日は8月の11日。

 クリーヴズ家に帰りたいところだが、一日で行って帰ってくるのは不可能なので恐らく一番近くの町に外出するだけになるだろう。


「……で。お前昨日、何があったんだ? 俺は聖女のことなんかより、お前が王都に出かけて一日で帰ってきた、なんて馬鹿げたことができた理由を知りたいね」


「話せば長くなるんだが……」


「手短に話せ。俺の今夜の予定は詰まっている」


 ──どうせ本読むだけだろ……と思ったとは口にせず、アルヒは昨日の朝から始まり今朝に終わった激動の一日の概要を話し始めた。



 王都に着いたアルヒは、真っ先にエリーの元へ──、



「いや。待て待て。何で着いたとこから始める? そこが重要だろ。王都までクソ遠いのに、半日ちょっとで着くはずがない。明らかにおかしいだろ」


「頑張って走っただけだよ。短くしろって言ったのはお前だろ? 一文も言い終わる前に止めるなよ」


「走っただと? いやいやお前……」


「いいから。続けるよ」



 ──向かった。

 しかし、アルヒが会ったエリーはアルヒの自己紹介に対し、期待していたものとは全く違う反応を見せた。

 「あなたは誰ですか」と首を傾げたエリーの瞳は、以前の彼女が持っていた宝石のような赤い輝きを失っていた。

 問われた瞬間、アルヒはたじろいだ。まさかそのようなことを開口一番に聞かれるとは思ってもみなかったからだ。

 驚いたアルヒは何も言葉にすることができなかった。

 彼女がそのあとに口にした言葉も耳に入らず、ただ口を開けてばかりいた。


 ようやく我に返って目的を思い出し、次の行動に出ようとした途端、アルヒの体は茨に覆われた。

 彼女は言った。

 「あなたが誰かは存じ上げませんが、ここはあなたのような方が来るべき場所ではありません」

 茨が全身を覆い、アルヒの眼前に美しい青い薔薇が一輪咲いた。閃光が迸ってアルヒの目を焼くと、気づけばアルヒは自室にひとり立ち尽くしていた。


「………………なるほどね」


 長い沈黙が続いたあと、リアムは自分を納得させるように首肯した。


「お前が今朝いきなり部屋ん中で突っ立ってたのはそういうことか。で、聖女について調べてんのも王女聖女の変わりようが気になったってことね」


「そういうこと。てか、王女聖女って何だよ」


「それが一番特徴を捉えてて簡潔だろ?」


「いや、簡潔ではないし名前の方が早い……まあ、別にいいけど。実は、俺の妹もエリーとおんなじでさ。見た目が。二人とも聖女だから、何か関係あるのかなーって思ったんだ」


「お前の割には論理的な思考だな。いや、そこに行きつくのは当たり前のことか。大して論理的でもない。しっかし、忘れられてた割にはお前、凹んでないな?」


「ベネット先輩にも言われたな、それ。俺も凹んでないわけじゃない。びっくりしたし、すっげえ悲しかった。だけど、凹むより何か方法を探す方がいいかなって。エリーが暗くなったのには理由があるはずだ。最悪、俺のことは忘れたままでいい。ただ、もう一度笑ってほしいんだ。あんな……あんな部屋で、あんな顔で、あんな目で、昔みたいに笑ってるとは俺は思えない」


 今朝、外周を走っている間にベネットからされた質問に対しての答えと同じものを、リアムの前でも繰り返す。

 異様なまでに薔薇に覆われた室内、血の気が引いて隈が目立つ肌、こちらを見ているともわからない虚ろな目。今のエリーを構成する全てが、アルヒの知っている彼女ではなくなっている。

 違っていても、幸せなのならアルヒは否定しない。だが、そうではないから、アルヒはどうにかしたいのだ。


「ふうん。たいそうご立派な考えで。ま、頑張れよ。一応、応援はしといてやるぜ」


「そこは手伝ってくれるんじゃないのかよ」


「アドバイスはしたろ? これからどう動けばいいのか分からないときは本を読むのが一番だ。予想外の収穫が得られるかもしれない。じゃ、もう話しかけんなよ。俺は本を読む」


「ありがとう」


 机に向かい始めたリアムの背中に感謝を伝え、アルヒもまた本を読み始める。

 しかしやはり眠くなってきてしまって、リアムの机の燭台が光っているのを眺めながらアルヒは眠りに落ちた。






「グレース・クリーヴズ、世界樹の使者よ。汝が余の配下となったことを喜ばしく思う」


 無感情な低いため息のような声がただ一人に向かって投げかけられる。

 投げかけられた灰髪の少女、グレースは膝をつき、床に目を落としたままで微動だにしない。


「さて、汝に質問だ。汝は世界樹の使者である。そして、汝には汝以外の使者がいる。そこの第三王女のようにな。汝は──」


「知りません」


 言い終える前にグレースは先を予想し遮る。

 相手は王だ。通常であれば許される行為ではない。

 しかし、王がそのようなことで怒り狂うような人物ではないことをグレースは知っている。


「ほう。余の言葉を遮るとはな。余は寛大ゆえ咎めぬが、その言葉は本当か?」


 グレースは答えない。


「まあよい。しかし汝も使えぬとはな──」


 王は独り言ののち、何かを考えるように鼻を鳴らした。


「──して汝、その束縛から解放されたいか?」


 唐突な問いに、グレースは今も彼女と彼女の兄の命を縛る蔦を首に感じながら、小さく頷く。


「ならば余と余の国に貢献せよ。その活躍を余に知らしめ、汝こそが強者であることを証明せよ。第三王女の足元にも及ばぬ今では、自由を主張する権利すら汝にはない」


「かつ、やく……」


 グレースには王が何を言いたいのかわからなかった。

 活躍とは何だろう、この力を使っていったい何をしろというのだろう──。

 その答えは、少しの沈黙の後に王がはっきりと告げた。


「数か月後にヴォルドリー王国が我が国に攻め入ってくる。汝は世界樹の使者として我が国を守護せよ。──兄を守りたくばな」




 国王が告げた開戦の兆しは、その約4か月後のヴォルドリー王国による宣戦布告によって現実のものとなった。

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