第十三話 青薔薇の庭園

 辺境の地にある討魔騎士団支部から王都までは、かなりの距離がある。

 魔法のかかった馬車を使えば1時間とかからないが、ただの馬を走らせるとなれば何度か宿を借りなければならない。

 それでもアルヒが王都へ向かうのには、確信があったからだ。

 エリーなら友人であるアルヒのお願いを聞いてくれる。

 彼女にもなにか事情があって、こんな魔法をかけなければならなかったのだ。

 だから、ちゃんと説明すれば、納得して魔法を解除してくれるはず。


「そうだろ、エリー……!」


 手綱を握る手が自然と固くなる。

 一刻も早く彼女に会わないと、取り返しがつかなくなる。そんな予感がアルヒを襲っていた。

 どうか、優しくて勇敢なエリーのままでいてほしい──。今やそう願うことしか、アルヒにはできないのだから。






 一枚の青い薔薇の花弁が瞼の上に舞い落ち、彼女は目を開けた。

 青黒く染まった天蓋を見つめたまま、彼女は動かない。

 声を発することも、壊れた呼び鈴を鳴らすこともなかった。


 彼女が再び瞼を下ろすと、部屋のカーテンがひとりでに開き、月明かりを暗い室内に映す。

 満月の明かりを受けて、部屋一面の薔薇の花々は一層妖しく咲き誇る。

 まるで、今朝の大仕事の休息を取るかのように。


 一方、薔薇が回復する度に彼女の身体は蝕まれていく。

 彼女は長い長いため息をついて、体を起こした。

 いつも浅くしか眠れないが、今夜は一睡もできそうにない。

 そんな憂鬱を抱えたまま、彼女は寝台から這い出た。


 むき出しの足が花弁を踏み、冷たい感触を伝える。彼女はゆっくりと花を踏みしめながら窓まで歩くと、窓に手をかけて月を見上げて呟いた。


「望月でさえも私の瞳は照らさない──」


 それは、禁書庫の奥深くに眠った一冊の童話の、王女の台詞。

 監禁された王女は、天井に嵌め込まれた窓を眺めて自身の不遇を嘆いた。


 しかし、彼女はそれにあやかったというつもりはない。

 彼女は、自分は決して監禁されているわけではないと思っていたからだ。それに、自分を迎えに来る者などいないとも。


「かるれども月を眺むる花白雪ふる心はかくるることなし」


 レミニス語で歌われたこの歌は、ナンドリス王国の古い歌集にある恋歌だ。

 待ち人を望み、離れてもなお薄れることのない恋慕を告げた歌。


 彼女は一人でいると何かを呟く癖があった。しかし呟く内容が彼女自身の心境に密接しているとは自覚していないので、王女の台詞も恋歌も何となく呟いたに過ぎない。

 だが、何かが違う。


「何か、が──」


 胸の奥に沈殿した憂愁を吐き出すように彼女はため息をついた。

 それと同時に、窓の外、青薔薇の庭園にて、剣戟の音が鳴り響いた。






 時は、わずか数分前に巻き戻る。


「──着いた。ここが、エリーの……」


 王都の中央には王族たちの住む宮殿がある。王都の3分の1を占めるその敷地の東方の端に、それはあった。


 黒く染まった壁に、屋根から壁まで全てを覆う青い薔薇と蔦。庭園と呼べるほどのものはなく、壁から地面に這い出た薔薇がその役割を果たしている。

 王の宮殿より遥かに小規模な建物。それが、第3王女エリーに与えられた唯一の寝所だった。


「使用人はいない──か」


 アルヒがここまで辿り着けたのは、王宮の使用人にこの場所を聞いたからだ。

 王宮に入ろうとするとすぐに呼び止められたのだから、普通ならここでも呼び止められるはずなのだが。

 なぜか、ここには使用人と呼べる者はいないようだ。


 しかし、それならそれでいいとアルヒは構わず歩を進める。

 ドアの前まで来てノックしようとして、動きを止めた。

 ノックして、彼女が出迎えて、後は何を話せばいいのだろう。言いたいことも、願いもちゃんとまとめてきた。

 だが、第一声は? 久しぶりに会う彼女に、始めに何と言えば、笑ってもらえるのだろう。喜んでもらえるのだろう。


「いつもなら──」


 ここで悩んだりはしない。心の赴くまま口の開くままに話すだけだ。それで好かれようが嫌われようが関係なかった。

 だが、彼女は違う。大事な人だ。傷つけたくも、傷つけられたくもない。


 考えて考えて、しかしアルヒは諦めた。

 自分が、考えるのに向いていないのはよく分かっている。

 師匠であるクラレンス・キースリーにも、考えていない方がよっぽど身体がよく動いていると言われた。

 だから諦めて扉を叩こうとして──、


「おい、そこの白髪しらが。何をしてる」


 上から降り掛かってきた威圧感のある声に、アルヒは再び叩こうとする手を止めた。

 青さが残りながらも、人生を諦めたかのような、冷たく大人びた、だがアルヒにとっては聞き慣れた声。


「バージル」


 アルヒが後ろを向くと、上から白い人影が舞い降りてきた。

 コツ、とブーツの音を静かに鳴らして立ったのは、白い騎士服に身を包んだ人物。

 聖騎士であることを物語るその装いにアルヒは歯痒い思いを感じながら、笑みを浮かべた。


「久しぶり、バージル。元気だった?」


 挨拶も虚しく、彼は眼帯のついていない方の目でアルヒを鋭く睨んで、ゆっくりと腰の剣を抜いた。


「警告する。ここは第3王女殿下の居館だ。国王命令により、館への侵入及び王女との面会は一切禁止されている。即刻立ち去れ。警告に背く場合、この聖騎士団青薔薇隊所属バージル・キースリーがお前を制圧、連行する」


 あたかも他人のように振る舞うバージルに、アルヒは寂しさに顔を歪める。

 しかし、ここで感傷に浸っている場合ではない。

 アルヒもまた剣を抜き、鋒をかつての親友に向ける。


「──ゴメンだけど、俺も譲れないから」






 キイン、と高い音が響き、くるくると剣が舞って地面に落ちる。

 アルヒはその剣の金の柄を見下ろして、自分の汗を拭った。


「また、か」


 アルヒは剣を失って立ち尽くすバージルに目線を移す。

 彼は肩を竦めると剣を取り戻し、鞘に収めた。

 その動きを見てアルヒも剣を収め、口を開く。


「なにが?」


「……殿下の部屋は2階の東側の角だ。バルコニーから声をかけると応えてくださる、かもしれない」


「ありがとう。ゴメン、気を遣わせて」


「だったらもっと頭を使え」


「それは無理だって。バージルも俺の頭の悪さぐらい知ってるだろ」


 アルヒがそう言うと、バージルは何か思うところがあるように口を開いた。だが、彼は何も口にすることなく踵を返して行ってしまった。

 バージルはアルヒに何を考えて欲しかったのだろうかと考えてみるが、相変わらずの頭足らずなので何も浮かばない。

 違和感ならあるにはあるが、それが何なのか言語化できない。


「ま、いいや」


 アルヒはまたも思考を放棄し、小走りを始める。

 目的は、エリーに会うこと。それだけだ。


「よっと」


 アルヒは跳躍し、飛び出た2階のバルコニーの床を掴む。

 その時に建物を覆う薔薇の棘が手袋越しに刺さったが、痛みより覚悟が勝った。

 棘を気にせずアルヒは手に力を入れ、飛び上がってようやくバルコニーに着地する。


 薔薇の花だらけの床に驚きつつも顔を正面に戻すと、アルヒは自分の胸が高鳴ったのを自覚した。

 窓越しに、一人の女性がこちらを驚いた顔で見ていた。

 長い灰色の髪に、白い肌と濁った赤い瞳。特徴だけ言えば妹のグレースにそっくりだ。

 しかし、アルヒはその女性が間違いなく自分がずっと想ってきた人だと確信する。


「エリー……」


 彼女は目を丸くして、ひどく驚いた様子だった。

 アルヒはその驚きをどうにかしてあげようと、大声で精一杯に言う。


「俺は、アルヒ! 昔エリーに会ったことが会って、あっと、妹がいるんだ! グレースって名前で! 最近会ったはず……! 今日は、お願いがあって来たんだ! 急に来ちゃってゴメン、びっくりさせたよな。でも、聞いてほしくて! その──」


 アルヒがそこまで言うと、彼女は窓を開けた。

 嬉しくなったアルヒが話を続けようとすると、彼女はアルヒを訝しむように見て、氷のような声で告げた。


「あなたは……誰ですか?」

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