第十一話 棘

 翌朝、アルヒは奇妙な時間に目が覚めた。昨日ベネットが起こしに来たのよりもっと早い時間だ。

 しかしアルヒにとっては早くとも、同室のリアムにとってはいつも通りの起床時間だったらしい。彼は既に黒い騎士服に身を包み、部屋を出る用意を整えていた。


「──お。起きたのか。昨日よりは早いみたいだな」


「リアム……。お前、なんでこんなに早いんだ……?」


 壁時計の針が指すのは、ちょうど朝の5時。朝礼が6時からだから、起きるにはまだ早い。


「自主練だよ。……んじゃ、俺は行ってくる。お前はどうせ二度寝だろ? 朝礼でな」


 背中を向けてひらひらと手を振り、リアムは部屋を出ていってしまった。あまりにも早く、自分も行くと言う暇さえなかった。

 しかし、おかげで目が覚めた。


「俺も、さっさと着替えてさっさと素振りしよ」


 ベッドから飛び起き、背伸びをする。隊服に手を伸ばし、ふと昨晩のことを思い出した。

 妹は、グレースはどうなっただろうか。ここから首都まではそれなりの距離があるので、馬車とはいえど王城にはまだ着いていないだろう。早くとも今日の夜には到着するだろうが、それにしても──。


「グレースが聖女、か」


 にわかには信じられない。いやもちろん、グレースが世界樹に選ばれたことは嬉しいのだが、素直に喜べない気持ちもある。


 聖女──すなわち『世界樹の使者』の力は、この世界において特別な意味を持つ。

 ひとつは、その者が世界樹に選ばれし7人のうち1人であること。

 もうひとつは、その者は世界を守るために生涯を捧げなければならないということ。

 この2つは持たない者にとっては羨望の対象であり、嫉妬の対象でもある。


 ──そして、持つ者にとっては、死ぬまで自らを縛りつける呪いである。

 ある者は、その苦悩が故に自ら命を絶った。

 そしてまたある者は、力を狙われ戦争の引き金となった。

 非人道的な扱いをされるのも、明らかにはなっていないが日常のことである。


 アルヒの知人も、力が故に最前線に立たされ、慣れない戦いに見を投じたが為に、悪魔に喉を噛み千切られて命を落とした。


 今現在、聖女であることが判明しているのはグレースを除き、この国の第三王女ただ一人である。

 彼女は、『世界樹の使者』であることを明かした宴会以来、一度も公式の場に姿を現していない。

 彼女が他の王族たちとは違う扱いを受けていることは、間違いなかった。


 今回グレースが連れて行かれたのはもちろん、聖女の力で国に貢献せよという王令を発するためだろう。

 王国民であるグレースにそれを断る権限はない。もちろん、アルヒも反対することはできなかった。

 ただ黙ってグレースが馬車で連れていかれるのを見送り、日常が壊れていく未来を身体を震わせながら待つしかないのだ。


「──そんなの、お断りだ」


 妹は、妹だけは、アルヒと違って平穏に生きてほしい。

 それなら、アルヒにできることはただ一つ。


「絶対に、聖騎士になる」


 聖騎士になって、エリーも、グレースも守る。少しでも、彼女たちが安心して生きられるように。

 ──日常が、少しでも長く続くように。






「うぅ……」


 ぼんやりと意識が浮上してきて、グレースは声を漏らしながら目を覚ました。

 ピントの合わない視界はやけに明るい。

 何度か瞬きを繰り返し、完全に意識が回復したのを感じてグレースは体を起こした。


「──っつ」


 頭が痛い。棘でも刺さったかのような痛みだ。

 どうしてこんなに頭が痛むのだろう。何があったのだろうか──。


「そっか、私……」


 倒れる前のことを思い出して、グレースははっと息を呑んだ。

 王宮で倒れたのだから、グレースが今いる場所は決まっている。

 赤いカーペットと白い石の床、カーペットの伸びる先には大きな椅子に妙齢の男が腰掛ける。

 初めて目にした場所、初めて訪れる場所だ。だが、男のことは知っている。

 何度も目にし、しかし一度も相対することはないだろうと思っていた存在。


「王──」


「──ようやく目を覚ましたか。目が覚めたのであれば疾く起きろ。汝のその力がなければ、すぐにでも首を落としていたところだ。──女。これ以上余を苛立たせるな。早急に膝をつき、余に平伏せよ」


 そう傲慢で緩慢にグレースを見下ろす男は、ルイス・ルアン・フィランツェ、この国の王その人である。






「汝が『世界樹の使者』であることは既に耳に入っている」


 高飛車に話すのは、やはりフィランツェ国王だ。

 この場でグレースが身勝手に口を開くことは許されていない。また、グレースは膝を床について最大限に頭を下げている。

 屈辱的だった。しかし、これ以外の行動を取ることは即ち自らの命を捨てることと同義。

 下手したらグレースだけでなく、兄と保護者も首を落とされてしまう。

 それだけの威厳と風格、そして悪名を国王は有していた。


「先ずはこの国に新たな光れる枝が誕生したことを讃えよう。さて、余は長い話は好まない。余の言いたいことは分かるな?」


 問われ、グレースは下唇を噛む。

 この場でグレースは国の為に力と命を捧げるとそう言えば、何事もなく解放される。しかし、その先の未来が保証されるわけではない。

 グレースが兄と一生会えなくなってしまう可能性だってある。

 だが、グレースには力があるではないか。何の、どんな願いでも叶えてくれるこの力が。


「──っ」


 グレースは立ち上がって、右側の壁にある窓に向かって走った。立ち上がってから窓に到達するまで、0.5秒とかからなかっただろう。

 拳を作って窓を割り、グレースは窓に足をかけようとした。

 しかし──、


「ぅ……ぐぅ」


 それは成らなかった。何故なら、何かが酷く首を締め付けて、グレースの動きを止めてしまったから。

 グレースは堪らず窓から足を外し、地面に倒れ込んだ。夢中で首を掻きむしって、でも苦しいのは取れなくて、何故か痛む手を見た。

 首を絞める何かを掴んだだけのはずなのに、手は血だらけになっていた。

 それでもやっぱり苦しくて、グレースはまた首に触る。


「いっ──」


 今度こそ、グレースは痛みの正体に気が付いた。血だらけになった手を見て、荒い呼吸を繰り返す。

 棘だ。無数の棘が、グレースの首と手を刺している。

 早く、止血しなければ。でないと、溢れたちが多すぎて、死んでしまう。

 でも、どうやって。人を、自分を癒やすには、どうすればいい。傷つけるのではなくて、治療しないと。


「わ、からな……い」


 分からなかった。傷つけてばかりのグレースには、人を癒やす方法など分かるはずもなかった。

 グレースは血を失いすぎて朦朧とする意識の中、必死に助かる方法を探した。

 血は止められなくとも、この痛みの原因を取り除けば。

 グレースの力なら、出来るはず。出来ないことなど、無いのだから。血を止める方法は分からない。だが、分かる方法で。頭の悪いグレースでも、思いつく方法で。


「ぁ──」


 棘に手を触れて、火で燃やそうとした。だが、痛みは消えなかった。棘もまだ残っている。血は流れ続け、グレースの命を削っていく。


「し、にたくな──」


「──ふん。使者と言えどそこまでか。つまらぬ。もう少し面白いものが見れると思っていたが、汝の力はそこまでのようだな。浅はかで、高が知れている。第三王女、汝の力には到底及ばぬ。しかし、失うのには惜しい駒だ。当初の予定通り、術は外さず適当な部屋に閉じ込めておけ」


「承知いたしました」


 凛とした声が頭上で響き、グレースは驚く。

 昔聞いたことのある声だ。しかし、昔より落ち着いていて、少し暗いように思える。


「グレース・クリーヴズさん。痛いですか? 自分では治せませんか?」


 聞かれるが、グレースは答えられない。答えられないほど、弱っていた。

 しかし『彼女』はそれを是と受け取ったのか、しゃがみ込んでグレースに触れた。


「すみませんが、私も治せないんです。取り敢えず蔦は緩めるので、ゆっくり、落ち着いて呼吸してください。死にませんから。──たぶん」


 灰色の長髪。濁った血のように赤い瞳。血の気のない、青白い肌。目の下に出来た、大きな黒い隈。

 全てが、グレースの知っている『彼女』とは違った。なのに『彼女』だと分かるのは、強烈に香る薔薇の香りがあるから。


 ──エリー・ラ・フィランツェ。それが、目の前の儚くも美しい女性の名前だった。

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