第十話 グレース・クリーヴズの憂鬱

「お前の妹がお前の前で連れて行かれたあ? ついに捕まったのか?」


 片眉を上げて口を半開きにしたリアムに、アルヒは苦言を呈す。


「違う違う。捕まってない。つか、ついにってなんだよ。ついにって。グレースは捕まるようなことをする子じゃない」


「いやいや。ここに無断に入ってくるような奴が捕まらない方が可笑しいぜ。それで? なんで連れてかれたんだよ」


「それは……」


 アルヒは、昨夜の事実をリアムに告げるべきか迷う。しかし、いずれ露見することだ。


「隊長は、グレースが聖女──『世界樹の使者』だって言ってた」


「お前の妹が聖女ぉ? それ、本気まじで言ってるのか」


「マジマジ」


「はあ? にわかには信じられないな。つか、隊長はいつ気付いたんだ?」


「さあ。何か、グレースと隊長で戦ったらしい。俺が来たことで止まったみたいだが……」


「ふうん? じゃあその時に気付いたってことか。あ、いや、その前に気付いてた可能性もあるな。で? 今は妹さんどこにいるんだ? どこに連れてかれた?」


「──王宮だ。国王に謁見する、らしい」






「どうしてこんなことに……」


 いつもより乗り心地の良い馬車に揺られながら、グレースはため息をついた。

 どうしてもこうしても自分のせいなのだが、他人のせいにせずにはいられないのがグレースの性分だ。

 だから今もこうして、目の前に座る全身鎧の怪物を睨みつけている。


「グレース・クリーヴズ。貴様、いつからその力に目覚めた?」


「いつからって──」


 今まで秘密にしてきたことだが、もう言い逃れはできないようなので正直に答える。


「記憶がない時から。気付いてたのは母さまだけ。だから兄さまもおじさまもおばさまも知らない」


「──生まれた時からということか」


「そうなんじゃない? それで? あんたは私をこれからどこへ連れてこうとしてるの?」


「話し方が変わったようだな」


「敬語を使うのは疲れるのよ。ほら、下手くそだったでしょう? 私。あと、質問には答えてほしいんだけど」


「今から行くのは王城だ。国王陛下に謁見する」


「王様!? どうして」


「貴様がこの国で2番目の聖女だからだ」


「聖女、ねえ」


 グレースは意識のあった時から力を持っているが、それが巷では『聖女』と呼ばれるものの力であるとは知らなかった。

 それに気が付いたのは、13歳の10月。忘れもしない、『彼女』が聖女であると公に発表され、グレースが兄を精神的に失った日。

 あの日、『彼女』の変わり果てた姿を目撃し、共鳴した瞬間、グレースは自覚した。

 『彼女』と同じ、自分もまた、『世界樹の使者』であるのだということを。


 当初、そのことを兄にだけは明かそうと考えていた。しかし、それは成らなかった。

 兄はあの日以来、人が変わったように剣に打ち込んだ。グレースを見てくれなくなった。

 打ち明ければ、グレースを見てくれたかもしれない。だけどそれでも、『彼女』に勝てる気がしなかった。

 明かしても兄が振り向いてくれなかったら。兄に見捨てられてしまったら。

 兄はそんなことはしないと分かっている。しかし、見てくれたとしても、その兄は自分の好きな兄ではないだろうと思った。

 だから、グレースは言わなかった。今日の今日まで。誰にも、明かさなかった。


「──それで? 王様に会った後はどうするの? 私、早くうちに帰りたいんだけど」


「残念ながら、貴様が家に帰れることは今後ないと考えた方がいいだろう」


「──っなんで!?」


「それは……、いずれ分かる」


 騎士は赤い瞳を馬車の外に向けて黙り込む。もうグレースと会話する気はないようだ。

 グレースは手首に装着された拘束具を陰鬱な目で見下ろし、この奇妙な時間が終わるのを待った。






 兄ではない誰かのエスコートを受け、グレースは馬車を降りた。

 王宮に入るには見るに堪えないとの理由で拘束具は外されたが、グレースが逃げる余地はない。

 多くの王国騎士が控えているのと、何より──、離れた所にもうひとりの『聖女』がグレースを見張っている。

 殺されることはないだろうが、この場からの脱出は不可能だ。


「王宮に来るのは?」


 先を歩く萌葱色の騎士に聞かれ、グレースは首を振る。


うちは王宮に招待するほど位が高くないから」


 王宮の宴会に招待されるのは、低くても三爵以上の貴族だけ。

 グレースの養家であるクリーヴズ家は最下級の五爵で歴史も浅く、王宮に知り合いもない。

 一応、年に一度の建国祭の際には全貴族が登城可能だが、グレースたち兄妹は一度も行ったことがない。


「ふむ。ならば、私のそばを離れるな。ここは迷いやすい」


「あら」


 グレースは指先で口元を押さえ笑いを堪える。

 てっきり、恥をかかせるなとでも言われるのだろうと思っていたから、少し意外だった。


「迷ったことでもあるの?」


「──いや。馬鹿な部下の話だ」


「ちぇ。弱みを握れたと思ったんだけどな」


「……それよりも、言葉使いには気を付けた方がいいだろう」


「はいはい、分かってますよ」


 グレースは導かれるまま王宮へと足を踏み入れる。

 クリーヴズ家とは遥かに格の違った内装を見回し、グレースはある種の違和感を覚えた。

 名前は知らないが、高そうな研磨済みの白い岩石を積み上げた壁に、天井に吊り下げられた純金のシャンデリア。全てが絵本に出てきた通りだ。しかし、何かが違う。何かが足りない──。


「グレース・クリーヴズ! 息を止めろ!」


「え」


 しかし、言われたことの逆の行動を取ってしまうのが人間の性だ。

 グレースは思わず息を吸ってしまい、そこにある香りを感じ取った。

 それは、薔薇の甘く芳醇な香り──。


「ぁ……」


 グレースは自分で体を支えていられなくなり、体を倒す。

 幸いその体はオーブリーに受け止められたが、グレースはもはや意識を保てなかった。

 ぐらつく視界の中に叫ぶオーブリーの顔と、その奥に青薔薇が咲き誇っているのをみとめ、グレースは気を失った。

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